表層的には矛盾していても
なるほど確かに、韓国人が非常時には他人のことを慮ることなく、どころか他人を踏み付けにしてでも逃げ出すものならば、今回の事故で数百名もの韓国人が船内アナウンスに忠実に従って、結果命を失ったことは一見矛盾しているような気がします。
ですが、おそらく多くの韓国ウォッチャーは、あまりそのことに疑問も矛盾も感じていないのではないでしょうか。
その最大の理由は、韓国人の度が過ぎた楽観主義によります。今、「楽観主義」と書きましたが、あれを「楽観」と言って良いのかどうかには若干の疑問がなくもありません。しかしとっさに適当な言葉が思い当たらないので、便宜的にこの言葉を用いることにします。
彼らは、傍目には極めて楽観的に見えることが珍しくありません。例えば、日本と比べると韓国は地震が極めて少ない国です。ですから彼らは、地震が起きないことを前提に建物を作ります。その結果、地震も起きないのに建物が傾いたり、崩れたりすることは、地震が頻繁に起きる日本よりもずっと多いのです。
あるいは、韓国は過去に趣味か年中行事のように国を滅ぼしてきました。これは、如何に粉飾しようとも隠すことが出来ないくらい明白な歴史的事実ですから、当然韓国人もそのことは知っています。
にも関わらず、韓国人は韓国が滅ぶなどということは、天が落ちてくるのと同じぐらいの確率だと信じています。それは、韓国で金融商品の勧誘の際に銀行員が「このファンドが破綻する確率は、国が無くなるのと同じぐらいだ」と言い、客は「それなら安全な商品だ」と喜んでそのファンドを購入したという話からも伺えます。
それでめでたくつつがなくファンドが運用され、客が期待した通りの利益を手にしていれば、そういう話を私が知ることはなかったでしょう。つまり、そのファンドが普通に破綻し、客が虎の子の財産を失ったという記事がウリナラチラシに載ったからこそ、その話を私が知ることになったわけです。
韓国人の「楽観主義」を示す話はまだまだあります。季節になれば必ず訪れる台風についても、韓国人は極めて「楽観的」です。まず「台風は韓国を直撃しない」という、文字通りの「希望的観測」を行ないます。それが、気象のことなど何も知らない素人ならばまだしも、韓国の気象庁が堂々行なうのです。
更に、毎年のように台風による被害を経験しているはずなのに、彼らは台風が近付いてもろくに対策をしません。日本ならば、一度でも台風による被害を体験すれば、強風で倒れそうなものや吹き飛ばされそうなものには予めそれなりの対策を施し、浸水時のために土嚢を準備しておく程度のことは普通にするものですが、韓国で誰もが「自分だけは大丈夫」と、何の根拠もなく確信しており、その結果、韓国人は毎年のように同じような台風被害に遭うことになります。
韓国人のこういう話は、本当に枚挙に暇がありません。日韓チャットでも、日本人が韓国人に「気をつけろ」とか「危ないぞ」という話をすると、例外なくと言っても過言ではないほどに、彼らは「大袈裟ですね」「チョッパリは肝が小さい」とせせら笑うのです。
韓国は準戦時国家であり、いつ北朝鮮からの武力行使があっても不思議ではありません。私たちが日韓チャットに参加していた頃に、南北の緊張が高まったことは何度もありました。実際に延坪島が攻撃され、民間人に死傷者が出た時は、韓国人に「せめて緊急避難袋を枕元に用意しておけよ」と忠告しましたが、それを真に受けた韓国人はほとんどいません。
「だって実際に、朝鮮戦争が再開されたことはないじゃないか」と言う人がいるかもしれません。ですがそれは結果論であって、この先未来永劫、絶対に再開されないという保証は誰にも出来ませんし、小規模であれば、前述の延坪島に限らず、南北の局地戦は実際にたびたび起きているのです。
朝鮮半島全土を覆う戦争であろうと、局地的な交戦であろうと、自分が巻き込まれれば主観的には同じことです。というか、その「朝鮮半島全土を覆う戦争」が起きる直前さえも、韓国人はとことん呑気であったというのもまた、歴史的事実です。
韓国人は、様々な矛盾点を抱えています。それらは、まるでビビンバのように掻き混ぜられ、こねくり回されて彼らの中に存在します。韓国人の底の抜けた楽観主義もそのひとつなのです。彼らは、明らかに予測される危機に対しても、何故か「自分だけは大丈夫」と思っています。
そのくせ、時に彼らは鬱陶しいぐらい悲観的な側面を見せることもあります。危機に瀕すれば、たちまち絶望してアイゴーと泣き叫び、自助努力を全く何もしなくなるというのも、彼らによく見られる習性です。
それはいずれも韓国人の徹底した自己中心と他者依存及び無責任体質に由来するものであり、現象としては矛盾していても、本質的には矛盾するものではありません。
彼らが見せる行動も、彼らが口走る主張も、何もかも彼らの「薄くて浅くて上っ面」部分です。それに惑わされることなく、その一皮下に在るビビンバこそが彼らの本質であることを、私たち日本人は知っておくべきだと考える次第です。