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正しい日韓関係構築のために

韓国を見ていると、「あんなに素っ頓狂な国や民族は、他にもあるのだろうか」などと考えてしまうことは、よくあります。

私たち日本人は、「海外では」とか「外国では」とか「国際標準では」という台詞に大変弱いところがあります。日本には「海を渡ってやって来るものは全て良いもの」という舶来偏重の伝統があるためでしょう。

それもあって「国際標準で考えれば、韓国は特別素っ頓狂なわけではないのかもしれない」という考えが浮かぶ人もいるようです。

子供の頃、私は学校で日本は悪い国だと繰り返し教えられていました。子供でしたから素直に日本は多分悪い国なのだろうなと漠然と思ってはいましたが、具体的に何がどう悪いのかは、よくわかっていませんでした。

少し大人になってくると、日本がどういう国なのかということを知りたいと思いました。それは私だけではなく、多くの日本人もそうだったようで、在日フランス人を名乗る著者が語る「不思議の国ニッポン」という本がよく売れていたようです。

それを読んでいると、在日フランス人が書いているという設定ですから、どうしても二言目には「フランスでは」といいます。最初のうちはそれでもフムフム言いながら読むわけですが、だんだん「じゃあ日本はフランスみたいになれば良いのかな?」と思うようになりました。

御一新の後、日本は欧米に精力的に留学生を送り込んで、欧米文化を吸収しようとしました。その派遣先のひとつにフランスもあり、そのためか一部の日本の文化人にとってフランスが、猛烈な憧憬を抱く国のひとつであったことは、事実でしょう。その勢いが余って日本の国語をフランス語にすべしなどと言い出した小説の神様までいました。

しかし、日本とフランスは何もかもが違います。当時、若くて今より更に無知だった私でも、日本がフランス(のような国)になることなんて不可能だと思いました。ならば日本はどうなるべきなのかという漠然とした疑問は、その辺りから常に私の中にあったように思います。

加えて、日本を否定する教育を受け続けたために、こんな悪い国は出て行こうとまで思い詰めたことがありました。日本を出て行くならば、行き先を決めなければなりません。そこでとりあえず、思いつく限りの好ましげな国をピックアップして、移民について調べました。

これもまた当たり前のことですが、自分が本気で永住するつもりで調べると、どの国も一長一短があります。それまで、世界で日本だけが悪い国だと思っていましたが、ちゃんと調べると日本より悪い国はいくらでもあり、客観的に見て日本はそれほど悪い国ではないということを、嫌でも思い知ることになりました。

就職してからは、色んな国に行く機会がありました。実際にその国を訪れてみると、自分の目の高さの「その国」が見えます。日本と比較して「住んでみたい」と思えた国は、意外なほどありませんでした。

そうやって様々な国を比較してわかったことは、それぞれの国や民族はそれぞれに独特であるからこそ、それぞれの国や民族として成立しているという、やっぱりごく当たり前のことでした。

そういう意味では世界に「特殊でない国や民族」などありません。日本がどういう国であるかを説明するために、どこかの国に喩えようとしても、どこにも喩えるべき国は存在しないのです。

韓国もまた、同じです、と言いたいところですが、あの国はちょっと事情が違います。韓国は、常に「お手本」をそのままトレースしようとする国でした。かつての朝鮮では、自ら小中華と名乗ったほどです。問題は、それが彼らにとっての「完璧(パペクト)」であっても、所詮8割の達成率でしかなかったことでしょう。つまり彼ら的には「完璧(パペクト)」にお手本をトレースしたつもりであっても、出来上がったものは「の、ようなもの」でしかなかったのです。

今も彼らは、貪欲に「お手本」を欲しています。韓国でアンケートを取ると、「学ぶべき国」の上位には常に日本がランクインするという恐るべき事実があります(同時に「嫌いな国」の上位にも常に日本がランクインしていますw)。実際、韓国へ行くと日本の20~30年前ぐらいを彷彿とさせるほどに、彼らが日本を「お手本」としている部分は、間違いなくあります。

では韓国は日本を写す鏡なのかと言えば、そうとも言いづらいのです。なぜなら彼らが日本を写そうとしているのは確かなのですが、彼ら自身が鏡として機能していないからです。

つまるところ韓国とはどういう国であり、韓国人とはどういう人々なのか、誤解をおそれず大胆に言うならば、彼らが作るコピー商品のような国であり、人々であると言えば最も端的ではあるでしょう。

いずれにせよ他国や他民族を考える時は、その国や民族が「どういう国か」「どういう人々か」ということを考えることも重要ではありますが、それよりも重要なのは、「その国や民族とどの程度価値観の共有が可能か」ではないでしょうか。言葉や風俗、習慣が大きく異なっていても、価値観の共有が可能であれば理解し合えるでしょうし、どれほど似ているところがあっても、価値観が共有出来ない相手と理解し合うことは、絶対に出来ません。

日本は、韓国を「基本的な価値観を共有する重要な隣国」と規定しています。しかしこれまで述べてきた通り、日本と韓国は価値観をほとんど共有しません。最初の第一歩で間違えているのですから、日韓がうまく行く道理はないわけです。

韓国が日本の隣国のひとつであるのは事実なのでそれは良いとしても、今後の日本は韓国を「価値観を異にするそれほど重要でもない隣国」と規定し、それに従って対応するのが、正しい日韓関係の構築に大きく寄与するのではないかと考える次第です。



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「韓国にとってもその方が良い」というアナウンス

弊ブログでは、しばしば「韓国にとってもその方が良い」という表現を用いることがあります。

これを「韓国に配慮している」と受け取る方もいらっしゃるようで、それが悪いと言うつもりは全くありませんが、その解釈が正しいとも言えません。これは正しくは「配慮」ではなく、「提案」だからです。

日韓について考える時、私が最も重要と考えているのは言うまでもなく日本(の国益)であって、韓国などどうなろうと知ったこっちゃありません。

ただ、手放しでそう言えるのは私が無力で無名の一個人だからであって、これがある程度の地位や立場や権力を持っている人ならば、手放しでそこまで言うのは、日本では色々憚りがあるでしょう。

また日本には、支那・朝鮮人と密接な関係を持っている国会議員が少なからずいます。民主党などはまるごとそうだと言っても良いほどです。そういう人たちに「日本のことを第一に考えろ」と言っても聞く耳を持ってもらえるとは思えません。

仮に日本人全員の意思が韓国排除に統一されたとしても、前回記事のコメントにもあったとおり、韓国側が粘着してくるのは確実でしょう。

かつての日韓チャットでは、日本人が部屋を作ると韓国人が殺到するのが常でした。来るなと言っても、来たら問答無用で蹴り飛ばすと宣告しても、部屋タイトルに「韓国人謝絶」とか「韓国人立入禁止」などと明記しておいても、彼らは飽くことなく押し寄せます。

ことに「韓国人謝絶」や「韓国人立入禁止」という部屋名にすると、何やら彼らの心の琴線に触れるものがあったようで、逆効果も甚だしく、後から後から韓国人が押し掛けました。

この時効果的だったのは、「韓国人謝絶」とか「韓国人立入禁止」ではなく、「日本人専用」という部屋名にすることでした。「韓国人謝絶」とか「韓国人立入禁止」と書くと、その気がなかった韓国人まで躍起になってその部屋に入ろうとするのですが、「日本人専用」という部屋名にすると、途端に入って来なくなるのは、本当に不思議でした。

部屋にいる韓国人にしても、「出て行け」と宣告されて素直に出て行く個体は稀でした。部屋からどうしても追い出したければ、部屋長権限による強制退去が一番手っ取り早くはあるのですが、そうすると彼らはたちまち火病って、私たちが「病身舞」と呼んでいた連続入退室をやらかすのです。

この連続入退室は、チャット荒らしの手法のひとつであるログ流し(異常な速度で連続発言をしてログを増やし、事実上チャット不能の状態にすること)と同じ効果があり、当然大変に迷惑です。ですので、私は部屋長権限があるときでも極力乱用しないようにしておりました。

強制退去が出来ないのであれば、自主的に退出願うことになります。弊ブログのチャットログで、私がしばしば韓国人に向かって「自主的に退出するか、部屋長権限で強制退室になるか、どちらか好きな方を選べ」と言っていることにお気づきの方もいらっしゃるでしょう。

それでも彼らはどうにかして居座ろうと粘るわけですが、そんな彼らに退出を促すには、「お前がいると私たちが不快だから、私たちのために出て行け」と言ってもまず聞き分けるはずがありません。

それよりも、「ここにいても私たちはお前の相手をすることはない」と宣告して、実際その通りにすれば、彼らは比較的素直に出て行くことが多かったのです。

以前にも書いたことがありますが、韓国人にとっては、悪口や罵倒であっても、無視されるよりはマシなのだそうです。

彼らにとっても最もダメージが大きいのは、存在を認めてもらえないことであって、悪口や罵倒はある意味自分の存在が相手に認められていることでもありますし、それをきっかけにコミュニケーションも成立し得ます。ですので彼らは自分に向けられた悪罵も、喜ばしいとまではいかないにしても「これならまだ付け入る隙がある」と考えるでしょう。

そういう彼らの習性を鑑みるに、彼らの挙動にいちいち反応し、都度都度反論や反撃を行なうのは大変に効率の悪いやり方になる可能性が極めて高いと考えざるを得ません。

もちろん、だからと言って彼らが好き放題やるのを見過ごし放置しろと言うわけではありません。これも日韓チャットや日韓翻訳掲示板における日韓討論を見て得た教訓のひとつなのですが、彼らを直接相手にするほど不毛な議論はありません。それよりも、ギャラリーにどちらの主張に正当性があるかを判断してもらうことの方が、ずっと効率が良いのです。

加えて、韓国人と直接議論するのであれば、必ずその議論で出た結論に責任を持てる人物であるかどうかを確認することです。100人、いや1000人、いや1000万人の韓国人を論破しても、その韓国人が有象無象の一人であれば、そこで出た結論は「一部の韓国人が言ったこと」とされて全て反故になります。

これらの対韓国人手法は、リアルでも通用することが期待出来ます。

まずは日韓チャットで部屋名を「日本人専用」としたように、日本が日本人の国だということを、漠然とではなく、はっきりと日本人全員が自覚し、それを国家的に表明することでしょう。

弊ブログをご覧の方なら知らない方はいらっしゃらないと思いますが、かつて仮にも日本の首相を務めた人間が、公然と「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」などと放言したことがあります。世界中どこの国を探しても、こんなことを国家のリーダーが言う国は日本以外にないでしょうし、更にこれがほとんど騒ぎにならなかったというのも、日本以外にはあり得ないでしょう。

こういう狂った公正意識と言うのか平等意識と言うのかよくわかりませんが、日本人の多くがそれに染まっており、そこに韓国人や親韓・擁韓・反日日本人が付け入ってるというのが現実です。それを正すだけでも、韓国人が感じる敷居はかなり高くなるはずです。

それから、日本国内の有象無象な韓国人は極力相手にしないようにします。相手にすれば、それがどんな形であっても、彼らは「自分たちは受け入れられている」と理解します。極端な話、嫌韓デモですらそう考えられている可能性があります。

もちろん、だからと言って嫌韓デモをするなと言うつもりはありません。ただやり方と言うか、表現方法はもう少し練った方が良いかもしれません。私たちが主張を示したり、対話や議論を求める相手は、韓国人ではなく日本人であるということをもっと前面に出しては如何でしょうか。

あとは、韓国との対話や議論においては、必ずその発言と出た結論に責任と権限を持つ韓国人とだけ話すようにすれば良いでしょう。

そうすれば、日韓チャットや日韓翻訳掲示板が、韓国主導で始まり、韓国人主体で運営され、韓国人参加者の方が圧倒的に多かったにもかかわらず数年で衰退してしまったように、それほど長くない時間で韓国人の方から日本と距離を置くようになるかもしれません。

要は、「日本との離間が日本にとってのみ有益なのではない」あるいは「日本との交流は韓国にとって有害である」ということを、他でもない韓国人に思い知らせることが出来れば、韓国人の方から自主的に日本と距離を置くようになる望みは十分にあるのではないでしょうか。

少なくとも、期せずしてネット上ではそうなりましたので、現実でも可能性は十分あると私は考えております。



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韓国が真の独自文化を醸成するために

韓国人は矛盾で出来ているのではないかと思うぐらい、矛盾する点が多い生き物です。

例えば彼らは、率直を美徳とすると言います。だから言いたいことがあったら、時も場所も相手もわきまえず口走ります。それで相手が気を悪くしようと場の雰囲気が壊れようと、自分に正直であることが良いことだと思っている彼らは平気です。

そのくせ彼らは、呼吸と同じくらいの頻度で嘘をつくのです。その嘘は、他人に向けたものばかりではありません。自分自身にも非常にしばしば向けられます。

しかも彼らはその嘘を、悪いと思っていないのです。厳密には、自分の嘘を悪いと思うときもあるようですが(思わない場合は、自分が嘘を吐いているという自覚がない場合)、「でもしかたない」と考えて正当化します。

自分の行動を見て、他人がどう思うか、どのように受け取るかをほとんど考慮せず行動するくせに、彼らは自分に対する他人の評価を非常に気にします。

彼らは二言目には自尊心自尊心と口走りますが、彼らの自尊心とやらが、本来の意味での「ありのままの自己を尊重し、受け入れる態度」であることはまずありません。彼らが自尊心と言っているものは、実は劣等感だったりするのです。

日本や日本人に対する韓国人の姿勢も、やはり矛盾の塊です。

彼らはいてもたってもいられないほど日本が憎くてしかたないのですが、それと同じ程度に日本が好きでたまりません。日本のことが気になってしょうがないのですが、日本に気を使わない(関心がない)と本気で思っています。韓国人しかいないところでは全力で日本人を馬鹿にしますが、他に韓国人がいないところで日本人を見かけると、全力で媚を売りに来る韓国人も決して珍しくありません。

何も知らない日本人は、ナマ韓国人の一面を見て、「あれっ?韓国人って嫌韓が言うほど悪辣な人じゃないぞ?それどころか、結構良い奴じゃないか?」と思うことがよくあります。まさか目の前の「良い奴」とは真逆な人格が、彼らの中に同時に存在するとは思いつきもしません。

それで日本人はコロコロと韓国人に騙されるのですが、それも無理はありません。ある程度韓国人を知っていても、目の前で相矛盾する言動を何度も繰り返し見せつけられでもしなければ、まさかこんな「良い奴」がそんな恥知らずなことをするわけがないと【日本人の常識】では思ってしまうものです。

昔弊ブログでもお話したことがありますが、知的所有権や財産の侵害については、世界でも中国と韓国が二大巨頭と言えるでしょう。しかしそれを指摘された時の反応は、中国と韓国ではまるっきり異なります。例えば日本の製品をパクってコピー商品を作り、それを日本企業に売り込みに来る中国人や韓国人は、結構いるそうです。

そこで日本人が「これ日本製品のパクリでしょう?」と指摘すると、中国人は胸を張って、「そうです!だから高性能で低価格なんですよ!」と言うのだそうです。ところが韓国人の場合は、パクリを指摘されると完全否定し、烈火の如く怒り出すのだとか。

躊躇なくパクるくせに、韓国人はパクりを良いことだとは思っていません。またパクリを指摘されて怒るぐらいならパクらなきゃ良いとか、せめてパクリ元に売り込みに来なきゃ良いのにと思うのですが、何故か韓国人は、パクリ元相手でもパクリがバレないと、かなり本気で思っている(あるいは、パクリがバレるなどとは全く思っていない)ようなのです。これもまた、韓国人を構成する代表的な矛盾の例と言えるでしょう。

今、まさにブラジルワールドカップ真っ最中なわけですが、私が初めてワールドカップを観戦したのはあの2002年でした。その時、日本代表の宮本選手が負傷した顔面を保護するためのフェイスガードを着けて出場したことがあったのですが、それが各方面で話題になるや、たちまち韓国のある選手が宮本選手同様のフェイスガードを着けて出場したのにはずっこけました。

日本人ならずとも、通常はパクることで得られる利益よりも、パクリがバレることで損なわれたり失われたりするもの、例えば体面や信頼などを惜しむものです。ところが韓国人は、何故か自分のパクリはバレないと思っているらしく、仮にパクリがバレても、損なわれたり失われたりするものがあることを事前に全く想定しません。おそらく韓国人がパクる時は、パクリ元が得たのと同じだけの、もしくはそれ以上の利益を、無条件で自分も享受出来ると期待しているのでしょう。

例えば前述の、宮本選手のフェイスガードを真似た韓国人選手(もう名前も覚えていませんがw)にしても、宮本選手がマスクマンと言われて注目されたのと同じだけの注目を、自分も得られるに違いないと期待していたのでしょう。

もちろん、韓国人がパクるのは日本からだけではありません。韓国内及び韓国人同士でもパクリ合戦は常態化しております。韓国人の女性芸能人やミスコンテスト候補者が判で押して鋳型で抜いたかのごとく同じような顔なのも、そういう顔が良いと評価されれば、後先考えずこぞってそれにならうことの表れと言えます。

パクることによって彼らが期待する高評価はしばしば空振りに終わるだけではなく、「恥ずかしげもなくパクった奴」というレッテルを貼られることになります。期待した利益が全く得られなかっただけではなく、予想外の侮蔑と嘲笑を浴びることになって、彼らは激怒します。

そこで「無節操にパクった自分が悪いのだ」と反省出来ればまだ救いはあるのですが、ほとんどの韓国人にその機能は備わっておりません。彼らは「悪いのは自分ではない」という前提を同時に結論とし、それに従って合理化を図ります。そのひとつが、彼らの「ウリジナル」発想なのでしょう。

オリジナルの立場では、パクられることそのものも不快ではありますが、更に不快なのは、パクった彼らがオリジナルを主張し、オリジナルの方をパクリだと非難する場合がしばしばあることです。これをやられると、オリジナルが受けるダメージは甚だしいものになります。本来オリジナルが受け取るべき利益や評価がパクリに流れ、パクリに向けられるべき軽蔑や嘲笑がオリジナルに向けられることになるのですから。

そうでなくとも日本と韓国は似ていると思われています。実際、黒い髪黒い瞳黄色い肌という点では、似ています。かつて日本が朝鮮を統治していた歴史的事実から、韓国人が日帝残滓と忌み嫌う日本文化の影響は、もはや取り除くことが出来ない(もし取り除けば、現在の韓国を維持することが出来なくなる)ほど強く残っていますので、そういう点が似ているのも当然です。

しかしどんなに似ている部分があっても、日本人と韓国人が真逆であることはこれまでに何度も述べてきたとおりです。シャイな日本人に比べて、韓国人は自己主張が激しい傾向があります。更に日本人は恥を知りますが、韓国人は恥知らずです。そういう二者が並び、自己主張が強く恥知らずな方がオリジナルを主張すれば、何も知らない人はそちらをオリジナルだと思ってしまうでしょう。

そのことで短期的には日本は損をして韓国は得をすることになりますが、長期的に見れば韓国は永遠に何かのコピーでい続けることしか出来なくなります。それで韓国人が良いと考えるならば良いのですが、韓国人の自尊心という名の劣等感は、自らが何かのコピーであることを受け入れ肯定することが出来ません。彼らはオリジナルを主張するために、オリジナルの消滅あるいは吸収を望むようになります。

結局韓国と付き合えば、日本側は失うものばかりで得られるものはありませんし、韓国側としても、自ら成長する機会を喪失することになります。

そういう意味でも、日韓は一度大きく離れるべきだと言えます。そうすることによって、日本は日本が本来受け取るべき正当な評価や利益を得ることが出来るようになるでしょう(少なくとも、日本が本来受けるべきではない不当な侮蔑や嘲笑を受け取らずに済むようになります)し、韓国は彼らが欲する本当のオリジナルを自ら醸成することが出来るようになるでしょう。

もっとも、韓国人にオリジナルが醸成出来るかどうか、仮に出来たとして、それが彼らが望むような高質高評価なものになるかどうかには甚だ疑問がありますが、そんなこと日本が気にしてやる必要は毛頭ないのです。



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今は歴史の転換期?

韓国考察に関する新しい切り口を模索中という前回記事に、幾つものご提案をいただき、まことにありがとうございます。

中でも、過去の事例や在日に焦点を当てるというご意見にはかなり食指が動きました。ただ過去の事例はともかくとして、在日については私自身にあまり現実的直接的な経験がないのがつらいところです。

それから韓国をネタにしてアメリカ、中露その他の近隣諸国について考えるというのは、そこまで手を広げるとちょっと手に負えなくなる(何しろ弊ブログではそれが理由で、中国についての言及を極力避けておりますw)のでご勘弁いただきたいのですが、日本を考える、というのは大変良いアイディアだと思います。

当面の間は、引き続き新しい切り口について模索を続けたいと思いますので、ご提案のある方はコメントいただければ幸いです。

さて、日本政府が河野談話検証を明日20日に発表するとのことで、韓国側はこれに激しく反応しているようです。

それに関連してなのかどうかはわかりませんが、韓国側は竹島沖の日本領海内で射撃訓練を行なうと言ってきたとやら。韓国側の真意はどうあれ、タイミング的には日本政府の河野談話検証に対する嫌がらせと考えて問題ないのではないかと思います。

日本領海内、しかも日本が領有を主張し韓国が武力によって不法占拠する島の周辺で、韓国軍が実弾射撃を伴う軍事訓練を行なうとなれば、これは日本に対する韓国の武力恫喝とみなしても無理はありません。もし日本が普通の国であれば、これが日韓戦争のきっかけになってもおかしくないほどの危険行為です。

日本に対して韓国がこういう行動に出るのは、日本が絶対に武力を伴う反撃を行なわないという確信に近い期待があるからでしょう。日本が、韓国との問題は事を荒立てず穏便に解決しようという姿勢を続けてきた結果がこれです。日本政府はいい加減に、一歩譲れば一歩押し込んでくるのが韓国という国であり、韓国人という生き物であるということを学習するべきです。さもなければ、韓国は今後も絶対に際限なく押し込んできます。押し込まれるだけ押し込まれて、一歩も譲れなくなってから反撃するのでは、日本が被る損害は甚だしいものになります。

今回は日本が実力行使をするには準備が間に合わないかもしれませんが、それでも単に遺憾の意を示すだけで終わらせず、「今後同じようなことがあれば、我が国は予告なく国家の主権を行使する」とでも宣言しておくべきはないかと考えます。

しかし、しみじみ思うことは、今の時期がまさに歴史の転換期なのではないかということです。少し前までは、日韓の国交断絶を主張すれば、嫌韓の妄想と嘲笑されました。それがいまや、夢ではないところまで来ているのです。

もちろん、今の時点で日韓断交が実現するかどうかはまだ何とも言えません。一般的に断交と言えば戦争の一歩手前状態になることであって、弊ブログが主張するような発展的関係解消という形での断交は、前例がほとんどないのではないかと思います。

戦争一歩手前、即ち「戦争も辞さない」という態度で断交するのであれば、それほど手続きは複雑ではないでしょう。一方的に韓国に断交を通告し、駐日大使館や領事館を封鎖して外交官を全員国外に蹴り出してしまえば、とりあえず断交の形は成立するのではないかと思います。

一番簡単で現実的なのは、日本側の言動に韓国側が火病って大使を召還した際(これはよくありますw)に、日本政府がそのまま駐日韓国大使館を閉鎖してしまうことだと思います。が、それでもやはり一歩間違えれば戦争に至りかねません。

発展的関係解消、即ち平和的に国交を断つのであれば、やはりそれなりの準備や手続きは必要になるでしょう。その下地やきっかけが作れるかどうかは、今後の日本政府の対韓姿勢次第です。

そのためには、日本政府が日韓の発展的関係解消を現実的に考える必要がありますし、日本政府にその必要性を認識してもらうには、日本国民にその合意がなくてはなりません。

日韓断交を叫ぶ嫌韓は少なくありませんが、その多くが極めて漠然としたイメージで叫んでいるように思われます。日韓断交を実現するためには、まずは日韓断交を叫ぶ嫌韓から、その具体的な意味と、それを実現する為に必要なことを議論し、共有していく必要があるでしょう。

もし韓国が薬にはならなくても、毒にもならない国であれば、国交はあった方が良いということは議論の余地がありません。今、韓国と国交があり、且つ断交を公式に主張する人がいないのは、まさにそのためです。あえて断交を主張するためには、韓国がただ薬にならないだけではなく、日本にとって猛毒であることを示す必要があるのです。

日本にとっての韓国は毒になる国であることは嫌韓にとっては自明の理ですが、多くの日本人にとっては未知のことであり、俄かに信じ難いことでもあります。

そうでなくても韓国人は、日本人に取り入ったり騙したりすることについては本能的と言っても良いほど長けています。日本で嫌韓が広まりつつあると言っても、いまだに「ネットで言われてるほど韓国人って酷い人たちじゃない」という韓国人の工作に引っかかる日本人は後を絶ちません。

そういう人たちにも、何故日本は韓国と断交する方が良いのかを説明するには、まず嫌韓が、漠然としたイメージではなく、何故日韓断交が必要で、且つ具体的現実的に日韓断交とはどういうものなのかを理解しておく必要があるでしょう。

有権者の間で日韓断交の是非についての具体的な議論が形成されなければ、政治家もそんな面倒くさいことに関心を示さないでしょうし、当然国会などの公的な議論の場で取り上げられることもありません。

今が歴史の転換期であるならば、今の私たちの行動によって未来は大きく変わります。惰性で日韓の国交を続けるならば、未来の日本人に「あの頃の日本人がもっとちゃんと考えて行動してくれていれば、今の私たちがこんな苦労をしなくて済んだのに」と言われてしまうかもしれません。

少なくとも、未来の日本人が「あの頃の日本人が韓国との国交を続けていてくれて良かった」と喜んでいる未来予想図は全く考えられませんので、やはり日本にとっての韓国との国交は有害無益であると、私は確信しております。



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新しい切り口を模索中

6月も半ばを過ぎました。ブラジルではワールドカップが開幕し、日本は残念なことに初戦を落としたようですが、勝ち負けはスポーツの常です。選手には勝って驕らず負けて腐らず、精一杯頑張って、出来ることなら楽しんできてもらいたいと思います。

さて、昨今の日本における韓国理解の浸透具合は、大したものだと思います。

これまでの、少なくとも私が物心ついて以降の日本では、韓国に対しては無関心でなければ、無批判な好評価でした。物事は何につけ良いように言おうと思えばいくらでも言えるものですが、それを勘定に入れてもどうかと思うぐらい、韓国は好意的な解釈で語られていたように思います。

逆に韓国にとって不都合な、あるいは不名誉な事実は、サベツを助長するとか日韓友好を阻害するなどという名目の下に、恣意的に握り潰されてきました(実はそれこそが、韓国に対する不当な差別意識の裏返しだったと私は考えています)。

今世紀に入ってその風潮は、韓流捏風がまさに追い風となって加速しました。その追い風はあの悪夢の民主党政権によって更に加速し、日本は本当に韓国に乗っ取られるのではないかというところまで行きました。

韓国を嫌いだと言えば直ちに人種差別主義者のレッテルを貼られかねなかったあの頃、私は韓国の薄くて浅くて上っ面に騙され転がされ踊らされている日本人を見て、どれほど歯痒く思っていたでしょうか。もっとも、そう言う私だって日韓チャットに行くようになる前は同じ穴のムジナだったわけですが。

このブログで日韓チャットのログを出せば、「お前の対応が悪いから韓国人が反発するんじゃね?」「お前が最初から喧嘩腰だから、韓国人もそんな態度になるんだよ」と思っていた人が多かったのも、コメントには表れなくてもひしひしと感じていました。

わかる人にはわかってもらえているんだというのを支えにひたすら書き続けましたが、それでも時には、書いても書いても伝わらない気がして、何でこんなことやってんだろうという虚無感に襲われることも本当にしばしばでした。

それが今は大手メディアが毎日のように韓国にとって不都合な事実や実態を普通に記事にするようになり、それに対する反応も、もはや何も言うことはないほど的を射ているものが多くなりました。

出版不況と言われるこの時代に、嫌韓系と言われる書籍がバカ売れしているのも、それだけ韓国に関する(マスコミが報道しない)事実を知りたいと考え、それを理解する日本人が多くなったということなのでしょう。

韓流捏風が2002年の日韓共催ワールドカップからと考えれば、それが終焉を迎えたのは2012年8月、李明博前韓国大統領が行なった一連の反日パフォーマンスまででしょうか。

現在の日本における嫌韓気運の端緒が、李明博前韓国大統領による反日パフォーマンスの時点からと考えると、まだ丸2年も経っておりません。韓流捏風が10年続いたことを考えれば、その反作用としての現在の嫌韓気運も、最低10年は続くことを期待しても良いでしょう。

しかし嫌韓気運が10年続いたとしても、その後忘れ去ってしまうのでは元の木阿弥です。忘れ去るのではなく、日本にとって韓国は不要な、むしろ有害な存在であり、永遠に遠ざけておくべき相手であるという認識を日本人が(出来れば国際的にも)共有する必要があるでしょう。

そのためには、更なる韓国理解の周知徹底が必要になります。韓流捏風が吹き荒れていた頃と比べれば格段に韓国理解が浸透したとは言っても、嫌韓気運が高まり始めてからまだたった2年弱です。理解が不十分だったり、明らかに誤解している人もしばしば見かけますが、それも無理はありません。

加えて、ある程度韓国を知ると壁と言うか底にぶち当たります。ぶち当たったところで終わってしまうと、すぐに韓国を忘却してしまうことになります。

同じことの繰り返しのように思えても、意味がないように感じても、韓国に対する嫌悪感が高じて、韓国に関して知ったり考えたりすることが嫌になっても(これが一番深刻w)、それでも韓国が韓国であることを忘れないようにし続けることが、これまで日本で繰り返されてきた日韓関係の悪循環、即ち、「無関心→好意→関心→嫌悪→忘却→無関心」というループを断つキモになるでしょう。今盛んに行なわれている韓国に関する事実の周知だけでは、どうしても「嫌悪」から「忘却」へ移行しがちです。

弊ブログでは、韓国について言いたいことは既にほぼ言い尽くしております。同じことの繰り返しになっている記事も幾つもあります。それでも良いと言っていただいているのに甘えてはおりますが、弊ブログの読者諸姉諸兄の韓国理解は、かなり深いところまで到達しているように思います。となれば、「嫌悪」から「忘却」への移行を断つためにも、そろそろ新しい切り口を模索していく必要があるのかもしれません。

それが弊ブログで唱えた「遠ざけよ、しかし忘れるな」の実践にもなるでしょう。

問題は、どういう切り口で挑むべきかが、現時点では皆目思いつかないことですがw



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韓国人とはそういうもの

13日の金曜日、皆様方におかれましては如何お過ごしでしたでしょうか。私は二度寝の勢いが余って寝過ごしたぐらいで、特に変わったことはありませんでした。

さて、嫌韓をやっていると、親韓や擁韓は言うに及ばず、韓国人そのものからも非常にしばしば強い非難を浴びることがあります。まあ、こちらも言いたいことを言ってるのですから、相手の言う権利を認めるのはやぶさかでありません。ただ往々にして、わざわざ私たちに向かって文句を言いに来たりするくせに、彼らが私たちと真摯に議論しようとすることがないのは不思議です。

日韓チャットの韓国人もほとんどがそうでしたが、親韓や擁韓な人々も、自分の言いたいことなら黙れと言っても言い続けます。ですがこちらの言うことはほとんど聞きませんし、こちらの質問に誠実に答えることもほとんどありません。

彼らの反日はしばしば宗教に例えられますが、それは彼らが反日を真理であり正義と信じているからでしょう。何故反日なのかとか、その反日は正しいことなのかということを、彼らは決して考えません。それを考えることは、反日を唱える「ウリ」という「神」に対する冒涜であり反逆だからです。

日本人は、八百万の神を信じています。「いや、八百万の神とか迷信だし」と言う日本人もいるでしょうけれど、そういう日本人であっても無意識に神の存在を認めているものです。稀に意図的に神を否定しようする日本人もいますが、そういう日本人の行動を見れば、圧倒多数の日本人は罰当たりだと感じるはずですし、もしその結果何か悪いことが起きれば、神を否定しようとした当の本人ですら「罰が当たったのかも」と不安になるでしょう。

八百万というのは、言うまでもなく実際の数ではなく、「数え切れないほど多い」ということです。言い換えれば、あらゆるものに神が宿るということでしょう。日本人は他宗教に極めて寛容で、如何なる宗教の神であっても、更には善神であっても悪神であっても、一応は神として認めることが出来るものですが、それは八百万のうちの一柱と無意識にイメージするからかもしれません。

翻って韓国人はと言えば、彼らにも一応宗教らしいものはあります。ですが彼らは、一般的な宗教の神を全く信じていません。彼らが信じるのは「ウリ」だけなのです。そのためか彼らは非常にしばしば、「ウリ」を「神」と無意識に考えるようです。あるいは「神」を「ウリ」を同一化します。いずれにしても、彼らが彼らの信じる「神」をイメージする時、その神様が彼ら自身である「ウリ」と一体化するのは間違いありません。

ですから彼らが神そのものを畏れることは、全くと言って良いほどありませんが、「ウリ」を畏れることは甚だしいものがあります。韓国人にとって最も激しく厳しい非難の言葉は、「お前はそれでも韓国人か」という言葉ですが、彼らにとって「韓国人」であることを否定されることは、「ウリ」から排除されると同時に、「ウリ」に反逆する者という烙印を押されることでもあるのです。

「韓国人であればこうするはずだ」「韓国人ならばこうするべきだ」という道徳律は、韓国では正規の法律をも超越する最上の規範となっています。

そういう意味では、韓国は「ウリ」という絶対唯一神を信奉する一神教と言えるでしょう。問題はその「絶対唯一神」が、「絶対」でもなければ「唯一」でもないことです。

またこのブログの筆者は、訳のわからないことを言い出したと思う人も多いでしょう。私もそう思います。ですが、そうとしか説明のしようがないのです。

彼らにとって「ウリ」が「自分自身」であることは、これまでに何度も述べてきましたが、本来の意味の「ウリ」とは、「私たち」「我々」という意味です。

日本人が「私たち」とか「我々」と言う場合、主体は「自分自身が属する集団」であって、「自分自身」はあくまでその一部です。しかし韓国人が「ウリ」と言う場合、主体は日本人とは真逆で、「自分自身が属する集団」ではなく必ず「自分自身」になり、「集団」は「自分自身」に属することになります。

もちろん、韓国人が考える「自分自身」は韓国人の数だけ存在します。よって彼らは序列によって「ウリ」を決定します。下位の「自分自身」は上位の「自分自身」=「ウリ」に吸収されるのです。それは言うまでもなく、彼らのその時その時の主観で決定されます。デフォルトでは、彼らの「ウリ」は言うまでもなく「自分自身」ですが、もし目の前に明らかに自分より上位の存在が目の前にいれば、彼らは比較的素直にその「ウリ」に吸収されます。

実在するかどうかはさておき、現実としての「神」は可視の存在ではありません。よって彼らが「神」を語る時、それは極めてナチュラルに「自分自身」にすりかわるのです。即ち、韓国人の数だけ「ウリ」という「神」が存在することになるのです。

韓国人の数だけ「ウリ」が存在しますが、それらは彼らの序列によって常に上位の「ウリ」に統合されます。また彼らのイメージする「ウリ」は、絶対的且つ唯一と言って良いほど画一的です。即ち「誇らしい韓国人」というものです。よって彼らが信奉する「ウリ」という「神」は、絶対唯一神でありながら絶対でも唯一でもないということになるのです。

日本人が八百万という無数の(同時に様々な性格の)神を信じているのに対し、韓国人が「ウリ」という絶対でも唯一でもない絶対唯一神を信じているのは、まことに好対照と言えるでしょう。

その「ウリ」が反日を教義とする限り、彼らはそれに逆らうことは出来ません。もし逆らえば、彼らは「ウリ」の資格を失うからです。彼らは「ウリ」である限り「神」でもありますが、もし「ウリ」でなくなれば「神」から討伐される存在にならざるを得ないのです。

彼らが「ウリ」という「神」を信じる限り、彼らは絶対に反日という教義を、内心では疑い否定することはあっても、それを表明することは出来ませんし、もしそれを疑い否定する者がいれば、有無を言わさず折伏あるいは討伐しなければなりません。

よって彼らは、嫌韓と議論するということはありません。嫌韓はあくまでも折伏あるいは討伐の対象なのです。その主張に耳を傾け、その内容の是非を考えることそのものが、「ウリ」に対する冒涜となるのです。

韓国人は言うまでもありませんが、親韓・擁韓な人々も「ウリ」に取り込まれた人たちですから、嫌韓の主張に耳を貸すこともなければ、真摯にその内容について考えるということもありません。彼らは私たちに一方的に彼らの考えを受け入れ、あるいは斟酌することだけを要求します。それ以外の対話(と言い得るものが出来るかどうかにも大いに疑問はありますがw)を彼らは望みませんし、そもそもそうすること自体が許されません。

丁度、安倍総理が朴槿惠大統領に向けて、「対話の扉はいつでも開いている」と言っているのに、彼女が頑なに対話を拒み、一方的に自分の主張を受け入れろという態度を示し続けているのがまさにその象徴と言って良いでしょう。

こちらがどんなに扉を開いていても、彼らがその扉を通ってこちらに歩み寄ることは、彼らが韓国人である限り永遠にありません。いつまでも扉を開きっ放しにしておくというのも無用心なことですし、そろそろ私たち日本人は、「韓国人とはそういうものだ」と理解し、扉を閉じ、鍵をかけても良い頃合いではないかと考える次第です。



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韓国批判の対案

親韓、擁韓な人の意見というのは、嫌韓にとっては大変参考になります。特に在韓、中でも韓国人を配偶者に持つ人の意見というのは、往々にしてそのまま韓国人の意見ということがよくあります。

「そのまま韓国人の意見」というのであれば、日韓チャットや日韓翻訳掲示板、あるいは最近であれば韓国の掲示板を翻訳してくれるまとめブログなどを見ればいいのではないかと仰る方もいらっしゃるでしょう。確かにそれらは韓国人の直の意見ではあるのですが、翻訳を通すことで微妙なニュアンスが損なわれているのもまた事実です。

同様に、日本語の達者な韓国人の意見というのも、その韓国人の日本語が達者であればあるほど、どこまで日本語のニュアンスを理解して表現しているのかに疑問が残ります。

在日韓国人は日本語を母語とする韓国人ですが、彼らの意見がそのまま本国韓国人の意見と一致するとは限りません。

駐在や移住などでただ韓国に住んでいるだけの在韓日本人の場合は、必要に迫られて親韓・擁韓意見を持つ人も少なくありませんが、意識としての韓国人との一致度は比較的低いように感じます。

その点、韓国人配偶者を持つ在韓日本人は、日本人ですから当然日本語を母語としており、更に韓国人配偶者を持ち韓国で暮らすことで、マインドとしてはほぼ韓国人とイコールになっている人が結構いるのです。親韓・擁韓主張を行なうブログを書くような人は、意識上の韓国人との一致度はフォーナインに近いのではないでしょうか。あるいは、実際の意識としてはそこまで高純度ではないかもしれませんが、周囲の(おそらくは配偶者の)韓国人の意見を右から左に受け売っている例も非常にしばしば見られます。

そういう在韓日本人は生きた翻訳機ではあるのですが、ただの通訳ではなく、自分の考えとして韓国人の考えを持って、自分の意見として韓国人の意見を述べていると言えます。韓国で韓国人の家族として暮らすということは、実際の血統や国籍が何であれ、韓国人の「ウリ」でなければ生きていけないのでしょう。

それらが翻訳を通した韓国人の意見とほぼ一致するとしても、むしろそうであればあるほど、私たちの理解した韓国人像というものが誤解や曲解ではなかったことを裏付けることになります。

と言うわけで私は韓国人配偶者を持つ在韓日本人のブログを幾つか読んでいるのですが、その中に「韓国を批判する嫌韓は対案を出せ。対案無き批判はただの罵倒である」という主張するものがありました。

「対案無き批判はただの罵倒である」という主張そのものにも異論もなくはありませんが、「対案を出せ」と言うからには、韓国はその対案を受け入れるつもりがあるのだろうかという疑問がまず湧きました。

例えば、韓国人は息を吐くように嘘を吐きます。それに対して私たち日本人は一度も彼らに、「嘘を吐くな」と言わなかったでしょうか。あるいは、韓国人は後先を考えません。今日の千円と明日の一万円なら、彼らは躊躇わず今日の千円を取ります。それで納得しているなら別に良いのですが、彼らは翌日になると「何故ウリに一万円を渡さないのだ」と喚き始めるのです。

昨日お前は自分で千円を選んだのではないのかと言っても納得しません。そんな彼らに、私たち日本人は一度も「目先の損得に惑わされるな」と言わなかったでしょうか。

一事が万事そうなのです。私たちの先人は韓国及び朝鮮に対し、ただ批判するばかりではありませんでした。実際朝鮮人自身が、「日本人は日本の道徳を振りかざして小言を言う」と言っていたではありませんか。日本は批判するだけでは決してなく、常に対案も提示し続けてきたはずです。韓国がその対案を素直に受け入れたことがないだけなのです。

今でも韓国に批判と同時にその対案を提示することはいくらでも出来ます。しかし現実問題として、批判とその対案を韓国が受け入れることは絶対にありません。彼らにその能力はないことを、私たちはもう知っているのです。

日本で嫌韓が台頭する昨今、ただただ韓国の欠点や短所をあげつらうだけの嫌韓厨もいなくはないでしょう。それが、単なる鬱憤晴らしになっている人も、もしかしたらいるのかもしれません。ですが韓国の欠点や短所を指摘し、同時にその改善策を提示したとしても、それに韓国人が耳を貸さないのであれば、「韓国に向けて批判と同時に改善策を提示する」という行為に何の意味があるのでしょうか。

既に日韓は「関係改善」というステップを通り過ぎています。嫌韓による韓国に対する批判は、もはや韓国に向けたものではありません。いまだに韓国との関係改善(による権益)にしがみつき、そのことで日本が被る害に頬かむりしようとする連中が多く存在することを知らない日本人に向けて、「日本にとって韓国との関係継続はこんなにデメリット満載」という事実を提示するためのものとなっているのです。

それでも韓国批判を批判しようとするならば、その人は韓国人に向けて、日本の批判に耳を傾け、その改善策を素直に受け入れるよう提案するべきでしょう。それをせずにただ日本の韓国批判を批判するのは、ただの対日工作でしかありません。

もっとも、韓国で韓国人を家族として生活しながら、日本の韓国批判に耳を貸し、その対案を素直に受け入れろなどと主張すれば、韓国で生活することなど出来なくなるわけですが。

日本の批判とその改善策を韓国人が決して受け入れられないという現実がある以上、日韓は出来る限り遠ざけあうことが、少なくとも日本にとっては最善であるというのが、私に従来からの提案であり、韓国批判の対案です。



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日韓が離間することで一番困るのは何処の国?

韓国では今月4日、統一地方選挙があったそうです。朴槿惠政権発足後初の大型選挙ということで注目されていたようですが、セウォル号沈没事故で吹き荒れる逆風の中、朴槿惠大統領率いる政権与党の大敗はどうにか免れたとの由。まあ、韓国の与党が勝とうと負けようと、統一地方選挙の結果ぐらいで韓国が変わるわけもなし、正直どうでも良いです。

さて、「現実問題で、韓国が中国の属国に戻るかどうかは別として、それを止める為に日本が外交努力をする必要があるのか?それは日本にとって有益なのか?
中韓接近のデメリットと、日韓が近づかなければならないデメリットとどちらが大きいのか等
」について、考えを聞かせてほしいというリクエストを頂戴いたしました。

このご質問の前段階では、「日本と韓国との関係がこれ以上悪くなってはいけないと言う人達は、その理由として韓国が中国と組んでしまうのは日本にとってデメリットが大きい•危険だ、という事を言います。(でも、どういうデメリットがあるのか、どんな危険があるのかはあまり言ってくれない) 」ということを書いておられたのですが、この「日韓の離間によって何処の国(あるいは誰)が喜ぶのか考えろ」という脅迫じみた日韓友好必須論は、時々聞きます。

まず韓国が中国の属国に戻ることを日本が止める外交努力をする必要が有るかどうかですが、それ以前に必要があろうとなかろうと仮にも独立国の身の振り方に、他国が口を差し挟むことなど出来るのかという話ではないでしょうか。それが武力によるものであればともかく、平和的に進められ、双方が納得づくの上で決められたことであれば、日本がどんな外交努力をしたとしても止めることは出来ません(ちなみに、仮に中国が韓国を武力で服属させようとしたとしても、集団的自衛権についてさえ揉めてる現在の日本が、韓国を支援する為に武力を背景にした外交を行なえるわけもないのは言うまでもありません)。

そうなっては困るという日本側の一方的な都合で、中国に属するのを止めてくれと韓国に言うのは日本の自由ですが、韓国にも韓国の国家としての意思や都合があります。日本が困ろうと弱ろうと、韓国が自国にとってその方が良いと判断すれば、粛々とそうするでしょう。

で、日本はそうなったら本当に困るのかという話ですが、困ることが全く無いということはないでしょう。ただそれが、日本の安全保障に重大な脅威を及ぼすかという話であれば、私はそんなに心配する必要は無いんじゃないかと思っております。

そりゃ確かに、韓国が中国の一員となった場合、日中間の軍事的緊張が高まれば、韓国が尖兵となって攻めてくるんじゃないかという危機感はわからないでもありません。しかしアメリカと同盟を結んでいる現状で、抜け抜けと中国に近づくのが韓国です。むしろこんなのを味方側に入れておく方が、有事に後ろから弾が飛んでくる心配をしなければなりません。韓国にバランサー気取りのコウモリを続けられるよりは、はっきりと立場を明確にしてくれるというなら、その方がよほど対処しやすいのではないでしょうか。

正直、仮に日米韓と中国プラスアルファ(北朝鮮とロシアかなあ?)の戦争が勃発した場合を想像すると、韓国が頼れる戦力になるような気は全くしません。むしろ足手まといや裏切り、日和見や寝返りを心配しなければならないでしょう。そんな韓国が中国についたら、途端に優秀な戦力になるでしょうか。せいぜい人民解放軍の督戦隊に銃を突きつけられて前線を行進させられるのが関の山じゃないかなと思っております。

次に「日韓が近づかなければならないデメリット」についてですが、これは「日韓が接近することで生じるデメリット」の意味でしょうか。そうだと仮定して申し上げるとすれば、これはもう弊ブログでは繰り返し述べていることで、一言で言えば「日本にとって韓国は毒になる国」としか申し上げようがありません。

もし「日韓が近づかなければならないデメリット」の意味が「日韓が離間することで生じるデメリット」の意味であれば、「日本は最高の反面教師を失う」「日本にとって韓国が毒になる国ということを忘却する恐れが強い」ぐらいでしょうか。

いずれにせよ、今以上に日韓が離間したり中韓が接近したりするようなことがあれば、何らかの変化は当然あります。それによってメリットを得る人もいればデメリットを被る人もいるでしょうし、立場や考え方によってその変化の受け止め方も異なるでしょうから、一律一概に言うのは容易ではありません。

ただはっきり言えることは、「日韓が離間すること(あるいは中韓が接近すること)で、最も困るのは日本ではない」ということです。それは現実として日韓が離間しつつあり且つ中韓が接近しつつある現在、日本が微塵も困っていないことからも間違いありません。むしろ日韓の離間は、明らかに韓国にダメージを与えております。

そのダメージを補填するためと、更には「ウリが離れても良いのか?」というアピールのために、現在の韓国は中国に擦り寄って行っているのでしょうけれど、ホントに中国に取り込まれて一番困るのは何処の国か、よく考えてみれば良いのにと思います。

個人的には、昔から(少なくとも10年以上前から)中国と朝鮮半島の接近については、「北朝鮮主導で南北統一後、中国が半島を丸ごと美味しくいただいてしまえば、朝鮮は南北統一が出来てうれしい、中国は国土が増えてうれしい、日本は三つあった反日の窓口が一本化されてうれしいと、三方一両得じゃね?」などと思っておりますが。



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日本人としての立場で考えれば

我が家の近所の田んぼはすっかり田植えが終わりました。九州は梅雨入りしたということで、気温に季節が追いつきつつあるようです。

さて昨今の日本では嫌韓が台頭しておりますが、それでもまだ韓国との友好や交流促進を主張する日本人は結構います。

もちろん、当人が好奇で韓国と付き合うのはその人の自由ですが、社会全体として日本と韓国が付き合うのは、今のままでは日本側にデメリットが多過ぎます。もし本気で日韓が「仲良く」なることを目指すならば、日本が韓国に合わせるか、あるいはその逆でなければ日韓は永遠に齟齬を繰り返し、軋轢は一層強まるばかりでしょう。

では日韓が「仲良く」なるために、日本が韓国に合わせるか、韓国が日本に合わせるとしましょう。まず、日本が韓国に合わせることから考えてみます。

日本が韓国に合わせる、即ち韓国化することは、日本人にとって生きたまま地獄に落とされるにも等しい不幸ということは議論の余地がないでしょう。では韓国人にとってはどうでしょうか。こちらもやはり、決して幸福とは言えないでしょう。何故なら、日本の韓国化とは日本の消滅であり韓国の拡大だからです。

韓国人はバカだから、日本が韓国化して韓国が拡大すると言えば無条件で大喜びするかもしれません。日本の韓国化と表裏一体の日本消滅についても、彼らの持つ日本絶対悪の道徳観に照らせば、喜ばしいと言うでしょう、当初は。

しかし日本が無ければ韓国は現在の生活レベルを維持出来ません。現在でも、日本人から見れば韓国は韓国人にとっても決して幸福とは言えない環境ですが、それでも日本からの技術的経済的文化的資源が彼らを精神的物質的に、かなりのレベルで潤していることは確かです。

あの北朝鮮でさえ、日本製の製品や生産物を喜ぶほどです。韓国には日本の文物が豊富にあり、カネさえ出せば(ネット上の知的無形生産物であれば不法に無償でw)容易に入手出来ることが、彼らにどれほどの精神的物質的幸福をもたらしているかは、計り知れません。

その供給源たる日本が消滅すれば、彼らは次なる技術的経済的文化的資源の供給源を探す必要に迫られます。ですがこの地球上に、日本ほど韓国に甘く優しい国は存在しません。どんな国に擦り寄ったとしても、日本が韓国に与えたのと同等以上の恩恵と待遇を韓国が得ることは、あり得ないと断言します。

どこかの国に頼らずに、韓国人が自分たちで何とかするんじゃないかと言う人がいるかもしれませんが、日本がなくなりましたさあ自分たちで何とかしましょうと言って出来るのなら、朴正煕も苦労しなかったでしょう。

日本が韓国化することが日韓双方の国民にとって不幸になるならば、その逆はどうでしょうか。即ち、韓国の日本化です。

これは実現すれば、韓国人には大きな福音をもたらすでしょう。ただし、もちろん無償というわけにはいきません。と言っても、日本に対価を支払えという意味ではありません(個人的に、支払って欲しいという気持ちはありますがw)。韓国人が支払うべき日本化の対価とは、韓国人の意識の大転換です。

繰り返しになりますが、現在の韓国では日本が絶対悪であると同時に、韓国は絶対善となっています。この「日本絶対悪・韓国絶対善」という、韓国が韓国である為の理念とも言うべき意識を対価として支払うことが出来るのならば、韓国の日本化は、もしかすると可能かもしれません。

韓国人が持つ「日本絶対悪・韓国絶対善」という意識が虚構(あるいは妄想)に基づいたものであることは、実は韓国人自身も薄々分かってはいます。分かってはいますが、それでも彼らは「日本絶対悪・韓国絶対善」という意識を捨てられません。それを捨てることは、彼らの韓国人としてのアイデンティティを根こそぎ否定することになるからです。

虚構(あるいは妄想)を、薄々そうと知りながら信じ続けるなどというややこしい状態をいつまでも続ける方がしんどくないかと考えるのは、日本人の考え方です。

今が不遇でも、自分は本当はずっと崇高な存在なのだということを自分に言い聞かせ信じ続けることで、彼らは自分を保つことが出来るのです。むしろそうしなければ、彼らは自らを保つことが出来なくなるのです。だから彼らは、それが嘘や虚構と分かっていても、それにすがりつくしかないのです。

既にお気づきの方も少なくないと思いますが、実は「韓国の日本化」は前歴があります。言うまでもなく、今の彼らが「日帝36年」と怨嗟を込めて言う時代です。その前歴を顧みても、彼らに「日本化」は不可能だということがお分かりいただけるでしょう。

ここでそもそも論に立ち返って考えてみます。日本が韓国化することは日本人にも韓国人にも不幸だから論外として、韓国人が多大な対価を支払うことで韓国が日本化し、結果韓国人が幸福になれたとして、では日本人にとってはどうなのかという話です。

韓国が日本化することで日本人が幸福になれる見込みがないならば、いくら韓国の日本化が韓国人に福音をもたらすと言っても、日本人にとっては何の意味もないということになります。

自分の幸せばかりを考えていてはいけないなどというおためごかしは聞きたくありません。国家とは、まず自国と自国民の幸福を最優先するべきであって、他国の幸福のために自国と自国民を不幸にすることはあってはならないのです。

最初に述べたとおり、この期に及んでも日韓友好を唱える人は、今も案外少なくありません。そういう人たちの主張には「韓国にも悪いところがあるかも知れないが、日本も大人げない」という意味のものが目立ちます。

「韓国がああなのは今に始まったことじゃないのだから、日本はもっと大人の対応を」と言いたいのでしょう(実際にそう言ってる人も多い)。しかし今まで日本はずっと、少なくとも日韓国交成立以降ずっと、「大人の対応」で韓国に接してきました。その結果が、韓国による竹島の不法な武力占拠であり、世界各国に蔓延しつつある「いわゆる従軍慰安婦問題」なのです。

引き続き日本が「大人の対応」を続けることで、日韓関係が好転すると考えている人がいるとすれば、私はその人の知能を疑います。

私とて、日韓の国交は無いより有った方が良いのかもしれないと思うことがたまにあります。以前にも述べたことがありますが、現地の情報が収集しやすい、政府間交渉がやりやすい等、国交のメリットは確かにあるのです。それでも、日韓の国交が両国の友好を強制するものであるならば、一利のために百害を被ることを黙過すべきではないと結論付けざるを得ません。

弊ブログでは過去に何度か「日韓友好の【日本側の】メリット」を問いかけてきましたが、満足のいく回答はいまだ得られておりません。口を開けて上向いてピヨピヨ鳴いてるだけでは芸がないので、時々自力で答えを探したりもしていますが、今のところ「日韓は兄弟なのだから」とか「仲が悪いより良い方が良い」とか「韓国は貿易収支では日本を儲けさせてくれている」程度の意見ぐらいしか見当たりません。

「日韓兄弟論」は論外として、「仲が良い方が悪い相手」は確実にいますし、韓国から得られる貿易黒字は、韓国から被る有形無形の損害と差し引きして尚余るほどのものとは到底言えないと言えば、かなり韓国に対して配慮した言い方で、はっきり言えばマイナスと言いたいぐらいです。

日本人としての立場で考えれば、やはり日韓は発展的に関係を解消し、互いに遠ざけ合う方が良いとしか考えられないというのが現実なのです、【日本人としての立場で】考えれば。



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皆と同じ考えでなければならないと考える日本人、自分と同じ考えでなければならないと考える韓国人

ここ数日来、まだ梅雨前とは思えない暑さが続いております。暑いのは嫌いじゃありませんが、こう突然じゃ身体も心も準備が追いつきません。いつも思うことですが「自然」は、穏やかでも緩やかでも優しくもありません。読者の皆様におかれましても、どうぞご自愛ください。

さて、ホントにネタに困る昨今です。時事ネタに逃げようと思っても韓国関連はろくなニュースがありません。と言うわけで、毎度お馴染みの韓国考察を飽きもせずと言うか、すっかり飽きつつも繰り返そうと思います。

韓国では「韓国人は一人なら虎だが、集団になると猫になる」などと言います。これと「日本人は一人ならミミズだが、集団になると竜になる」が対になっているようです。これは彼らが、個人としての韓国人の優秀性を自慢すると同時に、それが集団になった時に発揮されない点を自ら皮肉ってるものと言えるでしょう。続く日本人に対する評も、単純にその裏返しです。

彼らの個体としての能力が、本当に虎に喩えられるほど優れているかどうかは、私にはわかりません。ですが、個体としての韓国人が本当に虎に喩え得るほど優れていたとしても、それが集団になった時に活かされないどころか、無効化されてしまうのでは、意味がないのではないでしょうか。

何故彼らは集団になるとダメなのでしょう。

昔、日韓チャットに初めて参加した日本人に、日韓チャットで話した韓国人の感想を聞いたところ、「彼らの社会性の無さに驚いた」という回答を得ました。

言われてみれば確かに、彼らの社会性の無さは突出しています。とにかく、他人と協調するということをほとんど意識しないのです。自我が芽生え始めた幼児の如く、どいつもこいつもウリがウリがと囀り、自分に同調しない他者を攻撃します。日韓チャットの韓国人に慣れた私たちには当たり前の風景でしたが、それを初めて見た日本人には驚愕の風景だったようです。

彼らが集団になるとダメなのは、その社会性の無さ故と言えるかもしれません。

社会性とは、Wikipediaによると【対人関係における主として情緒、性格などのパーソナリティの性質であり、人間が社会化される過程と通して獲得される。人間関係を形成し、円滑に維持するための社会生活を送る上で欠かせない特質】とあります。ただし【社会的コンピテンス、社会的スキルなどの言葉が社会的に類似した意義でよく用いられるが、それぞれ研究者によって定義づけが微妙に異なり、明確な定義付けがない】とも書かれている通り、かなり曖昧な概念と言えるでしょう。

しかし、「社会性」を構築する要素の中に、「その社会を構成する個人に、個人的な利益だけではなく、属する社会の集団的な利益を意識すること」が必要とされていることは確かです。

韓国人にこの要素が欠けていることは、ある程度韓国人を知った人であれば周知の事実です。室谷克実氏の呆韓論には、「滅私奉公」をひっくり返した「滅公奉私」という言葉が出てきますが、韓国人にとって自らの属する社会は、自分個人に奉仕すべき存在であって、その逆では断じてあり得ないのです。

それ故か、彼らは他人に共感するということがあまりありません。と言えば「そんなことはない、韓国の掲示板やブログには「共感/非共感」というボタンがあることが多いし、韓国人と話していても、「あなたに共感する」と言われることがある」と言う方がきっといるでしょう。

ですが気をつけていただきたいのは、私たちが使っている単語と、彼らが使っている単語が、全く同じ漢字語であっても、必ずしも同じ意味で用いられているとは限らないということです。

彼らが「あなたに共感します!」と言う場合、それは往々にして「(あなたの考えは)自分と同じ!」ということを言いたい場合であって、断じて「(自分の考えは)あなたと同じ!」と言いたいわけではないのです。

「(あなたの考えは)自分と同じ!」と言う場合、その主体は「自分」にあり、「あなた」は言わば「自分」の考えを代弁したに過ぎません。「(自分の考えは)あなたと同じ!」と言う場合はその逆です。

日韓チャットで展開されたパターンで言えば、日本人が言ったことに韓国人が「共感します!」と言った場合、彼らは必ずその後に自分中心の話にしようとします。決してその時の話の流れを見て、それに合わせて話そうとはしません。

そもそも、その時の話題の中心が何かということを見定めようともしません。その時の会話中にある単語に反応し、それをついて自分がどう思うかをべらべらと話し始め、周囲にそれに従うように求めるのです。

即ち、日本人は「皆と同じ考えでなければならない」と考える傾向がありますが、韓国人は「自分と同じ考えでなければならない」と考えていると言えます。ですから韓国人は、外国へ行ってもそこの習俗に馴染もうとせず、自らの習俗を押し付けあるいは押し通そうとするのでしょう。

もちろん、韓国人も他者の気持ちを忖度することはあります。ですがそれは、必ず「上位優位の者」に対して、「下位劣位の者」が行なうものであって、その逆はあり得ません。

日本人は、相手の気持ちや考えを推し量り、相手の立場に立って考えようとする傾向が強いと言えます。最近はそうでもないと言う人もいるでしょうが、韓国と比べれば雲泥の差です。

韓国では、24時間年中無休で誰もが自分の気持ちや考えを押し付け押し通そうとせめぎあっているのに、日本に来れば誰もが自分の気持ちや考えを察しようとし、あるいは受け入れようとしてくれるのですから、そんな日本に韓国人が来れば、夢の国に来たように感じるでしょう。

もっともそれも、ごく短期的であればの話です。「お互いさま」は、まさに「お互い」に有形無形の負担を分かち合うことで成立します。あからさまに「お互いさま」にただ乗りする者がいれば、いくらお人好しの日本人であっても不満は募るし、日本社会のモラルハザードにもなります。

日本人は「他人の気持ちを推し量る」ことが当然ですから、不満に思ってもすぐ口に出すことはありません。ただ、微妙に態度で示すだけです。それで察してもらおうとするわけですが、韓国人にそういう機能はありません。ですから韓国人はいつまでも日本の「お互いさま」に「ただ乗り」を続けようとします。

そもそも韓国人にとってそれは「ただ乗り」ではなく、「上位優位者としての当然の権利」なのです。「下位劣位」の日本人が自らそれを認め、態度で示している(ようにしか韓国人には見えない)のに、改めるわけがありません。もし「下位劣位」の日本人がそれに不満を示せば、「上位優位の者」として一層断固たる姿勢を示さなければなりません。両者の思惑はどこまで行っても平行線をたどり、双方がそれぞれに不満とストレスを募らせることになるでしょう。

それで日韓は相容れないのだ、といういつもの結論に至るのは当然として、今回はそれに付け加えて、「自分と同じ考えでなければならない」と考える韓国人のような生き物で構成される社会では、民主主義というのは成立し得ないのではないかということも考えました。

今の韓国は一応曲りなりにも民主主義国家ということになっていますが、政権に対する民心は常に不安定です。むしろ分断後一貫して金一族の独裁統治を続けている北朝鮮の方が、政権に対する民心は安定していると言えます。それは韓国では、誰が最も上位優位であるかを決めかね、せめぎあっているのに対し、北朝鮮では最上位最優位者が明確だからでしょう。

韓国が中国に擦り寄るのも、韓国内で親北派が増えているのも、結局彼ら自身が民主主義という、「誰もが平等に権力者」という状態にストレスを感じているからのようにも思えます。

いずれにしても、韓国人にとって民主主義という制度は、身の丈に合わない服を着ているようなものです。傍から見れば不恰好ですし、当人たちも快適とは言いがたいでしょう。いつまでも不恰好で不快な服を着ておらず、早く身の丈に合った服に着替えれば良いのです。中国からも、朝貢国に戻ればどうかというオファーが来ていることですし。


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月見櫓 韓国 日韓
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