本気で日韓断交を目指すならば
そのため知らず知らず激しい感情のまま韓国について語ったり考えてしまうということは、非常によくあります。また、そういう状態で語ったり考えたりする韓国対策というものは、往々にして極端なものになりがちです。韓国について考える時は、努めて冷静でいる必要があります。驚愕や憤慨を催すことは避けられないかもしれませんが、その感情にとらわれたままに対応や考察を進めることは、ある意味韓国人のペースに乗せられることでもあります。
もちろん、韓国について憤るなとか驚くなという意味ではありません。彼らに対する激しい感情は、それはそれで持っていて構わないと思います。ただ、対応や考察はその感情とは分けて行なう方が良いという話です。
日本で嫌韓気運が高まる昨今、日韓断交を叫ぶ人は増えています。しかし、その実現を本気で考えている人が多いようには思えません。
日本が、韓国に不快な目に遭わされ、不利益を被っている現実を鑑みれば、今すぐにでも日本と韓国を引き離したいと考えるのは、日本人として自然な感情でしょう。
ですが現実は、そんなに簡単ではありません。弊ブログでも繰り返し述べているように、国交というのは相手がどんなに酷い国であっても、基本的にはあった方が良いものだからです。それは今、日本政府が北朝鮮との国交正常化を模索していることからも明らかです。
韓国が嫌だから、迷惑だから、国交を断絶してしまえと叫ぶだけなら簡単ですし、一時の鬱憤は晴らせるかもしれません。しかしそれだけで終わってしまえば、日韓の国交断絶はいつまで経っても実現することはないでしょう。
何故日韓は断交するべきなのかを、韓国をろくに知らない人に説明する時、ついつい私たちは韓国の悪いところや酷いところを列挙し、どれだけ韓国が日本にとって害悪であるかを力説してしまいます。こんなに韓国は酷いんだ悪いんだと強調し、相手に理解を求めます。
そうすることで、理解までは行かずとも、一定の共感がその場では得られるかもしれません。けれどその相手が、どれほどその共感を維持していられるでしょうか。
もちろん、冷静に理路整然と語ったとしても、相手がそれをきちんと理解するとは限りませんが、その場を離れた後に残る印象が違うのではないかと思います。
憤りや嫌悪感というのは、当事者にならないとなかなか理解出来ないものです。日韓問題については、日本人は本来全員当事者なのですが、その自覚と実感のない人は少なくありません。
甚だしい例になると、「地球市民」とか「国際人」などと嘯いて、日本というせせこましい枠にとらわれない大所高所に立っているワタシと思っている日本人も、案外珍しくないのです。
そういう相手にかかると、激しい憤りや驚愕に駆られたままの主張は感情論として軽んじられ、無視されたり聞き流されたりしてしまいます。不思議なことに、韓国人やその同調者が行なう感情論はしばしば容易に受け入れられ、再配布されるのですが、日本人が同様のことを行なうと、何故か嫌悪や反発を招いて排除されるのは、日本における嫌韓デモに対する反応を見れば明白です。
そうさせないためにも、私たちが主張する日韓断交論や韓国否定論は、極力冷静に行なうべきだと思うのです。そうすることで、嫌韓の主張が単なる感情論ではなく、現実的な利害に基づくものであるという理解が広まれば、まずは日韓断交の是非についての議論が行なわれるようになる期待が持てます。
繰り返しになりますが韓国に対して憤るなと言うのではありません。OINKに驚くなとも言いません。そんなことは無理です。日本が韓国から被った不利益や迷惑を知れば、日本人ならば憤らずにはいられませんし、驚かずにいられたらOINKとは言わないのです。
ただそれらの感情は、韓国を知った者にしか理解されないのです。韓国を知らない人にいくら説明しても、それは作り話か、たとえ事実としても誇張が過ぎると思われてしまうだけなのです。
弊ブログはしばしば冷静だとか客観的だと評価していただくことがありますが、実は筆者は結構感情論に突っ走りやすいタイプですw ですから自戒の意味も込めて、遠回りに見えても歯がゆくても、感情論と取られそうな主張は極力抑えて、淡々と韓国に関する事実を掲げ、それについての説明を冷静に丁寧に行なうことが、日韓断交に向けての地盤造りとして必要なのではないかと考える次第です。
漫才などでいう「ツカミ」として、出会い頭に衝撃的な感情論をぶつけて相手の度肝を抜くというやり方も有りかも知れませんが、それを計算尽くで行なうのはかなりの高等技術です。上手くいけば効果的でしょうが、滑った場合を考えると、話術や議論によほど熟達した方でない限りお勧めいたしかねます。