反日改め恨日
韓国が国をあげてノーベル賞を渇望していることは、韓国ウォッチャーで知らない人はいないぐらい有名な話です。平和賞だけは金大中元大統領が南北対話を実現させたかど、もとい成果で受賞しましたが、後にこれが金大中元大統領による工作の結果であることが暴露されており、韓国人ですらこれを堂々誇ることは憚られるようです。
それもあって、とにかく自然科学分野におけるノーベル賞が欲しくて欲しくてたまらない韓国人です。今回も、韓国系カナダ人がノーベル医学生理学賞の候補者になってたとやらで随分期待していたようですが、ノーベル賞というのは下馬評にのぼると取れないというジンクスでもあるのか、前評判で受賞が期待されると大きく報じられると、大抵落選します。
そう言えば日本の憲法九条が平和賞の有力候補になっているという噂も聞きましたが、私の耳に届くほど下馬評にのぼった時点でダメだろうと思います。仮に受賞すれば、受賞対象者は「日本国民」ということになるとか。そうなれば「日本国民」全員がノーベル賞受賞者になってしまうわけで、韓国人は凄まじく火病るだろうなとか、フォースの韓国面に浸り切ったことを考えておりますw
ところで、こういうことがあると改めて痛感するのは、日本に向けられる韓国の視線が極めて複雑ということです。
今回のノーベル賞受賞についてもそうですが、日本が何か栄誉や評価を得ると、韓国は激しく反応します。その反応は当然、祝福や歓喜などではありません。反発や嫉妬、落胆に羨望などの、ドロドロネチョネチョした反応です。
そんな韓国を見ると反日としか言いようがありませんが、それは日本人から見た場合の韓国の対日意識であって、これまでにもしばしば申し上げているように、韓国人の主観においては、韓国は反日ではありません。
以前日韓チャットで、私たちに向かって「(あなたたちは)嫌韓ですか」と質問した韓国人がいました。
その韓国人に嫌韓の定義を問うたところ、「合理的な理由無く韓国を嫌うこと」と答えました。つまり韓国人の主観的には、韓国を嫌う合理的な理由があって韓国を嫌悪しているならば、それは嫌韓とは言わないようなのです。
普通、日本人に「嫌韓とは何か」と問えば、たいていの人はそのまま文字通り「韓国を嫌うこと」と答えるだけでしょう。理由が有ろうと無かろうと、韓国を嫌えば嫌韓です。けれど韓国人は、嫌韓の定義として単に「韓国を嫌うこと」ではなく、「合理的な理由無く韓国を嫌うこと」と言ったのです。
それは何故でしょうか。
まず韓国人にとって、「韓国を嫌うこと」は不当なことであるという前提があります。しかし韓国人も、他人や他国を嫌悪することは珍しくありません。むしろ頻繁にあり過ぎて、人権問題や社会問題、甚だしい場合は国際問題になることもあるぐらいです。
当然、日本に対する韓国人の感情の中にも「嫌悪」や「憎悪」が含まれています。ですがそれをもって韓国人が「嫌日」とか、ましてや「反日」を自ら認めることは稀です。何故なら韓国人は「ウリには日本を嫌ったり憎んだりする合理的な理由がある」と確信しているからです。
ならば韓国人に、韓国を嫌う合理的な理由を提示してみせれば、韓国を嫌っても嫌韓とは言われないでしょうか。
答えは当然否です。韓国人にどれほど韓国を嫌う合理的な理由を提示しても、全て「誤解です」「理解してください」「一部を見て全体を判断しないでください」で片付けられるのは確実です。徹底的に「韓国を嫌う合理的な理由」を積み上げ、逃げ道を潰して追い詰めれば、「それでは日本は!」と叫んで火病るのが関の山でしょう。
彼らは、他人が「韓国を嫌う合理的な理由」を決して認めないのと同じように、自分が「日本を嫌う理由」の正当性を絶対に疑いません。彼らの「日本を嫌う理由」は、日本人的には到底納得出来ない上に、よく聞いてみれば穴だらけなのですが、韓国人的には全く隙のない完璧な(韓国人の言を借りれば「パペクト」な)理由になるのでしょう。よって韓国は反日ではないというのが、韓国人の主観なのです。
もっとも、日本人が韓国を単に「反日」と理解することにも、実は弊害がないとは言えません。
最初に述べた通り、日本に対する韓国人の視線は極めて複雑です。それは韓国を除けば、地球上のどんな国家にも、如何なる民族にもない感情です。世に反日国家は、韓国以外にも幾つかありますが、韓国のような複雑な対日意識を持つ国は韓国の他にひとつとして存在しません。一卵性結合双生児の北朝鮮ですら、韓国人のような複雑な対日感情を持ってはいないでしょう。その韓国の対日感情を、他の国と同じ「反日」という言葉でくくるのは誤解の余地が多過ぎるように思われます。
思うに、韓国人にとっての日本とは、「なりたかった自分」であり、「なれなかった自分」なのでしょう。
日本は、彼らが望んで欲してやまないさまざまなものを持っています。少なくとも韓国人にはそう見えています。だからこそ彼らは日本を憎むと同時に焦がれるのです。羨みつつ蔑み、恐れつつ侮るのです。日本に学ばねばならないと思い、そう思うことで傷つけられたと思うのです。
その葛藤は、韓国人特有の感情とされる「果てしなく生じる願望に対する果てしない追求に応じ切れない現実世界に対する不満から生じる負の感情」、即ち「恨(ハン)」そのものです。
そういう意味で、韓国の対日感情は「反日」ではなく、「恨日」と呼ぶのが適切ではないでしょうか。
多くの日本人には、韓国人特有の感情である「恨(ハン)」はまず理解されないでしょうし、「恨日」という字面を見ればほとんどの日本人は「日本を恨むこと」と理解するでしょうけれど、それは当たらずとも遠からずです。単なる「反日」と理解するよりはずっと近いぐらいです。
日本語の「恨」の字に「ハン」の音はありませんが、「恨日」と書く場合のみ、朝鮮語音の「ハン」を当てて「ハンニチ」と読み下すことで「韓国の反日」を示すことがわかって良いのではないかと思う次第です。