日本人の謝罪、韓国人の謝罪
ただ基本的に気紛れで書いてるものですから、リクエスト戴いたもの全てに必ず応じるとはお約束出来ませんが、それでも良いからリクエストしてやるよという方は、コメントでお気軽にご質問、リクエストのコメントを投げてやってください。もちろん、秘密コメントも可です。リクエスト自体を秘密にしたい場合は、その旨お書き添えください。まるで自分で思いついたネタのように書きます(`・ω・´)。
という訳で、今回は日韓の謝罪比較についてリクエスト戴きました。過去記事において、韓国人の謝罪感覚に関することは書いたことがあるような気はするものの、日韓比較はなかったかなと思ったので、リクエストにお応えさせていただきたいと存じます。
韓国人は謝らないとよく言われます。実際、彼らは自分が悪いと思っている時は、なかなか謝りません。反面、驚くほどすらすらと謝罪することも、実はよくあったりします。
安易に謝罪の言葉を口にしないというのは、韓国人に限った話ではありません。むしろ「安易に謝らない」という点だけに限って言えば、韓国人の方が国際標準に近いかもしれません。
日本人なら、「すみません」という言葉を口にしない日はないでしょう。この「すみません」は、謝罪の言葉でもありますが、ちょっとした呼び掛けや感謝を表すこともよくあります。
人に声を掛ける時、「おい!」とか「ちょっと!」と言ったり、「あのー」とか「えっと・・・」などと、呼ばれてる方が気づかないような曖昧な声掛けをするよりは、はっきり「すみません」と呼び掛ける方が、日本人的には感じが良いし言いやすいものです。
何かしてもらった時は、「ありがとう」と言う方がベストとは思いますが、「すみません」も大変よく用いられ、相手が日本人ならそれで謝意は十分伝わります。
このように「すみません」は、非常に便利な言葉です。便利過ぎてつい無意識に使ってしまうことさえありますが、日本国内であれば、一切「すみません」と言わないよりは、「すみません」を乱発する方が対人関係は円滑に運ぶものです。
そのせいか、日本人は海外で「すみません」のつもりで何気なく「エクスキューズミー」とか、甚だしくは「アイムソーリー」と口走ることが多いようです。と言うか私自身、よほど気を付けていないとうっかり口走りますw
これもよく言われることですが、海外で事故などトラブルに遭った時、明らかに相手の過失が大きくても、相手は決して「エクスキューズミー」とか、ましてや「アイムソーリー」などとは言わないものです。もし言えば、それは過失の全てが自分にあると認めたことになるからです。
そうなれば、後からどれほど相手の過失を指摘して相殺しようとしても、「でもあの時お前はアイムソーリーと言ったじゃないか」と言われて、過失の全てを押しつけられてしまうそうです。それが国際標準であるとすれば、「安易な謝罪」を対人関係の潤滑油的に考える日本人の方が特殊と言えるでしょう。
この「安易な謝罪をしない」という点だけを見れば、韓国人の方が国際標準に近いかもしれません。ですが「謝罪」そのものについての認識はどうでしょうか。
一番最初に述べましたが、韓国人は時に拍子抜けするほどすんなり謝ることがあります。場合によっては、こちらが謝れと言ってもいないのに、勝手に謝ることさえあります。これはたいてい「自分が悪いとは全く思っていない場合」です。自らの美徳を誇示するためであれば、彼らは実にすらすらと謝罪します。これは日韓チャットでうんざりするほど体験しました。
かつての日韓チャットでは、狂ったように暴れる韓国人を毎日のように見たものです。お前がイジって暴れさせていたのだろうという指摘を全否定はしませんが、私たちが何もしなくても、勝手に暴れ狂う韓国人は全く珍しくありませんでした。
ひとしきり暴れて気が済んだり、気が済む前に部屋長に蹴り飛ばされたりしてその韓国人がいなくなると、残った別の韓国人が「同じ韓国人として申し訳ありません」と言うことがよくありました。
そこで「今、お前は私に謝罪したな?ならば責任を取れ」と応じると、彼らは例外なく狼狽え、その後怒り始めます。「謝ってやったのにその態度は何だ」と言うのです。「本当にチョッパリは礼儀がないね!」と言う韓国人もいました。
欧米人もなかなか謝らない人々でしょうけれど、それは一度自らの過ちを認めれば、その全責任を負う覚悟があるからとも言えるでしょう。全ての責任を負う覚悟がなければ決して謝らないというのは、日本人的な道徳観ではどうかと思わないでもありませんが、筋が通っていることは十分理解出来ます。
翻って韓国人ですが、彼らもなかなか謝りません。特に「自分が悪い」とされる可能性が高ければ高いほど、頑なに謝りません。ですが、「自分の責任ではない」と確信すれば、彼らは驚くほどすんなりと謝ります。
その最たる例が、2002年の日朝首脳会談における金正日の日本人拉致問題に関する謝罪でしょう。
あれは明らかに「自分(=金正日)は悪くない」という前提の謝罪でした。自分(=金正日)に罪がないのに、それを押して謝ることで、日本人に金正日の偉大さ、度量の大きさを見せつけ、日朝交渉を有利に運ぼうという魂胆が北朝鮮にあったのは明白です。
どんな魂胆があろうと、一旦謝罪してしまえば非や責任を認めることになるのだから、自分が不利になるのではないか、と思う人はいるでしょう。しかしそれを考えることが出来ないのが、朝鮮人なのです。
彼らは、謝罪に責任が伴うことを理解しません。彼らが、自分が悪いという自覚がある時ほど謝罪しないのは、謝罪に責任が伴うからではなく、謝罪によって自分の非を認めることになるからです。だから自分に非がないと確信すれば、彼らは驚くほど安易に謝罪するのです。
彼らは、他人がすれば不倫でも自分がすればロマンスと考える生き物であることを忘れてはいけません。
第三者的な立場であれば、彼らも割と普通の(=日本人に近い)考えを示すことがなくもありません。ですがいったん「ウリ」になると、彼らの思考はたちまち激しく迷走します。しかもそれが、ほとんど何らの躊躇なく、一瞬のうちに行なわれるのです。
「それは今さっき自分が言ったことと矛盾するのではないか?」という気付きがほぼないのですから、韓国人に慣れていない人は困惑してしまうでしょうし、相当慣れていても理解に苦しまないことはありません。
日韓の謝罪比較を総括すれば、日本人は安易に謝ると言えるでしょう。これは互いに謝り合うことで、関係を穏やかに円滑にしたいという日本人社会の特性です。ですが安易にした謝罪であっても、謝罪には責任が伴うことを、日本人は理解出来ます。ですからそれが対人関係を円滑にするための方便であったとしても、一旦謝り、その責任を求められることがあれば、日本人は不承不承であっても、愚直に応じます。日韓関係においては、これが何度も繰り返されていることは既に皆様ご承知のとおりです。
対する韓国人ですが、彼らは自らの非や過ちを頑なに謝らないことが多いと言えます。ですが、謝罪に責任が伴わないという確信があるとき、彼らはあっけないほどすんなり謝ります。
その「確信」は、往々にして独善的なものではありますが、彼らがそれを自覚することはほとんどありません。謝罪したことによって責任を追及されれば、多くの場合逆ギレするでしょうし、一度した謝罪を易々反故にすることにも全く躊躇がありません。
謝罪した相手の方が立場的に上位であれば、謝罪を受けた方は謝罪した者に責任を追及することが出来ずに泣き寝入りせざるを得ない場合がほとんどです。そうなると、その不満は「恨(ハン)」として彼らの中に蓄積されます(この「恨(ハン)」を、私は単なる「劣等感」では説明し切れないと思っていますが、その話はまたいずれ)。
セウォル号事故に関して、朴槿恵韓国大統領が国民に謝罪しましたが、だからといって彼女が事故の責任を取って大統領職を辞するということは、決してありません。また、朴槿恵大統領の謝罪を受けて、非難したり事故の責任を追及しようとする政治家や有識者、団体及び個人がどれだけいようと、韓国人が本気で朴槿恵大統領に詰め腹を切らせることもありません。
なぜなら、韓国大統領とは現在の韓国における王だからです。韓国内において、大統領より上位の人物は存在しないからです。
故に、韓国大統領の謝罪を以て、その責任を追及しようとする韓国人がいたとしても、それは単なるポーズか、さもなければ韓国の王ではなく、北朝鮮にいる王を戴く者でしょう。