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「恨(ハン)」と劣等感

久々、コメント欄に妙な御仁がおいでのようです。

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さて今回は、リクエストもあった「恨(ハン)」についてです。

「恨(ハン)」については、過去にも幾度か述べたことがあります(「恨」について諦と恨韓国人にとって「恨」は良い感情か 等)が、「足るを知る」が美徳とされる日本人には、なかなか理解が難しい概念のようです。

私はこの「恨(ハン)」を「果てしなく生じる願望に対する果てしない追求に応じ切れない現実世界に対する不満から生じる負の感情」と表現したわけですが、別の解釈を頂戴しました。曰く、「恨(ハン)」とは即ち(朝鮮人の民族的な)劣等感のことである、とのこと。

同じ方が別コメントでされておられた、「恨(ハン)」を「果てしなく生じる願望に対する果てしない追求に応じ切れない現実世界に対する不満から生じる負の感情」と解釈する場合、そんな感情を持つ人は、ミュージシャンや芸術家にでもなろうという人なんでしょうかというご意見は、個人的に楽しかったですw

弊ブログの記事内に限らず、私の韓国(朝鮮)考察は「こねくり回し過ぎ」というご指摘を度々頂戴します。私自身、その自覚がないでもありません。ただ言い訳をさせていただけるなら、韓国(朝鮮)については、簡単に言ってしまうと誤解されるおそれが大きいのは当然として、全く理解されないおそれも甚だ大きいのです。

韓国人について説明する場合、ある程度以上にわかっている人ならば、くどくどしい説明は全く必要ではありません。ただ一言、「韓国人は餓鬼だと思え」で、実は概ね説明が付きます。しかし、韓国人をさほど知らない人に「韓国人は餓鬼だと思え」と言っても、まず理解してもらえないでしょう。

餓鬼」には、二通りの意味があります。ひとつは、文字通り「餓えた鬼(ここでは亡者の意)」で、もうひとつは「子供」を貶めていう言葉です。

韓国人の場合、どちらの意味の「餓鬼」かと言えば両方ですが、、「恨(ハン)」を説明する際には原義の「餓鬼」、即ち「餓えた亡者」としての「餓鬼」が分かりやすいでしょう。

原義の「餓鬼」には幾つかの種類がありますが、基本的にはいずれの「餓鬼」も自らの業によって決して満足出来ません。食べたい物を食べても食べなくても、腹がいっぱいになってもならなくても、餓え続けます。これは劣等感と言うよりは、別の方のコメントにもあったとおり、欲求不満に似ています。単なる欲求不満と異なるのは、欲求が満たされることによって、新たな不満が生じることでしょう。

普通、欲求が満たされれば、不満は解消されます。ところが韓国人の場合、ひとつの欲求が満たされれば、その欲求を満たすために選べなかった選択肢に対する不満が生じるのです。従って、欲求を満たせば満たすほど、新たな不満が生じることになります。

そこに、彼らの「民族的劣等感」というものが作用している可能性は十分に考えられます。ですが、だからと言って「恨(ハン)」が即ち「民族的劣等感」そのものであるというのは、短絡に過ぎるのはないかと私は考えます。

「恨(ハン)」は、他者との優劣の差からではなく、自身の中から生じるものです。誰とも比べなくても、自分が満足出来なければ、彼らは「恨(ハン)」を抱きます。と言えばそれを「理想の追求」と解釈して、そういう「高尚な思想」を持つからには、韓国人は皆ミュージシャンや芸術家志望なのかという話になるのかもしれませんが、当然「理想の追求」でもありません。

もし彼らが追い求めているものが「理想」であれば、必ず到達点があります。しかし「恨(ハン)」には到達点がありません。彼らが追い求めているのはどこまでも「自分の欲望」であって、理想ではないのです。

「恨(ハン)」と劣等感は、時に相互作用することがあるかもしれませんし、客観的には同じに見えることがあるかもしれません。例えば、先日の弊ブログ記事「反日改め恨日」を読めば、「恨(ハン)」=劣等感と解釈してしまいそうになるかもしれないとは思います。

しかし、「恨(ハン)」を劣等感で説明しようとすれば明らかな齟齬が生じます。例えば、「欲しいオモチャを買ってもらえなかった」というのも「恨(ハン)」になりますが、これを劣等感で説明するのは無理があります。

「恨(ハン)」を端的に言えば、「足るを知らない」ことです。韓国人に特有というわけではなく、日本人にもそういう人はいます。ただ、韓国(朝鮮)では非常に普遍的で、しかもそれを恥じることがないのが、日本とは大きく異なります。

「恨(ハン)」の性質上、劣等感と関連することはしばしばあるでしょうけれど、同じものではないと考えるのが妥当と、私は考えております。



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