乾燥失笑注意報
正直、大変魅力的なご提案ではありましたが、私は一度楽を覚えるとズルズル行く横着な性格をしているので、過去記事再掲で更新を続けるというのは、本当に何も書けなくなった時の最後の切り札に置いておきたいと思います。
ただしこれだけ記事数が増えると、過去記事を全部読むのが大変なのはもちろんですが、仮に全部読み終えられても、どこに何が書いてあったかなんてわからなくなるのが当たり前です。何しろ書いた張本人がそうなのですから。
なので、これまでもしばしばやってきたことではありますが、今後は新しい記事内に出来るだけ関連のありそうな過去記事を引用するようにしようかなと考えております。
さて、このところ韓国関連はそれなりにネタがあります。しかしどのネタも、今ひとつインパクトに欠けると言うか、「ああ、うん、なるほどね、韓国らしいね、ハハッ(乾笑)」で終わってしまうネタばかりです。
例えば、一昨日セウォル号の元船長に死刑が求刑されたという報道がありましたが、ホントに「ああ、うん、なるほどね、韓国らしいね、ハハッ(乾笑)」という反応しか出来ませんでした。
何しろ韓国は2007年に「事実上の死刑廃止国」となっています。もし今後死刑執行を再開することがあれば、死刑廃止に積極的な欧州諸国から強い非難を受けることになるのは必至です。それでも死刑執行を再開出来るほど韓国の肝は座っていないでしょう。
だからと言って死刑制度を完全に廃止すれば、韓国では今以上に凶悪な犯罪が頻発するようになるでしょう。そもそも韓国は準戦時国家であり、韓国内における北朝鮮の工作活動は現在ですら猖獗を極めております。もし韓国において死刑を完全に廃止してしまえば、北朝鮮の工作員は今以上に心置きなく活動出来るようになるわけです。
結局、韓国は死刑執行を再開することも出来なければ、完全に廃止することも出来ません。
そもそも、韓国において死刑は刑罰として以外に、非常にしばしば「脅し」や「見せしめ」、あるいは「権力者の威光を強調するため」に用いられることがありました。どういうことかと言うと、一旦死刑を言い渡しておいて、その後おもむろに「大統領様の寛大な計らいで罪一等を減じてやる」と言って恩を着せたり、徳を示したりするのに用いられていたのです。
今回も、仮に本当にセウォル号の元船長に死刑判決が下ることがあったとしても、実際に執行されることはほぼ(少なく見積もっても99%以上の確率で)ないでしょう。にも関わらず韓国の検察が抜け抜けと死刑判決を求めたということは、要するにセウォル号事故という、韓国の秘密(≒韓国の恥)を世界にぶちまけまくった事故の責任をセウォル号の元船長に全てひっかぶせて、生贄にしようとしているだけの茶番です。
もっとも茶番と言えばセウォル号事故に関する韓国人の反応のほとんどが茶番と言っても良いぐらいなので、結局今回の「セウォル号元船長に死刑求刑」も、数ある茶番の中のひとつというだけのことですが。
それから韓国のテレビ番組で、日本人出演者のBGMとして君が代が流されたことについて、「不適切な音源を使用した点について、心から謝罪致します。」という公式発表があったとやらで、これもまた「ああ、うん、なるほどね、韓国らしいね、ハハッ(乾笑)」でした。
日本の国歌を「不適切な音源」とは何事かとお怒りの方もいらっしゃると思いますが、こと韓国に関しては、こんなことでいちいち怒ってたらあっという間に神経が焼き切れます。ここでは「日本の国歌に対し、このような認識を持つ国との友好や交流は実際問題として可能なのか。仮に可能として、それは本当に日本のためになることなのか」ということを考えれば良いのであって、怒ったり憤ったりすることに精神的エネルギーを費やしても、何の益も見込めません。
それから、2015年に予定されていた韓国の戦時作戦統制権の移譲が再延期されたという報道にも、やはり乾いた笑いがこぼれました。
韓国の戦時作戦統制権は、現在米軍にあります。しかし稀代のコメディアンにして最大の北朝鮮工作員であった故盧武鉉元大統領が米国に対し戦時作戦統制権の移管を求め、米国もこれに合意しました。当初は2012年4月に実施されることになっていたのですが、2010年、移管時期の延期が決定します。新たに定められた移管時期が2015年だったわけですが、今回再びこれが延期されることになったわけです。
韓国としては、戦時作戦統制権を米国に握らせたままなのは「自尊心(という名の劣等感)」を痛く刺激されることなのでしょうけれど、現実問題として韓国軍単独では半島有事に対応することが出来ません。対する北朝鮮(及び韓国内の親北朝鮮派)としては、在韓米軍という目の上のたんこぶさえなければ、明日にでも武力統一が可能と思っていることでしょうから、何としてでも戦時作戦統制権を米国から韓国に移管させたいところでしょう。
現実と理想(という名の願望)、挑発と開き直り、左右の陣営が広げるお綺麗な大義名分と、やはり双方から透けて見える薄汚い思惑がマジェマジェになっている様子は、実に韓国らしくて微笑ましいぐらいです。
この戦時統制権の移管については、今のところ日本の立場では完全に対岸の火事と言うか第三者的立場なのでヘラヘラ笑って見ていれば良い話ではあります。しかしもし日本が当事者であれば、こんなにイラつかされる話はないんじゃないでしょうか。
それが現実だったのが100年前のお話ということを、ヘラヘラ笑いながらでも思い出すことが、日韓関係とか韓国という国について真摯に考えるということなのだろうなあと、失笑で乾いた喉を茶で潤しながら思った次第です。