今後の日本における嫌韓気運の行方
以前から弊ブログで何度も申し上げている通り、韓国人の日本観は「日本絶対悪」を出発点としております。その日本を、韓国が非難するのは、韓国人の主観では理由も根拠もある正当な行為です。
そもそも韓国人の主観では、彼らが行なっているのは日本に対する「非難」などではなく、「教育的指導」なのですから、日本人はそれをありがたく拝聴し、素直に韓国の言うことに従うのが人間として正しい行為なのです。
にも関わらず日本人はしばしば韓国人の「教育的指導」に口答えをしますし、たまに素直に謝ったかと思ったらすぐにそれをぶち壊すような行動をする思慮と反省の足りない連中というのが、韓国人の日本人観です。
しかもそれだけでは飽き足らず、最近の日本では堂々と韓国を嫌う人々が増えているという、韓国人的には言語道断の事態とあって、このほど知韓派として知られているらしい小倉紀蔵京都大学教授が、ソウル大学で講演したという報道がありました。
韓国側の一方的な報道なので、この小倉紀蔵という方が本当に報じられている通りのことを仰ったのかどうかは定かではありませんが、とりあえず現時点では韓国が報じた通りであるという前提で、話を進めたいと思います。
韓国の報道によると、小倉紀蔵氏は【韓流ブームが起きた2002年は「韓国を知ろう」、2003~2010年は「韓国に学ぼう」という雰囲気だった】と分析していると言います。
確かに、2002年には「韓国を知ろう」という動きがありました。何しろワールドカップ日韓共催という、一大イベントがあったのです。共にひとつの国際的な大イベントを行なおうというのですから、相手のことを知ろうとするのは当然です。
その結果、現在の日本の嫌韓気運を下支えする「韓国の実態」が日本人に拡散されました。この時、「韓国の実態」を知った人々の中から、数多くの韓国ウォッチャーが生まれたのです。
次の「2003~2010年は「韓国に学ぼう」という雰囲気だった」というのは、私には何のことかよくわかりません。弊ブログの過去記事を振り返っても、そんな雰囲気があった気配は感じられません。
一部の親韓日本人に、「韓国に学べ」といった寝言を言う連中が居たことは確かに記憶にありますが、それらは全て上っ面だけの話でした。日本が韓国から学び得たのはたったひとつ、「韓国人のようなことはするべきではない」ということだけです。
記事はそれから【2010年以降はそれ(筆者註:「韓国に学ぼう」という雰囲気のこと)が終了したと指摘。特に2012~2014年については、日本国内の嫌韓派の全盛期と評した。その上で、韓国は成功したが、信じることができないというのが嫌韓派の最も重要な主張と説明した】と続きます。
始まってもいない「韓国に学ぼう」という雰囲気が、2010年に終了したというのもおかしな話ですが、小倉氏がその雰囲気が終わった理由を何と思っているのかは、ちょっと知りたい気がします。
これに続く【「韓国は成功したが、信じることが出来ない」というのが嫌韓派の最も重要な主張】という文章は、これだけではちょっと意味がわかりません。これは私の勝手な想像ですが、ただ「日本人は韓国を信じられないと思っている」と言うだけでは韓国人が全く耳を貸さないので、まず「韓国は政治も経済も外交もとてもお上手だった」みたいなお世辞や追従を言い、「日本人はそれに嫉妬して、韓国を信じられないと言ってるのだ」とでも言ったのかなと思います。
それから【その一方で小倉教授は、韓国を正しく知ろうとする動きもあり、2015年以降は雰囲気が変わるだろうと予想した。】と韓国人に
しかし弊ブログをご覧の方なら、「韓国を正しく知ろう」とすれば、必然的に韓国を嫌わざるを得なくなることをご存知でしょう。
ただ、ならば現在の嫌韓気運が来年以降も現状程度に維持されて継続すると思うかと問われると、私にも一抹の不安要素がなくもありません。
これも繰り返し述べていることではありますが、韓国は薄くて浅くて上っ面です。しかも、色んな意味でばっちいw 最初の内は物珍しさもありますし、お化け屋敷的な楽しみ方もありますから、きゃーきゃー言いながら関心を持つことも出来るでしょう。
しかしやがてその物珍しさもお化け屋敷的スリルも、パターンが見えてきます。その上ばっちいので、触ったり触られたりすると、こちらも汚れるわけです。って言うか、見てるだけでも穢れるような気さえしますw
そういうのをずっと見ていると、やがて「何でこんなもの見てんだろう、世界には楽しいことや美しいものが幾らでもあるのに」病に罹ります。私もしょっちゅう罹ってますw
それでも韓国ウォッチを続けるモチベーションがある日本人が多ければ良いのですが、実際世界には韓国ウォッチなんかより楽しいことや美しいものが幾らでもあり、韓国ウォッチにしがみつく余程の理由がなければ、さくっとやめる人が多くても、不思議ではありません。
韓国ウォッチに嫌気がさす以外では、「韓国に飽きる」ということも大いにあるでしょう。
「嫌韓」という言葉を、最近出来たものだと思っている人は意外に多いようですが、実はかなり昔から(確認しておりませんが、少なくとも20年や30年は楽に遡れると思います)普通にある言葉です。ただ「嫌韓」という言葉をおおっぴらに使えるようになったのが極めて最近なので、新しい言葉のように思われているだけなのです。同じく、韓国に対する批判や警鐘も昔から普通にありました。しかし、最近まで韓国に批判的な主張をおおっぴらに行なうことが禁忌になっていたために、あまり見聞きすることがなかったのです。
その反動で現在の嫌韓が盛り上がっているという部分はあるかもしれません。
しかし韓国についての分析や検証、考察、それに基づく批判が出尽くすと、あとは同じことの繰り返しになるのは、弊ブログが証明中ですw
同じことの繰り返しになれば、「飽きた」と言って離脱する人が出てくるのも必然です。韓国に飽きて離脱した人は、やがて韓国の存在を忘れてしまうでしょう。実際、過去の日韓関係を振り返ると、その繰り返しであることがよくわかります。
ですので、来年以降、韓国ウォッチに嫌気がさした人、韓国そのものに飽きた人が増えれば、嫌韓気運が多少盛り下がることもあるかもしれません。
しかし、韓国に飽きたり嫌気がさして離脱することがあっても、ネットによる情報の蓄積と保存、伝達システムがここまで普及した今日では、いつでも離脱した時点ぐらいまでなら戻ることが出来ます。日本に対し、韓国が完全に存在感を失えば話は別ですが、日本に対し韓国が存在を少しでもアピールすることがあれば、一度嫌韓をやった人なら確実にフラッシュバックを起こすでしょう。
そんなこんなで、来年以降日本における嫌韓気運が多少盛り下がるようなことがあったとしても、日本の韓国に対する雰囲気が良い方向に変化するようなことはないと、私は確信しております。