これもまた、韓国の日常茶飯事
ところで今回初めて、出口調査というのに遭遇しました。あれは不思議なもので、何でこんな新聞社のバイト丸出しの若造に私の投票内容を教えてやらなあかんねん、嘘書いたろかなどと思いつつ、まるっきり正直に答えてしまうものです。出口調査ってのは、私が思っていた以上に信頼出来る数字が出るものなのかも知れません。
さて、もうすっかりうんざりしている韓国。
このところの韓国は、大韓航空の「ナッツリターン騒動」が喧しいようです。
「ナッツリターン騒動」とは、ニューヨーク発仁川行き大韓航空機に搭乗していた大韓航空の副社長が、機内サービスのナッツを配る客室乗務員の行為に問題があったとして、機内サービスの責任者である事務長を懲罰的に降機させるために、既に滑走路に向かっていた航空機を搭乗口へと戻させたことから、「ナッツリターン」と揶揄を込めて名付けられた事件です。
大韓航空側は一度は「副社長は機内サービスと機内食の責任を担う役員として、問題提起および指摘は当然のこと」と開き直ったようですが、韓国内で起きた猛烈な批判に驚いて、渋々全面謝罪を行なった模様です。
もっとも、これもセウォル号と同じく、「たまたま問題になった」ために注目され話題になっただけの話で、これまでの韓国では日常茶飯にあった話であり、これからの韓国でも日常的にあるだろうことは、容易に想像が付きます。
セウォル号事故では、韓国における交通機関の安全性が極めて低いことや韓国人の無責任さ、危機管理能力の無さなどが如実に現れましたが、今回のナッツリターン騒動では、権力を持った韓国人の傲岸不遜、傍若無人っぷりが浮き彫りになりました。
これに類する話は、報じられていないだけでおそらく韓国では枚挙に暇がありません。今回の事件の当事者である大韓航空副社長も、これまでに似たようなことを韓国内で散々やっていたはずです。今回これが大問題になったのは、騒動の内容のためではなく、騒動が起きた場所が韓国内ではなかったためでしょう。
以前「私が誰だかわかりますか?」という記事を書きましたが、韓国では全く無名で何の地位も権力も持たない人でも、「私を誰だと思ってるんだ。頭が高い、控えおろう」と言って他者を威圧しようとします。もしそれが多少なりとも何らかの権力を持つ人であれば、その威圧は更に強く激しいものになります。
李氏朝鮮時代、朝鮮半島では両班と呼ばれた貴族階級が暴虐非道の限りを尽くしていました。彼らは、頭脳労働以外の労働を激しく軽蔑、忌避しており、かと言って全ての両班に多額の給与を出せる官職の席があるわけでもなく、満足な収入の途がない両班も多かったといいます。
貧しい両班は、金に困ると富裕な庶民から金銭を強請していたようです。当時の記録によると、「(両班が庶民から)強請を為すの方式は驚くべき簡単にして、彼らはその助手を伴い、昼間もしくは夜間に富裕なる商業或いは工業家に侵入し、その主人を捕獲して、顕官の家もしくはその他危険なき場所に引致して、従順にして要求を承認するものは遅滞なく放免し、もし要求せらるる額を払わざる者ある時は、笞杖もしくは絶食の苦を与え、これを払うまではその苦痛を免れざらしむ。多少廉恥心ある両班はこの如き略奪を借用の名義において行うと雖も、之を返済したる例なきにより、一人としてこれに信おく者なし」とあります。
この記述から当時の朝鮮では、権力を持つ者が持たざる者に対しどのような無法を働いても、特に問題になることはなかったということがありありと見て取れます。このマインドが、100年を経た21世紀の今日も、韓国人に濃厚に受け継がれているのです。
日本では、権力を持つ人ほど謙虚であるべきという道徳観があります。実は韓国にも同じ道徳観がないわけではありません(多分日帝残滓w)が、それよりも「権力を持つ者は他者を虐げても良い」という意識の方が、圧倒的に強いのでしょう。
この「権力を持つ者は他者を虐げても良い」という意識は、韓国では「虐げられる者」にもある意識のようで、韓国でその立場にある者の卑屈さ従順さは、日本人には理解しづらいことのひとつです。
在日が、日本では図々しいまでに自らの権利を主張し、少しでもサベツを受けたと思ったらキーキー騒ぐ癖に、何故か韓国に行くとどれほど虐げられても、不当な差別で権利を侵害されても、おとなしく泣き寝入るのはそのためでしょう。
大韓航空と言えば韓国のナショナルフラッグキャリアです。その副社長と言えば、韓国でもトップクラスの地位であり、権力者の一人と言えるでしょう。しかし所詮民間企業の、しかも能力ではなく親族であるだけで得た地位であり権力です。
その程度の権力者が今回のような行為を当然と思い、実際に行なってしまうのですから、現在の韓国における最高権力者がどのような傲岸不遜さを発揮しているかは、おそらく私たちの想像の斜め上を遥かに超えるでしょう。
日本人にも、権力を持つと途端に傲岸不遜になる者がいないわけではありません。しかし権力を持つ者は、その権力を制御するに足る自制心を持たなければなりません。エンジンの出力が高い車ほど、高いブレーキ性能や耐衝撃性を必要とするのと同じと言えます。
自らの持つ権力の強さに思い上がり、その権力を前後の見境なく行使することは「朝鮮人のような真似」であり、他人にとっても自分にとっても危険な行為であり、日本人として恥ずべき行為であるというコンセンサスが日本人の間で育ち、共有されるようになることを心から願う次第です。