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韓国人は「ある」か「ない」かで考える

日本人にとってのクリスマスは、どうやら12月24日までらしく、近所のスーパーでは24日の夕方から一斉にクリスマス用品のコーナーを片付け、慌ただしく正月用品のコーナーに模様替えをしておりました。いよいよ今年も大詰めです。

さて、日本人にとって韓国人のわかりづらさは大変なもので、まず「わかりづらい」ということからしてわかりづらいのです。

韓国人についての知識を持たない日本人は、韓国人の外見に日本人と似ている部分が多いために、中身も日本人に近いのだろうという無意識の先入観を持つ日本人が一般的でしょう。

更に厄介なのは、彼らが擬態する生き物ということです。黙って立っているだけでも誤解しやすいというのに、彼らは一度口を開けば意識的にも無意識的にも、日本人の誤解を助長するようなことをべらべらしゃべります。

彼らの口から出る全ての言葉が、一切の例外なく嘘やでまかせだけで出来ていればまだわかりやすいのですが、困ったことに連中は事実と嘘を常に必ず綯い交ぜにします。

事実は、事実のみで事実として成立します。例え言ってることの9割が事実であっても、そこに1割の嘘を混ざれば、それは9割の事実と1割の嘘の話ではなく、全てが嘘の話になります。しかし韓国人は平然と、「9割が事実であれば嘘が1割混ざっていても、それは全て事実である」と主張しますし、日本人は非常にしばしばこういう主張に容易に転がされてしまうのです。

もっとも1割の嘘を混ぜたとしても、話す内容の9割が事実であれば、韓国人にしては極めて正直、あるいは誠実な方と言えるでしょう。韓国人の場合、9割の嘘に1割の事実を混ぜても、「話の中に1割でも事実がある以上、9割が嘘でもそれは事実と言って良いニダ」と本気で言うのです。

こうして日本人は、韓国人の外見と口先に騙されます。外見というのはなかなか厄介なもので、韓国人が内面と同じような外見であれば、いくら日本人が呑気なお人好しであってもまず最初から近寄ろうとしないでしょうし、もし不意に近くに現れれば、悲鳴をあげて逃げ出すはずです。

ところが、外見が人間に似ているだけで人間は油断してしまうものです。更に呑気でお人好しな日本人は、外見が日本人に似ているなら、中身も日本人に似ているのだろうと思い込んで接するので、韓国人からすれば面白いように騙せてしまうのでしょう。

弊ブログでは、再三ならず「日本人と韓国人は真逆と言って良いほど異なる」ということを主張しており、「何が違うのか」をくどくどしく述べております。

しかし最近、それはあんまり意味が無いことなのかもしれないなと思い始めました。韓国人は全てを「有る」か「無い」で考えているということを知れば、それで十分ではないかと。

前々回記事、「ウリのウは「有」、ナムのナは「無」と書く?」を書いた後で思ったことですが、韓国人は「有る」「無い」だけで表現することがよくあります。

かつて韓国でベストセラーになった「イルボヌンオプタ(邦題:悲しい日本人)」は、直訳すれば「日本はない」です。

ですが、突然「日本はない」と言われても、日本人の私には何が「無い」のかさっぱりわかりません。

純粋に「日本はない」というセンテンスだけで理解するならば、「日本」そのものがない、と理解するのが自然です。しかし、日本は歴然とあるわけです。ですから、「日本はない」というセンテンスは、「日本(のホニャララ)はない」という意味だと理解するのが、日本語的な解釈になるでしょう。

私は今まで「日本はない」というセンテンスは、「日本のあんなものやこんなものやそんなものは、ない」という意味だと勝手に解釈しておりました。「あんなもの」や「こんなもの」「そんなもの」が具体的に何かは、作中の記述から理解しろということなのだろう、と。

ところが最近、何気なく中央日報を見ていたところ「<東日本大地震>「日本はある」…惨事でも配慮忘れぬ文化に世界が驚いた(2)」という見出しを見かけました。

それは東日本大震災に遭遇した日本人の姿を伝える記事だったわけですが、最後に「災害現場で見た日本の姿。それは「日本はある」だった。 」と締めくくられているのを見た時、無理やり眠らせたはずの疑問が、再び目を覚ましました。

それは、かつて彼らがもてはやした「日本はない」という本の題名は、もしかしたら本当にそういう意味だったのではなかったろうか、という疑問です。

「本当にそういう意味」とは、彼らにとって「日本はない」とは、私が無理に解釈した「日本(のホニャララ)はない」という意味ではなく、全く語彙通りの「日本(という存在)はない」という意味です。

そう言えば彼らは、非常にしばしば「概念がない」「思想がない」と言います。それを聞くたびに、「何の概念がないのか」「どんな思想がないのか」ともどかしい思いをしていたのですが、「何の概念」でもなく、「どんな思想」でもなく、本当に「概念がない」「思想がない」という意味だったのではないかと思い至りました。

ウリとナム」という記事でも書きましたが、彼らの精神世界というか思想世界というのは、「1」か「0」か、即ち「有る」か「無い」かで構築されているのではないでしょうか。侮蔑や罵倒より無視の方が酷いとされるのも、彼らが「1」か「0」で考えるからだと思えば、なるほどと思われます。

彼らが「ある」と認めたものだけが、彼らの精神世界に存在するわけです。彼らが「ない」と考えれば、それは彼らの精神世界から消滅することになるのです。

この理解がどこまで本当に韓国人の精神世界に肉薄しているかまでは、正直なところわかりませんし、わかる必要があるとも思いません。ただこの考え方、即ち「ある」か「ない」かが韓国人の考え方であるということを、私たち日本人は知るべきであろうとは、強く思うのです。

つまり、日本人的な「自分が気に入らない対象であっても、一応の配慮や尊重を忘れない」という態度は、全く韓国人には理解が出来ないのでしょう。韓国人的に「自分が気に入らないもの」は、「あってはならないもの」なのです。ですから韓国人的には「自分が気に入らないもの」は、あろうとなかろうと「ない」と考えるべきなのです。韓国人的に「ある」と解釈されるものは、韓国人にとって「あるべき価値を持つもの」だから「ある」のです。

ということは、日本人が韓国人に対し配慮や尊重を行なう限り、それは韓国人的な理解では「韓国はある」になってしまうでしょう。

もちろんこれは、「だから今後は韓国が何を言ってもやっても無視しようぜ」ということではありません。韓国人の精神世界は「1」か「0」でしかないかもしれませんが、彼らによる日本を陥れるための奸計は既にワールドワイドに展開されており、韓国人の精神世界だけに対応すれば良い話では、全くなくなっているからです。

この辺り、日本人は大変にメンドクサイ戦いを強いられております。しかしだからと言って戦わないわけにはいきません。要はパート分けです。どこに向けてどんな攻撃をするのか。どこをどのように守るのか。それを冷静且つ的確にこなしていく必要があるでしょう。韓国人が好きな味噌も糞も一緒くたにしたマジェマジェ攻撃は、奇襲としては効果があるかもしれませんが、持久戦には向きません。

とりあえずは、韓国人の精神世界が「ある」か「ない」かを基準にしているということを理解することで、日本人側の戦略の方向性も見えてくるのではないかと思う次第です。



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