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韓国人の言う「職人精神」は褒め言葉ではない?

今年もすっかり押し迫り、商店街やスーパーなどでは「迎春」の文字が入ったディスプレイが目立ちます。

私が子供の頃は、「迎春」とか「新春」などという文字は本当に年が明けてからか、せいぜい大晦日の夕方からしか見られず、クリスマス終了直後から新年を思わせるディスプレイをするようになったのは、少なくとも私が住んでる地域では21世紀に入ってからではないかと思います。十年一昔などと言いますが、本当に時代は十年やそこらで結構変わるものです。

ところで、前回記事の韓国人の「ある」「ない」思考について、これを日本語の「アリ」「ないわー」的にお考えの方がいらっしゃるようですが、ならば「日本はない」という書籍タイトルは、「日本、ないわー」であり、「日本はある」は「日本、ありだよな」というニュアンスが成立するとお考えということでしょうか。個人的には、その方が「ないわー」です。

以前から弊ブログで何度も申し上げているとおり、日本語と朝鮮語で同じ意味とされている語彙があっても、それが全く同じ意味であるとは限りません。日本語に訳された朝鮮語を日本語と同じ意味で理解すれば、微妙な齟齬が生じる恐れがあります。

もちろん、だからといって彼らの言うことを朝鮮語そのままで理解することは、日本語を母語とする者であれば朝鮮語に相当熟達しても困難なことですから、誤解の余地がどれほどあっても翻訳は必要です。その上で、可能な限り誤解の余地を埋め、埋め切れない時はせめて「これは日本語と全く同じ意味ではない」ということを意識しておく必要があると私は考えています。

そもそも日本語における「アリ」「ないわー」は、意図的に主語を脱落させた口語表現であって、文語で用いることはほとんどありません。文語で用いれば、普通の「ある」「ない」と同じく、「で、これにかかる主語は何?」という疑問を読者に抱かせるでしょう。実例を示せば、三段落目末尾に書いた【個人的には、その方が「ないわー」です】という文の、「その方が」という主語を省いて、【個人的には、「ないわー」です】と書くようなものです。

さて、韓国。

韓国についていつも思うことに、「見えない部分」に対する関心の無さがあります。例えば建物の基礎や、塗装の下地などの、「見えない部分」に、彼らは極めて無関心です。それはこれらが前回記事に書いた「ある」「ない」で言うところの、「ない」の部分だからでしょうか。

そのためか、彼らは職人に敬意を払うということがありません。かつて、初の純韓国製ロケットという謳い文句で語られた(騙られた?w)羅老号の打ち上げ生中継を見ていたことがありますが、ものの見事に「偉いさん」しか出てきませんでした。

その頃、日本ではH2Aロケットを危なげなく打ち上げていたのですが、その生中継を見ていると、「見えない部分」に携わる人々が真っ先に、また多数紹介され、あるいはインタビューされていたのが非常に対照的でした。

日本では、昔から職人に対しては敬意を持つのが自然で普通でした。今でも、一流の技能を持つ職人は当たり前に尊敬を集めますし、一流とまではいかずとも、見えない部分の作業を真面目に誠実にこなす人の存在の重要性を、多くの日本人が理解しています(実際、その部分の作業を外国人労働者に頼らなければならなくなった昨今、日本製と言っても品質に疑問符が付くものが増えたように感じられます)。

日本が世界大戦に敗れ、台湾に中華民国・南京国民党軍が進駐した際、蛇口をひねるだけで水が出るのを見た国民党軍兵士が、蛇口があれば水が出るのだと思って荒物屋で蛇口を買って壁にねじ込んだが、水が出なかったために荒物屋の店主に怒鳴り込んだという有名な逸話がありますが、韓国人の感覚はまさにこの国民党軍兵士と同じなのでしょう。

韓国人にとって、水道とは水が出る蛇口こそが何よりも重要なのであって、目に見えない水道管など、それが必要という理屈は理解出来ても、感覚として理解出来ないのではないでしょうか(ちなみに、韓国では飲用水は専用の水サーバーを使っているところが多いようです。多分、蛇口から出てくる水がどこから来ているのかが「目に見える」から安心なのでしょうw)。ましてや、「見えない水道管」を設置したり維持する作業員に思いを至らせることなど、おそらく絶無と言い切っても過言ではないかもしれません。

その感覚は韓国社会にあまねく広がっており、韓国人が韓国の道路が波打ってるのを嘆くことはあっても、道路工事をする人を無視することは絶対にやめられませんし、日本料理が世界的にもてはやされることを羨んで、韓国料理の国際的ブランド化を国を挙げて目指しても、韓国人が料理人を心から尊敬することはありません(実際、朝鮮日報の鮮于鉦が東京特派員だった頃、ミシュランガイドで星を獲得した寿司屋を取材した記事を読んだことがありますが、何とも職人に対する敬意を感じられないレポートで驚いた記憶があります)。

それに対する職人の方も、韓国社会に向かって胸を張るということが出来ません。韓国社会が向ける蔑みの視線に背中を丸め、俯き、「恨(ハン)」を募らせながら作業をするのです。そんな意識で作業して「いいもの」など、出来るはずがありません。

韓国ではこのように職人を蔑む方と蔑まれる職人とが、その状態で安定してしまっているので、これを覆すのは並大抵なことでは不可能でしょう。

日本人の「ものづくり」を見た韓国人が、「これぞ職人精神だね!」とコメントしているのを翻訳掲示板まとめブログなどで見かけることがありますが、私はそれを見るたびに、「きっとこれは賞賛五割侮蔑五割ぐらいなんだろうな」と思ったりします。

見えない部分や基礎を蔑ろにする習性が韓国人の性根からなくならない限り、韓国が本当の意味での文明国になることはないでしょう。

もっとも、韓国人にとって彼らの「性根」は「見えない」もの、即ち「ない」ものであり、認識出来ないものです。認識出来ないものを正すことなど出来ません。

彼らが見えない部分や基礎の重要性を理解するためには、彼らが自分自身の見えない部分を直視することが出来るようになる必要があります。つまり二段階の発展あるいは発達が必要なのであり、そういう意味で彼らが真の意味での文明人になるには、やはり彼らが種として進化する時間が必要になるのかもしれません。



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