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韓国人は他者を尊敬しない

常々韓国人を見ていて思うのが、彼らは他者を尊敬することがない、ということです。より厳密に言えば、韓国人が他者を全く尊敬しないというわけではありません。彼らにも、尊敬らしき精神活動が見られることは、しばしばあります。

問題はそれが長続きしないというか、固定されないということでしょう。

彼らも一時的というか、短期的には他者を尊敬することがあります。しかしそれはやがて変質していきます。どのように変質するかは必ずしも一律ではありませんが、「尊敬」から離れていくのは確かです。

何故そうなるのでしょうか。ひとつには、彼らの「ウリ」思考のためということが考えられます。彼らにとって「他者=ナム」は、基本的に無視の対象ですので、当然尊敬の対象にはなりません。従って、「他者を尊敬する」ということは、その「他者」を「ウリ」と考えることになります。「ウリ」とは、一般的には「我々」「私たち」などと翻訳されますが、弊ブログでは以前から申し上げているとおり、「自分自身」を意味すると考えております。

他者を尊敬するということは、その他者を意識することになります。韓国人が意識する相手全てが必ずウリになるというわけではありませんが、韓国人的に好ましいと感じられる他者は、かなりの確率でウリとみなされます。尊敬の対象となるほどの他者であれば、当然のように「ウリ」視されるでしょう。ウリを尊敬するということは、即ち自分自身を尊敬するということになります。こういう変質の典型が、韓国の新興宗教です。

神を尊敬するあまり、神と自分自身との同一視が行なわれ、やがて自ら神を名乗るようになります。韓国の新興宗教に、自ら神を名乗る教祖が異常に多いのは、偶然ではないと私は考えています。

あるいは、「他者を尊敬する」=「自分の負け」という韓国の風潮も大いに関係しているかもしれません。人間関係の全てを上下や勝敗で考える韓国人にとって、他者を尊敬するということは他者の勝ちを認めることであり、自動的に自分の負けを認めることになります。

韓国人には、「Win-Win」の発想がありませんので、「尊敬されること」を勝ちと考えれば、「尊敬すること」はどうしても「負け」になってしまいます。自分の負けを認めたくないために、他者をあえて尊敬しないということもあるでしょう。

いずれにせよ、韓国人は他者を尊敬しません。それによって、当然問題が生じます。尊敬の対象と自己を同一視するパターンでは、尊敬の対象に向けられるべき尊敬を、自分のものにしようとします。それが高じれば、そもそもの「尊敬の対象」の排除を考えるようになります。そうすれば、「尊敬の対象」が得ている尊敬を、全て自分のものに出来ると考えるのでしょう。

尊敬したら負けと考えるパターンでは、とにかく尊敬の対象を馬鹿にしまくります。そうしていないと、尊敬してしまうからです。しかしいくら馬鹿にしても、尊敬の対象に抱く好感は拭えません。そこで、尊敬の対象を馬鹿にしながら、同時に尊敬の対象の真似をしてみたりします。それでも尊敬は絶対にしません。韓国人は知的財産をパクることで有名ですが、彼らのパクリの特徴は、パクる対象にリスペクトが全くと言って良いほど無いことでしょう。

自分とは他人から見れば他者であり、自分が他人を尊敬しないということは、自分もまた他人から尊敬されないということになります。しかし韓国人は自他の認識が人間の幼児レベルなので、それをどんなに教えてもなかなか理解しません。

私から見ると、それは韓国人にとって損になるのではないかと思うのですが、韓国人にとっては、他者を尊敬することで感じられる敗北感などのデメリットの方がずっと大きいようです。

以前、「どうにもならない韓国」という記事を書きましたが、こういう点でも韓国人の「どうにもならなさ」を痛感します。

日本人としては、他者を尊敬することがそんなに難しいこととは思えませんし、そうする方がいろいろ捗るように思うのですが、韓国人にとってそれは、決して越えられない壁なのでしょう。

日本人と韓国人の間には、そういう見えない「壁」があるのです。そのことを、せめて日本人に周知することで、日韓関係が日本にとってより良い方向へ進むようになるのではないかと私は考えております。


※お知らせ※
2月22日の「竹島の日」に向けて、弊ブログでは、ブログぼやきくっくり執筆者のくっくり様主催「2015年竹島プロジェクト」に参加しております。
2月22日の「竹島の日」までの期間限定で、弊ブログでは竹島プロジェクトに賛同し、竹島は日本領土であることを改めて強く主張し、島根県の「竹島の日」を応援します。


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竹島プロジェクト2015始動

2006年から始めて、今年で10回目を迎える竹島プロジェクト、今年は少々遅れましたが今回記事より始動いたします。今年からは呼び掛け人が変わって、ブログぼやきくっくりのくっくりさんになっております。

韓国に対する好悪の感情や、主義の左右は関係なく、日本人として「竹島は日本の領土だ」と確信する方は、是非ご参加ください。何も難しいことはありません。ただお持ちのブログやホームページに竹島プロジェクト関連のバナーを貼り付け、竹島プロジェクトに参加表明のコメントあるいはトラックバックを送るだけで完了です。mixiなどのSNSでも出来ます。

私はアカウントを持っていないので出来るのかどうかわかりませんが、ツイッターやフェイスブックでも出来るかもしれません。その辺りは、アカウントをお持ちの方にお任せしたいと思います。

竹島プロジェクトを始めた頃は、「竹島?何それ?」という人が多かった竹島問題ですが、日本に対する韓国人の積極的な宣伝活動と、日本における嫌韓気運の隆盛に伴い、今となっては知らない人の方が少ないのではないかと思います。

ですが竹島問題について知ってると言っても、まだまだ「ああ、韓国と揉めてるやつね」程度の認識の方がほとんどではないでしょうか。

竹島問題については、今ではネットでも書籍でも数多の解説があり、詳しく知ることは容易ですから、知っておくに越したことはありません。ただ、これまでにも述べたことがありますが、この問題の本当の【問題】は、日本と韓国でこの問題に対する意識が大きく異なる点だと、私は考えております。

過去に書いたことの繰り返しになりますが、日本が考える竹島問題とは領土問題であり、「どちらに領土所有の正当性があるか」の争いですが、韓国にとっての竹島は「愛国心」の象徴であり、竹島問題とは「恨(ハン)」そのものです。

嘘か真かは存じませんが、日韓国交正常化に際し「竹島密約」なるものがあったとされ、それによって「竹島問題については解決せざるを以って解決済みと為す」ということで日韓両国が合意したなどとまことしやかに言うものもおりました。

もし韓国が、竹島問題を正しく領土問題と認識していれば、その「竹島密約」とやらは大きな効果を発揮したでしょう。しかし前述した通り、韓国人にとっての竹島問題は領土問題ではありません。

彼らにとっての竹島問題は、「恨(ハン)」を晴らすため、具体的に言えば「日本人を悔しがらせるため」の手段であって、領土云々はその次の問題なのです。もし日本が竹島を放棄すれば、韓国は納得するかと言えば、絶対に納得しません。

もし日本が竹島を放棄すれば、次には対馬を、その次は九州か沖縄を、最終的には日本全土を韓国が狙うでしょう。これについては、韓国人にそう聞いても絶対に肯うことはないと思いますが、私は絶対にそうなると確信しております。

何故なら、韓国人に必要なのは竹島ではなく「日本から奪い取った象徴」だからです。「日本から奪い取った」ということを示すためには、日本がその領有を主張し続ける必要があります。もし日本が竹島の領有主張を放棄し、名実ともに韓国の領有となれば、竹島はその象徴性を喪失します。そうなれば、韓国は次なる象徴を必要とします。

韓国が対馬の領有を主張するのも、そのためと言って良いでしょう。戦後の混乱に乗じてまんまと竹島を奪い取ってやったのに、日本は韓国が期待するほど悔しがりませんでした。どころか、もし韓国が騒ぎ立てなければ、日本人の大半は竹島問題の存在そのものを知らないままだったでしょう。

日本が悔しがらなければ、韓国は竹島を不法占拠する意味がありません。もちろん、漁業権や海底資源等の問題もありますが、それらは二次的なものです。日本を悔しがらせなければ、韓国人の「恨(ハン)」は解けないのです。

ですから無理は承知と言うか、無理かどうかが問題ではなく、とにかく何が何でも日本を悔しがらせるために、韓国は対馬の領有も主張せずにはいられないのです。対馬から盗難された仏像についても、同じマインドと考えて良いでしょう。

韓国人はひとつを与えれば、全てを求めてきます。一歩譲れば、百歩踏み込もうとします。もし日本が竹島を放棄すれば、韓国人は日本全土を狙ってきます。

日本が竹島を放棄すれば、竹島問題そのものは解決するかもしれません。しかしそれは次の、しかも更に深刻な日韓問題の始まりになるだけです。そういう意味で竹島は、日韓間の問題をこれ以上増殖混乱させないための防波堤であり、最前線と考えるべきでしょう。

そうさせないためにも、日本人の間で竹島問題を周知し、認識を共有することが重要です。一人でも多くの人が竹島プロジェクトに参加することで、少しずつでも竹島問題の周知と認識の共有が進めばと願う次第です。


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日本における韓国ブームと韓流ブーム

21世紀初頭の日本における韓流ブームは、空前にして恐らく絶後でした。弊ブログでは、過去の日本においてこの韓流ブーム以前にも韓国ブームが幾度かあったという話を何度かしています。これについて、詳しく知りたいというコメントを頂戴しました。

韓国に関心を持ち、過去の韓国関連書籍を漁れば、それらの書籍の中に「昨今の韓国ブームで」という言葉を見かけることはよくあります。日本では、韓国ブームとやらが起きるたびに、韓国に関心を持つ人々がそういう本を出してきたという証左とも言えるでしょう。

しかし日本における過去の韓国ブームの内容については、詳しく書くほどのことでもありません。ネットで検索すれば出てくる話ですが、例えばキーセン観光が盛んに行なわれていた頃も、ある意味韓国ブームであったと言えます。

それからチョーヨンピルやケーウンスク、ちょっと詳しい人ならナフナという韓国人歌手の名前を聞いたことがある人は多いでしょう。それらの韓国人歌手が一時期日本のテレビに「比較的」頻繁に顔を出していた頃もそうです。

あとは、1988年のソウルオリンピックに関連して、韓国が注目された時代もありました。確かその頃、「古代日本語は韓国語で読み解ける」というブームも、一瞬ありました。

それらは21世紀初頭の日本に、韓国が官民を挙げて仕掛けた韓流ブームと比べると、極めて小規模なものであり、以って日本人全体の韓国観に大きな影響を及ぼしたとは言えません。

しかも何度も言うことではありますが、これらは全てと言い切って良いぐらい単発で終わりました。過去の韓国ブームをきっかけに韓国に興味を持ったという人が、21世紀初頭の韓流ブームを牽引したということも全くないのです。

過去の日本における韓国ブームを調べることによって、過去の日本人がどれほど韓国に無関心であったかということを知ることは出来るでしょう。あるいは、韓国がどれほど急激に発展と言うか、変化したかを知ることも出来るかもしれません。その変化を、韓国人自身がほとんど記憶していないということから、傍証的に韓国人の歴史認識能力を知ることも出来ます。

このように、過去の韓国ブームを知ることで得られる効能も必ずしも皆無ではありませんが、過去の韓国ブームそれぞれの内容については、詳しく調べる必要性を私はほとんど感じていません。

何故ならそれは、21世紀初頭の韓流ブームもそうでしたが、過去の韓国ブームもまた、上っ面だけのものだったからです。過去の韓国ブームと、21世紀初頭の韓流ブームとの大きな違いは、日本人が上っ面だけではなく、更に韓国の深部へと踏み込んだか否かでしょう。

21世紀初頭の韓流ブームでは、それまでの韓国ブームと比較すると、異常とも言える韓国賞賛が行なわれました。それまでの韓国ブームで行なわれたのは、主に「韓国発見」でした。もちろん、「ハングルは全ての音を表現出来る」という類の、いわゆる「ウリナラマンセー」は当時からありました。

しかしそれらは、当時の日本人には単なるトリビアとして受け取られただけでしたが、21世紀初頭の韓流ブームでは、韓国人の「ウリナラマンセー」を日本人にも飲ませようとしたところが、大きな違いと言えるかもしれません。

実際、「ウリナラマンセー」を飲んでしまった日本人も少なくありませんでした。結果としてそれが小さからぬ副作用をもたらしたのです。

韓国人であれば、どれほど整合性に欠けていても、「ウリナラマンセー」に疑問を持つことはありません。いや「ありません」と言い切ると語弊はあります。「ウリナラマンセー」に疑問を持つ韓国人は、実は結構いるからです。

ただ、「ウリナラマンセー」に疑問を持ったとしても、韓国人ならそれをおおっぴらに言うことは出来ません。もしそれをおおっぴらに言えば、周囲の韓国人から「お前はそれでも韓国人なの?」となじられるからです。韓国人が韓国人であろうとする限り、韓国人が「ウリナラマンセー」に疑問や異論を唱えることは激しく困難なのです。

しかし日本人は、当たり前ですが韓国人ではありません。「お前は韓国人なの?」と言われることを恐れる必要は、全くないのです。

「ウリナラマンセー」を飲まされた日本人は、素直に飲んで「心において」韓国人になった者もいましたが、「それおかしくね?」と思った日本人も結構いたのが、韓国人にとっては想定外であったでしょう。

21世初頭の韓流ブームにおいては、インターネットが大きな役割を果たしたのは間違いありません。このインターネットがまた諸刃の剣でした。

韓国人は自分の考えを一方的に相手に飲ませることが出来ると考えています。それはインターネットの世界でも全く変わりません。しかしインターネットは、テレビや新聞、書籍と異なり、意見の発信は双方向なのです。

それも単純に一対一のやり取りではなく、複数対複数のやり取りが可能です。日韓チャットや日韓翻訳掲示板では、それが具現化されました。

つまり、「何も知らない日本人」に韓国の思惑を丸呑みさせようとしても、「何も知らない日本人」が「韓国の思惑」に疑問や違和感を持てば、インターネット空間ではそれをリアルタイムで調べることが出来、また「韓国の思惑」に疑問や違和感を持つ日本人同士で意見交換することが出来たのです。

それらが10年近く積み上がった結果が、今日の日本における嫌韓気運と言えるでしょう。

過去の日本における韓国ブームでは、韓国に関する知識は所詮物好きのトリビア止まりでしたが、21世紀初頭の韓流ブームは、インターネットによってそれが広く共有されることになりました。それが、21世紀初頭の韓流ブームを、史上最大のものにしたとも言えます。

しかし韓国に都合の良い情報だけを選択的に流せた過去の韓国ブームの頃と違って、インターネットは情報の受信者が自主的に韓国にとって都合の悪い情報をえぐり出すことが出来ました。その上、インターネットによってそれらが保存され、拡散され、もはや止めることは出来ない状態が、現状なのです。

これを覆すことは容易ではない、と言うか、不可能でしょう。

韓国が過去の韓国ブームで満足していれば、現在の日本における嫌韓気運の隆盛もなかっただろうにと思うと、まことに「過ぎたるは猶及ばざるが如し」であるなあと、しみじみ思う次第です。



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やはり「嫌韓」が最善

韓国について長年縷々述べていると、しばしば茶々が入ります。

「そんなに韓国が気になるのは、本当は韓国が好きだからじゃないのか」という類のやつです。「「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」だ」などともよく言われます。「だから韓国に関心があるということは、嫌いと言いながら実は好きなんだ」という理屈なのでしょう。「嫌よ嫌よも好きの内」などとも言います。

そう言えば日韓チャットでも韓国人に同じようなことを言われた記憶があります。韓国人が「韓国に関心がありますか」と聞くので、「はい、あります」と答えたところ、即座に「私も日本が好きです!!」と返されてしまいました。韓国ではどうやら「関心がある」と「好き」は同義になっているようです。

「関心がある」を無条件で「好き」と変換されてしまうたびに、ストーカーの理屈を引き合いに出して反論することになるわけですが、それでも常に「嫌韓で良いのだろうか」という自問と言うか逡巡はあります。

誤解のないように申し上げておきたいのは、「嫌韓」というカテゴリに分類されることを忌避しているわけではありません。私ははっきりと韓国が嫌いですし、自ら嫌韓を名乗ってもおります。

ただ、韓国について考える際に「好き」「嫌い」を持ち出せば、感情論で片付けられてしまうのではないだろうかということを、時々考えるのです。

昨今、「嫌韓本」と呼ばれる韓国解説本が数多出回っております。私も出したいと切望しているのですが、お声は全くかかっておりませんw それはさておき、その「嫌韓本」と呼ばれる書籍の結論の大半が、「韓国はこんなにどうしようもない」「だから韓国は捨て置け」というものだと言われております。

その向こうを張ってか、「誅韓論」という本も出ました。「韓国を捨て置け」ではなく、「韓国を積極的に誅せよ」ということなのでしょう。実はこの本については、他人が読んだ感想を聞いたのと、立ち読みでパラパラ読んだ程度で、じっくり読んではいないのですが、「積極的に誅せよ」と言う割に、日本が主体的に行なうのは言うほど積極的な行動でもなく、最終的には他国(中国)の関与に大きく期待している辺りどうなの?と思わないでもありませんが、これもまたひとつの意見ではあります。

これ以外では、最近では少なくなりましたが、「それでも(あるいは「その上で」日本は)韓国と仲良くしていく道を模索するべき」という主張が、かつては主流でした。

この三つの結論の内、私の意見に最も近いのは「捨て置け論」でしょう。「それでも(あるいはその上で日本は)日韓友好を模索するべき論」は当然論外です。「誅韓論」にしても、日本が主体的に韓国を誅伐出来るわけではありませんし、そうするべきとも思いません。あと、繰り返しになりますが「誅韓論」においては、他国が自分の望むとおりに動くことが必須条件になっている点が、どうしても引っかかります。

弊ブログでは以前から、「日韓は発展的に関係解消するべき」と主張しており、これは「韓国を捨て置け」に近いだろうとは、自分でも思います。

しかし、「捨て置け」という語感から受けるイメージが、どうしても私のイメージする今後日本が採るべき韓国への対処法にそぐわないのです。

「捨て置け」というのは、字面どおり「捨てた状態に置くこと」でしょう。「捨てる」というのは、物理的に廃棄するだけではなく、自分の意識からも排除するということだと思います。捨てたものに、いつまでも意識を向けるということは、普通はないでしょう。

相手が物であれば、それで良いでしょう。物であれば、普通は意思も意識も、自律的に動くこともありませんから、捨てれば素直に捨てられっ放しになってくれます。極めて稀に、呪いの人形とか仮面とかぬいぐるみとか、まあそういう類の物が、捨てられても捨てられても持ち主のもとへ舞い戻ってくるということもあるとかいうオハナシもありますが、まあそれはオハナシでしょう。

しかし韓国は残念なことに、物ではありません。彼らには意思も意識もあり、自律的に動くことも出来ます。捨てられても捨てられても、これと思った相手に縋り、纏い付きます。それが韓国と言うか、朝鮮の歴史とも言えます。

むしろ韓国(と言うか朝鮮)は、最初から捨てられていた存在とも言えます。日本は確かに、それを拾ってしまいました。というか、拾わざるを得なくさせられました。今後もし日本が再び韓国を捨てたとして、韓国はおとなしく捨てられっ放しになってくれるでしょうか。

そんなことは考えられません。韓国は必ず拾い主を求めて動きます。それが韓国の生き方だからです。

その時もし、日本以外の国が韓国の拾い主として名乗りを挙げて、積極的に韓国を拾ってくれ、韓国も素直に拾われてくれれば、日本としては願ったりです。それがある意味、「誅韓論」ということになるでしょう。

しかしもしどこの国も名乗りを挙げなければ、あるいは韓国が素直に拾われてくれなければ、日本はいつまでも韓国に縋り、纏わり付かれることを警戒しなければならないでしょう。

この時もし、日本人の意識から韓国が消えていればどうなるでしょうか。と言うか、日本では韓国に対して、過去幾度もそういうことを繰り返してきました。

弊ブログでは再三申し上げていることですが、日本では過去幾度か、韓国ブームと呼ばれるものがありました。もちろん、数年前の韓流ブームとやらほどではありませんでしたが、過去に幾度か韓国ブームがあった痕跡は、韓国関連の古本を漁れば、明らかにあります。

その都度韓国はそれなりに注目されましたが、その余りの薄さ浅さに、長続きはしませんでした。長続きしないだけでなく、根強いファンが残ることも、ほとんどありませんでした。

そのため、韓国ブームが終わると、韓国はたちまち忘れ去られました。ある意味それは、日本人の意識から韓国が捨て去られたと言っても良いでしょう。やがて日本人が完全に韓国を忘れ去った頃に、韓国が「新発見」されて、新たな韓国ブームが起きるというのがパターンでした。

つまり韓国については、ただに「捨て置く」だけではまた同じ轍を踏むのではないか、というのが私の懸念なのです。

ではどうすれば良いのか、ということを考えた時、やはり意識的に韓国を「嫌う」ということが必要になるのではないか、という結論に至ります。

意識的に韓国を嫌っている限り、韓国を忘れ去るということはありません。日本人は、「好き」には理由を求めませんが、「嫌い」には正当な理由がなければならないと考えている人が多いので、韓国を意識的に嫌うならば、何故韓国が嫌いなのかをきちんと説明出来なければなりません。

何故韓国が嫌いなのかきちんと説明出来るだけの知識があれば、韓国が縋り付いてきても、振り払える可能性は高くなります。たとえ振り払えずとも、「韓国嫌い」を表に出すことで、韓国にも「日本が嫌い」と言わせることが出来ます(日本人に「韓国が嫌い」と言われると、彼らは必ず「ウリも日本が嫌いニダ」と対抗してきますw)。

日本がどれほど韓国を捨て置いても、韓国を拾ってくれて、韓国が拾われてくれる国が出てこない限り、韓国は日本に縋りつくでしょう。それを許せば、その内ホダされる日本人が必ず出てきます。これは過去の日韓の歴史を見る限り絶対です。

それを許さないためにも、「日本は韓国が嫌い」という意思表示をし、以って日本に韓国が近寄れない雰囲気を作る必要があるのではないでしょうか。

日本は、韓国をただに「捨て置く」のではなく、韓国の方からも近寄って来れないように、はっきり明確に「日本は韓国が嫌い」という意思を示すことが、やはり最善ではないかと愚考する次第です。



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日韓「普通」化促進中

安倍総理が中東を歴訪し、経済や技術支援を行なう旨の表明をしたという報道に触れ、ひそかにほくそえんでおりました。

というのも、この報道を見た韓国が地団駄を踏んでるのではないかと想像したからです。

これまで日本は、世界のさまざまな国に経済・技術支援を行なってきました。そういう意味では、今回の中東への経済・技術支援は特別なことではないかもしれません。

しかしイスラム国問題や、イスラム過激派によるテロが頻発する現在のタイミングでの日本の経済・技術支援表明には小さからぬ意味があるでしょう。

その上韓国ウォッチャー的には、現在日本との関係が年単位で氷河期に入り、経済的にも極めて厳しいというか、ぶっちゃけ破綻寸前の韓国が、「何故中東に支援するのにウリに支援しないニカ!」とフンガフンガしているかと思うと、ニヤニヤ笑いが止まりません。

もちろん、安倍総理の真意というか本心の大半は、そんなしょうもないことではないでしょう。ですが、これまで日本が韓国に割いてきたさまざまなリソースを、他の国に振り向けられるという程度のことは考えておられるかもしれません、

これまで日本は、明らかに韓国を特別扱いしてきました。まず「基本的な価値観を共有する重要な隣国」というリップサービスそのものが「明らかな特別扱い」と言えます。

日本の議員が日本人として当然のことを言っても、韓国の気に触ったというだけの理由で辞職に追い込まれたり、罷免されることさえ何度もありました。

日本がウリナラを重要な国と言ってるのだから、ウリは日本に何を言ってもしても良いという意識を、韓国は明らかに持っていました。

「日本は世界で孤立する」という、願望と直結した確信が、韓国にはあります。日本の孤立を防ぐために、かつて日本に多大な迷惑を掛けられたにも関わらず、韓国は日本に手を差し伸べてやっているのだから、日本はそれに対して歓喜の涙を流し、心から韓国に感謝し、その証として日本にある全てのリソースを韓国に捧げ奉るぐらいのことはしても当たり前だと、韓国は確信していました。

しかしここへ来て、日本は普通の国になりつつあります。同時に、韓国も「基本的な価値観を共有する重要な隣国」などではなく、「たまたま日本の隣にあるだけの国」(他にもいろいろ形容句を付け加えようかと思ったのですが、そのつもりがなくても悪口にしか見えない形容句ばかりになるので割愛しました)になりつつあります。

そういう意味では、現在の日韓関係は「氷河期」などという異常な状態ではなく、本来あるべき正常な関係に戻ったというのが本当でしょう。

もちろん、今回支援を行なう中東諸国の人々が韓国人に負けないアレな人々という恐れは、多分にあります。かつて「T・E・ロレンス」を読んだ際に抱いた、ロレンスに対する同情と共感を私は忘れておりません。

しかし、中東の人々は少なくとも神を畏れ敬うことを知っています。それに中東は日本の隣にありませんし、中東の人々が何十万人も日本に帰化しないまま五世代六世代と暮らすこともなければ、日本人に擬態して日本の中枢に入り込むようなこともないでしょう。また、慰安婦問題のように、ないものをあると言って日本の毀損を画策するようなことも、多分ないでしょう。

更に言えば、中東に支援を行なうことで日本は石油エネルギーの安定供給という、日本にとって非常に重要な見返りが期待出来ますが、韓国にはどれほど支援を注ぎ込んでも、日本に返ってくるのは敵意か怨恨、さもなくば侮蔑や罵倒、場合によっては犯罪の行使です。

そんなこんなを考え合わせると、日韓関係が「正常化」しつつあることで、韓国に割くリソースが他の国に振り向けられるようになったということは、日本にとっては良い影響しか考えられません。

日本にとって韓国は全然「重要」ではない、普通の(でもないですが、言いたいことはあえて割愛します)隣国であるということを内外に示し、以って日本の国益に寄与することを、今後安倍総理には大きく期待したいと思います。



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どうにもならない韓国

韓国という国を知ると、そのどうしようもなさに呆れたり驚いたりうんざりしたりします。日韓チャットにいた頃、常連日本人の口癖は、「どうしてこいつらはこうなんだ」でした。

それは今、韓国の翻訳掲示板まとめを読む時にも感じることです。彼らの、問題に対する浅慮さや短絡さ、根拠なき上から目線、他者に対する徹底した侮り、自覚なき無知と自己投影を見るたび、「どうにかならんのかこいつらは」と思います。

韓国人のこの「どうしようもなさ」というのは、ある種の人々には「可愛気」に映るのかもしれません。ある種の人々というのは、言うまでもなく親韓の人々です。

確かに、韓国人の「どうしようもなさ」というのは、言葉を換えれば「稚気」ということも出来ます。ただ彼らの稚気は、幼子の無垢無邪気さではなく、思春期に差し掛かった少年のような、身の程を知らない尊大さや傲慢さ、底の浅い狡さです。

大抵の人はそれを見れば、苛立ちを伴う嫌悪を覚えます。しかし中には、それを見て保護欲と言うか、指導欲を掻き立てられる人もいます。「自分がどうにかしてやれば、こいつらもどうにかなるのではないか」という感情です。

また、韓国人もナマで会えば、ネットで見るようなトンチキばかりではありません。むしろ、ネットで見るようなトンチキは珍しいくらいです。

韓国人の第一印象は、大抵が「普通に良い人」で、中には「かなり良い人」も珍しくありません。もちろんそれらは、彼らが被る薄くて浅い上っ面が見せるイリュージョンですが、それを俄に見抜くことは容易ではありません。

中にはそれを見抜いていながら、それでも彼らを庇う人がいます。それは韓国人に同情したり、同調してしまった人たちです。

韓国人をある程度以上に詳しく知ると、彼らが持つ「切なさ」に気付かされます。韓国人を糞味噌に言う私ですが、彼らの切なさを知らないわけではありません。この「切なさ」にホダされる日本人も、結構いるのではないかと思います。

日本人から見ると、韓国人の苦しさや生き難さは、かなりのものです。日本人の人生とて、決して安穏とは限りませんが、韓国人の人生は更に困難です。韓国人にとって自分と自分自身とみなしたウリ以外は、たとえ同胞であっても皆敵です。韓国人が生きていく上で少しでも他人(=敵)に先んじ、あるいは出し抜くためには、ズルやインチキがどうしても必要に思えます。

しかしそのズルやインチキは、巡り巡って自分に返ってくることが珍しくありません。遠回りに見えても、誠実に正確に物事を行なう方が、最終的には早く良い結果に到達するものですが、韓国人にはそれがどうしても理解出来ません。誠実正確にやって出来ることなら、ズルやインチキをすればもっと早く楽に出来るに違いない、というのが韓国人に普遍的な情緒と言い切って良いでしょう。

それが、彼らの苦しさや生き難さにつながってるとは、ほとんどの韓国人が気づいていませんし、気づく韓国人がいてもどうしようもありません。

韓国をあまり知らない人は、韓国人がそんな苦しさや生き難さを抱えてることに気づかないかもしれませんが、韓国をある程度知ってしまうと、韓国人のそういう部分にも嫌でも気づくことになります。

その上韓国人の根っこは甘ったれです。何もかも他者に依存し、それを当然だと思っています。そういう部分に母性本能をくすぐられたり侠気を掻き立てられたりする人は、案外多いのでしょう。

韓国人が好きだとか嫌いだとかは別にして、人の形をした生き物が困難な生き方をしているのを見、それがちょっとの工夫と努力で改善出来ると思えば、そうしてやりたくなるのは人間としては普通で当然の感情です。ましてやお人好しが多い日本人ですから、そう思う人が多くても不思議はありません。

たとえ韓国が嫌いであっても、韓国を物理的に消滅させることが出来ないという現実がある以上、何とかして韓国を改善してはやれないものかという方向へ転がってしまう人もきっといるはずです。

しかし韓国はどうにもなりません。少なくとも日本人にはどうしようも出来ません。韓国人自身がどうにかしようと決意して、100年単位で努力を続けることが出来れば、あるいはということもあり得ますが、彼らは百日物忌みしろと言われていたのに、二十一日しかしなかった生き物の末裔です

結局、韓国はどうにもらならないということを徹底的に悟ることが、韓国を正しく明らかに見ることになります。それが出来なければ、日本人はいつまでも韓国に振り回されるでしょう。

日本人が模索すべきは、日韓で認識が異なるが故に実現し得ない日韓友好などではなく、「韓国はどうにもならない」ということを周知徹底し、その上で今後どのように韓国を処していくのが「日本にとって」最善であるかだと、私は考えております。



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配慮は双方向で行なわれるもの

今日は成人の日ということで、巷では振り袖姿の女の子をちらほら見かけました。この辺りでは変に傾いた装いの新成人を見かけることはありませんでしたが、日本各地ではお約束の珍妙な格好をした新成人がそこそこいたようです。

毎年話題になり、嘲笑の対象となるにも関わらず、毎年同じような連中が出てくるということは、あれは人によっては格好良いものなのでしょう。個人的には、一生に一度の成人の日を、自ら黒歴史にする意味がよくわかりませんが。

さて、産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘氏が、日本の嫌韓気運を非難する内容の主張を行なったことについて、反発と言うか、違和感や憤りを覚えた人は少なくないようです。もともと日本に韓国の反日を紹介していたのは黒田氏なのに、何故この期に及んでということなのでしょう。

ですが私は個人的には、さほど黒田氏に反発も違和感も、もちろん憤りも感じておりません。もともとと言えば、黒田氏はもともと親韓派です。日本に向けて韓国の反日を紹介していたのも、「だから日本人は韓国を嫌え」というアナウンスをしていたわけではなく、「それでも日本人は韓国を理解してやれ」というアナウンスをずっとし続けていたのです。

昔から黒田氏は著書内で頻繁に「韓国のテレビや新聞を見なければ、こんなに楽しい国はない」と言っていましたし、「ソウルの二度泣き(日本からソウルに着任した日本人は、ソウルに暮らすことが嫌で泣くが、駐在期間を終え帰国する時には、ソウルから離れるのがつらくて再び泣くこと)」という言葉も著書内で紹介しています。

そもそも韓国や韓国人が嫌いであれば、韓国に何十年も住めるものではありません。ですので、黒田氏が今回このような主張を行なったのも、なるほどなとは思いましたが、何だこの野郎ふざけんなとは全く思いませんでした。

ただ思うのは、何故親韓派の人々は日本に対して一方的な配慮を求めるのだろうということです。

「配慮」というものは、私は双方向で初めて成立するものだと思っております。日本人が配慮する時は、相手がその配慮に気づいて、相手も同等程度の配慮を自分に向けて行なうことを期待しているものです。これが「おたがいさま」ということなのだと私は理解しています。

日本人は、基本的には相手が誰であれ、この「おたがいさま」が成立するものだという前提で行動します。もちろん、韓国相手にもそうでした。韓国については、もともと日本だったということもあって、更に濃厚に期待した日本人も、昔は少なくなかったでしょう。日本人的な「配慮」に対する感覚が、欧米人には通じなくても韓国人なら通じるはずだという先入観も、必ずしも故なきものとは言えません。

配慮は、ある意味譲歩とも言えます。お互いに譲り合えば、無駄な衝突を避けることが出来ます。ですから配慮が双方向ではなく一方通行になれば、する方はただひたすら譲り、押し込まれるばかりになりますし、無駄な衝突も増えます。

狭い道で対向車とすれ違うという状況を想像すれば、わかりやすいでしょうか。

狭い道で対向車とすれ違う際には、双方が互いに速度を落とし、互いに道の端に寄れば、安全かつスムーズにすれ違うことが出来ます。しかしもし片方が速度も落とさず、道の端に寄ろうとしなければ、もう一方の車は相手の車の分まで速度を落とし、道の端に寄らなければ衝突の危険があります。

しかし速度も道幅も、限界があります。相手の分まで行なおうと思っても、出来るとは限りません。出来るとしても、その負担は自分の分と相手の分とで、倍になります。

それでもせめて、相手方が「ああ、相手に自分の分まで配慮させてしまった」とでも思って、配慮をした側に感謝するなり申し訳ないと思うなりしていればまだ良いと言うか、ムカつくけど許せると言うかですが、自分が速度を落とし道端に寄ろうと悪戦苦闘している時、相手が「何グズグズしてんだこのノロマ」とでも叫べば、こちら側のムカつきは容易に憤りにまで駆け上がります。

その相手が全然知らない通りすがりの人であれば、その時生じた憤懣も「世の中にはいろんな人がいるもんだ」で収めることが出来るかもしれませんが、もし知っている人であればどうでしょうか。たった一回でもそういうことがあれば、その人はそれまでに培った全ての信頼を失い、失った信頼と同じぐらいの量の軽蔑を得ることになるでしょう。

日本に対し、韓国がそういうことをやってきたのは一度や二度や三度や四度ではありません。前述黒田氏は、産経新聞のコラム「から(韓)くに便り」でも同様の主張を行ない、「今年は日韓国交正常化50周年」と言っておりますが、少なく見積もってもその50年間は、日本が韓国に一方的に配慮をし続けた50年間とも言えます。

現在の日本の嫌韓気運は、日本の配慮を韓国が踏みにじり続けた集大成とも言えます。この50年間、日本はこれ以上落とせないほど速度を落とし、これ以上寄れないほど端に寄って、韓国に譲ってきました。しかし韓国はそれに感謝もせず申し訳ないとも思わず、むしろ当然と思って自分が通りたい進路を突き進もうとした結果、これ以上端に寄れない日本に衝突しそうになっているだけのことと言えます。

これで「もっと避けない日本が悪い」と言われれば、日本人の更なる嫌韓感情を惹起するだけでしょう。

何故日本にばかり配慮や譲歩が求められるのかと言えば、単純に日本人の聞き分けが良いからです。前述黒田氏は、韓国を「理」と「気」の国などと言いますが、韓国の「理」とは「上っ面」のことです。「薄くて浅い」のです。その一皮下には、ドロドロヌチョヌチョグダグダの「気」がのたうっているのです。このドロドロヌチョヌチョグダグダに何を言っても、ドロドロヌチョヌチョグダグダに取り込まれ巻き込まれ飲み込まれてしまうばかりです。

しかし、日本にはもう寄るだけの余地もなければ落とせる速度もありません。日本とぶつかりたくなければ、どんなに苦しくても難しくても、韓国が後ろに下がって道端に寄るしかないでしょう。

それが出来ないのであれば、米軍の装甲車に轢かれた女子中学生のようになる覚悟を、韓国はするべきだと私は考えております。



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慣れればそれが当然に思えてくるものですが

パリのテロ事件が、何やら凄まじいことになっているようです。欧州事情には詳しくなく、事件自体もテレビでチラ見した程度なのでよくわかりませんが、イスラムとかアルカイーダとかいう単語がチラついているので、そういう関係のことなのでしょう。

何と言うか、ホントのヘイトってこういうのじゃないの?と思ったり思わなかったりです。

さて、今からちょうど2年前に、「冷静かつ客観的に日韓関係を見直す時期」という記事を書きました。

その記事では「日本が韓国との友好に拘泥して得られるものと失うもの、韓国との友好という幻想から目覚めて得られるものと失うものをそれぞれ秤に掛けて、好悪や愛憎、恨みや遺憾の意などといった無駄な情緒を排除して、冷静かつ客観的に日韓関係を見直す時期が来ているのではないか」と締めくくったわけです。

あれから2年。日本は果たして冷静かつ客観的に日韓関係を見直せているでしょうか。

2012年12月26日からの安倍政権は、既に丸2年を経て長期安定政権の基盤を固めた観があります。この2年で、日韓関係は劇的に冷え込み、それに伴って韓国経済は破綻の兆しをもはや隠せないまでになってきました

韓国経済の危機は、既に10年近く前から言われておりましたが、それに対抗するがごとく、韓国経済好調論も常に言いふらされておりました。嫌韓側が「韓国経済は近々に破綻する」という主張をすれば、親韓側は「いや、韓国経済は絶好調だ」と言うのがお約束でした。

韓国経済が「絶好調」とはお世辞にも言えなくなれば、韓国人や親韓勢は「韓国経済は今日も破綻しなかったニダ」などとうそぶいて、他人ばかりか自分自身をも騙していたものです。実は今も、この期に及んでも、「韓国経済は三星を始めとして財閥系の輸出企業がしぶとく好調で、じりじりと経済規模を拡大しつつあり、2015年度は国民1人当たりのGDPが400万ドルに近づき、日本とほぼ変わりがなくなる」などという言説が韓国では流布されているようで、まことに彼らは自覚がありません

韓国経済が、危ない危ない言われながらも持ちこたえていたのは、日本が陰で支えていたからだということは当時から言われておりましたが、日韓関係が氷河期に入って2年でこれほどまでに韓国経済が傾いたということは、それが事実であったことを裏付けるものだと言えるでしょう。

韓国の経済破綻がどんな手を尽くしても不可逆的なところまで来ているのかどうかまでは、経済素人の私には判断が付きかねます。ですが韓国経済は財閥で持っている部分が大きいことは、経済素人の私でも知っています。その財閥が次々と破綻の兆しを見せているのですから、事態はかなり深刻と思って良いでしょう。

もしまだ韓国経済が回復可能なレベルにあるならば、今ここで日本が手を差し伸べれば、致命的な経済破綻は避けられるかもしれません。しかし、小さいといえども一国の経済を支えるとなれば、その負担は小さなものでは済みません。

例え日韓関係が良好であったとしても、今の日本は東日本大震災の復興や、それを教訓とした国土強靭化、これから訪れる超高齢化社会及び少子化に伴う人口減などに備える必要に迫られており、日本を最優先で考えれば韓国に割く余力は全くないはずです。

ましてや大統領自ら率先して日本毀損に駆けずり回っていることを隠そうともしない現在の韓国に、日本が援助の手を差し伸べてやるいわれは微塵もありません。

安倍政権の発足によって生じた日韓関係の凍結が2年にも及ぶと、現状に慣れ切ってしまって、原点を失念してしまう人も出てくるでしょう。その緩みに乗じて、韓国が起死回生の工作を日本に仕掛けてくる恐れは多分にあります。と言うか、実は既に仕掛けられているのかもしれません。

私たちは今一度原点を見直し、日本にとって何が優先事項なのかを再確認し、韓国が仕掛ける対日工作に惑わされぬよう気を引き締めていかなければならないということを、改めて周知する時期に来ていると思う次第です。



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「仏作って魂入れず」にならぬように

昨年末から、「2015年は在日の終わりの始まりの年」みたいなことが盛んに言われており、その内容についても色々取り上げられているようで、弊ブログのコメントでもチラホラ見られるように、期待している方も少なくないようです。

まず1月22日、韓国の国内法である「韓国の在外同胞法」と「住民登録法」の改正により、在外国民の国内居所申告制度が廃止され、在外国民住民登録制度が施行されることになっております。

これによって、在日韓国人の韓国内における生活の利便が促進されることが期待されると言われておりますが、同時に韓国における兵役や納税の義務が徹底されるようになると言われております。

またこれによって在日韓国人は難民扱いではなくなり、日本の永住許可が事実上無力化されるそうです。そうなれば、在日韓国人を日本から追放にしても、韓国に保護責任があるから大丈夫、という理屈です。

しかも韓国の兵役に応じれば日本への帰化の道が閉ざされ、応じなければ韓国の国内法において犯罪者となってしまうという、在日韓国人にとっては王手飛車取り状態とも言えます。

次いで日本の国内法では、外国人に対して本年7月9日より新しい在留管理制度が開始されるようになりましたし、日本国民に向けては10月からマイナンバー制度のための通知が始まります

更に在日韓国・朝鮮人の通名使用もかなり厳しくなり、今まで日本国内において不透明と言うか不可視的だった在日韓国・朝鮮人の存在がかなり見えるようになってくるということです。

これらによって、いわゆる在日特権がかなり解消されるようになるのではという期待を持つ気持ちは、大変よくわかります。

しかし実は私は、これらの法制度そのものには、あまり期待をしておりません。何故なら、法律には抜け道が付き物だからです。

日本人は、法律を作れば国民はそれを遵守するのが当然だと信じています。もし違反すれば、罰則を受けるのも当然だと思っています。

しかし韓国人は違います。韓国人は法律であれ何であれ、決まり事があればそれを破ることに血道を上げます。彼らにとって法律や規制とは他者を従わせるためのものであって、自分が従うべきものではありません。

その法律や規制が厳しく強いものであればあるほど、それを破ることが出来る自分を誇らしいと考える韓国人は、極めて一般的です。

お前は何を言ってるんだ、これは韓国内法だけの話じゃなく、日本国内法の話でもあるんだと言う方がいらっしゃるでしょう。

もちろん、それを失念しているわけではありません。どころか、私がもっぱら注目するのは、言うまでもなく日本国内法の方です。韓国の法律なんて、最初から眼中にありません。

これまでの日本の法律においても、いわゆる「在日特権」と呼ばれるものを保証する法律など存在しませんでした。しかしそれらが存在したことは、厳然とまでは言えませんがおそらく限りなく事実です。何故「厳然な事実」とは言えないかと言うと、それらが「現場の裁量」で運用されてきたからです。

例えば、在日外国人に対する生活保護費の支給などはその最たるものと言えるでしょう。生活保護は、生活保護法第一章第一条に謳われている通り、明確に日本国民を対象にしたものです。

ところが実際には在日外国人、ことに韓国・朝鮮人に対する支給が、少なからぬ割合で行なわれております

親韓反日日本人などは、「生活保護の支給対象はそのほとんどが日本人であって、外国人への支給は極めてわずかだ」などと主張しますが、本来はその全てが日本国民に支給されるべきものであって、わずかであっても外国人に対して支給されていること自体がおかしいのです(しかも人口比で言えば必ずしも「わずか」とは言えません)。

それなのにその「おかしいこと」が、まるで「当然のこと」のように語られ、しかもこの「おかしい主張」に、「それはおかしい」と言えない日本人が少なくないわけです。

そもそも法律とは、実際にはただの文章であって、実際に運用されることによって始めて効力を発揮するわけですが、それを運用するのは人です。それに携わる人が、超法規的な特例や例外を乱発することは、私たちが想像する以上に容易なのです。

もちろん、超法規的な特例や例外を発することには責任が伴いますから、権限を持たない下っ端には簡単に出来ることではありません。しかしそれは言葉を換えれば、ある程度以上の権限があれば簡単に出来てしまうということでもあります。実際、それが日本における外国人への生活保護の支給実施の根拠となっていたわけです。

法律や規制が出来たり改正・強化されただけで、日本人はついつい安心してしまうのですが、実は韓国人にとってはそれこそが狙い目とも言えるでしょう。

法律や規制が出来た、改正・強化されたというだけで安心せず、本当にそれらが正しく運用されているか、自分だけズルをしようとしている韓国人は必ず絶対に存在するのだから、それを安易にであれ渋々であれ、許してしまう日本人が現場にいないかということに日本国民が監視の目を光らせておかなければ、どれほど強い法律や規制を作っても、韓国人の前ではたちまち有名無実になってしまいます。

「仏作って魂入れず」という諺がありますが、法律や規制も魂を入れなければ、ただの文言でしかありません。

せっかくの法律や規制を無駄にしないためにも、日本国民ひとりひとりが韓国人はズルやインチキをせずにはいられない生き物ということを知り、日本国内においては絶対にそれを許してはならないという強固な信念を共有することこそが、肝要であると考える次第です。



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2015年は、「韓国を正しく知る」日本人が増える年になりますように

新年あけましておめでとうございます。皆様方におかれましては、良い新年をお迎えでしょうか。本年も、ブログ月見櫓をよろしくお願いいたします<(_"_)>

今年は、この地域としてはかなり珍しいことに元旦早々積もるほどの雪が降り、ホワイトクリスマスならぬホワイトニューイヤーズデイとなりました。

昨年の年初記事では、「2014年は日本に嫌韓が定着する年になりますように」と書きましたが、振り返ってみると2014年は日本に嫌韓が定着とまでは言えないにしても、比較的韓国寄りの日本人ですら「2012~2014年については、日本国内の嫌韓派の全盛期」と言わざるを得ないほどにはなりました。

事実、日本人の三人に二人は、韓国を諦めつつあるという調査結果もあります。

ただ前述の韓国寄り日本人は、【韓国を正しく知ろうとする動きもあり、2015年以降は雰囲気が変わるだろう】とも言っているそうで、親韓勢力の侵日意欲は未だ衰えてはいないようです。

日本から嫌われたり拒絶されることは、韓国にとっては切実な死活問題ですから、今年2015年の韓国は、なりふり構わず日本の嫌韓気運を損なおうとしてくることは想像に難くありません。

その上、日本人は良くも悪くも忘れっぽい人々です。特にマイナスの感情をいつまでも抱え続けることは、あまり得意ではありません。そのため、日本に定着したかに見える嫌韓気運が今後薄れるように感じられることは、十分にあり得ると予測しております。

しかし同時に、日本人は何事につけ「正しく知る」ということにかなりの意欲を持つ人々でもあります。日本人の知的好奇心の高さは、これもまた国民的特徴のひとつでしょう。

韓国人の感覚では、「韓国を正しく知ること」=「韓国が正しいということを知ること」になるようですが、日本人の感覚では、「正しく知ること」とは、誇張も歪曲も恣意もない、「ありのまま」を知ることです。

これまでの日本では、反日親韓勢力の努力によって、韓国に良い印象を持つように誇張された情報だけが選択的に流布されておりました。「ハングルは全ての音を表現出来る」などという御託は、今も根強いようです。

また韓国のパッケージツアーのパンフレットや韓国言論の日本語版には、韓国の近代的なビルが建ち並ぶ大都市や、活気溢れる市場、写真で見る限りでは綺麗に整えられた名所旧跡、同じく写真で見る限りでは美味しそうに見える料理などの画像が散りばめられ、「韓国は日本に勝るとも劣らない近代的な先進国家」という印象操作は、今後も熱心に行なわれることでしょう。

それによって今までは、「韓国は日本と変わらない国」「韓国人も、日本人と変わらない人々」という先入観を持つ日本人が少なくなかったわけですが、ここ数年来の嫌韓気運と、それに乗っかった大手メディアによる情報発信のおかげで、少しずつではありますが、「韓国って、何か変」という印象を持つ日本人も、確かに増えつつあります。

また竹島問題や慰安婦問題などの周知も進み、韓国人が日本を敵視しているということも、確実に日本人の間では共有されつつあります。

「韓国を正しく知る」ということは、韓国人が考えているような「韓国と韓国人が優れていることを知る」ということではありません。「韓国の薄くて浅くて上っ面と、彼らが絶対日本人に見せようとせず、自らも決して直視しようとしない彼らの内実」を知ることです。

昨年盛んに出版された「嫌韓系」と呼ばれる書籍群のほとんどは、実際にはこれまで日本ではあまり語られなかった「韓国の薄くて浅くて上っ面と、彼らが絶対日本人に見せようとせず、自らも決して直視しようとしない彼らの内実」を改めて語っただけのものであって、それによって読者が嫌韓になるとすれば、その原因は嫌韓系書籍にあるのではなく、韓国と韓国人自身にあるはずです。

しかし彼らは「恥はかくものではなく、かかされるもの」と考える生き物です。自らの所業を省みることはもちろんのこと、改めることも考えず、ただひたすら自分たちの「恥」を隠蔽し、あるいは目を逸らし、以って自分たちには恥じる部分がないと信じ込むのです。

日本人は、「穢れ」を厭います。「穢れ」とは、物質的な汚れも当然ありますが、精神的な汚れを意味することもあります。日本人から見ると、韓国人は物質的に不潔ということも大いにあるのですが、それ以上に精神的にも不潔です。彼らが装う上っ面だけはわざとらしいほど綺麗ですが、その「わざとらしさ」に気づけば、それさえ不潔に感じられるでしょう。

韓国人が自らのそういう部分を自覚し、それを改める努力を見せ、実際少しでも改まるならば、あるいは日本人の韓国に対する嫌悪感も薄らいでいくかもしれません。ですが韓国人にそれを望むのは、犬に代数を理解させるよりも困難でしょう。よって韓国人は、今後も韓国人のままであり続けると私は確信しています。

親韓反日日本人や韓国人は「韓国を正しく知れば、日本人は韓国を嫌わなくなる」と本気で思っているようですから、彼らは間違いなく「韓国を正しく知る」=「韓国人が誇らしいと思っている韓国【だけ】を知ること」と考えているのでしょうけれど、そういう考え方自体が既に、日本人には「汚い」と感じられるということに彼らが気づかない限り、日本人が韓国を正しく知れば、必然的に韓国に嫌悪感を持つようになります。

日本人の圧倒多数が「韓国を正しく知る」ようになれば、今後の日韓関係は日本にとってより望ましい方向へ進むでしょう。

今年がその始まりの年になることを、年頭に祈りたいと思います。



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