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やはり「嫌韓」が最善

韓国について長年縷々述べていると、しばしば茶々が入ります。

「そんなに韓国が気になるのは、本当は韓国が好きだからじゃないのか」という類のやつです。「「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」だ」などともよく言われます。「だから韓国に関心があるということは、嫌いと言いながら実は好きなんだ」という理屈なのでしょう。「嫌よ嫌よも好きの内」などとも言います。

そう言えば日韓チャットでも韓国人に同じようなことを言われた記憶があります。韓国人が「韓国に関心がありますか」と聞くので、「はい、あります」と答えたところ、即座に「私も日本が好きです!!」と返されてしまいました。韓国ではどうやら「関心がある」と「好き」は同義になっているようです。

「関心がある」を無条件で「好き」と変換されてしまうたびに、ストーカーの理屈を引き合いに出して反論することになるわけですが、それでも常に「嫌韓で良いのだろうか」という自問と言うか逡巡はあります。

誤解のないように申し上げておきたいのは、「嫌韓」というカテゴリに分類されることを忌避しているわけではありません。私ははっきりと韓国が嫌いですし、自ら嫌韓を名乗ってもおります。

ただ、韓国について考える際に「好き」「嫌い」を持ち出せば、感情論で片付けられてしまうのではないだろうかということを、時々考えるのです。

昨今、「嫌韓本」と呼ばれる韓国解説本が数多出回っております。私も出したいと切望しているのですが、お声は全くかかっておりませんw それはさておき、その「嫌韓本」と呼ばれる書籍の結論の大半が、「韓国はこんなにどうしようもない」「だから韓国は捨て置け」というものだと言われております。

その向こうを張ってか、「誅韓論」という本も出ました。「韓国を捨て置け」ではなく、「韓国を積極的に誅せよ」ということなのでしょう。実はこの本については、他人が読んだ感想を聞いたのと、立ち読みでパラパラ読んだ程度で、じっくり読んではいないのですが、「積極的に誅せよ」と言う割に、日本が主体的に行なうのは言うほど積極的な行動でもなく、最終的には他国(中国)の関与に大きく期待している辺りどうなの?と思わないでもありませんが、これもまたひとつの意見ではあります。

これ以外では、最近では少なくなりましたが、「それでも(あるいは「その上で」日本は)韓国と仲良くしていく道を模索するべき」という主張が、かつては主流でした。

この三つの結論の内、私の意見に最も近いのは「捨て置け論」でしょう。「それでも(あるいはその上で日本は)日韓友好を模索するべき論」は当然論外です。「誅韓論」にしても、日本が主体的に韓国を誅伐出来るわけではありませんし、そうするべきとも思いません。あと、繰り返しになりますが「誅韓論」においては、他国が自分の望むとおりに動くことが必須条件になっている点が、どうしても引っかかります。

弊ブログでは以前から、「日韓は発展的に関係解消するべき」と主張しており、これは「韓国を捨て置け」に近いだろうとは、自分でも思います。

しかし、「捨て置け」という語感から受けるイメージが、どうしても私のイメージする今後日本が採るべき韓国への対処法にそぐわないのです。

「捨て置け」というのは、字面どおり「捨てた状態に置くこと」でしょう。「捨てる」というのは、物理的に廃棄するだけではなく、自分の意識からも排除するということだと思います。捨てたものに、いつまでも意識を向けるということは、普通はないでしょう。

相手が物であれば、それで良いでしょう。物であれば、普通は意思も意識も、自律的に動くこともありませんから、捨てれば素直に捨てられっ放しになってくれます。極めて稀に、呪いの人形とか仮面とかぬいぐるみとか、まあそういう類の物が、捨てられても捨てられても持ち主のもとへ舞い戻ってくるということもあるとかいうオハナシもありますが、まあそれはオハナシでしょう。

しかし韓国は残念なことに、物ではありません。彼らには意思も意識もあり、自律的に動くことも出来ます。捨てられても捨てられても、これと思った相手に縋り、纏い付きます。それが韓国と言うか、朝鮮の歴史とも言えます。

むしろ韓国(と言うか朝鮮)は、最初から捨てられていた存在とも言えます。日本は確かに、それを拾ってしまいました。というか、拾わざるを得なくさせられました。今後もし日本が再び韓国を捨てたとして、韓国はおとなしく捨てられっ放しになってくれるでしょうか。

そんなことは考えられません。韓国は必ず拾い主を求めて動きます。それが韓国の生き方だからです。

その時もし、日本以外の国が韓国の拾い主として名乗りを挙げて、積極的に韓国を拾ってくれ、韓国も素直に拾われてくれれば、日本としては願ったりです。それがある意味、「誅韓論」ということになるでしょう。

しかしもしどこの国も名乗りを挙げなければ、あるいは韓国が素直に拾われてくれなければ、日本はいつまでも韓国に縋り、纏わり付かれることを警戒しなければならないでしょう。

この時もし、日本人の意識から韓国が消えていればどうなるでしょうか。と言うか、日本では韓国に対して、過去幾度もそういうことを繰り返してきました。

弊ブログでは再三申し上げていることですが、日本では過去幾度か、韓国ブームと呼ばれるものがありました。もちろん、数年前の韓流ブームとやらほどではありませんでしたが、過去に幾度か韓国ブームがあった痕跡は、韓国関連の古本を漁れば、明らかにあります。

その都度韓国はそれなりに注目されましたが、その余りの薄さ浅さに、長続きはしませんでした。長続きしないだけでなく、根強いファンが残ることも、ほとんどありませんでした。

そのため、韓国ブームが終わると、韓国はたちまち忘れ去られました。ある意味それは、日本人の意識から韓国が捨て去られたと言っても良いでしょう。やがて日本人が完全に韓国を忘れ去った頃に、韓国が「新発見」されて、新たな韓国ブームが起きるというのがパターンでした。

つまり韓国については、ただに「捨て置く」だけではまた同じ轍を踏むのではないか、というのが私の懸念なのです。

ではどうすれば良いのか、ということを考えた時、やはり意識的に韓国を「嫌う」ということが必要になるのではないか、という結論に至ります。

意識的に韓国を嫌っている限り、韓国を忘れ去るということはありません。日本人は、「好き」には理由を求めませんが、「嫌い」には正当な理由がなければならないと考えている人が多いので、韓国を意識的に嫌うならば、何故韓国が嫌いなのかをきちんと説明出来なければなりません。

何故韓国が嫌いなのかきちんと説明出来るだけの知識があれば、韓国が縋り付いてきても、振り払える可能性は高くなります。たとえ振り払えずとも、「韓国嫌い」を表に出すことで、韓国にも「日本が嫌い」と言わせることが出来ます(日本人に「韓国が嫌い」と言われると、彼らは必ず「ウリも日本が嫌いニダ」と対抗してきますw)。

日本がどれほど韓国を捨て置いても、韓国を拾ってくれて、韓国が拾われてくれる国が出てこない限り、韓国は日本に縋りつくでしょう。それを許せば、その内ホダされる日本人が必ず出てきます。これは過去の日韓の歴史を見る限り絶対です。

それを許さないためにも、「日本は韓国が嫌い」という意思表示をし、以って日本に韓国が近寄れない雰囲気を作る必要があるのではないでしょうか。

日本は、韓国をただに「捨て置く」のではなく、韓国の方からも近寄って来れないように、はっきり明確に「日本は韓国が嫌い」という意思を示すことが、やはり最善ではないかと愚考する次第です。



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