それもまた韓国が期待していることならば
あんまりしょっちゅう聞くものですから、また言ってやがる、と思うだけでこれまで特に疑問に感じることもありませんでしたが、よく考えてみるとこの表現には違和感を抱かなくもありません。これまでに、日本が韓国を騙し討ちするようなことが、そんなにあったのでしょうか。
韓国人が言うのは、大抵個人的な体験ではなく、歴史上のことや政治的なことです。個人的な体験で日本人を騙したと半ば自慢気にいう韓国人はいましたが、日本人に騙し討ちを食らった韓国人というのは、少なくとも私は聞いたことがありません。逆に、個人的な体験では日本人はとても親切で優しくて良い人だったと言う韓国人の方が圧倒的に多いのです。
にも関わらず、彼らは「日本人は油断をすると後頭部を殴る」と頑なに言い張ります。日韓間の過去の歴史や政治的な事柄で、日本はそんなに韓国を騙し討ちにしたことがあったのでしょうか。
例えば彼らがいまだに引き合いに出す慶長・文禄の役は、どうでしょうか。豊臣秀吉は事前に朝鮮に向けて明を攻めるための手引きをせよという通達を出し、朝鮮はそれを拒みました。拒めば、戦争になることは当然に予測されたはずです。しかし朝鮮は、希望的観測に基づいて戦争はないと判断しました。慶長・文禄の役は、その希望的観測が外れた結果に過ぎません(慶長・文禄の役について細かい部分に言及すればもっといろいろありますが、今回はそれが主旨ではないので割愛します)。
それではその後の日韓併合を彼らは言っているのでしょうか。しかし日韓併合も、一朝一夕に成ったものではありません。日本は何年もかけて、清と戦争してまで、朝鮮に独立を促しました。そのための助力も盛大にしました。にも関わらず、朝鮮は怠惰から自ら立とうとせず、ばかりか独立を促す日本を欺き、陥れようとすらしました。その結果として日本は手間を掛けて正当な手続きを踏み、朝鮮が勝手な行動をしないように自らの管理下に置いて建て直そうとしたのです。
「いわゆる従軍慰安婦問題」については、日本側から仕掛けた話ではありますが、当初韓国はそれを否定していました。しかしそれが対日工作に有用と見るや方向を転換し、日本との直接対話ではなく、世界に訴えることで日本を陥れようとしたのは、韓国の方です。
竹島問題も然りです。日本が敗戦によって武装を解かれ、一時的に国家としての主権を強く制限されていた時期を狙い澄まして竹島を強奪占拠したのは、韓国です。
日本が韓国の後頭部を殴るなどということは、歴史の上では思い当たりません。ならば政治的な観点からでしょうか。
確かに、日本の政治家の発言や行動に、韓国人が激しく反応したり興奮することはよくあります。例えば今回の日韓スワップ協定の終了も、そのひとつかもしれません。しかしそれらも大抵、日本が韓国の不意を打つようなものではなく、成り行きを見れば当然に予測し得た発言や行動がほとんどなのです。
「後頭部を殴る」という表現は、信頼して無防備な背後を預けた相手から予想もしなかった理不尽な攻撃を受けた場合に用いられるはずです。
ところが「日本人に後頭部を殴られた」と韓国人が言うのは、大抵が日本を信頼してもおらず、背後を預けてもおらず、日本がそういう行動に出ることを十分に予測していて当然のことが圧倒的に多いと言えます。
それは丁度、彼らが台風の進路予測をするのに似ています。長年地味に真面目にデータを蓄積し、それを正しく分析すれば、台風がどのような進路を辿るかは韓国人にも予測可能なはずです。しかし彼らは、地味に真面目にデータを蓄積しないし、正しく分析しようともしません。台風に来て欲しくないから、来ないだろうという予測を立てます。その予測に基づいて対策を立てる、と言うか対策を怠るのですw
時には、その希望的観測がたまたま当たるということもあるでしょう。しかし大自然は韓国を慮るということをしません。大自然はその摂理と法則に従って、冷徹に行動するのみです。台風も大自然の一部ですから、当然に同様に動きます。
その結果、韓国は毎年毎年受けずに済んだはずの台風被害を受けるのです。これを韓国人に言わせれば、「台風に後頭部を殴られた」とでもなるのでしょうか。台風という自然現象にそう言っても聞いてくれるはずもないので、さすがに韓国人が「台風に後頭部を殴られた」などと言うのを聞いたことはありませんが。
その点日本は、韓国の繰り言泣き言世迷言に、ついうかうかと耳を貸すものですから、韓国は勝手に期待します。この「日本に対する勝手な期待」が、韓国人的には「日本に対する信頼」なのかもしれません。
思えば、韓国が「後頭部を殴られた」という表現を日本以外の国に用いている例を私は知りません。アメリカや中国に対してはもちろんのこと、本当にしばしば韓国の「後頭部を殴る」北朝鮮に対しても、韓国は決して「後頭部を殴られた」などと騒ぎません。
これを「日本に対する韓国の信頼度の高さが伺える」などと言えば、親韓派は大喜びするでしょう。しかしこの場合、「韓国の信頼」とは、実際には「韓国の勝手な期待」です。日本はウリが言うどんな無理難題も理不尽も、飲むのが当然だという意識です。
それは「信頼」などでは決してありません。むしろ「侮蔑」です。
つまり「日本はウリの後頭部を殴る」と韓国人が言うのは、「日本はウリの思うように侮蔑させてくれない」と言っているに等しいと言えるでしょう。もちろんそこには、「日本がウリの侮蔑を受けるのは当然」という意識があります。日本人がそれに無条件で迎合することが、韓国人や親韓日本人にとっての「日韓友好」だったのでしょう。
今まで、私たちは決して意識して韓国人の後頭部を殴ってはきませんでした。日本として当然の主張や行動に、韓国が「日本がまたウリの後頭部を殴った」と興奮しただけです。日本人は韓国が騒ぐと、愚直にうろたえ、韓国人の主張に耳を傾けてきました。それがまた日本に対する韓国人の「信頼」という名の「勝手な期待」、換言すれば「侮蔑意識」を増幅させました。
しかし日本に対する韓国人の「信頼」の正体が実は日本に対する韓国人の「侮蔑意識」であるならば、そんなものに日本人が迎合する理由は微塵もありません。
むしろ今後は、私たち日本人はより積極的に、より意識的に「韓国の後頭部を殴る」べきではないでしょうか。日本が意識してもしなくても、日本に対して韓国人がそう考えるということは、ある意味日本にそれを期待しているとも言えるのですから、韓国の「日本を侮蔑させろ」という期待に応えるよりは、「日本はウリの後頭部を殴る」という期待に応える方が、日本の国益にも適うというものです。
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