Remember Takeshima
安倍総理が公約した竹島の日式典の政府主催はまだ実現しておりませんが、今年催された島根県主催の竹島の日式典には内閣政務官も出席し、菅官房長官によると「国際司法裁判所(ICJ)への提訴も含めて検討、準備を行っているところ」とのことで、徐々にではありますが進展はあります。
私たち日本人は、日韓関係が悪化すると日本に何か悪いことが起きると思わされていましたし、今もその印象操作は熱心に行なわれています。しかし現実に日韓関係が悪化しても、日本に悪いことが起きそうな兆しはありません。
もちろん、日韓関係が悪化するだけで日本の何もかもが劇的に良くなるということもないのは、前々回記事でも述べた通りです。ただ、これまで日韓関係の構築と維持に割いていたテマヒマカネが、関係悪化に伴って浮くというか軽減され、その分他の国との対応に割くことが出来るようになったのは確かでしょう。
これを長い目で見れば、日本に良い影響があるとは十分に考えられますが、悪い影響はほとんどなさそうです。日韓関係を構築維持するための努力が、どれほど日本の手枷足枷になっていたかを物語ると言えば、穿ち過ぎでしょうか。
思えば今回の日韓スワップ協定の終了も、その遠因は竹島問題と言えます。2012年に李明博前韓国大統領が竹島に不法上陸しなければ、日韓関係がこれほどまでに悪化することはなかったでしょう。
竹島問題は日本の領土問題の中では比較的地味ですが、決して軽いものではありません。
日本は無数の島々から成る国です。日本の創世神話である古事記によれば、島は神でもあります。
日本の神は、西洋のGodとは異なり、必ずしも万能ではありませんし、正義とも限りません。何しろ八百万もおわしますから、中には悪いことをする神もいますし、失敗したり困窮する神も珍しくありません。困っている神を助けた者に幸運がもたらされるというのは、日本の昔話やおとぎ話でお馴染みのストーリーです。
竹島は韓国に奪われ、その上日本国民からも忘れ去られかけていましたが、この10年で劇的に注目され、周知されるようになりました。その結果、日韓関係は10年前には想像も出来なかったほど変化しました。
それは韓国の自爆が最大の原因ではありますが、あるいは竹島の「神」が、日本人の注目と周知に応じてもたらした変化ではなかろうかと言えば、お前頭大丈夫かと言われてしまうでしょうかw
しかし日本人の竹島に対する関心と周知がこれで十分というわけではありません。竹島は今この瞬間も韓国によって蹂躙され、毀損されています。その奪還が容易でないのは確かですが、だからと言ってもし再び、私たちが竹島に対する関心を失ったり忘れるようなことがあれば、竹島の「神」はそれに応じた報いを日本に与えるかもしれません。
日本人的な情緒としては、竹島を「神」とみなすことに違和感はありませんが、実際問題として竹島の「神」なるものが本当に実存するかはわかりません。しかし「神」であろうとなかろうと、竹島そのものは厳然と存在します。小さな島ですが、紛れもない日本固有の領土であり、日本の一部です。
例えば人間の足の小指は、小さなものですし生命の維持に絶対必要な器官ではありません。だからと言って要らないから切って捨ててしまおうという人はいないはずです。またその存在を忘れれば、時に机の足や箪笥の角にぶつかり、悶絶するほどの痛みを全身に与えることでその存在を主張するでしょう。どんなに小さくてもそれが身体の一部である以上、それもまた自分自身なのです。
竹島も小さく、日本全体から見ればさほど重要には思えないかもしれません。しかし竹島に対する関心を失ったり忘れたりするということは、日本そのものに対する関心を失ったり忘れたりするのと同じこととも言えるのです。
私たちは竹島を忘れてはいけません。竹島を忘れないということは、日本を忘れないことであると同時に、韓国が日本にしたこと、今もしていることを忘れないことでもあります。
それを確認し、今年の竹島の日によせる記事とします。