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韓国の反日特異日有効活用の提案

韓国の三月一日は、三一節と名付けられた祝日です。これは1919年3月1日に起きた大規模な反日暴動が由来となっており、そのためこの日は韓国における反日特異日でもあります。

と言っても、もはや韓国における反日は既に韓国の大気同然となっており、韓国言論が煽り大統領が演説してやっと「ああ、そう言えば日本は絶対悪だったな」と再確認される程度で、殊更に反日意識を掻き立てられるわけでもないようです。

これまで何度も述べてきたことですが、韓国人の主観においては、韓国人は反日ではありません。子供のように聞き分けがなく残虐で粗暴で狡猾な日本を、厳しく教え諭し導く優れた教師というのが、韓国人の対日主観です。

しかし実際には、子供のように聞き分けがなく残虐で粗暴で狡猾なのは韓国の方であり、日本はこれまでそれに極めて寛容に接してきました。韓国はそれを良いことに、日本と向き合う時は脅しすかし泣き落としとあの手この手で無理を通して道理を押し込めてきました。

それを許していたのは「いつかは韓国もわかってくれる」「韓国がわかってくれさえすれば、日韓の何もかもが全て良くなる」という、何の根拠もない日本側の期待でした。

しかし日本が韓国の言うことを聞けば聞くほど、韓国は増長し、更なる無理難題を押し付けてきます。日本が譲歩すれば、それに感謝するどころか、日本の譲歩を少ないと憤り、あるいは罵倒する始末です。

その態度が反日だという自覚は、韓国人にはほとんどありません。日本は絶対悪であり、韓国は絶対善ですから、日本の主張を遮り、韓国の主張に従わせることは、善を勧め悪を懲らしめることであり、どれほどやってもやり過ぎるということはないというのが、韓国人の主観なのです。

しかし日本人から見れば「日本は絶対悪」という意識そのものが既に反日です。日本人が韓国に無関心だった頃は、当然韓国の反日にも無関心でした。しかし韓国が国を挙げて仕掛けた韓流ブームによって、日本人の視線が韓国に向けられるようになると、韓国の反日も自然に目に入るようになりました。

「日本絶対悪」という韓国人の意識は、さほど強くなければ日本人の謙遜癖と共鳴しやすいという部分はあったでしょう。しかし日本人の謙遜が自虐のレベルにまで達しても、韓国の「日本絶対悪」の意識は強まる一方でした。日本人の自虐あるいは寛容の限界を超えたのが、2012年の李明博前韓国大統領による天皇陛下侮蔑発言と竹島不法上陸の報でした。

結果、日本では韓国の反日を投影した形で、嫌韓が爆発的に広がります。韓国について徹底的に調べ、詳細に知った上での嫌韓ももちろん少なくありませんが、「なんだかよくわからないけど韓国気に入らねえ」「とりあえず韓国をバカにするのがオモロイ」という嫌韓厨と呼ばれる人々も増えました。それが韓国に伝わり、また新たな反応が生じます。それを「卑日」と名付けた人もいるようです。

この現象は、一般的には悪循環と言えるでしょう。日本が韓国の反日を投影して嫌韓化し、嫌韓化した日本に韓国が反応して、反日を超えた「卑日」となる。もし「卑日」とやらが韓国に定着して激化すれば、日本の嫌韓も恐らく更に激しく強くなり、拡大されることでしょう。

ただ個人的には、この「卑日」と呼ばれる現象も所詮反日の一部と言うか、副反応と言うか、いずれにしても「卑日」だけで独立して固定化されるということはないと考えています。

何故なら、「卑日」を固定化するためには、日本より韓国の方がどこから見ても誰から見ても強大でなければならないからです。

「卑日」の解説の中にもありましたが、かつての韓国人はどんなに日本を罵り、日本に反発していても、どこかで日本には勝てない敵わないという意識がありました。それが韓国の反日の主流でした。それに対し最近の韓国における「卑日」には、もはや日本など恐れるに足らぬという意識があると言われています。しかし、それは「最近の韓国の若者」の考えでしょう。

「最近の韓国の若者」にそういう意識があるのは、別につい最近の話ではありません。私が日韓チャットを始めた2002年頃には既に顕著でした。それは恐らく、韓国の学校ではそのような教育が行なわれているからでしょう。

日本がすごいということは、韓国の大人ならよく知っています。日帝時代を経験した老人ならば、更に実体験として理解していますし、日帝時代を経験していない韓国人であっても、日本と取引のある会社に勤める者ならば、ある程度理解しているでしょう。

しかし韓国人の情緒として、「日本のすごさ」を認めることは出来ません。たとえ自分自身は認めざるを得ないことを理解していても、それを子供にも伝えることは出来ません。それは自分が精神的に日本に屈したということを、子供に知らせることと同義だからです。

従って、日本の凄さ素晴らしさを知る韓国人ほど、韓国人の子供にそのことを伝えたがりません。逆に、子供たちには「日本なにするものぞ」という意識を叩き込むことで、自分が日本に精神的に屈したことを取り戻そうとします。

そうでなくても子供や若者というのは、経験の浅さから自分の限界や他者の凄さというものを知ることが出来ません。

結果、韓国の子供や若者は「日本なんか大したことない」「日本になんか負けるわけがない」という意識を持つようになります。「卑日」で解説されている現象は、そういうことだと私は考えています。

日本がどこまでも韓国に甘ければ、彼らの「卑日」に迎合することもあったかもしれません。実際、韓流捏風盛んだった数年前には「韓国に見習え」と声高に言う日本人がそこそこいました。それを見た韓国人が「やっぱり日本はウリの下だ」思うようになっても、無理はありません。

しかし現実は非情です。日本がどれほど韓国に謙ろうと迎合しようと、否、日本が韓国に謙り迎合すればするほど、日韓の力の差は大きくなります。

スポーツでも、力のある選手が「自分はまだまだだ」と思って努力すれば、更に記録を伸ばすことが出来ますが、力はそれほどでもないのに、好条件が重なって奇跡的に良い記録を叩き出しただけの選手が、そのことで「ウリはすごい選手なのだ」と思い上がってしまえば、その選手がそれ以上伸びることはないでしょう。

日韓もまさにそれと同じで、日本人はいつまでもどこまでも「日本はダメだ」「日本はまだまだだ」と努力を続けようとしますが、韓国人は「ウリナラ最高!」と思うとすぐに努力をやめてしまいます。そもそも彼らは、「真っ当な努力」が大嫌いということもあります。

そういう意味で日本にとって韓国の「卑日」は、実は歓迎すべき現象です。ただし、それは日本と韓国が距離を置くという条件が必須になります。かつての日韓友好論のように、「日本と韓国は運命共同体ニダ」などということになれば、日本にとっての「反日」や「卑日」「侮日」の韓国は、妖怪子泣き爺のように日本の背中にしがみつき、泣き喚いて重荷になるだけの存在になってしまいます。

日本は、韓国と距離さえ置けば韓国が反日でも卑日でも侮日でも気にする必要は全くありません。むしろ日本にとってそれらは歓迎すべきことです。それよりも日本が警戒すべきは、親日や用日と呼ばれる態度の方でしょう。

いずれにしても、韓国が韓国である限り、彼らの対日態度がどのように変化しようとも、彼らが日本の益になることはありません。

ならば交流を持つことでほだされる日本人が出てくるのを防ぐためにも、日本は韓国と可能な限りの接触を持たないように努めるべきでしょう。

韓国の反日特異日は、先に述べたとおり昨今の韓国ではさほどの意味を持ちません。しかし逆に日本側から、三一節を始めとして年にいくつかある韓国の反日特異日を「だから日本と韓国とは付き合うべきではないのだ」という理解を周知させるための材料として活用してはどうかと思った今年の三一節でした。



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