韓国人による米大使襲撃事件に思う
犯人は2010年に日本大使に至近距離からコンクリートの塊を投げつけ、有罪判決を受けた前科のある韓国人でした。
韓国関連で注目を集めるニュースと言うと、だいたい韓国の韓国らしさを浮き彫りにしたものであることが多く、今回も例外ではありません。
今回の事件によって浮き彫りにされた「韓国らしさ」は、幾つかあります。まず韓国人の親テロリズム傾向というのが挙げられるでしょう。
今回の件は、犯人が「(アメリカ大使に)恐怖を与えるつもりだった」と明言していることからも、明らかなテロです。
既に周知の通り、韓国ではテロリストが英雄視されます。今回の事件では、犯人を非難する韓国人も多いのですが、それは犯人が襲った相手が米国大使だったからであって、テロ行為そのものを非難しているわけではありません。それは同時に報じられた過去の日本大使襲撃を、非難するどころか賞賛さえする韓国人が全く珍しくないことからも明白です。
彼らがテロに親しみを持つのは、ひとつには教育が大いに影響していると思われます。何しろ彼らが過去の歴史において「抗日活動」と美化しているものの中にはテロが少なからず含まれており、襲撃相手が大物であればテロ実行犯は民族の英雄とされます。
この過去の歴史におけるテロ行為を、韓国人はテロと認識していないことは、過去にも述べたことがあります。韓国ではテロ行為を「処断」と言い換え、不当だが強大な相手に対する、正当だが無力なウリによる超法規的断罪手段と考えております。
これまでくどいほど述べてきた通り、日本が絶対悪というのは、韓国人にとって議論の必要がない当然の真理です。ですから、日本や日本人に対する如何なるテロ行為も、韓国人にとっては正当な行為となります。
「相手が日本であれば、ウリが行なうテロはテロではなく正当な行為」という意識の根本には、「日本絶対悪」思想があるわけですが、これは「悪」とみなした相手が対象であれば、日本や日本人だけに限定しなくても、容易に成立してしまう思想なのです。
今回のテロはまさにそれが具現化したものと言えるでしょう。
韓国はアメリカと同盟関係にありますが、北朝鮮とアメリカは敵対関係です。即ち北朝鮮においては、日本のみならずアメリカもまた「絶対悪」となっております。今回の事件の犯人は親北朝鮮思想の持ち主とされておりますので(私は北朝鮮の工作員と思っていますが)、犯人にとっては正当且つ英雄的な行動であるという確信の下に行なわれたテロなのでしょう。
こういう親北朝鮮韓国人(≒北朝鮮の工作員)が韓国で普通に堂々と生活出来るというのも、現在の韓国が持つ問題のひとつと言えます。
今回の事件で現れた「韓国人らしさ」は、テロ実行犯だけに留まりません。今回の事件に対する韓国人の反応からも、韓国人らしさは溢れ出ています。
韓国人の反応と一言で言っても、もちろん一律ではありません。しかしその行動の根源は、概ね一律です。
私は今回の件を、韓国人全般にある性向が原因と考えておりますが、同じように考える韓国人は極めて稀でしょう。ほとんどの韓国人は、今回のテロリストを非難したり、アメリカ大使に謝罪の意を示したりしているようですが、それらの行為の動機は、「ウリには罪も責任もない」ということを強調したいだけだったりします。
そのためには、今回のテロリストを「ウリ」から弾き出すか、あるいは「ウリ」もまたテロリストの被害者であることを示す必要があります。韓国人が憤ったりアメリカ大使に謝罪の意を示したりしているのは、「テロリストはウリではない」ということや、「ウリもテロリストの被害者である」ということをアピールするためでしかありません。
それは、被害に遭った米国大使が韓国人に好意的なコメントを発表するや、韓国人が大喜びに喜んでいることからも明白です。もし韓国人たちが自分たちを加害者側と思っていれば、被害者当人からの寛大な発言に、普通は恐縮するものです。
それでも、今回の記憶がある間は、韓国人も韓国人なりに多少は恐縮するでしょう。普段はテロを正当で英雄的な行為だと思っている韓国人も、当分の間はテロリズムに対し批判的な意見を口走ったりするかもしれません。
しかし、テロがいわば「ウリ」の正当な権利であるという意識は、そう簡単に消え去りません。むしろ今回の如き「韓国人が非難されるような事件」の記憶の方が、速やかに消え去るでしょう(実際、あれほど大騒ぎしたセウォル号事件すら、彼らは既に忘れかけています)。
彼らは「歴史を忘れた民族に未来はない」などと嘯きますが、文字でしか残っていない歴史どころか、それが自分たちにとって不名誉なものであれば、自分たちが実際にリアルタイムで見聞きした事件の記憶さえ可及的速やかに忘れ去るということに、今からでも気づいた方が良いのではないかと思いますが、それもまた彼らには無理な注文なのかもしれません。