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ホダされるということ、ホダされないようにすること

人は誰でも、「良い人と思われたい」あるいは「悪い人と思われたくない」と思うものです。それに加えて、普通の精神状態の日本人であれば、弱ったり困ったりしている姿を見れば、それがたとえヒトでなくても、「助けてあげたい」「力を貸してあげたい」と思ってしまうでしょう。

中国には「水に落ちた犬は打て」という諺があるといいます。本来の諺は「水に落ちた犬は打つな」であったそうですが、魯迅が阿Q正伝の中で、「水に落ちた犬は打つべし」と述べて以来、こちらの方が有名になったのだとか。

その意味するところは、「弱った敵は徹底的に潰せ」というところでしょう。諺は、その社会における傾向を表すものと言えますが、諺通りのことがその社会で頻繁に行なわれているとは限りません。逆に、その社会ではなかなか行なわれ難いことを、もっと進んで行なうべしと促す意味で言われる諺もよくあります。ですから諺には、その意味が相反するものがしばしばあります。

中国全土で「水に落ちた犬は打て」という諺がその意味通り行なわれているかどうかについては、中国についてそこまで詳しくない私には何とも言えません。そもそも一言で中国と言っても、人種も民族も習俗も極めて多様です。ただ、自ら小中華と名乗っていた朝鮮では、まさにこの諺通りのことが行なわれていたようだとは言えます。

日韓チャットにおいても、とにかく彼らは負けを認めませんでした。日本人的な感覚では、素直に負けを認めればそれ以上の攻撃は止むのに、何故こいつらは明らかに負けている状態で、尚歯向かってくるのかと不思議でした。それはどうやら彼らが、「負けを認めれば、更に攻撃される」と思っているかららしいと気づいたのは、日韓チャットにずっぽり慣れた頃でした。

どうやら韓国では、負けを認めた相手は徹底的に叩き潰すのが当たり前のようでした。それも、一思いに息の根を止めるのではなく、なぶり殺しにするのです。朝鮮の歴史を顧みれば、高い位にあった人物が失脚すれば、当人のみならず一族郎党までもがなぶり殺しにされることもあったようです。

ある意味、それが過去の朝鮮と現在の韓国における勝者の【お楽しみ】でもあったのです。即ち、彼らは「水に落ちた犬」が苦しみもがいているのを見て憐憫の情を抱くより自分の優位を喜び、更にその犬を打つことでその喜びを再確認するのでしょう。

なるほどこれでは、韓国人が素直に負けを認めるわけがありません。

しかし、長らく日本人と接触を続けているうちに、韓国人の中にも「日本人相手なら場合によっては素直に負けを認めた方が傷が浅いこともある」ということを学習する個体が出て来ます。

そういう個体は、日本人が相手の時なら非常に素直に負けを認めます。そうなると日本人の方でも、その個体との対話が苦になりませんから、他の韓国人よりもずっと親しくなります。やがて日本人は、その個体を他の韓国人と同様に扱ってはいけないと思うようになります。

「そういう日本人が多くて困ったもんだ」などと言うつもりは、今回はありません。私もそういう日本人のひとりですw

「話が通じる韓国人」に、私たち日本人は大変容易に「ホダされ」ます。この韓国人だけは、特別だと思います。歯向かってくる韓国人を蹴散らかすことには、何らの心理的痛痒を感じませんが、素直に負けを認め、慕ってくる韓国人を他の韓国人と全く同じに扱うのはかなりの精神的な強靭さを要求されるでしょうし、「負けを認める韓国人にきつく当たるのは、水に落ちた犬を打つ韓国人と同じことではないか」とも思ってしまいます。

ですから、私も実は親しい韓国人には結構優しく接しています。そういう韓国人を特別扱いしていると言われれば、全くその通りです。

ただ私自身に厳重に戒めていることがあります。それは、例えどんなに親しく、どんなに可愛がっている韓国人であっても、それは私とその韓国人の個人同士の関係だけの話であって、私が所属する日本と日本人全体、彼らが所属する「ウリ」との話になれば、そこは一歩も譲らないということです。

韓国は韓国人にとっても生き難い社会です。韓国人らしい韓国人にとっても生き難いのですから、多少なりとも日本人との付き合いで「おたがいさま」や「譲り合い」を体験しその心地良さを知ったり、彼らが「絶対悪」と定義する日本以上に悪く汚れた韓国を知らされた韓国人にとっては、韓国での生活は苦痛に満ちたものになるでしょう。

韓国人と親しくなればなるほど、その気持ちは良くわかります。そこでついその韓国人に、「日本に来れば良い」と言ってしまいそうになるのです。

自分が個人でその韓国人の面倒を一生涯完全に見るつもりがあるのであれば別ですが、そうでないならその提案は、自腹を切る気もないのに韓国に賠償しろと言うのと同じです。そうすることで、自分とその韓国人は個人的に満足出来るかもしれませんが、日本にとっても、また韓国にとっても、害になることはあっても益になることはありません。

こういうブログを書いていると、日本人である以上全ての韓国人と常に無条件に敵対すべきと主張しているように取られることがありますが、私はそこまで申し上げません。韓国人と親しいとか親しくなることが悪いこととは思いません。個人としての韓国人と親しくなることを、「ホダされる」とは思いません。

「ホダされる」というのは、自分という一個人が韓国人と親しいことと、「日本社会」「日本人」全体と、「韓国社会」「韓国人」全体の関係を混同させてしまうことです。「韓国人社会」「韓国人」全体とは即ち「ウリ」ですから、ひとりの韓国人と親しくなれば、その韓国人が「ウリ」であろうとする限り、どうしても「韓国人社会」「韓国人」全体とごっちゃになりがちです。

韓国人と付き合うならば、彼らの「個人」と「ウリ」の部分をきっちり分け(彼ら自身はその分別が出来ませんので、日本人側が「これは個人」「それはウリ」と見分ける必要があります。結構難しいですw)、個人として自分個人の責任の範囲内で対処出来るものなら請け合うが、それを超えたものについては断じて譲らないというのが、「ホダされないようにすること」ではないかなと、個人的には考えております。



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韓国には是が非でも虚勢を張り続けて欲しい

韓国人は、「ウリ」に所属することで初めて自己同一性を確立させる傾向が極めて強く、彼らにとって「ウリ」に所属しないものは、存在しないも同然です。即ち、「ウリ」から外されれば自身の存在が否定されてしまうことになるため、彼らは孤立を強く恐れます。

日韓チャットに居た頃、日本人に向かって韓国人が好んで口にしていたセリフのひとつが「日本は孤立する」というものでした。ウリの主張を認められず、世界の国々に背を向けられるというイメージは、韓国人にとって大変恐ろしいものであるらしく、自分たちがそうだから日本人も絶対そうに違いない、だから日本人に「日本は孤立する」と言えば、怯えてウリに擦り寄ってくるに違いないとでも思っていたのでしょう。

確かに日本人は、「皆が言ってる」とか「皆がやってる」という言葉に大変弱いところがあります。「バスに乗り遅れるぞ」と急き立てられると、そのバスが何処へ行くのかもきちんと確認せず、慌ててバスに飛びついて乗り込もうとするところが、日本人にはあります。

ですが同時に日本人は、自分たちの嗜好に強い自負とこだわりを持っており、時に「何処の誰が何と言おうと、好きなモノは好き、嫌いなモノは嫌い」で押し通してしまうところもあったりします。

ですから「日本は世界から孤立する」と韓国人に言われても、その理由が日本人的に納得行かないものであれば、意外に「それがどうした」と思う日本人は珍しくないようで、そのセリフが韓国人の期待通りの効果を発揮するところを見たことはありませんでした。

最近は専ら慰安婦問題に偏っていますが、かつて日本を攻撃するために韓国人が持ち出すネタは、「過去の歴史全般」でした。韓国人がイメージする過去の歴史の全てにおいて、日本は常に悪であり、日本人は物事の道理をわきまえない野蛮人でした。

よって日本人は現在存在していること自体が罪であり、その事実だけで日本人が韓国人に謝罪するのは当然と、そこまで論理立てて考えてはいないにしても、イメージとしてそう思っている韓国人は圧倒多数ではないかと思います。

ですが、そもそもかつての日本人は、韓国にも過去の歴史にもあまり関心がありませんでした。韓国人から過去の歴史云々と言われても、それは一体何のことやらというのが正直なところだったでしょう。韓国人があんまり謝罪しろ謝罪しろとキーキー言うものだから、何のことかよくわからないけど、彼らの言うとおり謝罪してやれば気が済むのだろうとか、和解出来るのだろうとか、せめてキーキー言うのを止めて大人しくなるだろうなどと考えて、深く考えずに謝罪した日本人もたくさんいました。

日本人が何気なく、あるいは韓国に対するリップサービスとして、もしくは日韓交渉における交換条件として、深く考えずに言ったことが、日本を攻撃するための材料になっているものは幾らでもありますが、その中でも抜きん出て(日本にとっては負の、韓国にとっては正の)効果を発揮しているのが、村山談話や河野談話でしょう。

韓国人が日本攻撃の最後のよりどころとして慰安婦問題に固執することになったのは、慰安婦問題だけは「日本政府が公式に認めた」というお墨付きがあるからというのが大きいと思います。どれほどそれらの談話を覆す史料を並べようとも、談話が生きている限り、彼らはそれにすがるでしょう。

実際、それ以外の日本攻撃材料は、この10年余りのネットの普及によってかなり消滅しました。

何も知らず呑気だった日本人は、当初は韓国人の攻撃に驚き狼狽えるばかりでしたが、やがて「何かおかしいぞ」と気づく人々が出て来ました。

日本人は、韓国人と比較すれば圧倒的に「事実」を重視します。それがたとえ日本にとって不都合な真実であっても、少なくとも韓国人よりは素直に認めることが出来ます。

もし韓国人が攻撃材料としていたあんなことやこんなこと(いくらでもあるので、各人で適当な日本攻撃材料を思い浮かべてくださいw)が本当に事実であったなら、日本人はそれを普通に素直に認め、謝罪していただろうことは、これまでの日韓交渉における日本の態度を振り返れば明らかですし、日本人の立場では事実と認められないと思うようなことであっても、韓国人の視点で見れば事実に見えるかもしれないということであっても、日本人は一定の理解を示したでしょう。と言うか、実際そういう部分(これも結構あるので、各人で適当に思い浮かべてくださいw)については、日本人は必ずしも否定していません。

韓国人の日本攻撃の材料は、あまりにも嘘・大袈裟・事実と異なるものが多過ぎたのです。嘘は嘘を呼び、誇張されたイメージは誤解を深め、誤認された事実は誤認されたまま韓国人に共有されました。

日本人が韓国にも歴史にも無関心のままで居続けていれば、今でも間違いなく韓国は日本に対する攻撃を止めず、日本国民の無関心を良いことに日本政府は韓国に妥協を続け、韓国は甘い汁を吸い続けていられたかもしれません。

しかし日本人が韓国にも歴史にも無関心であることに、韓国人はどうしても耐えられませんでした。何が何でも「ウリ」の考えを日本人に丸飲みに飲ませ、日本人が心底「ウリ」に屈服することを、彼らは痛烈に望んだのです。そのために、韓国人は世界を「ウリ」にしようとしました。韓国人の世界観を、世界にも共有させようとしたのです。

「韓国人の世界観」は韓国人にしか持てません。逆に言えば、「韓国人の世界観を持つ人」は、どこの国の人間であっても韓国人と言って良いぐらいです。韓国人の世界観は、韓国人が期待したほどには世界に共有されませんでした。

このところ、韓国言論の日本語版にも「韓国の外交的孤立」という言葉を頻繁に見るようになりました。ちょっと前までの韓国は「韓国は孤立などしてない!」「中国とアメリカは韓国を重視している!」「K-Popは世界を席巻している」と言い張っていたものですが、これまで韓国が主張してきたことに対する世界の反応に、疎外感を否定しても否定し切れなくなってきたのかもしれません。

韓国人は、強気でいる間はどんなに不利でも不都合な結果が見えていても虚勢を張り続けますが、一度ヘタれると強気であった時とは別人かと思うぐらい恥も外聞もなくしおれて露骨に哀れみを乞うようになります。それを良い気味だと嗤うのは簡単ですが、困るのはそれにホダされる日本人が必ず出てくることです。

韓国が「韓国の外交的孤立」などと言い出したのは、ヘタれ始める前触れか、あるいは実は既にヘタれ始めている証拠かもしれません。もし韓国がヘタれれば、せっかく日本に嫌韓が定着しつつあるのに、また元の木阿弥になるのではないかと不安になります。

そういう意味で、韓国には「韓国の外交的孤立」などという弱音を吐かず、「世界はウリナラから孤立しつつある」とか「ウリが真実であり、真実がウリである」ぐらいのことを、是非ともいつまでも言い張り続けて欲しいと思う今日この頃です。



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現在の日韓関係は戦後日本の負債のひとつ

いやはや、「韓国がコケたら日本が面倒見なければならない」という呪いの強力さには恐れ入りました。

前回記事で「別に日本が韓国からの難民を受け入れなくても、韓国と蜜月の中国が受け入れればいいじゃん」と述べたところ、
「韓国人難民を受け入れたくないのは中国だって一緒だと思います。
もし、朝鮮半島で有事が起きたら難民の99%は日本に客船や漁船で日本に向かうのではないでしょうか(私が韓国人だったら人権無視の中国なんかには絶対に行きたくありません)
それとも、韓国人難民は全部中国が引き取るという根拠があるのでしょうか。」というご返事を頂戴いたしました。

韓国難民を中国が全て引き取る根拠など、当然ありません。しかし同じ程度に、日本が韓国の難民を全て引き受けるべき根拠も皆無です。ならば日本には既に数十万単位の朝鮮難民が存在している現実があり、しかも日本は中国と比較すれば国土面積が圧倒的に小さいわけです。我が国を「小日本」と嘲る「大中華(別名大朝鮮w)」ならば、日本の十倍程度の難民ぐらい軽々引き受けられるキャパシティがあるでしょうw

それから、「人権無視の中国なんかには絶対に行きたくありません」と韓国人が考えるかどうかは、私にはわかりませんが、これまで何度も申し上げてきた通り、韓国人にとっての日本は「絶対悪」です。「絶対悪」の日本なんかには、韓国人は絶対に来たくないでしょうw 

更に
「仮に100万人の韓国人難民が来たら収容する場所もないし、コンビニや商店のみならず一般民家も略奪されてしまうと思います。
しかも、兵役経験の武装難民が訪れたら自衛官でしか対応できないだろうし、日本人のメンタリティでは武装難民を射殺する事ができるのか疑問です。」と仰られましたが、ここは笑うところなのかとしばらく悩みました。

まず、100万人の難民が一時期に押し寄せる、というのは現実問題として不可能ですw 一万人を一度に運べる輸送機関を用いても、最低100往復しなければなりません。一度に一万人の輸送が可能な交通機関というものがこの地球上に存在するのかどうかは浅学のため存じませんが、日韓間には恐らく存在しないと思います。

朝鮮半島からの密航には、しばしば漁船が用いられます。漁船なら定員が少なくても数があるから100万人の輸送も可能とお考えになるかもしれませんが、元々漁船は人を運ぶ用には出来ておりませんので、定員は意外に少ないものです。まあ、居住性や安全性を一切無視して、甲板や漁獲物を入れるスペースに詰め込めば、それなりの人数が積載可能かもしれませんが、それでも数を集められる程度の漁船であれば、100人も積めるかどうかは疑問です。それで100万人を輸送するとなると、スプーンで風呂に水を満たすぐらいの根気が要りそうです。

一時期に100万は無理でも、数百から数千人単位の武装した韓国難民が日本に上陸を企てることは、かなり現実的な懸念であり、当然それは日本にとって大きな脅威になります。しかし、自分たちの要求を通すために武力に訴えてでも日本に上陸しようとする集団は、最早難民ではありません。日本を攻撃する目的の武装勢力です。日本にとっては保護すべき難民ではなく、迎撃対象です。

「韓国がコケたら日本が面倒見なければならない」という呪いにかかっている方は、「韓国がコケた時に日本に逃げてくる韓国人は、武力を行使するつもりであろうが犯罪を働くつもりであろうが、例外なく手厚く保護すべき対象」と定義されておられるようですが、「コンビニや商店のみならず一般民家も略奪」すると予想されるような集団を保護すべき理由は、少なくとも日本には皆無です。

また、「混乱に乗じて北朝鮮からの工作員が韓国人の難民に偽装して日本各地でテロを起こすかもしれません。」と予想されるのであれば尚更に、日本が韓国からの難民を拒む正当な理由たり得ます。

「朝鮮半島で有事が勃発して大量の難民が日本に押し寄せて大混乱になるぐらいだったら、韓国が倒れないくらいに援助した方が良い」というのは、「ヤクザに嫌がらせをされるぐらいなら、ヤクザの言いなりにミカジメ料を払った方が良い」というのと全く同じです。その場限りの解決にはなるでしょうけれど、根本的な解決には全くなりません。どころか、そういう対応は、嫌がらせをする恐れのあるヤクザを存続させるだけではなく、つけあがらせ肥え太らせることになります。

事実、これまで日本が韓国に行なってきた対応は、まさにこのヤクザの嫌がらせを回避するためにミカジメ料を払うというのと同じものでした。結果として、韓国はつけあがり、肥え太りました。

現在の日韓関係は言わば、戦後世代が私たちの世代に残した負債のひとつです。現在の日本における嫌韓気運の高まりは、この負債を清算する千載一遇のチャンスです。このチャンスを活かすのか、それともみすみすチャンスを逸し、負債に利子を付けて私たちの次の世代に先送りするのかを、今、私たちは問われているのだと私は考えております。



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「韓国がコケたら日本が面倒見なければならない」と考えてしまう呪い

韓国が破綻したり、朝鮮半島有事が勃発すれば、日本に韓国人が大挙して押し寄せることを心配する人は少なくありません。

実際、現在日本にいる在日韓国人のほとんどが四三事件麗水・順天事件、朝鮮戦争などの動乱の際や、1997年に韓国が経済破綻し、IMFの管理下に置かれた時に日本に避難、出稼ぎ、あるいは密入国してきた当人か、そういう人を先祖に持つ者と言っても過言ではないでしょう。

弊ブログにもその旨のコメントが入りました。
曰く、
朝鮮戦争勃発や韓国経済が崩壊して、大量の難民が日本に押し寄せるくらいだったら、韓国が倒れないくらいに日本が援助した方がいいと思うのですが…
スワップ協定とか…
2015/04/20-21:01 | URL | バラン #H6hNXAII[ Edit]

仰るとおり、「朝鮮戦争勃発や韓国経済が崩壊して、大量の難民が日本に押し寄せる」というのは杞憂ではなく、極めて現実的な懸念です。

これを理由として「韓国が倒れないくらに日本が援助した方がいい」という意見は、戦後の日本では極めて大きな顔をしてまかり通ってきました。その結果、現在の日本には何十万もの在日が代々居座り続け、既に在日六世が誕生していると仄聞します。

この「韓国が倒れないくらいに日本が援助したほうがいい」という意見は、戦後の日本国民の暗黙の了解で、今まで誰もこれに疑問や反対を唱え(られ)なかったせいか、現在でもこの考えに疑問を持たない人は多いようです。

しかし考えてみれば、この先韓国が破綻したり混乱に陥った場合、日本が無条件で韓国を助けたり韓国からの難民を大量に受け入れるべきというのは奇妙な話です。

かつての、建国間もない頃(=数年前まで日本だった)韓国であれば、困ったときは日本が援助してやろうというのは、理屈をさておいて心情的に考えれば理解出来なくもありません。今は縁を切ったと言っても、ついこの間まで面倒を見ていた養い子が困窮しているのを見れば、かつての養い親としては、今はその義務はないとわかっていても、手を差し伸べてしまうでしょう。

ですが現在の韓国は建国から優に60年を経ております。現在の日本人は、韓国がかつて日本であったことなど歴史的な知識としては知っていても、実感として抱いている人はほぼいないでしょう。

韓国人にしても同じです、と言うか、日本人より韓国人の方がずっと明確に「かつて韓国は日本だった」という意識に反発と嫌悪を持っているでしょう。

即ち、現在の日本と韓国は、それぞれがあらゆる面で独立した国家であり、日本人のことは日本国政府が責任を持たねばならぬように、韓国人のことは韓国政府が責任を持たねばならないと考えるのが当然です。

にも関わらず、「韓国がコケたら、理屈抜きに日本が助けなければならない」と考える日本人が多いのは、いったいどういう呪いがかかっているのでしょうか。その呪いは、誰がかけたのでしょうか。

確かに、韓国政府は韓国民に対し無責任な傾向は強く、韓国民も韓国政府をさほど信頼しておりません。ですが、だからと言って韓国政府が持つべき韓国民に対する責任を、日本が持つ理由も謂れもないはずです。

難民を受け入れることは、国際社会における義務と言われます。日本は難民を受け入れないことで強い非難を浴びることがしばしばありますが、少し前に「今、日本にある難民問題」という記事にした通り、既に日本には朝鮮半島からの大量の難民とその子孫が何十万人も棲息しております。これ以上日本が朝鮮半島からの難民を受け入れることは、日本の国民の生活を圧迫し、日本の治安を悪化させることにもなりかねません。と言うか、既になってますし。

朝鮮戦争が再開されようと韓国が破綻しようと、韓国民に対する責任はまず韓国政府が負うべきであり、韓国政府にその能力があると認められる間は、日本に押し寄せようとする韓国からの自称難民など全て問答無用で韓国へ叩き返すべきです。もし国民に対する責任負担能力を韓国政府が喪失していると認められる場合は、韓国政府に代わって韓国を統治する機構がその責任も共に引き受けるでしょう。

仮に韓国政府が国民に対する責任負担能力を喪失したとしても、日本が再び韓国を統治するようなことはあり得ません。国際社会も、日本に韓国の統治を求めるということはおそらくないでしょう。ですから、たとえ韓国政府が国民に対する責任負担能力を喪失したとしても、日本が韓国政府に代わって韓国民に対する責任を負わなければならなくなることも、考えられません。

難民受け入れ国は、何も世界に日本しかないわけではありません。韓国には、中国というデカい国が日本に負けないぐらい近距離にあります。そう言えば昨今の中韓は蜜月だという話も聞きますので、韓国難民は全部中国が引き取れば良いんじゃないかと思います。

とにかく、日本は韓国からの難民を既に大量に受け入れております。これ以上の韓国からの難民受け入れは日本にとってあまりにも負担が多過ぎます。もし韓国が破綻したり朝鮮有事が勃発し、日本に韓国からの難民が大挙して押し寄せたとしても、日本はそう主張して韓国からの難民の受け入れを拒否することを、これからの国民的コンセンサスにしなければならないのではないでしょうか。

「韓国がコケたら日本が面倒見なきゃならない」という無意識の強迫観念を持っている日本人の方は、何故そう思うに至ったのか、それを一度徹底的に追求してご覧になっては如何かと存じます。



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韓国文化祭、絶賛開催中

現在韓国では、かなりの「祭り」状態です。

現在韓国で行なわれている「祭り」とは、日本の「夏祭り」というような類のものでは、もちろんありません。某巨大匿名掲示板等で行なわれるような、「騒動を面白がって集まった有象無象が更に騒動を大きくしている」というような状態です。

4月16日は、セウォル号事故の一周年でした。これに伴い、韓国では各地で追悼式が行なわれていたようです。朴槿惠大統領も全羅南道珍島彭木港で行なわれた式に赴きましたが、遺族に門を閉ざされ、追悼を拒まれました。

その後、朴槿惠大統領は南米4カ国を歴訪するために出国しますが、これもまたセウォル号遺族の癪に障った模様です。追悼することも許さないくせに、職務のために出国すると、セウォル号遺族を無視(韓国で言うところの「無視」は、日本語のニュアンスでは「軽視」「侮蔑」に近い)していると不満を言う辺り、まことに韓国人らしいねじれっぷりです。

それでなくとも現在の韓国は史上最悪最大とも言われる疑獄事件に発展しそうな李明博前大統領からつながる不正や横領、贈賄やら首相の辞職要求やら朴槿惠大統領の罷免の可能性やらの何だかんだが、それこそビビンバ状態になっており、予断を許さない情勢になっております。

それに加えて先に述べた通り、ソウルでは市民団体がセウォル号追悼の燭火デモから転じて、連日連夜政府を糾弾するデモを開催するという事態になっております。

燭火デモは、2008年の狂牛病騒動の時にも行なわれました。この時、韓国人はこのデモを「文化祭だ」と言い張っていました。

私たち日本人が「文化祭」と聞くと、中学・高校などで行なわれる学園祭のスポーツ競技部門(=体育祭)ではなく、模擬店や制作発表等を行なう方をイメージします。ですから韓国人から初めてそう聞いた時は、「このデモのどこが文化祭?」と不思議でしかたありませんでしたが、韓国人的には「文化的な祭り」という意味で「文化祭」と言っていたようです。

つまり、激しい抗議や主張を行なうデモではなく、火を灯したロウソクを手に、人々が自主的に集い、語り合い、歌い、踊るという平和で文化的な様子を以って権力者にアピールする祭りだから、「文化祭」なのだということでした。

しかし実際には、明らかに普通のデモですらない、ただの韓国式暴動と成り果てたのは、当時の弊ブログ記事でも再三ならずご案内した通りです。

今回のデモも、それに匹敵どころか、もしかするとそれを凌駕するかもしれません。

韓国では、こういうやり方こそが、自分たちの要求の本気度を示すやり方と思われています。即ち、感情に基づく突発的なテロやゲリラといった不規則行動によって示される要求こそが、彼ら的には最も真剣で痛烈なものなのです。

正規の手続きを踏み、他人に迷惑をかけないよう配慮し、時間を掛けて根気良く要求を示し続けるなどというやり方は、韓国人(というか朝鮮人)に言わせると全く本気でも真剣でもないということなのでしょう。本気で真剣であれば、そんな悠長で礼儀正しいやり方など出来るわけがない、と考えているのがよくわかります。

弊ブログのコメント欄でも、まさにそう主張している朝鮮人のような人がいますし、事実韓国(朝鮮)の歴史を振り返ると、彼らは規則に従った行動においては大変脆弱なのですが、不規則行動をさせると、極めて短期的にではありますが、結構な成果を挙げることがあるのです。たいていすぐにヘタレますが。

まことに日本人とはと言うか、「文化的」な国の国民とは、思考も行動も大きくかけ離れていると言わざるを得ません。

今回の韓国における「祭り」も、2008年の燭火デモと同様、陰で北朝鮮が煽動していることはまちがいないでしょう。もし今回の騒動によって、朴槿惠大統領が辞任あるいは罷免という事態になれば、親北派(≒北朝鮮工作員)が大統領権限を握ることも、十分に考えられるというか、確実にそれを狙っての今回の燭火デモと思われます。

ホントに、学習しない生き物です。

現在の韓国は、長引く日韓関係の事実上の凍結、隠そうとしても最早隠し切れなくなってきた国内経済の悪化、国内政治の混迷など、満身創痍状態になってきております。この状態が長引けば、当然国の体裁を整える体力を維持することすら危うくなるでしょう。最近影の薄い北朝鮮ですが、韓国が見るからに弱れば、そこを突いて出る可能性は極めて高いと思われます。

そうなった時に、日本はどう行動するべきかを、政府は当然考えているでしょうけれど、国民ひとりひとりも今から考えておくことが必要な時期ではないでしょうか。

間違っても、「日本の国益を度外視してでも、韓国を救え」などという寝言がまかり通るようなことだけはないようにと、心から願う次第です。



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日本を変える方法

このところ韓国関連のニュースが立て続けにふたつ、世間を賑わしております。ひとつはお馴染み、産経新聞の前ソウル支局長が8ヶ月に及ぶ韓国軟禁から解放され、日本に帰国したこと。もうひとつは、これもお馴染み、アシアナ航空機の広島空港における事故です。

どちらも既に盛んに報道されており、いずれも韓国らしさ満ち溢れる事象てんこ盛りで、ある程度韓国を知ってる人なら「なるほど」と「やっぱり」の連呼になりますが、韓国を知らない人なら「びっくり」の連発でしょう。

産経新聞前ソウル支局長が解放された件については、裏読みも何も一切無用で、そのまま日韓関係の改善と言うか、日本側の韓国に対する大幅な譲歩を促すためのものでしょう。つまり、「日本の要望を聞いてやったんだから、ウリの要望も聞けよ」ということです。

これは駐日韓国大使があからさまにそういう旨の発言をしておりますので、疑う余地がありません。

対日要求を通そうとする時、韓国は日本人を人質にする時があります。例えば、竹島問題が発生した時もそうでした。ご存知の方も多いと思われますが、確認も兼ねて改めて申し上げますと、1952年に韓国が一方的に設定した李承晩ラインに基き竹島を不法占拠する過程において、竹島近海で操業していた日本船を拿捕し、日本人漁師を数千人抑留した事件です。

この時、日本人抑留者の返還と交換条件になったのは、常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として収監されていた在日韓国・朝鮮人472人の放免と在留特別許可でした。

今回も、韓国は産経新聞前ソウル支局長の解放に当たり、日本の過分な(韓国の主観では相応の、ですがw)見返りを期待しているでしょう。

もっとも菅官房長官はこの件について、「当然の措置だ」といつものようにクールな考えを示しており、韓国の不当な要求に屈するようなことはなさげで、まことに頼もしい限りです。

もうひとつのニュース、アシアナ航空機の事故ですが、2013年にアメリカのサンフランシスコ空港で起きた事故と同様、韓国人パイロットの操縦ミスが原因と考えられます。

事故当時の機内では乗務員がパニックを起こしていたという証言もありますし、更に事故後の機長の消息が不明とのことで、誰もが昨年のこの時期に起きたセウォル号事故を連想したでしょう。

サンフランシスコ空港におけるアシアナ航空機着陸失敗事故の時に「韓国が絡んだ事故や事件は、韓国を知る優れた教材」という記事を書きましたが、今回の広島空港におけるアシアナ航空機着陸失敗事故も、その新たな一例になりました。

これらふたつのニュースに関連して思うのは、日本人は変わりつつあるなあということです。今でも、韓国に迎合して、とにかく日本が悪いと言っておけば良いと考えている反日マスコミや反日知識人は決して珍しくありませんが、そういうマスコミや知識人に違和感を持つ日本人が、かなり一般的になってきたという印象があります。

日本におけるここ数年の嫌韓気運によって、最近韓国に気づいた人々から見れば、これまでの日本政府の韓国に対する厚遇は納得のいかないものが多いでしょうし、現在の日本における在日特権の存在も不快で不可解でしょうし、これからの日本の対韓姿勢にも、強い不安を感じるでしょう。

とりあえず過ぎたことは仕方ないにしても、現在から未来にかけてのことは気になります。

例えば、どんなに現政権が韓国に厳しい態度を取っていても、朝鮮半島有事が勃発すれば、日本に韓国難民が大量に押し寄せてくるだろうし、日本政府はそれを拒めないのではないかとか、朝鮮半島有事が勃発する事態に至らなくても、今後韓国の体制に大きな変化が生じ(中国に呑み込まれるとか、北朝鮮主導で朝鮮半島が統一されるとか)、それに不満を持つ韓国人が大量に日本に移民してきたらどうしようという不安を持つ人は、今後増えてくるのではないかと思います。

その不安を解消するために、韓国をどうすれば良いのかと聞かれれば、私には「どうしようもない」としか答えようがありません。

何度でも繰り返し言いますが、韓国は変わりません。変わったように見えても、それは薄くて浅い上っ面だけです。彼らの性根を叩き直すならば、種としての進化を必要とします。品種改良の手法が使えるのであれば、韓国人からでも優良な品種を創出することが出来るかもしれませんが、現在の国際社会においてそれは絶対に認められないでしょう。

では、私たちは今後起こり得る韓国からの脅威に対して、何も出来ないのかと聞かれれば、答えはNOです。韓国が変えられないなら、日本を変えれば良いのです。

但し、これも昔から申し上げていることではありますが、唱えればたちまち望みが叶う魔法の呪文とか、振ればたちまち願いが現実になる魔法のスティックみたいなものはありません。それから「いつかどこかで誰かが何とかしてくれる」という意識でも、どうにもなりません。

私たちひとりひとりが問題に対する意識とその解決のための意思を持ち、それを実現するためにそれぞれが何をすれば良いのかを考え、焦らず、しかし弛まず、各人がやるべきことをやり続けることだけが、今後の日本を、韓国(だけじゃありませんが)の魔手から救い得ると私は考えています。

そんなこと言われても、とりあえず何をすれば良いのかわかんねえよと、いきなり「自分で考えること」を他人に放り投げる人も結構いるのが困りモノですが、そういう方でも簡単に出来ることを、ひとつ提示しておきます。

それは選挙に行くことです。

私は、選挙権を得てから一度も棄権したことがありません。そんな私でも「私の一票が何になる」と思う気持ちは、実は痛烈に理解出来ます。

実際、個人の一票に大きな影響力はないでしょう。しかし、それでも有権者としての義務と責任を自覚し、自分の意思を表明することは、決して無駄ではありません。

何故なら、現在の日本における最も大きな票田は「浮動票」だからです。特に支持政党を持たず、組織のシガラミもない票が、最も多いのです。

現在、その票の多くは無駄に棄てられています。もしそれらの票が動くならば、政治家はいい加減なことが出来なくなるでしょう。選挙権を棄てるということは、「政治家がどんなことをやっても、一切文句言わずに承認するよ」という意思表示なのです。

「そんなこと言われても、誰に投票すれば良いのかわからんし」と言う人はいるでしょうけれど、それを考えるためにも、選挙に行くのです。

もちろん、全ての意見を支持出来るという候補者はそう簡単に見つからないと思いますが、概ね賛成しても良いという意見を持つ立候補者であれば、必ず見つかります。

自分の意思に沿う候補者がどうしても見つからない時は、自分が立候補するという手もありますw それも日本国民が持つ権利ですから。自分が立候補するのだけは絶対に嫌だと言うなら、自分の意見に1mmでも近い主張を見出だせる立候補者に投じるしかありません。

いずれにしても、「私たちは意思も意識も、意見もあるのだ」ということを示すためにも、選挙は有効です。4月12日に、統一地方選の前半が終了しました。後半は19日からになります。これからの日本を変えるために、まずはそこから始めてみては如何でしょうか。



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韓国人は時系列を理解出来ない

以前、「人は生まれ方は変えられないが、生き方は変えられる」という記事を書きました。これは言葉を換えれば、「過去は変えられないが、未来は変えられる」と言うことも出来るでしょう。

過去に戻るとか過去を変えるということは、SF映画やマンガでしばしばテーマとなります。人は誰でも、もしあの時こうしていればと思うことがあるからでしょう。しかし、それがただの現実逃避でしかないことも、普通の人間であれば承知の上の愚痴です。

ところが韓国人は、この現実逃避に全身全霊を捧げます。しかも「一部の韓国人」などではありません。「ほぼ全ての韓国人」がそうです。韓国人に特有とされる「恨(ハン)」は、そういう「過去起きた取り返しの付かないことを今思い悩むこと」から生まれることが多いように見えます。

韓国人はこの「恨(ハン)」を「解く」と言います。韓国人にとって「恨(ハン)」は解かなければならないものとされています。それが過去にした悔しい思いを、将来跳ね返すことで取り戻すとか見返してやるということであれば前向きで良いのですが(実際「恨(ハン)」を良い意味で解釈しようとする人は、そう説明するようです)、韓国人の場合、何故か過去に戻って悔しい思いをしたことを跳ね返そうとする傾向が圧倒的に強いようです。

例えば、日本統治時代の朝鮮における抗日勢力についての理解などは典型的です。韓国人は、まるでその当時、朝鮮半島全てで抗日勢力が活躍していたかのように言いますが、事実は明らかに異なります。日本による朝鮮統治は極めて穏やかに且つ順調に行なわれ、ほとんど全ての朝鮮人は、それを喜んでとまではいかなくとも、納得して受け入れていたというのが、当時の現実だったでしょう。

いつの時代にもどこにでも、跳ねっ返りやひねくれ者はいるものですから、日本人の中には、朝鮮人を朝鮮人というだけで意味もなく見下したりおちょくったりする者はいたでしょうし、朝鮮人の中にも、日本統治の恩恵を十分に受けながら、日本が気に入らないと言って反発する者は当然にいたでしょう。それは今の時代でも全く同じです。

それでも概ね、日本による朝鮮統治は、かなり上手く行っていたというのが実際だったと私は確信しています。それが、日韓国交正常化交渉当時の日本の、韓国に対する大甘な対応に現れたのでしょう。

ところが現在の韓国では(もちろん、北朝鮮も同様でしょうが)、「日本統治時代の朝鮮人は、日本による統治を納得して受け入れていた」という事実が完全に否定されています。日本統治時代の朝鮮では、ほぼ全ての朝鮮人が民族的矜持に溢れ、日本に対し強い反発心を抱き、日本を打ち倒して独立する夢を絶対に忘れず、そのための努力を怠らなかったと信じられています。

それを事実とするために、彼らは様々な捏造を行なっています。ですが彼らがどんなに小細工を繰り返そうとも、過去は決して変わりません。「過去は変わらない」ということを理解出来ない韓国人は、いつまでも過去を変えようとして小細工を続けます。

ところで「現在」は「未来から見た過去」です。現在を蔑ろにすれば、必ず未来にその影響が及びます。故に現在から見た過去が不本意であっても、それはそれとして「未来」を望ましいものとするために、「未来から見た過去」、即ち「現在」を良いものにしようとするのが、普通の人間の思考ではないかと思います。

韓国人には、この思考がありません。そのため彼らは、「現在」からどうにかして過去を変えようとして、「未来から見た過去」である「現在」を蔑ろにします。その結果、「未来」は常に彼らにとって不本意なものになります。ある意味朝鮮の歴史とは、この「現在」から「過去」を覆そうとして「未来の過去」である「現在」を台無しにするパターンの繰り返しと言えるでしょう。

韓国では大統領が変わるたびに、「未来志向の日韓関係」というお題目を唱えますが、過去それが一度たりとも実行されなかっただけではなく、常に必ず、過去を盾に日本を屈服させようとしてきました。それを思い返すだけでも、彼らに時系列というものが理解出来ないのは明白です。

日韓国交正常化以後、日本はずっと韓国の口車に乗ってきました。韓国が未来志向と言うたびに、彼らもやっと前向きになってくれたかと期待しました。現在の日韓関係は、その集大成と言えます。即ち、韓国人が時系列を理解出来るようにならない限り、日韓関係は決して維持出来ないということが明白になったということです。

日本はこれまで、韓国が時系列を理解出来ないとは思ってもいなかったでしょう。今でも、公式にそう言う有識者は、極めて少数と思われます。しかし事実は、韓国人が時系列を理解出来ないということを明白に示しており、韓国が望むような形の日韓関係は、韓国人が新たに創り上げた過去を受け入れることでしか成立しないということを示唆しています。

韓国人のように、時系列を理解出来ない人であれば、韓国人が新たに創り上げた過去を受け入れることが出来るかもしれませんが、日本人の多くは、どんなに苦々しい過去でも、既に起きた過去をなかったことにして、新たな、しかし既に起きた過去とは全く異なる過去を認めることには、強い抵抗を感じるでしょう。

韓国が望むような形の日韓関係が成立し得ないのであれば、日本が望むような形の日韓関係であればどうかという疑問が浮かぶかもしれませんが、これは既に周知の通り、韓国が受け入れられないので不可能です。

結局のところ、日本と韓国は共依存という形でしか関係を成り立たせることが出来ず、共依存はどちらかが依存から脱却すれば維持出来ません。

これまでの日韓関係は、ある意味日韓共依存関係でした。しかし今、日本は韓国との共依存から脱却しつつあります。

日本人の中にも、韓国人のように過去と現在、現在と未来の因果関係を理解出来ない人はいますが、ほとんどの日本人は時系列を理解出来ます。過去を直視し、未来の為に今しなければならないことが何かを、日本人は考えることが出来ます。

しかし前回記事の、知人の職場ではありませんが、時系列を理解しない者の声が大きければ、それに引きずられる日本人も出てくるでしょう。そういう意味でも、日本にとっての韓国は、ただ無用なだけではなく有害な存在と言えます。

日本は、韓国が時系列という概念を理解しそれに従って行動出来るようになるまで、可能な限り互いに遠ざけるべきだと思う所以です。



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韓国を是正するには

先だって、知人に仕事の愚痴を聞かされました。

知人曰く、「職場の上司は、指示に矛盾があったり、自己弁護のためか、とんでもないことを言うことがしばしばある。しかし同僚の多くは上司に逆らえないので、それに従うことが多い。私はおかしいことはおかしいと思うのだが、そう言うと、職場の中では私の方がおかしいような気がしてくる」と。

それを聞いた私が「そういうことは多いよねえ、その状態が長く続くと、まともな人はどんどん辞めていって、おかしいと思っていてもその上司の言いなりになる人か、その上司と同じような、おかしい人しか残らなくなるかもね」と言ったところで、ふと思いました。

それは、まさに韓国ではないかと。

韓国もまた、おかしな主張や常識がまかり通り、それをおかしいと言うことが出来ない雰囲気に覆われています。韓国では、おかしいと思ったことを素直におかしいと言えば、狂人扱いされかねないというのも、想像ではなく事実です。と言えば必ず、「それは日本も同じです」と言いたくなる人がいるでしょう。もちろん、件の知人の職場のように、部分的にであれば日本にもそういうところはあります。

ですが日本全体で見れば、おかしな主張や常識に対して異議を唱えることは十分可能です。例えば、今でこそ韓国にとって都合の悪い事実を暴露することは当たり前になりましたが、ほんの10年前まではたとえそれが事実であろうと、韓国にとって都合の悪い事実を公表することは極めて困難でした。韓国にとって都合の悪い事実を公言すれば、たちまち人種差別主義者のレッテルを貼られたからです。それでも、発言を続けることは出来ました。その結果、現在の日本では韓国にとって都合が悪い事実でも堂々公言出来るようになったのです。

韓国はどうでしょうか。韓国では、日本は無条件で悪とされますが、それに堂々否やを唱えることは可能でしょうか。

日本人に対してであれば、韓国が日本を無条件で悪とすることに疑問を持ったり異議を唱える韓国人は意外に珍しくありません。ですが、彼らは決して韓国人に向かって、日本絶対悪を否定するようなことは言わないでしょう。韓国人に言っても、間違っているとされるのは確実に自分の方だからです。

日本においても、家庭や職場、コミュニティや一部の自治体ぐらいまでであれば、韓国のようにおかしな常識が支配し、それに対して異論を唱えることが出来ない集団も存在し得ます。しかし、国家規模でそうなることはありません。韓国の場合は、国ぐるみでそうなのです。

日本であれば、おかしいと思ったらその集団から逃げ出すことは可能です。しかし韓国では不可能です。そんな韓国に息苦しさを感じて国を捨てる韓国人は多いのですが、結局彼らの多くは、移り住んだ先で小さな韓国を作り、同じことを繰り返すからです。

件の知人の職場は、話を聞く限りでは現在の上司が諸悪の根源であって、その上司がいなくなり、新しいまともな上司が来れば改善は十分期待出来るでしょう。もし現在の上司がそのままずっとその職場に居座り、会社がその異常さに気付かなければ、その上司によってもたらされた歪みは徐々に蓄積され、いつか何らかの形で噴出することになり、結果的に淘汰されることになるでしょう。

しかし韓国は、言わば韓国人全員が諸悪の根源です。件の知人の職場は、上司をすげ替えればどうにかなる期待が持てますが、韓国は大統領をすげ替えれば改善の期待が持てるというような簡単な話ではありません。もし本気で韓国を是正しようと思うのであれば、韓国人以外の指導者が、韓国を指揮指導しなければ不可能でしょう。

かつての日本はそれに気付いて、韓国(当時は朝鮮)を統治しました。それは現在の韓国が主張するほどに悪いものではなかったというのが事実ですが、逆にそれが韓国人には温すぎたのかもしれません。彼らには、もっと過酷で苛烈な統治の方が適していたのでしょう。

ただ、そうなってくるとやはり日本はその任に向きません。過酷で苛烈な統治を行なうには、日本人は優し過ぎるのです。

ですから今度は、是非とも中国にお願いしたいと思います。韓国もそれを望んでいるようですし。

但し、中国は別名【大朝鮮】とも言われるように、悪い意味で韓国のグレードアップ版ということだけは、きっちり覚悟しておく必要があるでしょう。



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散り行く桜に思う

この界隈では桜も盛りを過ぎ、風が吹くと降りしきる花吹雪で、いつもの風景がまるで夢の中のような幻想的な景色になります。地面にはうっすら積もった雪のように無数の花びらが散り敷くのも、家に帰って着替えると自分の肩にもひとひらの花びらがくっついていたことに気付いたりなんかするのも、なんとも風情のあることです。

この時期の風物詩、韓国のソメイヨシノウリナラ起源説ですが、今年は例年よりトーンダウンしているような気が個人的にしておりました。そう思っていたら、中央日報に、「桜の原産地論争に意味がない理由」というコラムが載っておりました。

日本では昔から、花と言えば桜を指すほどに桜を愛でており、それを示す文学作品は数百年の昔から枚挙に暇がありません。翻って韓国では、過去に桜を愛でていたという痕跡が全くないといいます。

以前から申し上げていることではありますが、韓国人が花を愛でないということはありません。彼らも、花を見てきれいだと思う程度の感性は、とりあえず持ち合わせているようです。

ただ、そのきれいな花が何の花なのかということまでに彼らの関心が及ぶことは、ほとんどありません。

以前日韓チャットで韓国人に、「韓国人はどんな花が好きなのか」と問うたことがあります。質問する前は韓国の国花ムクゲの花を挙げる韓国人が圧倒多数と思っていたのですが、案に相違してほとんどの韓国人が「バラ」と答えました。それも「花と言えばバラだろ!」とか、「バラが好きで好きでたまらない」という感じではなく、「え?どんな花が好きかって?どんな花って言われても・・・バラとか?」みたいな、何とも歯切れの悪い回答でした。

その時に思ったのは、彼らに花の種類を識別する能力はないのだろうということでした。花を見れば彼らも心が浮き立つことはあります。しかしその花が何の花だろうが、それこそケンチャナヨなのです。

彼らが好きな花の筆頭に「バラ」を挙げたのも、バラが好きだからではなく、バラぐらいしか花の名前をとっさに思いつかなかったからでしょう。韓国の国花であるムクゲの花に至っては、韓国人に「花」として認識すらされていない感じでした。

そんな彼らが殊更に桜に、中でもソメイヨシノに固執するのは、日本人がことのほか桜を愛で、日本中いたるところにソメイヨシノが植えられているからでしょう。

桜の花の、咲く前から散るまでのストーリーは、他のどんな花とも比較が出来ません。花一輪の美しさで比較すれば、バラや牡丹の美しさ華やかさに軍配が上がるでしょう。けれど、まだ寒さの残る時期に、桜の梢に芽吹いた花芽にやがて訪れるであろう春の訪れを予感し、日毎に膨らむ蕾に開花の日を指折り数え、いよいよ咲けばその圧倒的なボリュームに息を呑み、心躍る満開の時期はわずか数日で、今少しと誰もが願う中、惜しげもなく一斉に散っていく桜に儚さを感じるという一連の物語は、バラや牡丹にはありません。

そんな桜を日本人は徹底的に愛で、ついにソメイヨシノという品種を作り上げ、日本中に植えました。桜が、中でもソメイヨシノが、日本を象徴する花になるのも当たり前です。

もともと韓国でも、桜は日本の象徴でした。韓国の桜は、日帝統治期に日本が植えたものであったため、光復後の韓国では日帝残滓として片っ端から伐られた時期があったと言います。

日本人だけが良いと言ってるだけのものであれば、韓国人もそれほど欲しなかったかもしれません。しかし日本人が愛してやまないだけでなく、世界でも評価されるようになると、俄然韓国人はそれを我が物にしたくなるようです。

そもそもソメイヨシノの韓国起源説は、日本人が言い出したものでした。当初それはトンデモ学説として相手にされていなかったようですが、それを利用する韓国人が出てきて、世界にプロパガンダを仕掛け、既成事実化しようとするのは、「いわゆる慰安婦問題」と全く同じ構造です。

韓国の主張を詳細に調べると、嘘と欺瞞だらけというのがバレてしまうというのまで同じで、しかも慰安婦と違って、ソメイヨシノはDNAを調べることによってその起源を科学的に確認し証明することが可能なのです。

科学的にソメイヨシノの起源が証明されれば、韓国の主張は完璧に崩れ去ります。と言うか、もうほぼ崩れ去っています。完全に韓国の嘘と欺瞞が暴露され、周知される前に、「ウリにも前からわかってたニダ」というためのエクスキューズが、前掲のコラムなのだと私は理解しました。

もっとも前掲のコラムでも、ソメイヨシノのウリナラ起源説を取り下げたわけではなく、「ソメイヨシノがウリナラ起源なのはもう自明のことなんだから、これ以上追及するのはやめようぜ」と言って、韓国がソメイヨシノのウリナラ起源説を主張していたことを有耶無耶にしようとしているだけなのですが。

まことに、失うものがない者は強いとでも言いましょうか。日本の物を韓国の物だと言い張れば、上手くいけば本当に韓国の物になるかもしれませんし、失敗しても韓国が失う物はありません。韓国が嘘つきだという評判は広がるかもしれませんが、実際その通りなので、やはり韓国が失う物はないと言って良いでしょう。

こうなってくるとやはり問題は、韓国自身ではなく、韓国と相対する側にありそうです。

最初から韓国が嘘つきで自己同一性障害持ちということを正しく認識していれば、韓国に同情したり、親しみを示したりして、迂闊なことは言わなくなるでしょう。

しかし日本人の多くは、韓国人を「同じ人間」とみなしています。日本人が考える「同じ人間」とは、実は「同じ日本人」だったりします。韓国人を「同じ人間」と言う日本人は、日本人的な発想、思考、常識、良識などを、韓国人も全く同じように持っていると、無意識に考えている者が圧倒多数でしょう。

その結果生じたのが、ソメイヨシノのウリナラ起源説であり、「いわゆる従軍慰安婦問題」であり、日韓の間に数多横たわる確執なのです。

桜の花を見るとソメイヨシノのウリナラ起源説を思い出し、韓国には同情したり親近感を持ったりしてはならないという教訓にしなければならないなどということを思うようになったのは、無心に咲く桜に少々申し訳ないような気がする今日この頃です。



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韓国人の「食」に対する意識

朝鮮日報と中央日報で、韓国人の料理に費やす時間は、世界的に見て低いことが報じられていました。それを見て思ったのが、韓国人の食に対する無関心さです。

日本人同士でチャットをする時、一番無難で一番簡単に盛り上がる話題と言えば、食べ物の話題です。一言で「食べ物」と言っても範囲は広く、極端な話をすれば食材を生産する農業的な話まで、「食べ物」の範疇に含め得ます。実際、そういう話になることも決して珍しくはありません。

また日本では世界中の料理が食べられると言われており、また国際ジョークでは「日本人を怒らせることが出来るのは食べ物に関することだけ」と言われるほどに、日本人は食べ物に関心が強くあります。

しかし日韓チャットで韓国人を交えて「食べ物」話をすると、必ず盛り下がったものです。過去記事にも何度か書きましたが、とにかく韓国人は「食べ物」にあまり関心がありません。

「食べること」であれば、韓国人もさほど嫌いでもないようです。彼らの挨拶には、「飯食ったか」「食事はされましたか」等の表現がありますし、今は亡きNaver日韓翻訳掲示板では「ご飯は食べて通うのか」という韓国語の慣用表現の日本語訳が知られていました。

日本で韓流捏風が盛んだった頃、「大長今」という韓国ドラマがあったやに聞きます。「大長今」とは、李朝期に宮廷料理人から李王の医女になったとされる「長今」という女性をモデルにしたドラマなのだそうですが、もっともそれは朝鮮王朝実録にある、たった一行の記述を膨らませに膨らませた、ほぼ100%フィクションのドラマです。主人公が当初宮廷料理人という設定であったため、このドラマには李朝期の宮廷料理とされるものが多く出され、それが人気を博したと聞きます。

他にも確か「食客」というドラマがあったと記憶します。本来「食客」とは、「客の待遇で抱えておく人」「他人の家に居着いて食わせてもらっている人。居候」を意味する言葉ですが、漢字に疎い韓国人が字面で勘違いしたのか、韓国ドラマでは料理人の話になっているようです。

これらの「料理」をメインにしたドラマがそれなりの人気を博したり、出演者の食べる姿をメインにした「モクバン(食べ放送)」と呼ばれるテレビ番組が近頃の韓国では盛んだったりと、韓国人も「食べる」話は結構好きなようです。

ところが「何をどうやって食べるか」とか「何がどのように美味しいか」という話になると、彼らは全く付いて来ません。ただひたすら「食べて美味しかった」「食べたら美味しそうだ」ということを言い合うだけが、韓国人の「食べ物話」の風景です。

「食べて美味しかった」という話をしている方は、実際に食べたのだからそれは確かに美味しかったのかもしれません。しかし聞かされている方は食べてないからわかりません。聞いている人にも、自分が堪能した美味をわかるように話す韓国人は、極めて稀です。たいていの韓国人は、「自分が食べて美味しかった」で満足して、それ以上のことを他人に伝える努力を全力で怠ります。

聞く方も、他人が食べたものがどう美味しかったのかということにあまり関心を示さないようです。彼らの関心は、ひとえに「食べる」ことだけにあるのです。

前掲の韓国言論記事にもある通り、そもそも彼らは「料理」という作業を厭います。韓国では料理人を主役にしたドラマが作られた影響もあってか、私が日韓チャットにいた頃は調理師を目指すと言っていた若い韓国人を散見しましたが、基本的に彼らの価値観において料理人とは、賤業のようです。

その上、彼らのケンチャナヨ精神は料理においても炸裂します。「料理」とは、【理を料(はか)る】と書くように、理に則った作り方を求められます。これは製菓において顕著です。お菓子を作る時は、材料や分量はもちろんのこと、それを混ぜる手順や下ごしらえ等もレシピに忠実に作らないと、レシピに記された完成品とはかけ離れたものが出来ることがあります。

家庭料理ならば、そこまでやかましいことを言わなくても良いかもしれません。ケンチャナヨで作って失敗しても、食べられないほど酷いものでなければ、家族で笑いの種にして食べることも出来るでしょう。

しかし韓国では、客から金を取って料理を提供するプロの料理人までもが、平気でケンチャナヨをやるようです。下拵えで、裏ごしするのが面倒だと言ってミキサーにかけてしまうというような話が、確か室谷克実氏の悪韓論に載っていたと思います。

これは日韓チャットの常連韓国人から聞いた話ですが、その韓国人の知り合いに、パン屋を経営している人がいました。そのパン屋さんが、どんなに頑張っても韓国の製パンは日本の製パンには敵わないと漏らしていたそうです。製パンも、製菓に負けず劣らず科学的です。何しろ発酵という、菌相手の作業工程があるのです。菌にケンチャナヨは通じません。

日本人の食に対する情熱には、「自分が美味しいものを食べたい」という気持ちと同じ程度に、「他人に美味しいものを食べてもらうことが喜び」というのがあるのでしょう。だからこそ日本では、世界中の料理が食べられるのでしょう。

思うに、韓国人にはそういう意識がありません。「自分が食べたい」という気持ちは、韓国人にも大いにあります。ですが「他人に美味しいものを食べてもらうことが喜び」という感覚は、はっきり言って皆無としか思えません。

その上他人から蔑まれ、当人も別に他人に美味しいものを食べてもらうことに喜びを感じているわけではないという料理人の作る料理が、美味しいわけがあるでしょうか。

韓国料理は、しばしば韓国旅行の目的の筆頭に挙げられますが、実際現地で食べてみて、「やっぱり韓国料理は美味しい!」と思った日本人は、どれほどいるでしょうか。

もちろん好みは人それぞれですから、韓国料理がこの世で一番旨いと感じる日本人もいるかもしれませんが、多くの日本人は「こんなもんか・・・」というくらいの感想でしょう。

日本以外の国で日本食レストランを経営するのは中国人や韓国人が多いと聞きますが、確かに海外の日本食レストランに行くと、素っ頓狂な「日本料理のようなもの」が出てます。あれもまた、韓国人の「ケンチャナヨ精神」と「八割を以って完璧と為す」の賜物なのでしょう。

そもそも外国で、自分の国の料理ではなく、モドキとは言え日本料理を出す店を持つ時点で、彼らの「食」に対する情熱の無さが浮き彫りにされていると言えます。

そんな韓国人の「食」に対する意識を思うと、ゲテモノ目当てであればともかく、たとえB級グルメであっても、「美味しいものを食べたい」と考えて旅行先を選ぶのであれば、韓国は真っ先に候補から外すことを心よりお勧めする次第です。

「食」に対する意識もアレですが、「食」に携わる者として最低限必要な衛生観念も、韓国人には全く期待出来ませんしね。



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月見櫓 韓国 日韓
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