韓国文化祭、絶賛開催中
現在韓国で行なわれている「祭り」とは、日本の「夏祭り」というような類のものでは、もちろんありません。某巨大匿名掲示板等で行なわれるような、「騒動を面白がって集まった有象無象が更に騒動を大きくしている」というような状態です。
4月16日は、セウォル号事故の一周年でした。これに伴い、韓国では各地で追悼式が行なわれていたようです。朴槿惠大統領も全羅南道珍島彭木港で行なわれた式に赴きましたが、遺族に門を閉ざされ、追悼を拒まれました。
その後、朴槿惠大統領は南米4カ国を歴訪するために出国しますが、これもまたセウォル号遺族の癪に障った模様です。追悼することも許さないくせに、職務のために出国すると、セウォル号遺族を無視(韓国で言うところの「無視」は、日本語のニュアンスでは「軽視」「侮蔑」に近い)していると不満を言う辺り、まことに韓国人らしいねじれっぷりです。
それでなくとも現在の韓国は史上最悪最大とも言われる疑獄事件に発展しそうな李明博前大統領からつながる不正や横領、贈賄やら首相の辞職要求やら朴槿惠大統領の罷免の可能性やらの何だかんだが、それこそビビンバ状態になっており、予断を許さない情勢になっております。
それに加えて先に述べた通り、ソウルでは市民団体がセウォル号追悼の燭火デモから転じて、連日連夜政府を糾弾するデモを開催するという事態になっております。
燭火デモは、2008年の狂牛病騒動の時にも行なわれました。この時、韓国人はこのデモを「文化祭だ」と言い張っていました。
私たち日本人が「文化祭」と聞くと、中学・高校などで行なわれる学園祭のスポーツ競技部門(=体育祭)ではなく、模擬店や制作発表等を行なう方をイメージします。ですから韓国人から初めてそう聞いた時は、「このデモのどこが文化祭?」と不思議でしかたありませんでしたが、韓国人的には「文化的な祭り」という意味で「文化祭」と言っていたようです。
つまり、激しい抗議や主張を行なうデモではなく、火を灯したロウソクを手に、人々が自主的に集い、語り合い、歌い、踊るという平和で文化的な様子を以って権力者にアピールする祭りだから、「文化祭」なのだということでした。
しかし実際には、明らかに普通のデモですらない、ただの韓国式暴動と成り果てたのは、当時の弊ブログ記事でも再三ならずご案内した通りです。
今回のデモも、それに匹敵どころか、もしかするとそれを凌駕するかもしれません。
韓国では、こういうやり方こそが、自分たちの要求の本気度を示すやり方と思われています。即ち、感情に基づく突発的なテロやゲリラといった不規則行動によって示される要求こそが、彼ら的には最も真剣で痛烈なものなのです。
正規の手続きを踏み、他人に迷惑をかけないよう配慮し、時間を掛けて根気良く要求を示し続けるなどというやり方は、韓国人(というか朝鮮人)に言わせると全く本気でも真剣でもないということなのでしょう。本気で真剣であれば、そんな悠長で礼儀正しいやり方など出来るわけがない、と考えているのがよくわかります。
弊ブログのコメント欄でも、まさにそう主張している朝鮮人のような人がいますし、事実韓国(朝鮮)の歴史を振り返ると、彼らは規則に従った行動においては大変脆弱なのですが、不規則行動をさせると、極めて短期的にではありますが、結構な成果を挙げることがあるのです。たいていすぐにヘタレますが。
まことに日本人とはと言うか、「文化的」な国の国民とは、思考も行動も大きくかけ離れていると言わざるを得ません。
今回の韓国における「祭り」も、2008年の燭火デモと同様、陰で北朝鮮が煽動していることはまちがいないでしょう。もし今回の騒動によって、朴槿惠大統領が辞任あるいは罷免という事態になれば、親北派(≒北朝鮮工作員)が大統領権限を握ることも、十分に考えられるというか、確実にそれを狙っての今回の燭火デモと思われます。
ホントに、学習しない生き物です。
現在の韓国は、長引く日韓関係の事実上の凍結、隠そうとしても最早隠し切れなくなってきた国内経済の悪化、国内政治の混迷など、満身創痍状態になってきております。この状態が長引けば、当然国の体裁を整える体力を維持することすら危うくなるでしょう。最近影の薄い北朝鮮ですが、韓国が見るからに弱れば、そこを突いて出る可能性は極めて高いと思われます。
そうなった時に、日本はどう行動するべきかを、政府は当然考えているでしょうけれど、国民ひとりひとりも今から考えておくことが必要な時期ではないでしょうか。
間違っても、「日本の国益を度外視してでも、韓国を救え」などという寝言がまかり通るようなことだけはないようにと、心から願う次第です。