ドラマと水車に見る韓国クオリティ
しかし「韓流ドラマ」という範囲の広そうな単語をキーワードにして検索を掛けると、ウェブ広告がうざいことになりそうなのが嫌なので、タイトルを指定して検索することにしました。と言っても、韓流ドラマのタイトルなんてそんなにたくさん知りません。
そこでとりあえず私でも知ってる「冬のソナタ」をキーワードにして検索すると、それが違法なものか合法なものかは存じませんが、簡単にお目当ての動画がヒットしました。
早速動画をスタートさせたのですが、主題歌の「最初から今まで」が流れた途端、過去の記憶がよみがえり、嫌な笑いが漏れてしまいました。
この「最初から今まで」は、雅夢の「愛はかげろう」とメロディラインが酷似しており、嫌韓の間ではパクリではないかと盛んに囁かれていたことと、歌詞の空耳を思い出したからです。
そんなこんなでドラマが始まる前から笑ってしまったわけですが、更に第一話冒頭、崔志宇演じるヒロインが田舎の住宅街を駆け抜けるシーンでは、住宅のボロボロっぷりと路面のすさまじいまでの波打ちっぷりに改めて感心し、バスの乗客の扱いの雑さも再確認、それからバスで眠ってしまって乗り過ごした崔志宇が、眠っている間肩を貸してくれていた初対面の裵勇俊に「どうして起こしてくれないのか」と食って掛かるのに呆れ、体罰当然の教師と学生に驚き、ついでにこの当時、彼らが高校生という設定に少々難を覚えましたw
その後も、崔志宇の妙に誇張されているのであろう高飛車さに違和感を覚え、韓国ではこういう女の子に好感を覚えるのかな、そう言えばあの頃、韓国では「猟奇的な彼女」という映画がヒットしてたな、ということまで思い出したりもしました。
まだ第一話の半分ぐらいしか見てませんが、やはり韓流ドラマでも韓国らしさを十分観察出来るということは確認出来たように思います。ストーリーには、正直あんまり興味を引かれませんが。
ところで韓国の歴史ドラマにおける水車についてのコメントがありましたが、実は韓国と言うか朝鮮では、水車を作ることが出来なかったようです。
朝鮮では木を曲げる技術がなかったので桶が作れなかった、車輪が作れなかったということをしばしば聞きます。桶はさておき、車輪を作るのに木を曲げる技術って要るかぁ?という疑問が日韓チャットの常連日本人からあげられたことがあります。
精度や耐久性を度外視すれば、木で車輪を作ることはさほど難しくありません。極端な話、丸太を輪切りにして円板を作り、中心に車軸を通せば、とりあえず車輪の出来上がりです。「車輪を作るのに木を曲げる技術って要るかぁ?」という話が出た時に、大八車の車輪の作り方を調べたのですが、やはり木を曲げる技術というのは要らなかったように記憶しています。
大八車や山車などの木の車輪を持つ車は、路面がアスファルトで舗装されるようになってからは車輪の保護のために鉄の輪をはめ込むことがあり、その輪金が曲げて作られるために、「車輪を木で作るには、木を曲げる技術が必要」というイメージが生まれたのかもしれません。
朝鮮に車輪がなかったのは、車輪を作る技術よりはむしろ、車輪を備えた車が通行可能な路面を整備する技術がなかったためではないかと考えられます。車輪がスムーズに回るためには、平滑な路面が必要です。ですが現代のようにアスファルトやコンクリートの無かった時代、道は基本的に土であり、雨が降れば泥濘みます。泥濘んだ道を車が通れば、当然に車輪の跡、即ち轍(わだち)が出来ます。
轍が出来れば、路面は当然に凸凹になります。中国では秦の始皇帝の時に車輪の幅を統一し、道路の轍が一定になるようにすることで車の通行が円滑になるようにしたと言われており、路面舗装の技術が未発達だった時代、車輪と道路敷設の関係は今以上に重要であったことが伺われます。
やや余談気味になりますが、朝鮮の貴人が載っていた輿が一輪車だったのは、二輪や四輪よりも一輪の方が悪路や未舗装路、狭隘な道でも比較的通行が容易だからでしょう。今の日本でも、土木工事現場や農作業現場などの路面が不安定な場所では、一輪の手押し車が愛用されていますからね。
水車についても同様で、水車そのものを作る技術はそれほど難度の高いものではなく、朝鮮人にも製作不可能ではなかっただろうと思われますが、水車を運用するのに必要な技術、即ち治水や灌漑、土木の技術が致命的に未熟だったのではないかと思われます。
私が子供の頃(もちろん昭和です( ・`ω・´))、家の近所には田んぼがたくさんあり、用水路では水遊びも可能でした。そこでは、ザリガニやカブトエビ、オタマジャクシなどを捕まえたり、笹舟を作って流したり、タンポポの茎で水車を作って回したりしました。つまり、ただくるくる回るのを見て喜ぶだけの水車であれば、子供の遊びでも十分作れるのです。
しかし水車の使用目的は、ただくるくる回して遊ぶためではありません。その回転力を動力や揚水に用いるためです。そのためには、水車の動力機としての性能と同時に、治水及び灌漑、土木技術が絶対に必要です。
タンポポの茎の水車にしても、水たまりでは回りませんし、自然河川に置けば回る前に流されてしまいます。程良い量の水が常時コンスタントに流れることを期待するには自然のままの河川では難しく、治水と灌漑を行なうには高度な土木技術が必要不可欠です。
韓国は今でも建築や土木がケンチャナヨ精神で行なわれています。それは冒頭にも書いた通り、路面が波打ってたり建造物の水平が出ていなかったりすることからも明らかです。現代でさえそうなのですから、朝鮮時代に水車を運用出来なかったのは当然でしょう。
でも朝鮮時代には無理でも、今の時代なら水道ぐらい韓国にもあるんだし、ドラマのセットの水車ぐらい作れるんじゃないのと思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、水車が生活に必要な時代ですらまともに作らなかった彼らが、風景として使うだけのセットのために真面目に水車を作ろうとすると思うのは、日本人的思考というものです。
ハリボテを作ってとりあえず回れば良いんでしょ的に人力で回す(そのためのモーターを用意するのもメンドクサイ)のが、韓国クオリティというものです。