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韓国人の「理」は日本人の「理」と同じではない

先月末、一時的に北朝鮮と韓国の軍事的緊張に高まっておりましたが、それが話し合いで一応の解決を見た結果、韓国で朴槿惠大統領の支持率が上がったことに関して、ご質問を頂戴しております。

ご質問を要約すると、「今回の件は韓国軍が設置した地雷を韓国兵が踏み、それを北朝鮮のせいにしたのが発端の軍事的緊張の高まりであり、軍事的緊張を(武力衝突を回避して)話し合いによって解決したとは言え、(日本人の)常識で考えれば、韓国大統領の支持率が下がる要因になることはあっても、上がる要因になることは考えられない。にも関わらず今回の件を受けて韓国では朴槿惠大統領の支持率が上がったのは、何か(韓国人的に)合理的な理由があるのか?」ということでしょう。

身も蓋もないことを申し上げますと、韓国で大統領の支持率が上下する時に、「合理的な理由」というものはほぼ存在しないと私は考えています。より正確には、「日本人に理解可能な合理的理由」というものが存在しない、と言う方が適切でしょうか。

「韓国人的に合理的な理由」というのは、存在し得ます。但し、「韓国人的に合理的な理由」という表現は矛盾を含んでおります。韓国人にとっての「理」は、必ずしも日本人にとっての「理」と同じではないからです。

この「理」について詳細な説明をするのは大変難しく、正直私自身どこまで正確に理解しているか全く自信がないので、ものすごく大雑把に(私自身の誤解や間違いを含んだままw)説明させていただくと、日本人の考える「理」とは、真理や道理、原理などというように、「ものごとのことわり」であって、それは人間の恣意で動かせるようなものではなく、厳然と存在するものです。会津には「ならぬことはならぬものです」という教えがありましたが、日本人の考える「理」とはそういうものなのです。

しかし韓国人の考える「理」は、韓国人が実際どう考えているのかは韓国人でない身には定かではありませんが、客観的に見る限り非常に不定形です。

例えば、過去記事でもご案内させていただいたことがありますが、「カネを借りた人が、貸してくれた人に、「お前にカネを借りたせいで、その返済に大変苦労した。お前は反省しろ」と言えば、韓国ではそういう人をどう評しますかと聞いたところ、韓国人たちは日本人とそれほど変わらない答えを返してきます。即ち「カネを借りた人は恥知らず(あるいは恩知らず)だ」と答えるのです。これは日本人の「理」でも理解可能です。

ところが、その「カネを借りた人」が韓国で、「貸してくれた人」がIMFだと種明かしした途端、彼らの答えは180度変わります。「それなら韓国の企画財政部長官が言ったことの方に「理」がある」となるのです。

あるいは「腹が減って死にそうな人がパン屋の店先からパンを盗むのは許すべきことか」と韓国人に聞くと、大抵の韓国人が「それは許すべきことだ」と言います。「ではあなたがそのパン屋の店長だったら?」と聞くと、何の引っかかりもなく「それは許せません!!」と言う韓国人は、決して珍しくないのです。

つまり彼らの「理」とは主体にとっての「理」、もっと有り体にいうと「ウリ」にとっての「理」であって、ウリの恣意で動かせない「理」などというものは、彼らの概念中には存在しないのです。

その彼らの「理」に照らして今回の件を考えてみれば、「韓国軍が仕掛けた地雷を韓国軍の兵士が踏んだ」というようなことは、彼らにとっては重要な事実ではありません。彼らは、自分(≒ウリ)の落ち度は最大限に軽く評価しますし、他人(=ナム)の落ち度はどんなに些細なものであっても徹底的に追及します。また、「自らの過ちを認める」ということは、韓国人にとっては敗北であり、韓国人にとっての敗北とは、生殺与奪の件を勝者に預け渡すことです。ですから、韓国人は自分の過ちを簡単に認めることはありません。

たとえ自分に過ちがあったとしても、相手にそれを上回る過ちがあれば、彼らは自分の過ちを相殺出来る(≒自分に過ちはなかった)と考えるので、彼らは自分に過ちがあると思えば尚更に、何が何でも相手の過ちを見つけ出し、それを咎め立てます。

それで首尾良く相手に譲歩させることが出来れば、やはり自分に非はなかったのだと彼らは心の底から自然に思い込むことが出来るのです。

更にその相手が、自分より格上であれば、その相手に譲歩させたということは、自分がその相手より上であることの証明だと、やはり極めてナチュラルに考えられるのです(これは「ウリナラよりも色んな面で上の日本を叱りつけることが出来るウリナラは、日本より上」という意識にも如実に表れています)。

私は今回、南北朝鮮の軍事的緊張が話し合いで解決したところまでは知っておりましたが、その後韓国で大統領の支持率が上がっていたということは、今回ご質問いただくまで知りませんでした。

しかし今回ご質問でそれを知っても、特に不思議にも思いませんでしたから、仮にご質問いただく前に知っていたとしても、これを特に取り上げることはなかったと思います。

何故なら、韓国で「日本人が理解可能な合理的理由」も無く大統領の支持率が上下することは、故盧武鉉大統領の頃からさほど珍しいことではなかったからです。そもそも、「反日カードを切れば大統領支持率が上がる」という最早韓国ウォッチャーでない日本人でも驚かないような韓国の事実も、日本人的な「理」で考えればおかしな話のはずなのです。

最後に、もし韓国人の思考をトレースしようと思うならば、あるいは韓国人の言動で理解不能と感じられることがあれば、自分の知っている人(その人の人種・国籍・性別は特に問いません。但し年齢だけは、幼児あるいは思春期辺りの子が、比較的韓国人に近い思考や言動を示すことがありますw)の中で、最も自分勝手で自己中心的で周囲に迷惑をかけて、それをちっとも憚らない人を思い浮かべ、その人だったらこういう状況になったらどういうことを言ったりやったりするかな、その時その人はどういう風に考えてそういうことを言ったりやったりするのかなと想像すると、割と近い想定が得られるのではないかと思います。



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コリアパッシングは日韓の発展的関係解消へのステップ

8月14日に発表された安倍談話には、「コリアパッシング」の意識が表れていると、朝鮮日報が報じておりました

この「コリアパッシング」という言葉、意味としては「韓国を素通りする」ですが、ニュアンスとしては「韓国を置き去りにする」とか、もっと露骨に言えば「韓国を無視する」という方が近いでしょうか。

かねてより、韓国のひとりよがりな主張に疲れ果てたアメリカでは「韓国疲労症」と呼ばれる雰囲気が広がっていると言われておりますが、「コリアパッシング」は、言わば「韓国疲労症」の合併症のようなものと言えるでしょう。

アメリカに対して、韓国がその主張を強硬に押し付け始めたのは比較的最近ではないかと思います。それと比べれば、日本に対する韓国の主張の押し付けは、最も短く見積もっても日韓国交正常化以後ですから、日本の忍耐強さがずば抜けているのか、アメリカの我慢が足りないのか、いずれにせよ韓国のゴリ押しにはどんな国も辟易するようです。

安倍政権樹立以前、日本政府は韓国を特別扱いしていました。韓国が要求する無理難題も、いつもぎりぎりのところまで譲歩して聞き入れていました。ですがそれを韓国が感謝したり配慮するということはほとんどありませんでした。

日本が韓国の無理難題を聞き入れるのは、韓国にとっては至極当たり前のことだという意識が韓国側にはあったのです。ですから、日本がどれほど譲歩しても、韓国が感謝することがないどころか、どうしても日本が譲れないところまで韓国が押し込んで来た時に、日本が韓国の要求をはねつけると、韓国は国を挙げて激高したものです。

ところが安倍政権樹立以後、日本政府は韓国を特別扱いしなくなりました。露骨に忌避するということもなかったので、安倍政権発足直後などは「やっぱり安倍総理も韓国に甘いのか」と一部の嫌韓が喧しかったのですが、1年2年と経つ内に、安倍政権の韓国に対する態度が一貫しているのが誰の目にも明白になってきます。

そこで韓国は、告げ口外交や国際的な反日プロパガンダを始めます。日本は、韓国が弱小国だから言うことを聞かないのであって、強大国から叱られれば、きっとすぐさまシュンとなって韓国の言うことを聞くようになるに違いないという確信が、韓国にはあったのでしょう。なにしろ「弱い相手には傲岸不遜だが、強い相手には卑屈」というのが、韓国人が普遍的に持つ日本人に対するイメージなのです。もっともそれは、韓国人自身の醜さを日本人に投影したものですがw

朴槿惠大統領の告げ口外交も、韓国政府が主導する国際的な反日プロパガンダも、ある意味彼ら自身の醜さを自ら宣伝して回っていたようなものというのは皮肉なものです。その結果、日本にとっては不快なことに、韓国人が期待するような効果も全くなかったわけではありませんが、韓国人が想像していなかった効果も表れました。それがアメリカの「韓国疲労症」であり、「コリアパッシング」なのかもしれません。

いずれにしろ、日本の「コリアパッシング」は、韓国が勘繰っているようにアメリカの威を借ったわけでも何でもなく、安倍政権が元々持っていた方針と私は考えています。

もちろん日本とも韓国とも同盟を結んでいるアメリカが、日本の対韓方針に一定の影響を及ぼしている可能性は極めて高いので、安倍談話の内容にアメリカの思惑や、アメリカに対する日本の配慮が働いた可能性は否定しません。それを含んだ上での、今回の安倍談話だったと考える方が自然でしょう。

しかしそれは、単に日米の対韓方針が一致しただけの話です。更に言えば、世宗研究所の「米国や中国だけ相手にしていれば、韓国は自然と付いてくるだろうという日本の誤った認識や高慢さ」という分析も、当を得ているとは全く思えません。

韓国の考えでは、「日韓は運命共同体」であり、どんなに憎くても共に手を携えて行かねばならないとされておりますが、それは韓国だけの考えであって、日本は韓国と運命を共にしたいとも、するべきだとも、しなければならないとも思っていませんし、日本にとってその必要がないということは、安倍政権発足以後の日韓関係の凍結によって、明白になりました。

つまり、日韓関係とは韓国だけが一方的に日本を必要としている関係ということが、少なくとも日本人にははっきりと示されてしまったわけです。

もし安倍談話に「コリアパッシング」の意識が表れているとすれば、それは「米国や中国だけ相手にしていれば、韓国は自然と付いてくるだろうという日本の誤った認識や高慢さ」などではなく、「韓国は別に付いてこなくても良い」という意志を表明しているのです(「むしろ付いて来んな」とまで言わない辺りは、日本の優しさでしょうw)。今までのように、日本が手取り足取りその上ご機嫌まで取って韓国をエスコートするということは、今後(少なくとも安倍政権の間は)やらないよ、という意思表示をしているのです。

世宗研究所は「北東アジアや世界の安定に貢献するパートナーシップを韓国と共に形成するよう(日本を)導いていくべきだ」と言いますが、日本と「北東アジアや世界の安定に貢献するパートナーシップ」を結ぶ相手が、韓国でなければならない理由など日本には微塵もありません。しかしかつての日本であればこういった、それこそ「韓国の誤った認識や高慢さ」に迎合していたでしょう。

それをしなくなっただけでもかなりの進歩だと思いますが、今後は更に「日本にとって韓国は必要ではない」という意思表示を継続的に行ない、韓国に対し徹底した「普通の国扱い」、即ち「特別扱いをしないこと」を貫き、来たるべき日韓の発展的関係解消の実現に向けて邁進したいものだと強く願う次第です。



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南北統一のシナリオが変わってきた

先日来高まっていた南北朝鮮の緊張ですが、どうやら話し合いで収まった模様です。北朝鮮が仕掛ける対南工作というのは、以前もそうではありましたが、三代目になってからは更にコケオドシ度が増した気がします。

金正日の時代であれば、北朝鮮から朝鮮戦争再開もあり得ると思っていました。それだけの気迫と狂気が、金正日にはあったように思います。少なくともそう思わせるだけの背景が、金正日にはありました。

会社などでも、三代目で潰れると言われることがよくあります。創業者は、とにかくなりふり構わず自らも泥をかぶり、汗も涙も流しながら会社を立ち上げます。二代目は創業者の苦労を目の当たりに見ているために、創業者が創り上げた会社を無事に維持し、更に発展させることに腐心します。

ところが三代目が継承する頃には会社はすっかり安定して、三代目当人は生まれながらに恵まれた生活に浸りきってそれをありがたいとも思わず、初代・二代目の苦労を実感として理解出来ず、創業者や二代目と労苦を共にし、会社を支えてきた従業員を下僕のように扱い、結果会社の維持が疎かになるためだそうです。

北朝鮮も当代で潰れるかどうかはわかりませんが(そもそも私は北朝鮮の体制が三代目まで維持され、継承されるとは思っていませんでした)、苦労知らずのボンボン三代目が、本物の戦争に踏み切るだけの気合と根性を持っているかどうかには、かなり強い疑問があります。

韓国との戦争を再開して、仮に勝てたとしても、朝鮮半島全土を掌握統治するほどの器量が北朝鮮三代目にあるとも思えませんし、そうしたところで三代目とその周辺の生活が保証されるかどうかは未知数です。しかし現状を維持し続ければ、三代目とその周辺だけは今までどおりの何不自由ない生活が保証されるわけです。

北朝鮮の現状が維持されれば、北朝鮮人民は引き続き塗炭の苦しみを味わうことになりますが、それでも北朝鮮人民が三代目を支持する限り、三代目個人としては韓国と戦争することで得られるメリットはあまり考えられません。戦争に負ければ悲惨な破滅が待っていますし、勝ったとしても体制を覆そうとする勢力を5千万も抱え込むことになるわけです。統一直後は今の北朝鮮より経済的に良くなるかもしれませんが、問題はそれを維持出来るかどうかでしょう。

韓国としても、時々思い出したように南北統一を口走りますが、本音は現状維持を望んでいます。現状でも、韓国国民の生活は必ずしも豊かではありません。そこへ飢えた北朝鮮人民2千4百万人を抱えることになれば、韓国経済は破綻という言葉が生温いほどのダメージを蒙るでしょう。

よく韓国人は、「統一すれば韓国は安い労働力(北朝鮮人民のこと)が手に入る」などと言います。それは「韓国人は頭脳労働などの楽で高収入の仕事をして、キツイ・キタナイ・キケン(韓国では3D(Dirty、Dangerous、Difficult)と言うそうです)な労働は北朝鮮人民にやらせる」という意味なのですが、北朝鮮人民も韓国人も同じ朝鮮人です。韓国人がやりたがらない仕事を、北朝鮮人民が喜んでやるはずがありません。

今でも、韓国では就職出来ない(出来ても、待遇面で不満な職には就かない)若者が溢れかえっているというのに、そこに北朝鮮人民が雪崩込めば、凄まじい雇用の奪い合いが起きるのは火を見るより明らかです。

ほかにも南北朝鮮が統一した場合の問題は山のようにあります。そのための対策を、現在の韓国は一切準備しておりません。結局、口先では「南北統一は民族の悲願」と言いますが、彼らの本音は現状維持なのです。

そんな韓国に朝鮮半島の統一など出来るはずがないというのが、昔からの私の考えでした。ですから、もし朝鮮半島が統一されるとすれば、北主導で行なわれるだろうと思っていました。

しかし北朝鮮の体制が三代目に継承されてからというもの、北主導の朝鮮半島統一というのも、かなり考えづらくなってきました。金正日が韓国を火の海にすると言えば、本当にやりかねないという気がしましたが、金正恩がどんなに大言壮語を吹き散らかしても、気迫が全く伝わってこないのです。ある意味、正恩は正日ほど狂ってはいないということなのかも知れません。

以前、私は「北朝鮮主導による南北統一後、南北揃って中国に併呑されるのが最も現実的且つ理想的」と考えておりましたが、こうなってくると、その考えも改めなければならないという気がしてきました。

ですが韓国主導の統一が考えづらいのは今も変わりません。更に北朝鮮主導の統一が考えづらくなってきたとなれば、統一以前に南北まとめて中国が吸収してしまうのが一番現実的かとも思うのですが、その口実と言うか大義が思い浮かびません。

ただ南北朝鮮を統一するには、とんでもなく大きな力を持つ人物なり国なりが、周辺の非難や批判、多少の被害を物ともせず、朝鮮人を力で屈服させて独断専行的に無理やり強引にやるのでなければ成就しないだろうなという気はします。

そういう存在でなければ、朝鮮人をまとめたり従えることなんか出来ませんから。



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日本人の愛国心が歪んでいる?

何か北朝鮮がまた戦争やるやる詐欺をしているようですが、いいからとっととチャーハン出しやがれとだけ、言っておきます。

さて前回記事では、「韓国人の愛国心」は、実は「自己愛」であると申し上げたわけですが、その際に「日本人の愛国心も大抵歪んでいる」と述べたところ、「どの辺がそうなんでしょうか」というご質問を戴いたので、良い機会ですから私見を述べておこうと思います。

2011年9月に書いた、私が勝手に「愛国心三連記事」と呼んでいる記事があります。

最初の記事は、「愛国と嫌韓は切り離すべきか」というものでした。この記事を書いた時点では、私は「日本人の愛国心」についてあまり深く考えていませんでした。

それはひとつには、日本は日本人にとってかけがえのない国で、子供が母親を慕うように、日本人であれば日本を愛さずにはいられないのが当然という意識が私にあったからです。

日本で日本人として生まれ育ちながら、日本という国をよく知らず、教えられるがままに日本を否定的に考えていた時代も確かに私にはありました。しかしきちんと自分で日本を見つめ直せば、日本人なら誰でも私と同じような想いを、普通に自然に日本という国に対して持つだろうと思っていたのです。

ですから当該記事は、「日本人なら日本に対する愛国心を持っているのが当然」という前提で書きました。

ところが、その記事には驚くほど「日本人が日本に愛国心を持つこと」に否定的なコメントが寄せられたのです。もちろん「全ての人がそうではありません」が、反日サヨク系のブログならともかく、弊ブログは明らかに日本に好意的であり、だからこそ嫌韓を公言して憚らないブログです。

その弊ブログの読者に「日本人が日本に愛国心を持つこと」を否定的に考える方がそれなりの数いたということに、大変驚かされました。弊ブログの読者でこれなら、リベラルを装った反日サヨク系や地球市民系のブログであれば「日本人の愛国心」に否定的な印象を持っている日本人の比率は跳ね上がるでしょう。

次の記事は、そのものズバリの「愛国について」です。これは「愛国と嫌韓は切り離すべきか」に対する反応に半ば愕然として書いた記事でした。

弊ブログでは、「日本に対する愛国心」を明言することは、あまりありませんでした。しかし折に触れ、日本という国に対する愛おしさを散りばめていたつもりでした。この愛おしい国を損なおうとする韓国に対する憤りを述べていたつもりでした。弊ブログをお読みでありながら、それが十分に通じていない人がそれなりにおられたということに、結構落胆したものです。

最後が「今回の愛国議論まとめ」です。これら三連の記事で、私は「日本人の愛国心」というものがどういうものかを、自分自身でも再確認することになりました。

それは日本という国に対し、まことに複雑な感情を持っている日本人が多いということです。

自分の身近な風景や人々を愛する人は、日本人にも特に珍しくありません。子供の頃遊んだ野原や小川、あるいはかくれんぼや鬼ごっこ、ゴム跳びをして遊んだ路地裏、三角ベースをした狭い空き地や公園などは、私ぐらいの年代であれば誰もが宝物のように持っている思い出ではないでしょうか。

そういう思い出に対する愛情が、私の場合はそのまま日本という国への愛情になっているのですが、「日本人の愛国心」に否定的な日本人は、それらの思い出と日本という国に対する思いとは、断絶されるべきと考えているのです。「日本」という国と、自分を包んでいた風景とを、別物として考えているのです。

それはおそらく、教育の賜物なのでしょう。「日本という国は悪い国だ」「酷い国だ」と、物心付いた頃から徹底的に叩き込まれ、「日本という国は否定しなければならない国なのだ」という潜在意識を刷り込まれた結果ではないでしょうか。自分の故郷は誰でも愛おしいものです。日本という国は否定しなければならないのであれば、自分の故郷と日本を別物と考えるしかありません。

最近、日本を外国人に褒めさせるテレビ番組が増えているそうです。私はテレビをあんまり見ないので、その手の番組は「所さんのニッポンの出番」ぐらいしか知りませんが、臆面もないニッポン称賛は確かに、少々面映ゆく感じます。

しかしそれが嘘やでっち上げでないならば、日本人が日本の美点や長所を知ることや、外国人に日本の美点や長所を知ってもらうことは、悪いことではないはずです。

もちろん、「謙譲の美徳」というのはあります。ですがそれも過ぎると、ただの卑屈でしかありません。事実、日本人は長らく卑屈であったと思います。

昨今目立つニッポン称賛は、卑屈になった日本人に誇りを持たせることが出来るかも知れません。少なくとも、日本は今まで教え込まれていたほど酷くも悪くもないということは、知ることが出来るでしょう。

そうなると困る人々がいます。反日の人々です。韓国人はもちろんですが、日本人にも少なくありません。そう言えば、昨年の朝鮮日報に「日本社会に広まる「自画自賛症候群」、背景に韓中の成長」という記事がありましたが、それも発信源は日本の東京新聞でした。

このように、日本人の反日は韓国人の反日と極めて容易に共鳴します。

昨今の嫌韓気運の高まりに従って、韓国人の反日に共鳴しない日本人も確かに増えてきました。それでも尚、「日本人は日本に愛国心を持ってはいけない」(≒日本人は日本に誇りを持ってはいけない)と無意識に思っている日本人は少なくありません。

日本人は、日本が好きでも「日本を好きだと言ったり思ったりしてはいけない」「日本人が愛国心を持てば、軍国主義になってしまう」という強迫観念によって強く歪められているというのが、私が「日本人の愛国心も大抵歪んでいる」と言った所以なのです。



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韓国人の「愛国心」の正体

韓国人の長所を問うと、「情が厚い」に次いで「愛国心が旺盛」と言われることがよくあります。

「韓国人は情が厚い」とやらにも思うところはありますが、今回は「愛国心」に焦点を当ててみたいと思います。

韓国人の愛国心が旺盛という意見は、例えばスポーツの日韓戦などのテレビ中継などでよく言われます。なるほど、観客席に居並ぶ韓国人がことごとく太極旗を打ち振り、声を合わせて「テーハミングッ(ドドンガドン)」をやっているところを見ると(これ、2018年の冬季五輪が平昌に決定したその瞬間、開催地選定会場内で韓国の五輪招致委員がやり始めてビックリしましたw)、「韓国人は愛国心が旺盛なんだなあ」と思うのも無理はありません。

その反面、彼らは実にあっさりと国を捨てたり、日本人になりすましたりします。弊ブログに頂戴したコメントでも、「8月15日に大々的に光復節をやったのはいいけれど、配った大量の(韓国の)国旗がゴミ箱行」なのはどういうことなのかというお尋ねがありました。

日韓チャットをやってしみじみ痛感したのは、彼らが示す「愛国心」のようなものは、日本人が考える「愛国心」とは似て非なるものということです。

日本人の「愛国心」観にもかなり歪なところがありますが、それでも「歪なところ」は「日本人の日本に対する愛国心」に限定されており、「他国人が自身の祖国に対して抱く愛国心」については、かなり普通で真っ当な理解を持っているのではないかと思います。

しかしその理解を「韓国人の愛国心」に当てはめると、かなり強い違和感を覚えることになります。

韓国人は一見、愛国心が極めて強いように見えます。韓国人の多くが持つ「ウリナラマンセー(我が国最高)」という意識は、「最高のものは我が国のもの」という意識に容易に転換され、それは「良いものは全てウリナラ起源」という「韓国起源説」に結びついています。前述したとおり、スポーツの国際試合における韓国人の応援の凄まじさも目を引きます。

韓国人の愛国心はしばしば反日意識と密接に結びついており、反日意識を露わにしたり、実際に行動で示すことが、韓国に対する愛情の証明とみなされることもあります。

あるいは、朝鮮でのみ用いられるハングルを世界最高の文字と言い、自分で言うだけでは物足りなくて、どうにかして他国人にも言わせようとするのも、韓国人が愛国心を誇示する際によく見られる行動様式です。

ですが、時に韓国人は韓国に対し極めて冷淡です。

前述したとおり、彼らは非常にあっさりと国や国籍を捨てます。愛国心を示すために貶めた日本の文物を猛烈に欲し、韓国人同士なのに日本語で語らい、日本に旅行したり、甚だしくは居住したがります。

韓国人のキリスト教徒が古くなった聖書をあっさりとゴミに出すように、韓国人にとって韓国を象徴するはずの太極旗も、用がなくなればただのゴミにしか見えないようです。

彼らの愛国心とは、いったいどういうものなのでしょうか。

いきなり結論から言わせていただきますが、私はかなり以前から、韓国人にあるのは「愛国心のようなもの」であって、日本人が理解しているような愛国心など無いと思っております。

もし彼らに、日本人が理解するような「愛国心」があれば、韓国はもう少しまともな国だったでしょう。それは2008年に焼失した崇礼門(南大門)に関する一連のエピソードが示唆しています。もし本当に韓国人が愛国心旺盛な人々であれば、どんなに韓国社会に恨みを持つ韓国人であっても、韓国の国宝第一号に指定されている崇礼門に放火しようなどとは、まず考え付きさえしないでしょう。

その崇礼門の再建についても、多くの手抜き工事や再建費の横領・着服が報告されております。本当に韓国人に韓国に対する愛国心があるならば、「韓国人の威信に懸けて、骨身を惜しまず金に糸目を付けず良いものを作ってやる」と考えるのが当然ではないでしょうか。しかし彼らは、当然のように工事の手を抜き、費用を惜しみ、あるいは横領したり着服したりしたのです。

同様の例は、韓国軍においても非常にしばしば報告があります。韓国軍においては、設備や機材の手抜き整備、軍予算の横領や着服が日常的に行なわれていることは、韓国ウォッチャーであれば一度ならず聞いたことがあるはずです。準戦時国である韓国において、国を守る軍の存在というのは、日本以上に重要で切実なはずです。にも関わらず、韓国人自身が有事のための備えを蔑ろにしているのです。

そもそも本当に日本人が理解しているような愛国心が韓国人にあるのであれば、「昼は反日、夜は親日」「上半身は反日、下半身は親日」などという分裂した心情や行動を示すはずがありません。

では彼らが見せる「愛国心のようなもの」の正体は何なのでしょうか。

それは「自己愛」だと私は考えています。

彼らが大切なのは、いつもどこでもどこまで行っても「自分自身」だけなのです。これまで何度も申し上げているとおり、韓国人にとって「自分自身」とは「ウリ」です。韓国人の「ウリ思想」に基づけば「自分自身」と「韓国」は「ウリ」です。

韓国人にとって「自分自身」は常に自分を理解し、便宜を図るのが当然の存在です。従って「自分自身」に都合が良ければ、「韓国」を蔑ろにするのも、「ウリ思想」においては何の矛盾もありません。「韓国」が「ウリ」であれば、そうせざるを得ない「自分自身」の心情を十分理解しているはずだからです。

日本人の日本に対する「愛国心」も大抵歪んでいることが多いのですが、それでも日本人が理解する「愛国心」とは、「国を愛する心」であって、「国から愛される心」ではないはずです。しかし韓国人の「愛国心」とは、「自分自身が国から愛されるべきと思っている心」と言っても過言ではありません。

韓国人の思考や性格を知ると、「自己愛性人格障害みたいだ」とはよく言われることですが、それもあながち勘違いではないと、私は考えております。



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「戦争はいけない」だけではいけない

14日に発表された安倍談話ですが、割と無難にまとめたまとめたなという印象でした。もちろん、韓国はぶーぶー言ってるようですが、相手にする必要はないでしょう。

もっと突っ込んだ内容を期待していた人は多かったと思いますが、私は逆に無難にまとめたのが良かったと思っています。要は過去の談話を上書きすることが、安倍談話の役割だったと思いますので。

さてご質問ではないのですが、コメントでこの時期の反戦アピールについてのご意見を頂戴しました。

私も自宅ポストに無断で投函されている「私たちは戦争法案に反対します」というチラシを見たり、毎日のように通る道に貼ってある共産党の「海外で戦争する国にさせない」というポスターを見て、似たようなことを考えていました。

私たちは、物心ついた時から「戦争反対」を叩き込まれてきました。戦争の悲惨さ、残酷さを、これでもかと教え込まれてきました。しかしそれ以上のことを考えるということは、一切教えられませんでした。

「戦争は何故いけないのか」と問われれば、おそらく日本人の圧倒的多数が「悲惨で残酷だから」と答えるでしょう。では戦争をしなければ、国民は必ず平和で豊かで安楽な生活が保証されるのでしょうか。

まさに先の大戦の時、日本はこれを問われました。あの時日本は、無謀にも勝てる見込みのない戦争に飛び込んでいったと言われます。しかしそうしなければ、日本は国を奪われていたでしょう。あの頃は、それが当然の時代だったのです。

勝てる見込みがないとは言っても、勝敗は時の運ということもあります。万にひとつでも勝つ(あるいは優勢になったところで戦争を終わらせる)ことが出来れば、日本は国を保つことが出来ますが、戦わなければ、即ち対立相手の主張を無条件で飲めば、日本は確実に国を失い、日本国民の多くは奴隷化されていたでしょう。少なくとも、その危機感が日本の指導者層にはあったはずです。

戦わずして国民を奴隷の境遇に落とすか、万にひとつの可能性でも、戦うことで国を保つかの選択肢を迫られた日本政府は、戦う選択をしたのです。結果としては、皆様ご承知の通りです。

そこから得られる教訓が、単に「戦争はいけない」だけではあまりにも日本人として、無知に過ぎるのではないでしょうか。などと偉そうに言っておりますが、もちろん私もごく近年まで、先の大戦が起きた経緯もろくに知らないまま、「戦争はいけない」だけで思考停止している口でした。

それに加えて、「日本に戦争を仕掛ける国などない」という風説にもたぶらかされておりました。世界で日本だけが戦争大好きで、戦争をするために戦争を仕掛ける国だったのだというイメージを、漠然とではありますが持っていました。

それが覆されたのは、韓国を知ってからです。

日本に対し、韓国は明確な害意を持っています。韓国軍の仮想敵国が日本というのは公然の秘密ですし、日本に原爆を落としたがる韓国人は、極めて一般的です(言うまでもありませんが、日本人を目の前にして抜け抜けそう言う韓国人は極少数ですよ?w)。

韓国一カ国だけがそうなのかと思いきや、結合双生児の北朝鮮も同様ですし、両朝鮮の親玉の中国も、この近年はかなり露骨に日本に対する侵略意図を示しています。日本に対し、韓国や北朝鮮が単独で正面切って戦争を仕掛けるということは極めて考えづらいのですが、中国に関してはそんな楽観はとても出来ません。中国とは過去に二度戦ってますし。

「日本に戦争を仕掛ける国などない」というのが事実であれば、確かに日本だけが戦争放棄を謳えば良いのかもしれませんが、現実問題として「日本に戦争を仕掛けかねない国」が極めて近隣に存在する以上、日本だけが戦争する権利を放棄したり、戦争出来ない状態になるということは、どういうことを意味するのかを、私たち日本国民は真剣に考える必要があると思います。

日本に戦争を仕掛けてくる国があるにも関わらず、日本が戦争する権利を放棄したり戦争をしなければ、それは普通に不戦敗です。即ち、自動的に相手国の勝利となります。

そう言うと、「日本が戦争を吹っ掛けられたら、他の国が黙ってない」と言う人も結構います。

しかし戦争を吹っ掛けられた当の日本が自ら反撃しようともしていないのに、どこの国が日本を守るために勇んで自国の若者を前線に送り出すでしょうか。どこの国でも、自国の国民が一番大事です。自ら国を守る努力もしていない日本のために、よその国の若者の生命を危険に晒せと言う方が、私にはよほど傲慢に思えます。

戦争で負けるということは、勝った国の要求や主張を飲むというということです。不戦敗でも負けは負けですから、勝った国がどんな無理難題を押し付けようとも、負けた国はそれを受諾させられることになるのです。

そこまで考えると、「日本を戦争出来る国にさせない」というサヨクの主張は、ある意味「日本が戦争を吹っ掛けられても、反撃出来る国にさせない」「日本に侵略意図を持つ国に便宜を図る」と言ってるように聞こえてしかたないのです。

それに「戦争が出来る」ことと、「戦争をする」こととは必ずしもイコールにはなりません。「出来てもやらない」ということも、当然可能です。実際、世界のほとんどの国がそうでしょう。

戦争は、せずに済むならしないに越したことはありません。人間には、そのための知恵があるはずです。私もそれに期待しないわけではありません。しかし現実問題として、日本が戦争放棄を掲げているのを良いことに、他の国であれば戦争になっていても不思議ではないような言動を頻繁に仕掛けてくる国が、ひとつならずあるわけです。

そういう現実を鑑みるに、単に「戦争はしてはいけない」とだけ教えるのではなく、「負ける戦争はしてはいけない」と教えるべきではないかと思う今日この頃です。



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韓国で「社会的制裁」が機能しない理由

韓国人の「社会的制裁」についてのご質問がありましたので、これにお答えしたいと思います。

日本でなら、違反や無法については、法以前に社会の目が許さないということがあります。しかし韓国社会では、違反や無法に対して社会が実に鷹揚と言うか寛大と言うか、無神経です。それで何故社会秩序が保たれるのかが、日本人には大変不思議に思われます。

かと思えば、セウォル号事故やナッツリターンにおける不道徳的行為に韓国社会全体が一斉に憤ったりと、日本人にはまことにわけがわかりません。

彼らの遵法精神や道徳意識は、一体どういうものなのでしょうか。

これはまず、彼らの「ウリ」「ナム」意識が強く働いていると私は考えています。以前から何度も申し上げておりますが、彼らにとって「ウリ」とは「自分自身」そのものであり、「ナム」はそれ以外です。「ウリ」と規定した時点で、その人は他人ではなく自分自身と同じになりますが、「ナム」は「他人」として認識されるのではなく、存在そのものを認識されなくなるのです。

続いて、彼らの「自分がすればロマンス、他人がすれば不倫」という意識があります。自分がやることは、それがどんな違反や無法、不道徳的行為であっても美化されたり合理化されますが、他人がやればどんな事情があろうと、それを厳しく咎めるという意識です。

更にそこに、彼らの対人関係における上下意識が関わってきます。「上の者は下の者に何をやっても良い」というのは、逆に言えば「下の者は上の者に何をされても文句を言わない」ということでもあります。

人は誰でも自分自身には甘いものです。自分がしていることが違反や無法だと理解していても、それをするに至る理由があるからしかたないのだと思うことは、日本人にもあるでしょう。

しかしそれが社会的に受け容れられるかどうかについての理解が、日本人と韓国人では大きく異なるのです。

日本人も、自分自身がやる違反や無法にはそれなりの理由があるとは思います。しかしそれが一旦社会の目にさらされれば、自分自身を納得させていた「それなりの理由」が通じないことも、十分理解しています。ですから、社会に咎められると思うと、違反や無法を自重することが出来ます(逆に言えば、社会に咎められないと思うと、その辺のブレーキが掛からない日本人も、実は珍しくありませんw)。

対する韓国人には、「社会の目」という概念がありません。彼らにとって重要なのはどこまで行っても「ウリ」であって、「ウリ」以外の存在、即ち「ナム」から何を言われようとどう思われようと、彼らには認識されません。

彼らにとって「社会」は基本的に「ウリ」であるべきコミュニティです。「ウリ」ならば「ウリ」が行なう違反や無法にはそれなりの理由があるということを、理解出来るはずなのです。

しかし常にそれが通用するわけではありません。そこに彼らの対人意識の作用が関わると、再びややこしい話になります。

彼らにとって最上位(であるべき)なのは常に「自分自身」ですが、彼らが対人関係において行なう序列で、自分自身が下位に甘んじざるを得ないと認めた場合、彼らの「自分自身」=「ウリ」の主観は、上位の者が掌握します。下位の者が上位の者に「ウリ」と認められるためには、上位の者の主観に従属するしかありません。

もし下位の者が上位の者の主観を否定するならば、それは自動的に下位の者が上位の者に対して「ナム」化するということになります。上位の者から「ナム」とされることを許容出来る韓国人ならば、最初から自分を下位と認めません。即ち、自分を「下位」と認めた時点で、その韓国人は上位の韓国人の意に無条件で従うことを受け容れることになるのです。

もちろん、下位者にも自分の意が抹殺されることに対する不平不満はあります。それでも韓国人にとって、「ウリ」から「ナム」とされる、即ち「ウリ」の意識において存在を完全に消去されるよりは良いのです。

セウォル号やナッツリターンもこれで説明が可能です。

セウォル号内や大韓航空という企業内においては、上位者のすることはそれがどんな理不尽や無法であっても、当然のように行なわれました。しかし一旦それが、「韓国」という韓国人にとって、どんなに不平不満を持っていても、そこから抹殺されたり排除されることを限りなく恐れる最上位の「ウリ」から咎められれば、彼らはそれに従わざるを得ません。

セウォル号やナッツリターンにおいては、「韓国」全体がこれに注目し、それを厳しく咎めましたが、普段多くの韓国人が、日常的に違反や無法に躊躇がないのは、韓国という「ウリ」が普段はいちいちそんなものに注目せず、咎めもしないからです。

彼らにとって「韓国社会」とは「ウリ」であり「自分自身」ですから、「自分自身」が許容することは「ウリ」である「韓国社会」も許容することになると、彼らはナチュラルに考えているのです。

日本人にとって「社会」とは、「自分自身とは異なる他人の集合体」であって、「必ずしも自分の意が反映されるとは限らない集団」ですが、韓国人にとっての「社会」とは、原則として「自分自身そのもの」であり、「自分の意が反映されて然るべき集団」です。

韓国人の遵法意識の低さと、それに対する韓国社会の寛容さと言うか無神経さは、「これだ」という明確な、あるいは単純な理由からではなく、上記に掲げた韓国人特有の思考や、もしかすると私も知らない彼らの潜在的意識などによって暗黙的且つ複雑に形成されたものだと、私は考えております。



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日本人と韓国人は、相性が悪過ぎる

立秋を過ぎたと言ってもまだまだ残暑厳しい今日この頃ですが、それでも朝晩はなんとか息をつける程度にはなってきました。そう言えば今日は今年ツクツクボウシの初音を聞きました。季節は静かに、しかし確実に移ろいつつあるようです。

このところの韓国は、今月14日に発表される予定の戦後70年談話、いわゆる安倍談話に強い関心を示しているようです。談話の中に「お詫び」や「植民地支配」という文言が入っているかどうかにやきもきしています。

こういう韓国を見ていてしみじみ思うのが、日本人と韓国人の相性の悪さです。

過去記事にもくどいほど書いていますが、日韓チャットで非常に頻繁にあったのが、初対面の韓国人に突然謝罪を要求されることでした。これは日本人には俄に理解が出来ませんが、韓国人的には求愛行動の一種でした。

日本人が求められるままに素直に韓国人に謝罪すれば、韓国人は日本人と友達になることが出来たからです。即ち、日本人を謝罪させることが、韓国人にとっての日韓友好の最初の第一歩だったのです。

これは実は、ネット上の日韓チャットに限った話ではなく、現実の対人関係においても非常にしばしば起こることです。

もちろん、日韓チャットで行なわれるほど直球であることはあまりありません。互いの発言が自動的に翻訳される日韓チャットでは挨拶もそこそこに、唐突に「私と友達になりたいなら、日本の過去を謝罪してください」と来ますが、リアルでは互いの言語の問題もあるので、大抵の場合多少はクッションが入ります。

以前、「いいえ、韓国人です。韓国は日本の植民地でした」という言葉がネットの巷で一瞬流行りました。東亜日報の記事が元ネタですが、韓国人は日本が関わるとナチュラルにこういうセリフが出てくる習性を持つことを示しています。

相手が日本人でなくても、会話の中に日本が出てくるだけでそうなのですから、相手が日本人であればこの手のセリフが出ないことはありません。初対面の日本人相手に、どうにかして「日本は過去に韓国に酷いことをしました」と言おうとする韓国人は極めて普通です。

それを聞かされた日本人は、どういう反応を示すでしょうか。大抵の人は一瞬呆気に取られ、困惑しながらも、「それは・・・申し訳ありませんでした」という類のことを言うのではないでしょうか。

「日本は韓国にどんな酷いことをしましたか?」と聞き返したり、ましてや「日本は韓国に酷いことなどしていない」と言い返す日本人は極めて稀でしょう。相手によっては、例えば相手が会社の取引先だったりすれば、私でもそんなことは絶対に言いません。こういう時に大変便利な日本語、「ああ、そうですか」を使って受け流すのが精一杯でしょう。それでも対する韓国人がそのまま素直に受け流されてくれるかどうかは、時の運次第です。運が悪ければ更に押し込まれて、無理やり「それはお気の毒でした」ぐらいのことは言わざるを得なくなるかもしれません。会社の取引先の人を相手に、歴史談義を始めるわけにはいきませんから。

日本人から、「申し訳ありません」という類の台詞を引き出した韓国人は上機嫌になります。日本人が韓国人の主張を認め頭を下げた=韓国人の方が立場が上であることを認めたことになるわけですから。

上機嫌になった韓国人は、「あなたが謝る必要はありません、それはもう過去のことなのですから」とか「あなたはとても良い日本人ですね、あなたのような日本人ばかりなら、日本と韓国は仲良くなれるのに」というようなことを言うでしょう。そう言われれば、日本人も悪い気はしません。ささやかながら草の根日韓友好に貢献出来たかもなどと夢想する人も必ずいるでしょう。そこまで考えなくても、それで仕事が捗るようになるなら安いものだと大抵の人は思うでしょう。

そうして、双方極めて気分良く対話を始めることが出来ます。もちろんそこには、既に双方に誤解の種子が植え付けられているわけですが、この時点でそれに気付く人は、双方共にないでしょう。

こうして双方気分良く対話を終え、日本人は日本人のコミュニティに、韓国人は韓国人のコミュニティに戻ります。そこで日本人は、コミュニティ内の日本人にこう言います。

「最近知り合った韓国人に聞いたんだけど、日本は過去に韓国に酷いことをしたんだってさ。でもこちらが謝罪したら、あなたが悪いわけじゃないって言ってくれたよ。それにとても友好的だったよ」と。

それは実体験ですから、結構な説得力を持ちます。そのコミュニティ内に韓国人の内面について詳しい人がいなければ、その体験談はそのコミュニティ内に流布され、共有されることになります。

対する韓国人側も、やはり韓国人のコミュニティ内の韓国人にこう言うでしょう。「最近知り合った日本人に、日本が過去に韓国にしたことを言ったら、素直に謝罪したよ、言えばわかる日本人も居るよ」と。それを聞いた韓国人は、「それならウリも日本人と知り合う機会があったら、謝罪させてみよう」となるでしょう。

日本人側は自分が謝罪したことによって、一人の韓国人の日本に対する反感を取り除いたような気になり、韓国人側は日本人から謝罪を受けたことによって、一人の日本人を征服したような気になっただけで、双方の国民感情に関する問題は一切取り除かれていないのですが、どちらもそれに全く気付けないのです。

それは双方の文化と民族性に由来する齟齬と言えましょう。これを解消することは、以前にも申し上げておりますが私は不可能だと思います。

解決の途が全くないとは言いません。例えば、どちらかがどちらかの民族に同化すれば、双方の誤解は解消するかもしれません。しかし、韓国の日本化が不可能であることは、日韓併合の失敗で既に証明されています。となれば、日本の韓国化しか残る途はありません。

日本人にも朝鮮人のような真似をする人は結構いますから日本の韓国化は、あるいは可能かもしれません。しかし仮にそれが実現したとして、一体誰にどんな益があるのでしょうか。日本にとって有害無益なのは当たり前ですが、韓国にとっても益とは限りません。

日本が韓国化すれば、それは韓国が日本を失うことと同義です。韓国が日本から得ていたあらゆるものが得られなくなり、且つ韓国内で日常的に展開されている相互不信社会の範囲が広がるだけでしょう。

それは韓国にとっても望ましい事態ではありません。韓国が欲しているのは、韓国にとって都合の良い日本であって、もうひとつの韓国ではないのですから。

常々私は、日本人の立場から、日韓友好は発展的に解消されるべきだと主張しておりますが、韓国人にとっても、日韓友好の促進はある種の毒を秘めていると言えます。その毒が双方の文化と民族性の齟齬に由来している以上、やはり日本人と韓国人は距離を置くのが一番良いという結論しか、私には思いつかないのです。



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韓国に「反日を続けろ」と言うのは、「もう韓国を許さない」という意味

ちょっと前まで、親韓嫌韓問わず韓国人に「反日をやめろ」と言う日本人は少なくなかったと思います。しかし最近、特に嫌韓を中心に「韓国はそのまま反日を続けろ」と言う日本人が増えてきたように感じられます。

普通に考えれば、日本人なら他国の反日を好ましいとはあまり思わないものです。過去の歴史のことを考えれば反日もしかたない、やむをえないとは思っても、出来ればやめてほしい、出来れば親日になってほしいと思うのが一般的でしょう。それなのに何故韓国人には「反日を続けろ」と言うのでしょうか。

その理由は単純です。以前記事にしたこともありますが、韓国が反日をやめたからと言って、韓国人がまともになるわけではないからです。

日本人を見れば牙を剥いて吠え掛かる狂犬と、日本人を見れば擦り寄ってくる狂犬と、どちらが良いかと言えばわかりやすいでしょうか。

牙を剥いて吠え掛かる狂犬であれば、最初から近寄らないように追い払うことが出来ます。場合によっては血が出るほど棒で打っても、周囲は誰も咎めますまい。しかし親しげに擦り寄ってくる狂犬は、傍目には人懐こい犬です。その犬が近寄って実際に咬みつくまで、それが狂犬と分からない人も必ずいるでしょう。

咬みつかれるまでそれが狂犬とわからない狂犬は、最初から狂犬とわかっている犬や、少なくとも日本人に害意を持つ凶暴な犬ということがわかっている犬より、ある意味質が悪いと言えます。

日本人と韓国人は、黒い髪に黒い瞳、黄色い肌という共通点を持ちます。そのために、見分けが付かないこともよくあります。せめて彼らの肌の色が青だとか、髪の毛の色が緑とかであれば、誰が見ても日本人と韓国人の見分けが付いたでしょうに。

そんな日本人と韓国人を見分けるのに、反日はとても役に立ちます。それが先天的なものか後天的に取得した性質なのかは議論の余地がありますが、いずれにせよ韓国人には反日せずにいられない習性があるからです。

もちろん、日本人にも反日は居ます。しかし日本人の反日と韓国人の反日は、基本的に質が異なります。日本人の反日は、多くの場合自省や自虐を伴うものです。中には、自省も自虐も伴わない反日日本人も居るようですが、そういうのは概ね心において韓国人になってしまっている日本人なので、韓国人と考えて良いでしょう。

韓国人の反日は、当然ですが自省も自虐も伴いません。逆に、反日によって自らの立場を高めることが出来ると確信しています。故に韓国人の反日は、上から目線であることが多いのです。

慣れてくれば日本人と韓国人の反日の違いはすぐにわかります。外見では見分けが付き難い日本人と韓国人を見分けるのに、韓国人の反日はとても役に立つというメリットがあります。

ですがそれよりも何よりも、韓国人が反日を続けている限り、日本人は韓国人を許さずにいることが出来るというのが、最大のメリットではないでしょうか。

逆に言えば、韓国人が反日をやめてしまえば、日本人は韓国人を許してしまう恐れが極めて大きいということです。

許してしまえば、日本人は韓国人のようにいつまでも過去を責めません。反日をやめた韓国人に、「お前たちは昔反日だったじゃないか」と言って責め続けるということは考えられませんし、もしそういう日本人がいれば、逆にそういう日本人の方が他の日本人から責められるでしょう。

実際、「今の韓国人は反日じゃない」というおためごかしを鵜呑みにする日本人や、「私の知ってる韓国人は反日じゃない」と言う日本人は、彼らの過去の反日を不問にして(場合によっては「反日をやめたこと」を錦の御旗にして)、日韓友好をゴリ押ししようとする傾向があります。

韓国人が反日をやめるということは、現実問題としてほとんど考えられません。しかし「韓国は反日じゃない」というプロパガンダは、少なくとも私が日韓チャットを始めた頃から始まっています。

それは「ウリはチョッパリを許さないが、チョッパリがウリを許さないということは許さない」という韓国からのメッセージなのです。

私たちはそれに対し「韓国はどうぞ今後も反日を続けてください」と答えたい。そうすることで韓国に対し「私たち日本人は、韓国を絶対に許さない」というメッセージを送ることになるのです

日本人が韓国人を許さずにいられるように、韓国人には未来永劫(というほど韓国が長く続くとも思い難いのですが)、反日を続けて欲しいと強く思う次第です。



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日本人としての自覚を持たない日本人が多い

最近思うのは、「日本人には日本人としての自覚がない人が多いなあ」ということです。

韓国の反日に同調する日本人は、20年ほど前は普通でした。近年は韓国の実態が周知されると共に改善されつつはありますが、それでも決して珍しい存在ではありません。昔と異なるのは、そういう日本人を指して、「あれは本当は日本人じゃないのではないか」と言う人が増えてきたことでしょうか。

実際、そういう日本人と思しき人の中には、「なりすまし日本人」も少なからずいるとは思います。日本には日本国籍を持たず、日本国籍を取るつもりもないのに、日本国の主権者のつもりでいる外国人が多数いますし、服を着替えるように国籍だけ日本にして、帰属意識や忠誠心は祖国にあるという帰化日本人もいます。

しかしそういう「なりすまし日本人」よりも、名実共に日本人という日本人の方が多いのではないかと思います。

そういう日本人たちは、何故韓国(及び特亞)の反日に同調しやすいのだろうか、ということを考えてみました。

かつて私も、何処に出しても恥ずかしい立派な左巻きでした。左巻きの常として、日本は韓国に悪いことをしたのだから、韓国に対しては常に配慮するのが当然だと思っていました。

その当時の私を振り返ってみると、それは韓国に思い入れがあったと言うよりは、日本に思い入れが無さ過ぎたというのが正しいような気がします。

日本がどのようなことを韓国にしたのかもろくに知らず、何故そういうことをしたのかも考えず、更に言えば、韓国人の主張すら満足に聞かず、ただ漠然と「日本がかつて悪いことをしたと韓国人が言うなら、韓国人には配慮した方が良いのだろう」と考えていました。

そこには、「日本人として」という考えは一切ありませんでした。

思えば日本は日本人に、日本人としての自覚を持たせる教育を「意図的に」していません。少なくとも私の世代は、そういう教育をほとんど受けてきませんでした。私の世代は国歌も国旗も法で制定されておらず、式典において国歌を斉唱したこともなければ国旗を掲揚したこともありません。

日本と日本人を貶めたり揶揄するような話はよく聞かされましたが、日本と日本人に誇りを持てるような話は、ほとんど聞かされませんでした。

ですから私は自然に日本という国を軽く考えていました。自分がその「軽い国」の国民という自覚は薄く、将来は日本なんかよりもっと良い国に移住しようと考えていましたが、国籍をどうするのかということは全く考えませんでした。

皮肉なことに、私に「日本人としての自覚」が生じたのは、そのおかげでもあります。将来移り住むべき「日本なんかよりもっと良い国」を探したところ、そんな国は地球上にひとつもないということが判明したのです。

これはと思う国が全くなかったわけではありませんでしたが、そういう国はどこの馬の骨かもわからない外国人を手厚く迎え入れてくれるような国ではありませんでした。その国に対して有用な外国人しか受け入れてくれないのです。

やがて私は、日本は、少なくとも日本人にとっては、世界で最も良い国なのかもしれない、と認めざるを得なくなります。そこに至ってようやく、私に「日本人としての自覚」が生じたのです。

「日本人としての自覚」が生じてみると、日本はまことに稀有な国でした。もちろん、一点非の打ち所がないほど完璧な国ではありません。どころか日本にも多くの短所や欠点、失策がありましたが、それを加味しても、日本は日本人としての私にとって愛すべき国でした。その日本を構築してきた日本人という人々も決して完全無欠ではありませんし、中には朝鮮人のような人もいましたが、多くはまことに可憐な人々でした。

そうなると今度は、韓国の言い分に疑問が生じます。そんな日本と日本人が、韓国人が言うほど酷いことをしたのだろうかという疑問です。そこから芋づる式に韓国の実態を探りあてることになり、今日に至ります。

「日本人としての自覚」が生じなければそういうことも考えず、日本に対する愛着もわかず、韓国人の主張を鵜呑みにして、「日本人である前に地球人」という御託をかざし、韓国の反日に同調していても不思議ではありませんでした。

そう考えると、「日本人としての自覚」がないということは、韓国人に取り込まれやすいということとも言えるのではないでしょうか。

日本について考える時、自分が日本人であることを意識して考えるのと、失念して考えるのとではたとえ結論が同じでも考察の内容が全然違ってしまうでしょう。自分自身がどういう存在なのかを自分でわかっていなければ、自分自身も、また自分の周囲のこともわかりません。

嫌韓気運の高まる最近の日本でもなお韓国人に取り込まれやすい日本人が絶えないのは、日本人としての自覚がないか、極めて薄い人が多いからでしょう。

日本人としての自覚をしっかり持った上で尚、韓国に同調するというのであれば、それはまたそれでひとつの意見として聞く価値があるかもしれませんが、日本人としての自覚も持たず、流されるように韓国人の意見に取り込まれ、それに付和雷同するような人の意見を「日本人の意見」とは認められないなあと思う今日この頃です。



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朴槿惠韓国大統領の対日姿勢は正解だった

朴槿惠韓国大統領の実妹、朴槿令氏の発言が、韓国で物議を醸しています。

朴槿令氏は先月来日し、ニコニコ動画でのインタビューに答えて、「日本に慰安婦問題の謝罪を要求し続けるのは不当」「神社参拝を問題にするのは内政干渉」と発言したそうです。これに対し、韓国の世論は一斉に反発の姿勢を見せました。

凍結状態が続く日韓関係に苦しみ、朴槿惠大統領の対日姿勢の軟化を促していた韓国世論でしたが、朴槿惠大統領は頑なに対日強硬姿勢を崩そうとしませんでした。

韓国世論はそれを朴槿恵大統領の個人的な性格のためだと分析、批判していましたが、私はそうではないと思っていました。

朴槿惠大統領の実父は、周知の通り韓国においては「親日派」と呼ばれることも珍しくない朴正熙元大統領です。韓国で「親日派」と呼ばれることは「売国奴」「反民族主義者」と呼ばれることに等しいということは、韓国ウォッチャーなら知らない人はいないでしょう。

更に日韓国交正常化交渉における岸信介元総理と朴正熙元大統領の関係から、岸信介元総理の外孫である安倍総理と、朴正熙元大統領の実子であり、且つ暗殺された母に成り代わってファーストレディ役を務めた朴槿惠大統領との良好な関係を期待する声は、両首脳の就任前からありました。

日本では、その期待は比較的無邪気なものでしたが、韓国ではある意味それは「手ぐすね」にも似た期待でした。即ち、もし本当に朴槿惠大統領が日本に好意的な姿勢を示せば、ここぞのとばかりに「やはり親日派の娘は親日派だ」と攻撃するための期待です。

そうならないためにも、朴槿惠大統領は対日強硬姿勢を取らざるを得ませんでした。僅かでも日本に理解を示せば、国内の反対勢力はそれを百倍に増幅して攻撃材料としたでしょう。

そのため、朴槿惠大統領は就任直後から一貫して対日強硬姿勢をとり続けました。

最初の内はそれで順調でした。日本などなくてもケンチャナヨ、ウリには中国様がいるニダ♪とばかりに中国に擦り寄ったりしていたのですが、中国は日本の代替にはならないどころか、韓国を属国化しようとしている風さえ感じられてきました。

更に、韓国があからさまな中国寄りの態度を見せたことに、アメリカも不快を示します。日本との関係は凍結しっ放し、中国は宗主国風を吹かせようとする、アメリカはムカついていると、韓国にとっての重要国がいずれも韓国から孤立していきます。

特に日本との関係悪化によるダメージは、時間の経過とともに蓄積されていきました。それに耐えかねた韓国世論が、朴槿惠大統領に対日姿勢の軟化を促しますが、朴槿惠大統領が対日姿勢を改めることがなかったのは前述した通りです。

今回の朴槿令氏の発言は、あるいは朴槿惠大統領の意を代弁したのかもしれないという憶測も成立し得ます。即ち、朴槿惠大統領が対日姿勢を軟化させた場合の韓国世論の反応を、実妹で実験したのではないか、という憶測です。

もちろん朴槿惠大統領と朴槿令氏は確かに姉妹ではありますが、その考えが一致しているとは限りません。どちらかと言えばこの姉妹はあまり仲が良くないという噂も聞こえてきますので、あえて姉と真逆の意見を妹が言った可能性の方が大きいということも考えられます。

しかしいずれにしても、韓国において日本の主張に理解を示すということはどういうことかということを如実に現してみせたことに、間違いはないでしょう。

結局、朴槿惠韓国大統領の対日強硬姿勢は、少なくとも韓国においては正しかったということになると、今回の件で再確認した次第です。

今後も朴槿惠大統領においては、妹の発言に対する韓国世論の反応を教訓として、対日強硬姿勢を取り続けてくれることを、心から祈るばかりです。



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月見櫓 韓国 日韓