日本人としての自覚を持たない日本人が多い
韓国の反日に同調する日本人は、20年ほど前は普通でした。近年は韓国の実態が周知されると共に改善されつつはありますが、それでも決して珍しい存在ではありません。昔と異なるのは、そういう日本人を指して、「あれは本当は日本人じゃないのではないか」と言う人が増えてきたことでしょうか。
実際、そういう日本人と思しき人の中には、「なりすまし日本人」も少なからずいるとは思います。日本には日本国籍を持たず、日本国籍を取るつもりもないのに、日本国の主権者のつもりでいる外国人が多数いますし、服を着替えるように国籍だけ日本にして、帰属意識や忠誠心は祖国にあるという帰化日本人もいます。
しかしそういう「なりすまし日本人」よりも、名実共に日本人という日本人の方が多いのではないかと思います。
そういう日本人たちは、何故韓国(及び特亞)の反日に同調しやすいのだろうか、ということを考えてみました。
かつて私も、何処に出しても恥ずかしい立派な左巻きでした。左巻きの常として、日本は韓国に悪いことをしたのだから、韓国に対しては常に配慮するのが当然だと思っていました。
その当時の私を振り返ってみると、それは韓国に思い入れがあったと言うよりは、日本に思い入れが無さ過ぎたというのが正しいような気がします。
日本がどのようなことを韓国にしたのかもろくに知らず、何故そういうことをしたのかも考えず、更に言えば、韓国人の主張すら満足に聞かず、ただ漠然と「日本がかつて悪いことをしたと韓国人が言うなら、韓国人には配慮した方が良いのだろう」と考えていました。
そこには、「日本人として」という考えは一切ありませんでした。
思えば日本は日本人に、日本人としての自覚を持たせる教育を「意図的に」していません。少なくとも私の世代は、そういう教育をほとんど受けてきませんでした。私の世代は国歌も国旗も法で制定されておらず、式典において国歌を斉唱したこともなければ国旗を掲揚したこともありません。
日本と日本人を貶めたり揶揄するような話はよく聞かされましたが、日本と日本人に誇りを持てるような話は、ほとんど聞かされませんでした。
ですから私は自然に日本という国を軽く考えていました。自分がその「軽い国」の国民という自覚は薄く、将来は日本なんかよりもっと良い国に移住しようと考えていましたが、国籍をどうするのかということは全く考えませんでした。
皮肉なことに、私に「日本人としての自覚」が生じたのは、そのおかげでもあります。将来移り住むべき「日本なんかよりもっと良い国」を探したところ、そんな国は地球上にひとつもないということが判明したのです。
これはと思う国が全くなかったわけではありませんでしたが、そういう国はどこの馬の骨かもわからない外国人を手厚く迎え入れてくれるような国ではありませんでした。その国に対して有用な外国人しか受け入れてくれないのです。
やがて私は、日本は、少なくとも日本人にとっては、世界で最も良い国なのかもしれない、と認めざるを得なくなります。そこに至ってようやく、私に「日本人としての自覚」が生じたのです。
「日本人としての自覚」が生じてみると、日本はまことに稀有な国でした。もちろん、一点非の打ち所がないほど完璧な国ではありません。どころか日本にも多くの短所や欠点、失策がありましたが、それを加味しても、日本は日本人としての私にとって愛すべき国でした。その日本を構築してきた日本人という人々も決して完全無欠ではありませんし、中には朝鮮人のような人もいましたが、多くはまことに可憐な人々でした。
そうなると今度は、韓国の言い分に疑問が生じます。そんな日本と日本人が、韓国人が言うほど酷いことをしたのだろうかという疑問です。そこから芋づる式に韓国の実態を探りあてることになり、今日に至ります。
「日本人としての自覚」が生じなければそういうことも考えず、日本に対する愛着もわかず、韓国人の主張を鵜呑みにして、「日本人である前に地球人」という御託をかざし、韓国の反日に同調していても不思議ではありませんでした。
そう考えると、「日本人としての自覚」がないということは、韓国人に取り込まれやすいということとも言えるのではないでしょうか。
日本について考える時、自分が日本人であることを意識して考えるのと、失念して考えるのとではたとえ結論が同じでも考察の内容が全然違ってしまうでしょう。自分自身がどういう存在なのかを自分でわかっていなければ、自分自身も、また自分の周囲のこともわかりません。
嫌韓気運の高まる最近の日本でもなお韓国人に取り込まれやすい日本人が絶えないのは、日本人としての自覚がないか、極めて薄い人が多いからでしょう。
日本人としての自覚をしっかり持った上で尚、韓国に同調するというのであれば、それはまたそれでひとつの意見として聞く価値があるかもしれませんが、日本人としての自覚も持たず、流されるように韓国人の意見に取り込まれ、それに付和雷同するような人の意見を「日本人の意見」とは認められないなあと思う今日この頃です。