韓国人の「愛国心」の正体
「韓国人は情が厚い」とやらにも思うところはありますが、今回は「愛国心」に焦点を当ててみたいと思います。
韓国人の愛国心が旺盛という意見は、例えばスポーツの日韓戦などのテレビ中継などでよく言われます。なるほど、観客席に居並ぶ韓国人がことごとく太極旗を打ち振り、声を合わせて「テーハミングッ(ドドンガドン)」をやっているところを見ると(これ、2018年の冬季五輪が平昌に決定したその瞬間、開催地選定会場内で韓国の五輪招致委員がやり始めてビックリしましたw)、「韓国人は愛国心が旺盛なんだなあ」と思うのも無理はありません。
その反面、彼らは実にあっさりと国を捨てたり、日本人になりすましたりします。弊ブログに頂戴したコメントでも、「8月15日に大々的に光復節をやったのはいいけれど、配った大量の(韓国の)国旗がゴミ箱行」なのはどういうことなのかというお尋ねがありました。
日韓チャットをやってしみじみ痛感したのは、彼らが示す「愛国心」のようなものは、日本人が考える「愛国心」とは似て非なるものということです。
日本人の「愛国心」観にもかなり歪なところがありますが、それでも「歪なところ」は「日本人の日本に対する愛国心」に限定されており、「他国人が自身の祖国に対して抱く愛国心」については、かなり普通で真っ当な理解を持っているのではないかと思います。
しかしその理解を「韓国人の愛国心」に当てはめると、かなり強い違和感を覚えることになります。
韓国人は一見、愛国心が極めて強いように見えます。韓国人の多くが持つ「ウリナラマンセー(我が国最高)」という意識は、「最高のものは我が国のもの」という意識に容易に転換され、それは「良いものは全てウリナラ起源」という「韓国起源説」に結びついています。前述したとおり、スポーツの国際試合における韓国人の応援の凄まじさも目を引きます。
韓国人の愛国心はしばしば反日意識と密接に結びついており、反日意識を露わにしたり、実際に行動で示すことが、韓国に対する愛情の証明とみなされることもあります。
あるいは、朝鮮でのみ用いられるハングルを世界最高の文字と言い、自分で言うだけでは物足りなくて、どうにかして他国人にも言わせようとするのも、韓国人が愛国心を誇示する際によく見られる行動様式です。
ですが、時に韓国人は韓国に対し極めて冷淡です。
前述したとおり、彼らは非常にあっさりと国や国籍を捨てます。愛国心を示すために貶めた日本の文物を猛烈に欲し、韓国人同士なのに日本語で語らい、日本に旅行したり、甚だしくは居住したがります。
韓国人のキリスト教徒が古くなった聖書をあっさりとゴミに出すように、韓国人にとって韓国を象徴するはずの太極旗も、用がなくなればただのゴミにしか見えないようです。
彼らの愛国心とは、いったいどういうものなのでしょうか。
いきなり結論から言わせていただきますが、私はかなり以前から、韓国人にあるのは「愛国心のようなもの」であって、日本人が理解しているような愛国心など無いと思っております。
もし彼らに、日本人が理解するような「愛国心」があれば、韓国はもう少しまともな国だったでしょう。それは2008年に焼失した崇礼門(南大門)に関する一連のエピソードが示唆しています。もし本当に韓国人が愛国心旺盛な人々であれば、どんなに韓国社会に恨みを持つ韓国人であっても、韓国の国宝第一号に指定されている崇礼門に放火しようなどとは、まず考え付きさえしないでしょう。
その崇礼門の再建についても、多くの手抜き工事や再建費の横領・着服が報告されております。本当に韓国人に韓国に対する愛国心があるならば、「韓国人の威信に懸けて、骨身を惜しまず金に糸目を付けず良いものを作ってやる」と考えるのが当然ではないでしょうか。しかし彼らは、当然のように工事の手を抜き、費用を惜しみ、あるいは横領したり着服したりしたのです。
同様の例は、韓国軍においても非常にしばしば報告があります。韓国軍においては、設備や機材の手抜き整備、軍予算の横領や着服が日常的に行なわれていることは、韓国ウォッチャーであれば一度ならず聞いたことがあるはずです。準戦時国である韓国において、国を守る軍の存在というのは、日本以上に重要で切実なはずです。にも関わらず、韓国人自身が有事のための備えを蔑ろにしているのです。
そもそも本当に日本人が理解しているような愛国心が韓国人にあるのであれば、「昼は反日、夜は親日」「上半身は反日、下半身は親日」などという分裂した心情や行動を示すはずがありません。
では彼らが見せる「愛国心のようなもの」の正体は何なのでしょうか。
それは「自己愛」だと私は考えています。
彼らが大切なのは、いつもどこでもどこまで行っても「自分自身」だけなのです。これまで何度も申し上げているとおり、韓国人にとって「自分自身」とは「ウリ」です。韓国人の「ウリ思想」に基づけば「自分自身」と「韓国」は「ウリ」です。
韓国人にとって「自分自身」は常に自分を理解し、便宜を図るのが当然の存在です。従って「自分自身」に都合が良ければ、「韓国」を蔑ろにするのも、「ウリ思想」においては何の矛盾もありません。「韓国」が「ウリ」であれば、そうせざるを得ない「自分自身」の心情を十分理解しているはずだからです。
日本人の日本に対する「愛国心」も大抵歪んでいることが多いのですが、それでも日本人が理解する「愛国心」とは、「国を愛する心」であって、「国から愛される心」ではないはずです。しかし韓国人の「愛国心」とは、「自分自身が国から愛されるべきと思っている心」と言っても過言ではありません。
韓国人の思考や性格を知ると、「自己愛性人格障害みたいだ」とはよく言われることですが、それもあながち勘違いではないと、私は考えております。