韓国では大きい方がエライ
書籍化については、あまりにもオファーが無いので(って言うか、オファー受付用のメールアドレスが死んでることに最近気づきましたw 多分無いと思いますが、もし「オファーしてんのに無視された」という方がいらっしゃいましたら、申し訳ございませんがコメント欄からでもご連絡戴ければと存じます<(_"_)>)、もう紙にはこだわらず、電子書籍でやってみようかなと、かなり薄っすらですが思っております。まだ「思ってるだけ」の状態ですがw
さて、今回も戴いたご質問をネタにさせていただきます。「韓国人の「大」に対するこだわりは有るのか無いのか、あるとすればどの程度なのか、もし考察していただけると嬉しいです」というご質問を頂戴いたしました。
結論から申し上げますと、韓国の正式国号を「大韓民国」というように、韓国人は「大」には強いこだわりを示します。国号以外にも、身体の大きさや自家用車の大きさ、お菓子の外箱の大きさなどにその意識が如実に現れています。
アメリカなどでも「大きいことは良いことだ」的な意識がありますが、これは「大きい方が好き」とか「好まれる」ということだと思います。しかし韓国の「大きいこと」に対する意識は嗜好の問題ではなく、「大きい方が偉い」「大きい方が優れている」という意識に基づきます。
韓国の詩人に金素雲という人がいました。弊ブログでも何度か引き合いに出したことがあるので、薄っすら記憶にある方もいらっしゃるのではないでしょうか。日本統治期の朝鮮で育ち、青年期に日本に渡り、日本で活動していたので日本語も極めて堪能(少なくとも書き言葉は)で、日本に対して(韓国人にしては比較的)バランスの取れた認識の持ち主だったと私は思っております。
以前どこかで、金素雲氏と交流のあった日本人の話を読んだことがあります。それは日本人氏が金素雲氏と酒を飲んだ時の話でした。
日本人氏に向かって金氏が訊ねます。「日本語の「大」の字は、「ダイ」と読む場合と「タイ」と読む場合があるが、その違いはわかるか」と。突然そんなことを聞かれて、とっさに答えることが出来なかった日本人氏に向かって、金氏は得たりとばかりに言います。「「ダイ」は見た目の大きさを表すが、「タイ」は精神的な大きさを表すんだ。「大日本帝国」の「大」は「ダイ」と読むが、「大韓民国」の「大」は「タイ」と読むだろ」と。
私は、「大韓民国」は「ダイカンミンコク」と読むものだと思っていたのですが、金素雲氏の説に従えば「タイカンミンコク」と読むのが正しいのかもしれません。実際は、いくら日本語が堪能と言っても金素雲氏は韓国人ですから、日本語における清音と濁音の区別が曖昧で、「タイカンミンゴク」とでも発音していたのではないかと勘繰っていますがw
いずれにしても、日本に対し比較的バランスの取れた認識を持っていた金素雲氏ですら、「大」という字にそういうこだわりを持っていたのです。
つまり韓国人にとって「大きい」ということは「上位」や「優位」を示すことであり、その逆の「小さい」ということは「下位」や「劣位」を示すことになります。そのため、彼らは「大きいこと」に異常なほどのこだわりを見せることがしばしばあるのです。韓国では、時に日本列島より朝鮮半島の方が大きく描かれることがあるのも、その意識の表れでしょう。彼らの意識においては、日本が韓国より大きいということは、「道徳的に」許せないことなのかもしれません。
同様に、彼らが中国に対し妙に卑屈な態度を示すことがあるのも、中国の領土面積の広さや人口の多さなど、韓国がどんなに自分を過大に見せようとしても絶対に敵わないからかもしれません。
とにかく彼らは「大きい方がエライ」と考え、自分を大きく見せたがります。しかし大抵の場合、彼らが見せつける「大きさ」には中身が伴ないません。まるで膨らませた風船のように、見た目だけは大きいのですが内部はスカスカということが非常にしばしばあります。
もしかすると彼らの特徴である「薄くて浅くて上っ面」も、膨らませた風船の皮のように、彼らが自分たちを大きく見せようとした結果なのかもしれません。