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韓国の反日・日本絶対悪意識は結構大切

韓国三大紙のひとつ、朝鮮日報で「韓国知識人1000人「韓国経済は未曾有の経済危機」」と題する記事が掲載されました。

ずいぶん前から某巨大匿名掲示板における某代表戸締役こと渡邉哲也氏や三つ子の赤字神こと三橋貴明氏のみならず、多くの韓国ウォッチ系ブログでも韓国経済の危機は散々指摘されておりましたが、目に見えるところは飾り立てるのが韓国人の常ですから、なかなか素人目にはわかり難かったのですが、いよいよ危機を繕う余裕がなくなって表面化してきたというところでしょうか。

そう言えば野生動物は怪我や病気をしても、少しでも体力が残っている間は見るからに弱った素振りはしません。あからさまに弱ったところを見せれば、他の獣に襲われるからです。つまり怪我や病気で見るからに弱った素振りを見せるようになった獣は、最早虚勢を張る体力すらなくなった状態なわけで、韓国経済もそういうことなのかなと思ったり思わなかったりです。

さて「近視眼的で極めて狭い個人の「相対」でしか物事を見ない韓国人が、そこから「絶対悪」「絶対正義」を判断しているということでしょうか?」というご質問(もしかしたらコメントされていた方の自問なのかもしれませんが、ネタになるので使わせて戴きますw)を戴いておりますが、韓国人が「近視眼的で極めて狭い個人の「相対」でしか物事を見ない」というのは、ちょっとどういうことかわかりかねます。

とりあえず、日本を「絶対悪」、韓国を「絶対正義」と見る韓国人の意識についてご説明申し上げるならば、これには理由も理屈もありません。日本が日本だから「絶対悪」なのであり、韓国は韓国だから「絶対正義」なのです。何かと比べてとか、これこれこういう理由だからというのも時々付け加えられることがありますが、真面目に解釈するのもバカバカしいぐらいの取って付けです。

彼らも日本が(少なくとも韓国と比較すれば)良いとか優れているということは知らないでもありませんし、日本と比べると明らかに色んな面で韓国が劣っているのも十分知っております。それで最近「ヘル朝鮮」と自虐的なことを言っているようですが、それでも日本は「絶対悪」であるべき存在であり、韓国は「絶対正義」と誰もが認めるべき存在というのが、韓国人の問答無用の意識なのです。

日本人が、「他人に迷惑を掛けてはいけない」ということを物心付く頃から教え込まれるように、韓国人は「自分は優れている」という意識を物心付く頃から徹底的に叩き込まれます。

「十で神童十五で才子」などと言うように、幼い頃に優れて賢いように見える子供はさほど珍しくありません。ましてや親や祖父母から見れば、この子は天才ではあるまいかと思うことはむしろ普通です。それを日本では親バカなどと言って戒めるわけですが、韓国では親バカでいるのが当たり前のようで、子供が何をしても(それが至って普通のことであっても)お前は賢い天才だ素晴らしい一番だ最高だと唱え続けるわけです。

そのため、韓国人は概ね「自分は素晴らしい」「自分は優れている」という意識を刷り込まれています。

自身を肯定的に考えることは、悪いことではありません。本来はそういう人の方が色んな面で伸びるわけですが、韓国人の場合常に他者とのせめぎ合いがあり、敗者復活の機会が極めて少ないためか、ほとんどの韓国人が成長過程において「自分は素晴らしい」「自分は優れている」という意識を折られるようです。

しかし折られたからと言って、その意識がなくなるわけではありません。「本来の自分は素晴らしいはずだ」「本来の自分は優れているはずだ」という意識は、劣等感と共に残るのです。「たまたま運が悪くて本来の能力を発揮出来ない(出来なかった)だけ」とか、「まだ本気出してないだけ」などという言い訳で、現在の優れているとは言えない自分を正当化します。

対日意識にしても同じです。韓国人の全てが、物心付く頃から日本は韓国よりも劣った存在ということを徹底的に叩き込まれます。

子供の間の世界は小さく、「日本は韓国より劣った存在」という概念を否定する現実は見えませんが、成長すると共に世界と見える現実は広がります。ですがそこで素直に現実を直視することが出来たら朝鮮人じゃありません。そうなった時に韓国人は、幼い頃から叩き込まれた「日本絶対悪」と「韓国絶対正義」という彼ら的「真理」(ある意味「教義」?w)にすがりつくのです。

日本人としては不快に感じる彼らの「日本絶対悪」意識ですが、この意識があるお陰で、日本に押し寄せようとする韓国人の数が幾らか抑制されている面もあるように思われます。この意識が失われれば、彼らが雪崩を打って日本に移り住もうとすることは日韓併合期に実際にあったことです。

将来的に我が国が韓国との関係を発展的に解消するためにも、彼らの反日意識や「日本絶対悪」意識は今後も保たれなければならないのではないかと愚考する次第です。



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嫌韓の道はやはり険しい

普段、自分が書いた過去記事を読み返すことはそんなにないのですが、ネタに詰まると何か参考にならないかと思って、同じ月の近い日付の過去記事を読むことがあります。

例えば今回でしたら2014年11月25日付の記事とか2013年11月27日の記事2012年11月26日の記事などを読み返します。

へえ、この記事書いてからもう1年も経ったのかとか、やっぱり韓国は2年経っても3年経っても全然変わってないなあと改めてうんざりしたりするわけですが、2013年11月26日付の記事のひとつ前の記事を見て、対する日本はずいぶん変わったと思いました。

それは「韓国擁護は易く、批判は難し」と題した記事です。

当時は間違いなく記事に書いたとおり、韓国擁護の方が安易で無難でした。しかし昨今の日本においては、韓国批判の難易度のはかなり下がったのではないかと感じられるのです。

かつてであれば、とにかく韓国批判をすればその内容を聞くより先に「サベツ!」と叫ばれそっぽを向かれたり耳を塞がれたり、何か可哀想な人を見るような目で見られたものです。ところが昨今は韓国批判に積極的とまでは言えないにしても、無条件の拒否反応を示す人は少なくなり、ある種の共感を示す人が増えてきた感があります。

以前は「韓国ってこんなんだよー」「韓国人ってこんな連中だよー」と言うと、眉をひそめていかにも「関心ないし」「聞きたくないし」というオーラを放ちながらの生返事をされるか、「そんなこと言っちゃダメだよ」と無作法をたしなめられるような言い方でシャットアウトされることが多かったのですが、最近では「韓国ってこんなんだよー」「韓国人ってこんな連中だよー」と言うと、「あー、わかるわかる」とか「あの人たちってそうらしいねえ」と、ずいぶん肯定的な声が返ってくるケースが明らかに増えているのです。

韓国は変わっていません。私の韓国評も、文字通りの十年一日ですw 十年前から同じものについて同じ人が同じことを言っているのに、それを聞いた人たちの反応が変わってきているのです。

韓国における韓国擁護は今も昔も相変わらず容易いようですが、日本における韓国擁護は、かつてと比べればかなり肩身が狭くなってきているようで、以前のような大手メディアによるあからさまな韓国推しは鳴りを潜めました。翻って韓国批判の方は、不況をかこつ出版業界において「嫌韓書籍」というジャンルを構築するほどにまでなりました。

もちろん、日本における嫌韓気運の高まりは、韓国のように国が予算を掛けて韓国賛美や韓国擁護をバックアップしているのとは全く異なります。いち早く韓国の欺瞞や危険に気づいた個人個人が公憤と危機意識に基いて自主的に、背後から撃たれるようなことがあっても倦まず弛まずこつこつと積み重ねてきた韓国に関する「事実」が、ようやく日の目を見始めたというところでしょうか。

日本政府の姿勢も以前と比べると格段に変わってきました。韓国政府が国民の反日にインセンティブを与えているのとは異なり、日本では政府が積極的に嫌韓を促進したりは一切しておりませんが、これまでの常軌を逸した(としか思えない)親韓・擁韓姿勢は、かなり改められつつあると評価出来ると思います。

嫌韓を名乗って憚らない私ですから、この傾向自体はもちろん歓迎しております。この調子でどんどん日本の嫌韓気運が高まり、最終的には日本国民のコンセンサスとしての嫌韓が成立すれば良いなとさえ思っております。

ただ少々気になるのは、「事実」をあまり知らないまま嫌韓に傾く人を散見することです。

かつて日韓チャットを始めたばかりの頃、私にはひとつの危惧がありました。韓国の反日とは、日本のことをろくすっぽ知らず、ただ教えられるがままに鵜呑みにした日本の情報と印象に基いて「何だかよくわからないけどみんながそう言うから、日本は悪いんだろう」というものです。そこに色んな朝鮮情緒などの要素が絡んではいますが、根源はそんなものでしょう。

日本人も昔から韓国のことをろくすっぽ知らず、ただ教えられるがままに韓国の情報と印象を鵜呑みにしていました。韓国人と異なるのは、「何だかよくわからないから、韓国のことを悪く言うのは止そう」というのが、日本人の韓国に対する意識だったということです。

しかし日本に韓国の事実が広まれば、日本人の多くは韓国を嫌うようになるだろうという確信が私にはありました。ですがそれは「知り得た事実に基いて、冷静に判断した結果、韓国を嫌うようになる」というものではないかもしれないとも思っていました。

それがどういうものかと言うと、韓国の反日をそのままただ裏返しただけの、即ち「何だかよくわからないけどみんながそう言うから、韓国は悪いんだろう」という嫌韓です。実際、昨今の嫌韓日本人の中にはそういう人が少なくないように見受けられます。

韓国の「事実」を知り、よく考えた末に嫌韓になるのも、韓国について何だかよくわからないまま嫌韓になるのも、「韓国を嫌う」という意味では同じことじゃないかと思う人がいるかもしれません。

確かに「嫌韓」というカテゴリだけで見れば同じと言い得るでしょう。ですがもし、ちょっと弁の立つ親韓や擁韓、あるいは権威のある韓国人に論拠を求められたり反論されたりすれば、「何だかよくわからないけど」の人がたちまち窮するのは火を見るより明らかです。

弁の立つ親韓や擁韓、権威ある韓国人でなくとも、人懐っこい量産型韓国人に懐かれれば、「何だかよくわからないけど」の人たちは極めて容易に転がされるでしょう。

転がされることも問題ですが、怖いのはその反動です。当人だけが転がるなら良いのですが、周囲の「何だかよくわからないけど」の人たちも釣られて転がることを私は恐れます。

実際、かつての日本でも朝鮮人と実際に付き合い、理屈ではなく経験で彼らの危険性を知り、嫌悪した人たちは少なくありませんでした。ですがそれは継承されず、むしろ否定され、徹底的に排除されました。理論武装が不十分なまま朝鮮を嫌悪した人たちは弁の立つ、あるいは権威ある朝鮮賛美論者の前に口をつぐまざるを得なくなります。

戦後しばらくの間、その対象は韓国ではなく北朝鮮でしたが、後にそれは逆転します。気が付けば、日本中に「韓国のことを嫌ってはいけない」という空気が満ち満ちていたのは、皆様もご承知の通りです。

現在の「韓国のことをよく知らないまま嫌う」という人が多い状態は、将来再びそうなる危険性を孕んでいるのではないかと私は危惧するのです。

韓国に関する知識を蓄え理解を深め、熟知した上で嫌うのであればそんな心配は極めて少ない(皆無ではないのがつらいところw)のですが、弊ブログやまとめブログを斜め読みしただけの理論武装レベルでは、最低限の自衛をするのが精一杯だと思います。だからと言って、誰もが堅固な韓国知識を蓄え、理解を深めることは極めて困難だということは、私が身を持って知っております。

一番良いのは、日本人全てが韓国という存在を意識的に意識の外に排除し、積極的に関係を断ち、必要に迫られて関わる場合はそれ相応の教育を受けた人に限るようにすることだと思いますが、正直非現実的だと思います。

とりあえず今は過渡期と思って多少の難には目をつぶり、嫌韓が日本人の意識の隅々まで行き渡ってから次の段階に進むというのが一番現実的ではあると思うのですが、そういう人たちが増えると、今度はいつそういう人たちが転ばされるかとハラハラしながら見守ることになって、なかなかにしんどいものがあります。

そんなこんなで、昨今の日本における嫌韓気運の高まりは喜ぶべきことですが、それでもやはり嫌韓の道というのは険しいとしみじみ思う今日この頃です。



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韓国人がオウム返しの反論をする訳

韓国の元大統領、金泳三氏が22日に亡くなったそうです。

金泳三氏は数々の名言を残したとやらで、「日本の無礼を正してやる」的なことを言ったこともあるらしく、韓国人的には痛快だったようです。しかし生前は韓国歴代大統領の中では政治家として愚昧だったという評価を得ていたように記憶していたのですが、いざ亡くなってみると「偉大な政治家であった」という評が多くてちょっと意外でした。

さて、韓国人は言い争いになるとこちらが言った台詞をそのままオウム返しに口走ることが時々あります。あるいはその場では用いないものの、別の機会に用いるということもあります。

それがその時の状況にぴったり合ったものなら、オウム返しという行為については小賢しいと思うでしょうけれど、オウム返しをした行動原理については理解可能です。しかし彼らは時に非常に素っ頓狂なオウム返しをすることがあります。

極端なたとえを申し上げるとすれば、年嵩の日本人が無礼な態度の若い韓国人に向かって「大人に向かって何だその態度は。韓国人は年長者に対する礼儀を知らないのか」と叱りつけたとします。すると叱られた若い韓国人が「お前こそ年長者に向かってその態度は何だ!チョッパリは本当に礼儀がないね!」と言い返すという感じです。

実際には相手が年長者で自分の方が年少者であるにも関わらず、またそれを知らないわけでもないのに、彼らは何故かこういう返しをよくやります。

弊ブログの日韓チャットログカテゴリには具体的な例があるんじゃないかと思って過去記事を漁ってみたところ、この記事なんかが比較的わかりやすいのではないかと思われました。

その記事中でも言及しているように、【韓国人の悪口というのは、「自分自身が他人に言われたら悔しいこと」】であることが多い(と言うかほとんどそう)なので、今回ご質問下さった方の「これは彼ら的にぐぬぬとなったから、同じ言葉でやりこめてやろうと思ったことの発露なんでしょうか」という考察は概ね正解と考えて良いのではないかと私は思います。

更に根源的な問題を追求するならば、以前から弊ブログでは何度も申し上げていることですが、韓国人は言葉に意味があることを理解していないということも、彼らの素っ頓狂なオウム返しの原因になっているのと思われます。

彼らは、彼らが聞き取った言葉の意味や内容を斟酌せず、ただそれを言われて悔しいと思った自分の気持ちをそのまま相手に跳ね返すために、全く同じようなことを言い返すのではないでしょうか。

これに加えて、彼らは責任を伴う反省をしません。何故なら、韓国人にとって反省とは敗者の屈辱だからです。

日本人にとっても反省は失敗した時にするものであり、必ずしも喜んでするものではありません。しかし失敗することによって経験値をより高く積み上げることが出来ますし、反省は教訓となってより良い成功をもたらすことがあります。道を覚えようと思うなら道に迷うという経験があった方がしっかり覚えられるというのと同じです。日本は現在技術大国と言われておりますが、そう言われるようになるまでには無数の失敗と反省を、多くの技術者たちが繰り返してきたのです。

翻って韓国では、以前にも述べた通り、彼らにとって失敗は敗北であり、敗北は全ての終わり、即ち死にも等しいものです。

セウォル号事故の時も、直後は韓国総反省みたいな状態でしたが、時間が経つにつれ、反省したことをなかったことにしようとしているのではないかと思われるような主張が見られるようになりました。

少なくとも、現在の韓国人の多くが、その時反省したことを積極的に忘れようとしているのは確かでしょう。

ですので彼らが指摘された過ちを自分のこととして受けとめ、省みるということはほとんどありません。従って、指摘された過ちを正すということも、「彼らの中」、即ち「ウリ」にはありません。

これは日韓チャットにいた韓国人に限ったことではなく、韓国では有識者に属する朝鮮日報の論説委員でさえ同様なのです。

斯様に韓国人のオウム返しには様々な要素が複合的に作用していると分析してみたわけですが、結局のところ「韓国人が何を言っても真面目に耳を傾ける必要はない。どうせ大した事は言っていないのだから」と理解するのが一番の正解ではないかと、ここまでグダグダ考えた挙句に思った次第です。



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反日なのに日本に助けを求める韓国

先日、韓国ソウルで割と大規模なデモがあったようですが、韓国言論ではあまり大きくは取り上げておりません。負傷者も出ているようですが、私も毎度お馴染みの「韓国文化祭」として眺めるのが妥当だと考えております。

ただこれに関連して「先日韓国で大規模なデモがありましたがその日にツイッターで韓国にいる韓国人が日本人に日本語で”助けて下さい”と言うようなつぶやきをしていたのですがあれはどういう心理なのでしょう。あれだけ日頃から国を挙げて全員で反日をしておきながら困ったら助けろとかちょっと意味がわからないのです。管理人様はこの心理状況どう思われますか? 」というご質問を頂戴しております。

私はそのツイートを見ておりませんので、その韓国人の真意がどういうものなのかはわかりませんが、一般論として申し上げるならば、これは特別驚くことではありません。

まず韓国人の反日ですが、弊ブログで繰り返し述べている通り、あれは韓国人の主観的には反日ではありません。劣った野蛮な日本人に、優秀で冷静な韓国人がありがたくも畏れ多くも訓戒を垂れてやっているのです。

韓国人も人間ですから、感情に衝き動かされることは当然にあって、それで言葉が行き過ぎたり、行為が過激になったりすることはあるかもしれませんが、その根底には日本に対する「愛」があるのです。日本が韓国の訓戒に素直に従えば、何も問題はないはずなのに、日本が素直にならないから、韓国は日本を叱り続けなければならないのです。

ここ、笑うところじゃありません。

笑い事ではなく、韓国人の多くは意識的無意識的にそう考えているのです。ですから、韓国人は中国の反日を見ると、眉をひそめます。かつて中国で大規模な反日デモが起きた際、日韓チャットでは日本人に向かって大真面目にお見舞いを述べる韓国人がたくさんいました

同時に日本は、韓国人にとって学ぶべき対象でもあります。日本は韓国にとって「劣った野蛮な存在」であると同時に、「優れた見習うべき存在」でもあるのです。

どこまで捻じれたら気が済むんだというこの認識に従えば、ありがたくも畏れ多くも日本に教育的指導を施してくれる韓国が困っており、日本には韓国を助けるだけの経済的技術的能力が十分にあるのだから、日本は韓国が困っているのを知れば、助けるのが当然だという結論になります。

更に彼らは常に自分が正しいと考えており、仮に自分が間違っていたとしても、相手の方が必ずもっと間違っている(大抵の場合、その根拠はありませんが)はずですから、それと比較すれば自分は相対的に正しいと結論付けるのは極めて普通です。これは別に日本に対しての場合に限りません。韓国人同士でも日常的にその意識に基いて悶着を起こすのです。

古今、韓国のデモはある意味「韓国人同士の悶着」にカテゴリ出来ると思いますが、そこで「絶対悪」たる日本が加勢することになれば、加勢された方の絶対的正義は揺るぎないものになると彼らは考えるのではないかと想像します。

自分たちは絶対的正義であるから、いくら「劣った野蛮な日本人」であっても「ウリが絶対的正義であること」を理解するはずだし、「ウリが絶対的正義であること」を理解すれば、何もかもなげうってでも「ウリ」に加担してくれるはずだというのが、彼らの情緒です。

これは日韓チャットで非常に頻繁にあった現象に酷似します。

まず韓国人が日本人部屋に入ります。そこでオイタをしてこっ酷く叱られます。「絶対的正義」である「ウリ」が「絶対悪」のチョッパリに叱咤されたことに彼らは憤り、「絶対的正義」の立場から「絶対悪」のチョッパリに抗議します。

ところが「絶対的正義」であるはずの「ウリ」は、「絶対悪」のチョッパリの主張を崩せないどころか、逆に火達磨にされてしまいます。最後には捨て台詞を吐いてその部屋から逃げ出すか、その部屋に居座って韓国人的に正当な抗議を続けようとすれば冷酷無情なチョッパリが「正当な抗議」を理解せずと言うか耳すら傾けず蹴り飛ばします。自主的か強制的かの違いはあれど、その部屋からは退出せざるを得ません。

では日本人部屋から出た彼らはどうするかと言うと、別の「日本人部屋」に舞い込み、別の日本人相手に、自分の正当性とチョッパリの悪辣さを切々と訴えるのです。そこでもし首尾良く「別の日本人」の同情や共感を得ることが出来れば、それを以て自らの正当性が証明されると彼らは考えるのでしょう。

その「別の日本人」が私だったりすると、前の部屋でされたのと同じ程度に火達磨にされ、再び泣きながら部屋から逃げ出さざるを得なくなるか、我を張って居座ってみたもののさっくり蹴り飛ばされることになるかのどちらかになるのは、弊ブログの日韓チャットログをご覧の方であれば既によくご存知のことだと思います。

ですが一般的に彼らは「日本人なら簡単にホダされてくれる」と信じており、実際ホダされてしまう日本人も少なくないのです。

それは既に彼らの本能と言っても良いレベルで彼らの行動様式に組み込まれた「朝鮮人待日本人六條」の実践でもあります。

繰り返しになりますが私はご質問の元になったツイッターを見ておりませんので、そのツイートに対してこれが適切な解釈かどうかは断言出来ませんが、やはり一般論として申し上げるならば、彼らが日本や日本人に助けを求めてきたからと言って、またそれを感知したからと言って、それに素直に反応すれば彼らの思う壺だと私は考えます。

彼らは助けなければ文句を言いますが、助けても必ず文句を言います。どちらにしても文句を言われるのであれば、助けない方が少なくともコストは掛かりませんし、それ以外の見えない部分でも損害を免れるのではないでしょうか。

助ければその後も彼らは「助け」を期待しますし、助けた分だけ関わり合いも増します。そこからまた芋づる式に関係を続ける羽目になり、彼らの期待はそれに比例して膨らむでしょう。助けなければ、それで文句は言われるでしょうけれど「うるさい黙れ今後も二度と助けないって言うかこっち見んな」と唱えておけば済みます。第三国から「アレの面倒ちゃんと見ろよ」と言われる恐れは多分にありますが、「え?アレはもううちと一切関係ないし」と言い続けておけば、そのうち元の飼い主が引き取りに来るでしょう。なんか最近蜜月とか言ってますし。

日本も決してヒマではありませんし、韓国に注ぎ込むほど経済的に余裕があるわけでもありません。今まで散々注ぎ込んだ分の元を取りたいと思う日本人も多いのでしょうけれど、株の格言に「見切り千両」という言葉があるように、損を取り返そうと思って関係を続ければ続けるほど、損がかさむのが韓国という国です。

ですから、彼らが助けを求めていても哀れみを乞うていても、「ああ、またか」と思うにとどめ、反応も何も一切せず放置するのが、私たち日本人が取るべき最も適切な対応です。彼らの「朝鮮人待日本人六條」に基づいた挙動に反応するだけでも、彼らの思う壺だということを私たちは肝に銘じるべきだと痛烈に思う次第です。



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「ウリ」だけの世界は孤独?

11月中旬の割には、比較的暖かい日が続いております。ただ大阪では今日から木曜日までは天気が下り坂ということで、天気図を見ると大陸からの高気圧が日本列島に近づいてきております。あれが日本に張り出してくると一気に寒くなるんだろうな(´・ω・`)

さて韓国や韓国人について考える時、彼らの「ウリ」「ナム」思想は大変に重要な要素のひとつですが、同時に日本人にとっては大変にわかりづらい思想でもあります。

しかし今は忘れているだけで、実は誰もが持っていた意識かもしれません。少なくとも私は持ってたことがあると思いますw

自分と他人の区別がつかず、他人は自分の延長線上にあり、自分の望みを他人が叶えるのは当然という時代が、誰にもあったはずです。それは乳児期から幼少期です。

その時の「他人」とは当然赤の他人ではなく、親や兄弟や近所の人など、自分の半径5mから、かなり広く考え得たとしても50m以内にいる人です。殊に「母親」という存在は、かなり長い期間「自分自身」と一体不可分な存在として認識されます。これは人類普遍と言うか、哺乳動物には普遍の意識ではないかと思います。

やや余談気味になりますが、韓国にはマザコン男性が極めて多い(韓国では「ママボーイ」と言うそうです)のも、「母子」の一体不可分的関係に韓国のウリ意識がプラスされるためかもしれません。

「自分自身」と一体不可分の存在として認識されている母親は、新生児期から乳児期までは泣き喚くだけで自分の気持ちを察し(少なくとも察しようと努力し)、全ての望みを叶え(るための努力をし)てくれます。それは新生児から乳児期の「全ての望み」が単純で原始的な欲求ばかりだからですが、成長に伴って行動範囲は広がり、行動範囲の広がりと共に人間関係も広くまた複雑になっていきます。

そうなってくると母親の方も「全ての望み」を叶えることは現実的に不可能になってきますし、子供の将来のために自立を促す必要にも迫られます。加えて日本においては、子供が物心つき始める頃には、「他人に迷惑を掛けてはいけない」ということを教え始めます。

日本においては「自分」とは異なる存在である「他人」がいて、「自分」が尊重されたいと思うように「他人」も尊重されたいと思っているということを、「他人に迷惑を掛けてはいけない」ということで覚えることになります。

思うに韓国人の場合、この辺りの精神的成長が普通の人類とは異なるようです。「他人に迷惑を掛けてはいけない」という意識は日本人に特有のもので、人類普遍とは言えないかもしれませんが、精神的成長に伴う「自分」と「他人」は異なる存在であるという意識というか「気づき」は、日本人特有ではないでしょう。

この「「自分」と「他人」は異なる存在」という意識が、韓国人にはすっぽり欠けているように思われるのです。全ての部分でそうだとまでは言いませんが、「自己」と「他者」に対する意識と理解という点においては、韓国人は人類で言えば乳幼児レベルで精神の発達が終わっているのではないかと考えれば、かなり理解しやすいのではないでしょうか(明確に覚えているいないはあるでしょうが、誰にも乳幼児期の体験はあるはずです)。

乳幼児期という、「自己」という意識も明確になく、同時に「他者」の存在もよくわかっていなかった頃、私たちは孤独に苛まれていたでしょうか。むしろ「自己」と「他者」が違う存在だということを多面的に理解し始める思春期の方が、より強く孤独を感じたのではないでしょうか。

「孤独」というのは、「大勢の中でたったひとり」であることを理解して初めて感じるものです。最初から「自分」しかいなければ、「孤独」を感じることはありません。

事実韓国人は、決して孤独を恐れないわけではありません。むしろ「大勢の中」で孤立することについては、もしかすると日本人よりも強い恐怖を感じる方かもしれません。ですから「世界の中で孤立すること」を韓国人は酷く恐れます。

だからこそ彼らは「ウリ」になろうとし、また「他者」を「ウリ」に巻き込むか「ナム」のまま弾き出そうとします。彼らにとって「ウリ」は「自分自身」ですが、同時に「世界」でもあるのです。それが、「楽しい時間だったり、空間だったりしているの」かどうかは、韓国人ならぬ身の私には何とも申し上げかねますが、少なくとも「ウリ」となることで彼らが孤独を感じるどころか、むしろ孤独から免れ(ようとし)ているのは間違いないと断言出来ます。

なお韓国人にとって【「ナム」とは、単なる部外者とか、異質な他者ではなく、「存在しないもの」という件ですが、それはつまり、路傍の石ころや、紙くず同様の無生物か、生き物ではあっても、虫けらや、雑草同然】というのはニュアンスとしてだいたい合ってると言えますが、【コミュニケイト不能な低級な存在】と考えているかどうかは不明です。彼らにとって「ナム」とは「最初からコミュニケートする価値すら認めない存在」というのが近いからです。それが「存在を認めない存在」という意味です。

以上、今回のご質問のお答えとさせていただきます。



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韓国人に最大のダメージを与える方法

このところ毎度毎度ネタになるようなご質問のコメントを頂戴し、ずいぶん楽をさせていただいております。

今回も「長々と理屈をこねる手間無に一発で黙らせる上手い言い方は何か無いでしょうか 出来るだけダメージを与えるやつがいいです」というご質問を頂戴いたしました。

「よくぞ聞いてくれました。それはこう言えば良いのです!」なんてお答え出来ればどんなにカッコイイだろうと思うのですが、そんな魔法の呪文があるのなら私が知りたいくらいですw

とりあえず出会い頭にぶん殴って(「ぶん殴る」とは「ガツンと厳しいことを言う」の比喩です念の為。本当に殴っちゃいけませんよ)、こちらが上であることを頭ではなく身体で覚えさせれば、韓国人は比較的言うことを聞くようになる傾向にありますが、この「出会い頭にぶん殴る」というのが案外難しいのです。

下手にやった日にはぶん殴った当の韓国人よりも、それを見ていた日本人から攻撃される羽目になります。これは「とりあえず出会い頭にぶん殴る」とか「こちらが上であることを頭ではなく身体で覚えさせる」という行為が、日本人一般には不快に映るからです。

不快感というのは理屈も理由もありません。本能に近い部分から発生します。「出会い頭にぶん殴る」「こちらが上であることを身体に教える」という行為は、たとえ事情を知っていたとしても「イジメ」に見えます。「イジメ」を見れば、普通は不快を感じるものです。

「他人に不快感を与える」というのは、十分に迷惑行為の一種たり得ます。「他人に迷惑を掛けないこと」が社会規範の根幹である日本人としては、他の(特に韓国人を知らない)日本人の前でやるそういう行為は、直接非難を受けることがなくても大変にやりづらいものがあります。

加えて韓国人は言葉には意味があることを理解しません。犬がワンと発声したからと言って、その意味が「湾」でも「One」でも無いのと同じで、彼らが発する言葉には、意味がないことがしばしばあります。自らの発する言葉に意味を持たせることさえ出来ない彼らに、他人の発した言葉を正しく聞き取ってその意味を明らかに理解し、順当に反応することを期待するのは無駄というものです。

じゃあ日本人は韓国人にやられっぱなしでいろってかなどと早とちりする方がいらっしゃると困るのですが、私が申し上げたいのは、韓国人を一発で黙らせる魔法の呪文などあってもなくても意味が無いということです。そんなあるかないかわからない上に効果が期待出来ない言葉を探すよりも、もっと効果的な方法を探す方が、ずっと効率的です。

かつての日韓チャットにおいて、私が何故に韓国人を出会い頭にぶん殴るのか知っている日本人であれば、その行為を感心しないと言うことはあっても非難まではしませんでした。それは私が行なう一見【イジメ】に見える行為には必ず一定の配慮があり、決して本当に【イジメ】になることはなかったからです。散々に言い負かした後、倒れ伏した相手の頭を踏みにじるような行為を、韓国人は大変好んでやりますが、私はそういうことは決してしませんでした。

日韓チャットで私が韓国人を出会い頭にぶん殴ったり、彼らより上位であることを身体に覚えさせたのは、彼らを虐げたり、ましてや本当に彼らの上位に立つことが目的ではなかったからです。それは韓国人との対話を可能にするために必要なプロセスであって、それを知っている日本人であれば、そのやり方に賛同までは出来ずとも非難もしなかったのです。

面倒臭いのは「私が何故に韓国人を出会い頭にぶん殴るのか」を知らない日本人でして、大抵がこちらの説明を聞こうともせず(まあ、説明も一朝一夕には出来ないのですがw)、【相手が日本人であれば】成立する(かもしれない)対応法や正論を振りかざし、私の【迷惑行為】を轟々非難するので、大変にやりづらく鬱陶しかったという印象が残っています。

それらの経験を踏まえて言えることは、私たちが相手にすべきは日本人を含む世界の人々であって、韓国人ではないということです。むしろ韓国人は相手にするべきではありません。たとえ彼らを一発で黙らせる魔法の呪文があったとしてもです。

韓国人を相手にすれば、それがたとえ彼らに対する激しい攻撃であっても、彼らにとっては承認欲求を満たすもので、嬉々として一層私たちに粘着してきます。彼らが奸計を仕掛けて来た時、素直に正面から反撃しようとして彼らを構えば構うほど言葉を掛ければ掛けるほど、それは彼らの栄養になるのです。

もちろんだからと言って「韓国人に何をされても黙って耐えろ」と言うつもりはありません。やるべき反論やるべき反撃は、もちろんしなければなりません。要はその照準をどこに合わせるのが最も効果的かということなのです。

私たちに韓国人が奸計を仕掛けてくるのであれば、私たちはそれが奸計であることを周囲に知らせ、理解を募り、彼らの主張に転がされない人を一人でも増やし、以て彼らを孤立させることが、一番効果的ではないかと思うのです。

即ち、彼らには罵詈雑言よりも無視が最もダメージが大きいということを思い出していただければ、今回のご質問のお答えになるのではないかと考える次第です。



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韓国人にとって韓国籍は誇りなのか

何か集団ストーカーについて一所懸命書き込んでいる方がいらっしゃるようですが、韓国について語るのならば、集団ストーカーについても語れと言うのは、はっきり申し上げてお門違いにも程があります。

私は全知全能の神ではありません。経験上いくらか韓国に詳しいというだけの無名で無力な一市民です。何でも知ってて何でも出来る能力を持っているわけではなく、知っていることも出来ることにも普通の一般市民と同じぐらいの限界があります。

そもそも集団ストーカーの存在を信じている方がいらっしゃるのは事実のようですが、集団ストーカーの存在が事実かどうかは、私には判断いたしかねます。判断出来ないものについて語ることは出来ません。

加えて「警察や消防、市役所などの地方公務員や裁判官などの国家公務員、日弁連や教育機関に、大量の在日工作員や左翼、某宗教学会が入り混んでいるのだから、これらの機関に訴えて解決を期待するは愚の骨頂」であるならば、名も力も無い弊ブログに何かの効果を期待するのは、愚の骨頂の更に上を行きます。

個人的な感想を申し上げるとすれば、集団ストーカーを信じている方にはご期待に添えずまことにお気の毒ですが、私は集団ストーカーの存在を全く信じておりません。

その理由は、集団ストーカーの存在を信じている方が提示する「集団ストーカーが存在する根拠」があまりにも恣意的且つ妄想的で説得力に欠けるからです。集団ストーカーの被害者を自称する人がよく言われる統合失調症でないならば、常軌を逸した自意識過剰ではないかと思うほどです。

更に「集団ストーカーを信じる方」が行なう「集団ストーカーの存在証明」は、かつて日韓チャットで韓国人に散々やられた、根拠も何もなく「ウリがそう思うからそうなの!!それは真実なの!!それを疑うチョッパリはバカなの!!」というゴリ押しの主張を彷彿とさせて嫌悪感すら抱きます。

以上の理由で、弊ブログでは集団ストーカーについて向後一切取り上げるつもりも予定もありませんので、あしからずご了承ください。

さて気を取り直して韓国。気を取り直してからやるのが韓国考察というのも結構気が重いものがありますがw

しかし最近はコメントでのご質問で結構ネタを稼がせて戴いてるので、気分的にかなり楽をさせていただいてます。韓国とあまり関係無いことについてはお答え致しかねるものもありますが、韓国に関する疑問や矛盾についてご質問がある方は、お気軽にコメント欄に書き込んでいただければ喜んで回答させていただきます。どうぞ奮ってご投稿ください。

というわけで今回もご質問にお答えする形で進行させていただきます。

韓国人にとって韓国籍は誇りでしょうか」というご質問を頂戴いたしました。
(前略)
さて、このところネットを賑わす「はすみとしこイラスト騒動」あるいは「ぱよぱよちーん騒動」は、ご存知の事と思います。詳しくは、【保守速報】さま
http://hosyusokuhou.jp/
に一連の記事があります。
要は、ネットで韓国人その他に対する風刺イラストを描いた「はすみとしこ」氏に、しばき隊一派があの手この手の嫌がらせを企て実行したところ、ブーメランが戻ってきて慌てているという現在進行中の騒動です。
(中略)
http://sonicch.com/130162.html
元のはすみ氏作品が事実に基づいたサタイアであるのに対し、カウンターは単なる言いがかりに終始しているのが「韓国人のような真似」をする人々らしいのですが、ひとつ疑問が湧きました。「韓国人のような真似」の個人攻撃に、

【日本国籍以外に誇るものがありません】

が混ざっているとはどうした事か?という疑念です。
「韓国人のような真似」をする人々の罵倒語は、大抵が投影か言われた事のオウム返しというのも、ネットでよく言われると思います。さて【日本国籍以外に誇るものがありません】はどちらかというと、まずオウム返しは当てはまらないでしょう。ネトウヨ()がこれを韓国人への罵倒として言うとは思えないからです。「お前、韓国国籍以外に誇るものがないだろう」とは韓国国籍に値打ちを見いだす者の言い分であって、ネトウヨ()がそんな価値を認めるとは思えないからです。
すると、あの一行は投影かと素直に考えにくいところが、私の疑問です。「韓国人のような真似」をする人があれを投影として使うためには、【韓国籍以外に誇るものがない】自身への負い目がないといけないからです。
以前のエントリーで管理人様が列挙されていたお手盛り栄光
> 半万年の歴史
> 万物起源
> ハングルは世界最高言語説
> 韓国人は世界最優秀民族
自身でこれだけの誇りを鼓舞しておきながら、鮮人は心底で韓国籍を誇れないで居るのでしょうか。鮮人の行動規範を人間のそれを当てはめて理解しようとする態度は、初心者の過ちとは知っていますが、どうも私には鮮人が韓国籍をどう思っているのか理解できません。
管理人様の見解を、お教え頂けますと幸甚です。長文失礼致しました。
2015/11/08-10:34 | URL | 名無備忘録 #kINDug8M[ Edit]

韓国人は非常にしばしば「誇らしい韓国人」「韓国人として誇らしい」というフレーズを用います。

かつて日韓チャットであまりにも韓国人が頻繁に「誇らしい韓国人」とか「韓国人として誇らしい」と言うので、「「誇らしい韓国人」とは具体的にどういう韓国人を指すのか」と聞いたことがあります。

その答えは、「誰からも羨ましがられるような韓国人」という答えでした。容姿や資産、能力、評判等、誰もが手放しで羨むものを持っている韓国人が「誇らしい韓国人」だと言うのです。

即ち韓国人にとっての「誇り」とは、「誰もが手放しで羨むものを持っていること」と考えて良いでしょう。ですから彼らは、必死でお手盛りの栄光を列挙し、宣伝するのです。そうすれば韓国人的には「世界中の人々が韓国人を羨むに違いない」と思うのでしょう。

ですが現実は残酷です。韓国人がどれほどお手盛りで「韓国の栄光」を積み上げても、世界は思うようにそれを羨ましがってくれません。ばかりでなく、世界には韓国人が羨ましいと思いながら得られないものがたくさんあります。ノーベル賞がその最たるものでしょう。

「誰もが羨ましいと思うもの」が得られない限り、「韓国籍」は韓国人にとって手放しで「誇り」にはなり得ません。ですので「韓国人にとって韓国籍は誇りか」というお尋ねについては、少々ズルいお答えになるかもしれませんが、「韓国人にとって韓国籍は誇りになる時もあればならない時もある」というのが、事実に最も則していると言えましょう。

より正確に言えば、「韓国人にとって韓国籍は誇りであるべきだと思い込みたいと熱望しているが、現実がしばしばそれを否定するのも認めざるを得ない」とでも表現しましょうか。

例えば韓国人が卑しみ蔑む国の人間相手であれば、韓国人にとって韓国籍は誇りになり得ます。逆に、韓国人が引け目や劣等感を覚える国の人間相手であれば、韓国籍は誇りどころか、恥です。

韓国人は非常にしばしば日本人になりすましますが、それは韓国人にとって韓国籍であることが常に必ず誇りではない証左と言えるでしょう。

今回の「日本国籍以外に誇るものがありません」という揶揄のつもりらしきフレーズも、「日本国籍が羨ましい」(厳密には「日本国籍」と言うよりも、「世界における日本人の評判の良さ」が羨ましいのでしょう)という韓国人の潜在意識の現れだろうと私は考えます。このフレーズを考案したのがもし日本人だとすれば、その日本人は本当に日本国籍以外に誇るものがないのかもしれませんが、「日本国籍」であることだけを殊更に誇るという意識や感覚は、普通の日本人にはないと私は思います。

何にせよ韓国人は色々マジェマジェな上にねじれています。自分を客観的に見つめるということが出来ず、自尊心と名づけた劣等感に苛まれています。韓国という国を誇りたい、韓国人であることを誇りたいという欲求の強さはおそらく世界でも有数と思われますが、現実は常に彼らの「誇り」を打ち砕きます

彼らが韓国籍であることを誇りに思うのは「韓国が賞賛される(であろう)国」と思い得た時であり、彼らが韓国籍であることを誇りに思い得ないのは、韓国人の現実を直視した(させられた)時であろうと考える次第です。



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一度謝罪すれば(全ての)終わり

日本は過去に何度も謝罪しているのに、何故韓国人は「日本は一度も謝罪していない」と言い張るのか、というご質問を頂戴いたしました。

韓国人が、安倍首相が一度謝罪してくれれば済む話なのに、何故たった一度の謝罪が出来ないのか?と嘆いていました。過去、宮澤首相、橋本首相、小渕首相などが何度も謝罪し、謝罪の手紙まで首相から渡して、陛下までも、お言葉を述べられてますが、全部無かった事になっているのでしょうか?月見櫓さん、そのへんどう考えられますか?
2015/11/04-07:40 | URL | 小倉キッズ #rv8W5JGg[ Edit]

このご質問は、こちらのご質問と関連すると思いますので、同時にお答えさせていただきたいと存じます。
ウリ以外は存在しない…そんな視点があるなんて考えたこともありませんでした
朝鮮人って、本当に根本から相容れない存在なのですね
絶対に関わってはいけないのだと再認識しました。

私も実は以前から疑問に思ってたことがあるので、是非に質問させてください。
それは、「なぜ韓国人は被害者になりたがるのか?」ということです。
先日の記事で「韓国人にとって失敗は敗北である」という解説がありましたが、被害にあうということってある意味敗北とも言えると思うのです。
特に韓国では何事も「やったもん勝ち」という性質があるようですし、他人に加害することを時に誇っているように見えるのです。
それなのに、日本との併合やいわゆる慰安婦問題では徹底的に被害者としての立場を強弁しています。
彼らが何かしら犯罪を犯したり非難を浴びるようなことをした場合でも、必ず何かしらの些細な相手の行動を取り上げて、さも自分達が被害者のように振る舞うのは何故なのでしょうか。
なんだか、「勝者であり被害者である」というのがちぐはぐに感じます。
彼らのこの考え方について、ご教授いただけると嬉しいです。
2015/11/07-19:51 | URL | しらす #qauwC6GU[ Edit]

まず最初のご質問ですが「日本は過去に何度も謝罪しているのに、韓国(人)はいつまでも謝罪を求め続ける」という現象については、昨今の嫌韓書籍でも結構触れられている割に「それは何故なのか」ということに言及しているものが少ないのか(ごめんなさい、私は嫌韓書籍をあんまり読んでいないのでわかりませんw)、ただ闇雲に「何度謝罪してもいつまでも謝罪を要求し続ける韓国人はけしからん」的な理解をしている嫌韓日本人が結構多いように感じております。

韓国が「ムービングゴールポスト」にたとえられるようになったのもそのためでしょう。「一度でも謝罪してくれれば済む話」と言うから謝罪したのに、それをネタに更に謝罪要求が増えるのですから、要求される側としては理不尽極まりない話です。

けれど「盗人にも三分の理」などと言うように、韓国人にも一分(一厘?一毛?w)の理が、実はあります。

少し前に書いた「続「韓国人がノーベル賞を取れない理由」」の中で、「韓国人にとって失敗は敗北であり、敗北は全ての終わり、即ち「死」と同義」と書きました。この思考が「謝罪」に対しても適用されていると言えばご理解いただけるでしょうか。

韓国人にとって「謝罪すること」は「敗北を認めること」とほぼイコールです。ですから、彼らは本当に謝罪しません。正しくは、「自らに責任があると認めて謝罪すること」をしません。「自らに責任がない」と確信している状態ですと、彼らは結構安易に謝罪するので、この点は注意が必要です。

それは韓国人にとって「謝罪すること」=「敗北を認めること」=「全ての終わり」=「死」だからです。だから明らかに自分が悪いとわかっていても(と言うか、わかっていればいるほどw)彼らは頑なに謝罪しません。どうにかして相手の非を見つけ、それを以て自らの非と相殺するか、あわよくば相手の非の方が大きいことにして、勝敗を逆転させようとします。

日韓チャットでしばしばやられたのが、「確かに自分は悪かったかもしれない。だがそれを指摘して自分を追い詰めたお前はもっと悪い。だから悪いのはお前の方だ」という理屈でした。彼らはこんなやり方で、どうにかして自分が謝罪する立場であることを回避しようとするのです。

ふたつめのご質問のお答えにもなりますが、この思考は彼らが被害者になりたがるのと同根です。被害者とは、加害者に対して慰謝や損害賠償を要求出来る権利を持つ、言わば債権者です。

ですがご質問の中にあるように「被害にあうということってある意味敗北とも言える」のに、何故彼らは被害者を気取りたがるのかという疑問は残るでしょう。

これも答えは簡単で、「被害者を気取って慰謝や損害賠償を求める者は、ほとんどの場合本当の被害者ではないから」ですw 「そんなはずはない」と思う方は、韓国人で被害者を気取って喚き散らす者の中に、「確かにこれは本当に被害者だ」と思い得る人物がどの程度存在するかを数えてみれば良いでしょう。大抵の場合「被害者を装った、あるいは被害者の代弁者を装った人物」のはずです。

保険金詐欺を想像していただければ容易にご理解いただけると思いますが、実際に被害に遭っていないのに被害者を装うぐらい美味しい話はありません。債権を持っていないのに債務者(と定めた相手)に債務を要求出来るのですから。韓国人がそういう立場を「勝者」と考えないはずがないということは、すんなりご理解いただけると思います。

逆に、自分が謝罪させる立場になった場合、韓国人は是が非でも相手に謝罪させようとします。首尾よく相手に謝罪させられれば、それは自分が相手の生殺与奪の権を握ったことになります。即ち相手を煮るも焼くも自分の思いのままになるはず、というのが彼らの「相手が謝罪した場合」の状態なわけです。

ところが日本の場合「謝罪した」と言っても、いつも韓国より高いところにいるわけです。謝罪したのであれば、日本は常に韓国の言いなりでなければならないのに、韓国の言うことを聞かなかったり、反論したりするのです。

「一度謝罪すれば済む」というのは、日本が一度謝罪した後、永遠に韓国に頭を下げ続け、決して逆らわず、どんな無理無体も素直に飲み込むということなのです。そうしない限り日本が何度謝罪しても韓国人の「理」においては、「日本は一度も謝罪していない」ことになるのです。

これが韓国人の「理」であって、それを改めろとか無くしてしまえと言うのは無理です。韓国人に韓国人でなくなれと言うのと同義です。しかしだからと言って、日本が永遠に韓国に頭を下げ続け、決して逆らわず、どんな無理無体も素直に飲み込むべきとも全く微塵も思いません。

結局いつもの結論、「だから日本と韓国は発展的に関係を解消するべきだ」ということになるわけです。



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病身舞に見る韓国人の「笑い」の感覚

日韓首脳会談後は、特に目立ったニュースのない韓国です。

韓国内の問題は相変わらず山積で、日韓首脳会談が行なわれたからと言ってそれらの問題がどうにかなるわけでもなく、むしろ時間の経過と共に悪化しつつあります。

それら諸問題に韓国が自力で対処しようとしなければ誰も対処するはずなどないわけですが、韓国人の「いつか何処かで誰かが何とかしてくれる」という意識は、相変わらず活発な模様です。

こんな時に仏心を出して「大丈夫?」とか言っちゃうと全力で寄り掛かってくるので、韓国がどうだろうとどうなろうと、一切気付かぬふりを決め込むのが吉と思うのですが、そこまで日本がばっさり割り切れるかどうかにはまだまだ不安が残ります。

そう言えば前回記事で「話し合いが通じず、殺し合いするだけの価値もない相手というのは、つくづく厄介です」とぼやいたところ、「日韓問題の解決には、経済制裁が一番」というご意見を幾つか戴きました。そのご意見には基本的且つ全面的に賛成なのですが、北朝鮮に対する経済制裁も万全とは言えない現状、韓国に効果が出るほどの経済制裁を行なうのは、韓国と戦争するほどではないにせよ、かなり難しいものがあるように思います。本当に日本にとって朝鮮半島は鬼門です。

さて、今回もコメントでのご質問をお題にさせていただきます。以下のようなコメントを頂戴いたしました。
病身舞を止めない韓国人
(前略)
さて、もしよろしければご質問させてください。
単刀直入に言うと、なぜ韓国人は病身舞を止めないのでしょうか?

病や障害で苦しんでいる人を馬鹿にする、
この韓国の文化は自分にとって絶対に許せないですし、
今もとても憤慨しています。

(障害者の中には本当は健常者なのに嘘ついて
 税金を騙し取っている犯罪者が実はいたり、
 そもそも韓国人自体先天的でも後天的でも
 国際社会から見たら重大な精神疾患を患っていますが、
 話が膨大になってしまうのでこのコメント内では省略します)

悔しい話ですが、確かに介護が欠かせなかったり
珍妙な言動をして目立ちやすい障害者を嫌いになる気持ちは自分もわかります。
ですが、わざわざ障害者の真似をして馬鹿にする意味も気持ちもわかりません。
しかも日韓併合で禁止されたにも関わらず、
戦後に文化として復活させているから益々意味がわかりません。

この真っ当な人なら廃止すべき文化について何かわかりませんでしょうか?
以上、長文で失礼いたしました。
2015/10/29-12:28 | URL | 枕に~の人 #-[ Edit]

かつての日韓チャットにおいて、韓国人はしばしば私たちのことを「病身」と罵りましたが、そう言う韓国人ほど「チャットルームの無限入退室」という荒らし行為をやらかす傾向が強く、私たち日韓チャット常連日本人がその行為を「病身舞」と呼んでいたことは過去記事をご覧の方ならよくご存知のことと思います。

ですから今回の「なぜ韓国人は病身舞を止めないのでしょうか?」という問いを当初は、「何故彼らは無駄で愚かな示威的行動をやめないのでしょうか?」という意味かと思いましたw

本来の「病身舞」とは、韓国に伝わる民間伝統芸能の踊りとされております。

日本語で「病身」と言うと読んで字の如く「病の身」であり、普通に「現在病気(療養)中」という意味で用いられるのが一般的だと思いますが、朝鮮語において「病身」と言えばただに「病の身」という意味ではなく、「目に見え、且つ決して治癒しない疾病や障害を持つ身」という意味であり、完全に差別用語として確立しております。前述したとおり日韓チャットでも私たちに向かって「病身」と罵る韓国人は全く珍しくありませんでした。

韓国人の意識においては、心身ともに健康な人でなければ人ではないとされます。「人ではない」というのは「ウリではない」とほぼ同義になります。この「ウリ」ではない「病身」の身振りを真似て踊り、観客がそれを見てゲラゲラ笑うというのが、韓国の民間伝統芸能「病身舞」です。

今回は、韓国人が本来の意味の「病身舞」を伝統芸能として維持したがるのは何故かというお尋ねですが、それは韓国人の「笑い」の感覚に由来するものではないかと私は考えております。

日本の「笑い」は、少なくとも狂言や落語などの伝統芸能においてはかなり洗練されたものになっております。

そこにあるのは、基本的には「平等」の感覚です。愚かな人も賢い人も、偉い人もそうでない人も、大人も子供も男も女も等しく「笑い」の対象になります。話の展開次第では笑われていた者と笑っていた者の立場がくるりと逆転することもしばしばです。誰もが等しく笑い笑われる立場であるというのが、日本の「笑い」の基本的な感覚でしょう。

対する韓国ですが、基本的に韓国における「笑い」の基本は、「蔑み笑い」もしくは「嘲り笑い」です。誰かを蔑み嘲ることが、彼らにとっての愉悦なのです。

例えば、韓国のバラエティと思しき番組で、ある韓国芸能人が「悪いことをする時は日本人と言う」と述べた動画はかなり有名ですが、この時会場は爆笑しております。それは「悪いことをする時は日本人と言う」と述べた韓国芸能人に対する笑いではなく、「日本人」が「悪い」ということに対する「笑い」なのは明確です(事実、こう言った韓国芸能人は満面のドヤ顔ですからw)。

つまり日本人とは韓国人にとって議論無用の「絶対悪」であり、それを蔑み嘲ることは、韓国では十分笑いになり得るということなのです。同様の例は韓国言論に掲載される風刺漫画などでも極めて頻繁に見られます。

病身舞も同様で、韓国人にとって「病身」とは「ウリ」とは明らかに異なる劣った(≒悪い)存在であり、蔑み嘲って当然の対象です。

例えば先月31日はハロウィンでした。ハロウィンでは怪物や妖怪、妖精、ゾンビに扮した人々が街に繰り出していたそうですが、それを「怪物や妖怪、妖精、ゾンビに対する差別表現だ」と言って憤慨する人はいません。

韓国人にとって「病身」とはそういう存在なのです。「病身」は「ウリ」には含まれない「異形」であり「存在しない存在」なのです。その「ウリ」とは異なる者の様子を再現して見せて笑い転げるのは、ハロウィンの仮装と同様、彼らにとっては何の不思議も疑問もない娯楽なのです。それが故に韓国人は「病身舞」を維持しようとするのではないかと、私は考えます。

また韓国人にとっての「病身」とは、「好き」「嫌い」に分類すべき対象ですらありません。「障害者を嫌いになる気持ち」というのは、ある意味自分と障害者を対等に見ているから生じるものであって、韓国人にとっては障害者が自分と対等という考えは微塵もありません。

私たちはパラリンピックで障害者が文字通り健常者に勝るとも劣らない姿を見て普通に感動します。障害を乗り越えて結果につなげた努力を素直に賞賛出来ます。しかし韓国人にとってパラリンピックとは「ウリ」ではない者が「ウリ」より活躍し注目されるという、受け入れられない現実なのです。

韓国人がパラリンピックに否定的と言うか強い拒否感を持っているのは、彼らが障害者を忌み嫌っているからと言うよりは、彼らが身体障害者を自分(=ウリ)と対等だと思っておらず、そう思うことを不当な差別とも思っていないからです。

彼らにとって「ウリではない存在」を蔑み嘲ることが、彼らの「笑い」の基本ということを理解すれば、彼らがパラリンピックに拒否感を持っていることも、「病身舞」をやめないことも、容易にご理解いただけるのではないかと思います。

この「笑い」に関する感覚が日韓では大きく異なることも、日本と韓国が基本的な価値観を一切全く共有していない証左だと、私などは強く思う次第です。



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得るもののなかった3年半ぶりの日韓首脳会談

本日3年半ぶりの日韓首脳会談が行なわれましたが、会談に関する日本側の速報と韓国側の速報を見る限り、何だかお互いの言うことが噛み合ってないような印象を受けました。

今回の日韓首脳会談の焦点は「いわゆる従軍慰安婦問題」と言って良いと思いますが、この件に関しては一応双方「慰安婦問題解決に向けた妥結点を探っていく」という意見で一致していることになったようです。

しかしこの「慰安婦問題解決」の意味と言うかイメージが、日本と韓国で大きく深く隔たっているように感じられたのは私だけでしょうか。

即ち、日本側は「当該問題は既に解決済であり、双方がそれを確認し納得すること」を「解決」と考えているのに対し、韓国側は「韓国の主張を日本側が理解し、受け容れる努力とその姿勢を見せること」を「解決」と考えているように見えました。

結局、双方が従来の主張を改めて述べただけに留まったというのが、今回の日韓首脳会談の印象でした。要するに「時間の無駄だったんじゃね?」というのが、私の率直な感想です。

「いわゆる従軍慰安婦問題」は竹島問題と同じく、韓国側はもう絶対に引くことが出来ません。自称元従軍慰安婦が死に絶えればあるいはと思う人もいるかもしれませんが、恐らく逆でしょう。自称元従軍慰安婦が死に絶えれば、彼女たちは偶像化されます。生きている間は失言することもありますが、死ねばその心配もありません。幾らでも美化することが出来ます。

更には、「従軍慰安婦問題を風化させてはいけない」などと言って、物故した自称元従軍慰安婦が得られるはずだった(と韓国人がひたすら信じている)権利を相続しようと考える韓国人も、これは多分既にいるはずです。

そうなれば全ての自称従軍慰安婦が死に絶えた後には、その遺産相続人を自負する韓国人が、自称元従軍慰安婦よりも更に問題を激化させるであろうことは、十分に想定の範囲内と言えます。

竹島問題も「いわゆる従軍慰安婦問題」も、このままではどちらかがどちらかの主張を100%飲むしか解決策はありません。外交において「どちらかがどちらかの主張を100%飲む」というのは、些細な問題なら別ですが、ここまで大きくなった問題であれば、戦争以外に決着を付ける手段はないのではないかと思います。

ですが日韓戦争も、現実味のない話です。日本にとって韓国との戦争は、負けた場合は言うまでもありませんが、勝ってもメリットに対してリスクとデメリットが多過ぎます。勝って得られるのは本来日本固有の領土であった竹島であり、既に解決済みのはずの「いわゆる従軍慰安婦問題」の解決確認だけだからです。

もちろん、勝てば韓国に対して賠償金とか戦費の請求は可能ですが、韓国に払えるかどうかという問題があります。ましてや「カネが無いからカラダで払うニダ」とばかりに、韓国を割譲される羽目になった日には、戦争してまで何でそんな災厄を背負い込まなければならないのかという話になります。

韓国にしても、日本が無防備無抵抗(要するに韓国が必ず勝つことが条件w)なら戦争しても良いけど、日本に反撃される可能性がある限り絶対やりたくない、というのが本音でしょう。

日韓双方が戦争での問題解決にはメリットがないと考えるでしょうから、日韓戦争による問題解決というのも、ほぼ考えられません。

話し合いが通じず、殺し合いするだけの価値もない相手というのは、つくづく厄介です。今後同様の問題が新たに生じることを防ぐという意味でも、これから将来に向けて韓国との関わりは最小限にしてゆくのが、日本にとっての未来志向的な日韓関係だと再確認させられた今回の日韓首脳会談でした。



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月見櫓 韓国 日韓