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一度謝罪すれば(全ての)終わり

日本は過去に何度も謝罪しているのに、何故韓国人は「日本は一度も謝罪していない」と言い張るのか、というご質問を頂戴いたしました。

韓国人が、安倍首相が一度謝罪してくれれば済む話なのに、何故たった一度の謝罪が出来ないのか?と嘆いていました。過去、宮澤首相、橋本首相、小渕首相などが何度も謝罪し、謝罪の手紙まで首相から渡して、陛下までも、お言葉を述べられてますが、全部無かった事になっているのでしょうか?月見櫓さん、そのへんどう考えられますか?
2015/11/04-07:40 | URL | 小倉キッズ #rv8W5JGg[ Edit]

このご質問は、こちらのご質問と関連すると思いますので、同時にお答えさせていただきたいと存じます。
ウリ以外は存在しない…そんな視点があるなんて考えたこともありませんでした
朝鮮人って、本当に根本から相容れない存在なのですね
絶対に関わってはいけないのだと再認識しました。

私も実は以前から疑問に思ってたことがあるので、是非に質問させてください。
それは、「なぜ韓国人は被害者になりたがるのか?」ということです。
先日の記事で「韓国人にとって失敗は敗北である」という解説がありましたが、被害にあうということってある意味敗北とも言えると思うのです。
特に韓国では何事も「やったもん勝ち」という性質があるようですし、他人に加害することを時に誇っているように見えるのです。
それなのに、日本との併合やいわゆる慰安婦問題では徹底的に被害者としての立場を強弁しています。
彼らが何かしら犯罪を犯したり非難を浴びるようなことをした場合でも、必ず何かしらの些細な相手の行動を取り上げて、さも自分達が被害者のように振る舞うのは何故なのでしょうか。
なんだか、「勝者であり被害者である」というのがちぐはぐに感じます。
彼らのこの考え方について、ご教授いただけると嬉しいです。
2015/11/07-19:51 | URL | しらす #qauwC6GU[ Edit]

まず最初のご質問ですが「日本は過去に何度も謝罪しているのに、韓国(人)はいつまでも謝罪を求め続ける」という現象については、昨今の嫌韓書籍でも結構触れられている割に「それは何故なのか」ということに言及しているものが少ないのか(ごめんなさい、私は嫌韓書籍をあんまり読んでいないのでわかりませんw)、ただ闇雲に「何度謝罪してもいつまでも謝罪を要求し続ける韓国人はけしからん」的な理解をしている嫌韓日本人が結構多いように感じております。

韓国が「ムービングゴールポスト」にたとえられるようになったのもそのためでしょう。「一度でも謝罪してくれれば済む話」と言うから謝罪したのに、それをネタに更に謝罪要求が増えるのですから、要求される側としては理不尽極まりない話です。

けれど「盗人にも三分の理」などと言うように、韓国人にも一分(一厘?一毛?w)の理が、実はあります。

少し前に書いた「続「韓国人がノーベル賞を取れない理由」」の中で、「韓国人にとって失敗は敗北であり、敗北は全ての終わり、即ち「死」と同義」と書きました。この思考が「謝罪」に対しても適用されていると言えばご理解いただけるでしょうか。

韓国人にとって「謝罪すること」は「敗北を認めること」とほぼイコールです。ですから、彼らは本当に謝罪しません。正しくは、「自らに責任があると認めて謝罪すること」をしません。「自らに責任がない」と確信している状態ですと、彼らは結構安易に謝罪するので、この点は注意が必要です。

それは韓国人にとって「謝罪すること」=「敗北を認めること」=「全ての終わり」=「死」だからです。だから明らかに自分が悪いとわかっていても(と言うか、わかっていればいるほどw)彼らは頑なに謝罪しません。どうにかして相手の非を見つけ、それを以て自らの非と相殺するか、あわよくば相手の非の方が大きいことにして、勝敗を逆転させようとします。

日韓チャットでしばしばやられたのが、「確かに自分は悪かったかもしれない。だがそれを指摘して自分を追い詰めたお前はもっと悪い。だから悪いのはお前の方だ」という理屈でした。彼らはこんなやり方で、どうにかして自分が謝罪する立場であることを回避しようとするのです。

ふたつめのご質問のお答えにもなりますが、この思考は彼らが被害者になりたがるのと同根です。被害者とは、加害者に対して慰謝や損害賠償を要求出来る権利を持つ、言わば債権者です。

ですがご質問の中にあるように「被害にあうということってある意味敗北とも言える」のに、何故彼らは被害者を気取りたがるのかという疑問は残るでしょう。

これも答えは簡単で、「被害者を気取って慰謝や損害賠償を求める者は、ほとんどの場合本当の被害者ではないから」ですw 「そんなはずはない」と思う方は、韓国人で被害者を気取って喚き散らす者の中に、「確かにこれは本当に被害者だ」と思い得る人物がどの程度存在するかを数えてみれば良いでしょう。大抵の場合「被害者を装った、あるいは被害者の代弁者を装った人物」のはずです。

保険金詐欺を想像していただければ容易にご理解いただけると思いますが、実際に被害に遭っていないのに被害者を装うぐらい美味しい話はありません。債権を持っていないのに債務者(と定めた相手)に債務を要求出来るのですから。韓国人がそういう立場を「勝者」と考えないはずがないということは、すんなりご理解いただけると思います。

逆に、自分が謝罪させる立場になった場合、韓国人は是が非でも相手に謝罪させようとします。首尾よく相手に謝罪させられれば、それは自分が相手の生殺与奪の権を握ったことになります。即ち相手を煮るも焼くも自分の思いのままになるはず、というのが彼らの「相手が謝罪した場合」の状態なわけです。

ところが日本の場合「謝罪した」と言っても、いつも韓国より高いところにいるわけです。謝罪したのであれば、日本は常に韓国の言いなりでなければならないのに、韓国の言うことを聞かなかったり、反論したりするのです。

「一度謝罪すれば済む」というのは、日本が一度謝罪した後、永遠に韓国に頭を下げ続け、決して逆らわず、どんな無理無体も素直に飲み込むということなのです。そうしない限り日本が何度謝罪しても韓国人の「理」においては、「日本は一度も謝罪していない」ことになるのです。

これが韓国人の「理」であって、それを改めろとか無くしてしまえと言うのは無理です。韓国人に韓国人でなくなれと言うのと同義です。しかしだからと言って、日本が永遠に韓国に頭を下げ続け、決して逆らわず、どんな無理無体も素直に飲み込むべきとも全く微塵も思いません。

結局いつもの結論、「だから日本と韓国は発展的に関係を解消するべきだ」ということになるわけです。



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