韓国人がオウム返しの反論をする訳
金泳三氏は数々の名言を残したとやらで、「日本の無礼を正してやる」的なことを言ったこともあるらしく、韓国人的には痛快だったようです。しかし生前は韓国歴代大統領の中では政治家として愚昧だったという評価を得ていたように記憶していたのですが、いざ亡くなってみると「偉大な政治家であった」という評が多くてちょっと意外でした。
さて、韓国人は言い争いになるとこちらが言った台詞をそのままオウム返しに口走ることが時々あります。あるいはその場では用いないものの、別の機会に用いるということもあります。
それがその時の状況にぴったり合ったものなら、オウム返しという行為については小賢しいと思うでしょうけれど、オウム返しをした行動原理については理解可能です。しかし彼らは時に非常に素っ頓狂なオウム返しをすることがあります。
極端なたとえを申し上げるとすれば、年嵩の日本人が無礼な態度の若い韓国人に向かって「大人に向かって何だその態度は。韓国人は年長者に対する礼儀を知らないのか」と叱りつけたとします。すると叱られた若い韓国人が「お前こそ年長者に向かってその態度は何だ!チョッパリは本当に礼儀がないね!」と言い返すという感じです。
実際には相手が年長者で自分の方が年少者であるにも関わらず、またそれを知らないわけでもないのに、彼らは何故かこういう返しをよくやります。
弊ブログの日韓チャットログカテゴリには具体的な例があるんじゃないかと思って過去記事を漁ってみたところ、この記事なんかが比較的わかりやすいのではないかと思われました。
その記事中でも言及しているように、【韓国人の悪口というのは、「自分自身が他人に言われたら悔しいこと」】であることが多い(と言うかほとんどそう)なので、今回ご質問下さった方の「これは彼ら的にぐぬぬとなったから、同じ言葉でやりこめてやろうと思ったことの発露なんでしょうか」という考察は概ね正解と考えて良いのではないかと私は思います。
更に根源的な問題を追求するならば、以前から弊ブログでは何度も申し上げていることですが、韓国人は言葉に意味があることを理解していないということも、彼らの素っ頓狂なオウム返しの原因になっているのと思われます。
彼らは、彼らが聞き取った言葉の意味や内容を斟酌せず、ただそれを言われて悔しいと思った自分の気持ちをそのまま相手に跳ね返すために、全く同じようなことを言い返すのではないでしょうか。
これに加えて、彼らは責任を伴う反省をしません。何故なら、韓国人にとって反省とは敗者の屈辱だからです。
日本人にとっても反省は失敗した時にするものであり、必ずしも喜んでするものではありません。しかし失敗することによって経験値をより高く積み上げることが出来ますし、反省は教訓となってより良い成功をもたらすことがあります。道を覚えようと思うなら道に迷うという経験があった方がしっかり覚えられるというのと同じです。日本は現在技術大国と言われておりますが、そう言われるようになるまでには無数の失敗と反省を、多くの技術者たちが繰り返してきたのです。
翻って韓国では、以前にも述べた通り、彼らにとって失敗は敗北であり、敗北は全ての終わり、即ち死にも等しいものです。
セウォル号事故の時も、直後は韓国総反省みたいな状態でしたが、時間が経つにつれ、反省したことをなかったことにしようとしているのではないかと思われるような主張が見られるようになりました。
少なくとも、現在の韓国人の多くが、その時反省したことを積極的に忘れようとしているのは確かでしょう。
ですので彼らが指摘された過ちを自分のこととして受けとめ、省みるということはほとんどありません。従って、指摘された過ちを正すということも、「彼らの中」、即ち「ウリ」にはありません。
これは日韓チャットにいた韓国人に限ったことではなく、韓国では有識者に属する朝鮮日報の論説委員でさえ同様なのです。
斯様に韓国人のオウム返しには様々な要素が複合的に作用していると分析してみたわけですが、結局のところ「韓国人が何を言っても真面目に耳を傾ける必要はない。どうせ大した事は言っていないのだから」と理解するのが一番の正解ではないかと、ここまでグダグダ考えた挙句に思った次第です。