嫌韓の道はやはり険しい
例えば今回でしたら2014年11月25日付の記事とか2013年11月27日の記事、2012年11月26日の記事などを読み返します。
へえ、この記事書いてからもう1年も経ったのかとか、やっぱり韓国は2年経っても3年経っても全然変わってないなあと改めてうんざりしたりするわけですが、2013年11月26日付の記事のひとつ前の記事を見て、対する日本はずいぶん変わったと思いました。
それは「韓国擁護は易く、批判は難し」と題した記事です。
当時は間違いなく記事に書いたとおり、韓国擁護の方が安易で無難でした。しかし昨今の日本においては、韓国批判の難易度のはかなり下がったのではないかと感じられるのです。
かつてであれば、とにかく韓国批判をすればその内容を聞くより先に「サベツ!」と叫ばれそっぽを向かれたり耳を塞がれたり、何か可哀想な人を見るような目で見られたものです。ところが昨今は韓国批判に積極的とまでは言えないにしても、無条件の拒否反応を示す人は少なくなり、ある種の共感を示す人が増えてきた感があります。
以前は「韓国ってこんなんだよー」「韓国人ってこんな連中だよー」と言うと、眉をひそめていかにも「関心ないし」「聞きたくないし」というオーラを放ちながらの生返事をされるか、「そんなこと言っちゃダメだよ」と無作法をたしなめられるような言い方でシャットアウトされることが多かったのですが、最近では「韓国ってこんなんだよー」「韓国人ってこんな連中だよー」と言うと、「あー、わかるわかる」とか「あの人たちってそうらしいねえ」と、ずいぶん肯定的な声が返ってくるケースが明らかに増えているのです。
韓国は変わっていません。私の韓国評も、文字通りの十年一日ですw 十年前から同じものについて同じ人が同じことを言っているのに、それを聞いた人たちの反応が変わってきているのです。
韓国における韓国擁護は今も昔も相変わらず容易いようですが、日本における韓国擁護は、かつてと比べればかなり肩身が狭くなってきているようで、以前のような大手メディアによるあからさまな韓国推しは鳴りを潜めました。翻って韓国批判の方は、不況をかこつ出版業界において「嫌韓書籍」というジャンルを構築するほどにまでなりました。
もちろん、日本における嫌韓気運の高まりは、韓国のように国が予算を掛けて韓国賛美や韓国擁護をバックアップしているのとは全く異なります。いち早く韓国の欺瞞や危険に気づいた個人個人が公憤と危機意識に基いて自主的に、背後から撃たれるようなことがあっても倦まず弛まずこつこつと積み重ねてきた韓国に関する「事実」が、ようやく日の目を見始めたというところでしょうか。
日本政府の姿勢も以前と比べると格段に変わってきました。韓国政府が国民の反日にインセンティブを与えているのとは異なり、日本では政府が積極的に嫌韓を促進したりは一切しておりませんが、これまでの常軌を逸した(としか思えない)親韓・擁韓姿勢は、かなり改められつつあると評価出来ると思います。
嫌韓を名乗って憚らない私ですから、この傾向自体はもちろん歓迎しております。この調子でどんどん日本の嫌韓気運が高まり、最終的には日本国民のコンセンサスとしての嫌韓が成立すれば良いなとさえ思っております。
ただ少々気になるのは、「事実」をあまり知らないまま嫌韓に傾く人を散見することです。
かつて日韓チャットを始めたばかりの頃、私にはひとつの危惧がありました。韓国の反日とは、日本のことをろくすっぽ知らず、ただ教えられるがままに鵜呑みにした日本の情報と印象に基いて「何だかよくわからないけどみんながそう言うから、日本は悪いんだろう」というものです。そこに色んな朝鮮情緒などの要素が絡んではいますが、根源はそんなものでしょう。
日本人も昔から韓国のことをろくすっぽ知らず、ただ教えられるがままに韓国の情報と印象を鵜呑みにしていました。韓国人と異なるのは、「何だかよくわからないから、韓国のことを悪く言うのは止そう」というのが、日本人の韓国に対する意識だったということです。
しかし日本に韓国の事実が広まれば、日本人の多くは韓国を嫌うようになるだろうという確信が私にはありました。ですがそれは「知り得た事実に基いて、冷静に判断した結果、韓国を嫌うようになる」というものではないかもしれないとも思っていました。
それがどういうものかと言うと、韓国の反日をそのままただ裏返しただけの、即ち「何だかよくわからないけどみんながそう言うから、韓国は悪いんだろう」という嫌韓です。実際、昨今の嫌韓日本人の中にはそういう人が少なくないように見受けられます。
韓国の「事実」を知り、よく考えた末に嫌韓になるのも、韓国について何だかよくわからないまま嫌韓になるのも、「韓国を嫌う」という意味では同じことじゃないかと思う人がいるかもしれません。
確かに「嫌韓」というカテゴリだけで見れば同じと言い得るでしょう。ですがもし、ちょっと弁の立つ親韓や擁韓、あるいは権威のある韓国人に論拠を求められたり反論されたりすれば、「何だかよくわからないけど」の人がたちまち窮するのは火を見るより明らかです。
弁の立つ親韓や擁韓、権威ある韓国人でなくとも、人懐っこい量産型韓国人に懐かれれば、「何だかよくわからないけど」の人たちは極めて容易に転がされるでしょう。
転がされることも問題ですが、怖いのはその反動です。当人だけが転がるなら良いのですが、周囲の「何だかよくわからないけど」の人たちも釣られて転がることを私は恐れます。
実際、かつての日本でも朝鮮人と実際に付き合い、理屈ではなく経験で彼らの危険性を知り、嫌悪した人たちは少なくありませんでした。ですがそれは継承されず、むしろ否定され、徹底的に排除されました。理論武装が不十分なまま朝鮮を嫌悪した人たちは弁の立つ、あるいは権威ある朝鮮賛美論者の前に口をつぐまざるを得なくなります。
戦後しばらくの間、その対象は韓国ではなく北朝鮮でしたが、後にそれは逆転します。気が付けば、日本中に「韓国のことを嫌ってはいけない」という空気が満ち満ちていたのは、皆様もご承知の通りです。
現在の「韓国のことをよく知らないまま嫌う」という人が多い状態は、将来再びそうなる危険性を孕んでいるのではないかと私は危惧するのです。
韓国に関する知識を蓄え理解を深め、熟知した上で嫌うのであればそんな心配は極めて少ない(皆無ではないのがつらいところw)のですが、弊ブログやまとめブログを斜め読みしただけの理論武装レベルでは、最低限の自衛をするのが精一杯だと思います。だからと言って、誰もが堅固な韓国知識を蓄え、理解を深めることは極めて困難だということは、私が身を持って知っております。
一番良いのは、日本人全てが韓国という存在を意識的に意識の外に排除し、積極的に関係を断ち、必要に迫られて関わる場合はそれ相応の教育を受けた人に限るようにすることだと思いますが、正直非現実的だと思います。
とりあえず今は過渡期と思って多少の難には目をつぶり、嫌韓が日本人の意識の隅々まで行き渡ってから次の段階に進むというのが一番現実的ではあると思うのですが、そういう人たちが増えると、今度はいつそういう人たちが転ばされるかとハラハラしながら見守ることになって、なかなかにしんどいものがあります。
そんなこんなで、昨今の日本における嫌韓気運の高まりは喜ぶべきことですが、それでもやはり嫌韓の道というのは険しいとしみじみ思う今日この頃です。