韓国の歴史が誇らしいのは当然
彼の父は鮮于煇といって、やはり朝鮮日報の主筆を務めた人物ですが、その息子も40代にして韓国では一二を争う大新聞社の論説委員になっているのですから、この先もまだ栄達の見込みは十分にあります。
朝鮮日報における彼の順調な出世が父親の七光なのか当人の実力なのかはわかりませんが、いずれにしても45定(朝鮮語でサオジョンと読みます。韓国では45歳までに理事(会社役員)になれなければ、会社を辞めざるを得なくなる、すなわち「事実上45歳で定年になること」を意味します)の韓国における両班であることは間違いないでしょう。
過去記事がすぐ見られなくなる朝鮮日報なので(一応魚拓はありますP.1、P.2、P.3)、かなりの長文ですが全文を引用します。
【コラム】誇らしい歴史、恥ずかしい史料 帝国主義時代の日本と左派が発掘した恥ずかしい史料が山ほどある これらを取り除かなければ誇らしい歴史は空念仏に終わるだろう 先日、東京都内の書店で「朝鮮王公族-帝国日本の準皇族」という本を見つけた。本の帯には「帝国日本への歪んだ忠誠」という文字と共に写真があった。日本の軍服を着て、日本の皇族の列の端に立つ朝鮮王族3人の姿だ。高宗(朝鮮第26代国王、大韓帝国初代皇帝)の息子・英親王(李垠〈イ・ウン〉)と高宗の孫の李ゴン(イ・ゴン)、李ウ(イ・ウ)が靖国神社で祭祀(さいし)を行う姿だという。この本は、日本による植民地支配時代以降における朝鮮王族26人の人生の流転を取り上げたものだ。ただの嫌韓本だろうと思いながら数ページ読んだところ、多くのの史料に基づき綿密に書かれた本だということが分かった。不愉快ではあったが、そのまま置いていくことはできなかった。 その前日に東京都千代田区の赤坂プリンスホテル再建現場を見学したのも、この本が手放せない理由だった。2005年にこのホテルのシングルルームで英親王の一人息子、李玖(イ・グ)が死亡しているのが発見された。国が独立状態を保っていれば、皇帝になっていた人物だった。東京特派員をしていた当時、その寂しい最期を取材したが、李玖が亡くなっていた赤坂プリンスホテルは、かつて日王(天皇の韓国での呼称)が与え、父・英親王の東京都内の邸宅「旧李王家邸」があった所でもあるという。朝鮮王の孫だった李玖は生まれた場所で死んだのだ。その数年後、ホテルが取り壊され、建て替えられる際に旧李王家邸も消えるかと思われた。ところが、今回行ってみたところ、その近くに文化財として保存されていた。大金を投じて5000トンもある建物を丸ごと移設したそうだ。 この本は、「旧李王家邸」のように私たち韓国人が忘れたいと思っていることを思い起こさせた。亡国以降、純宗(朝鮮第27代国王、大韓帝国第2代皇帝)の専属料理人として日本の帝国ホテル初代料理長が赴任したこと。純宗はその専属料理人が作ったフランス料理と日本が送ってくれた優良な乳牛の新鮮な牛乳が好きだったこと。英親王は趣味の蘭栽培が専門家レベルに達していたこと。戦争のさなかでも日本の景勝地で登山やスキーを楽しんでいたこと。伊藤博文が使っていた別荘を譲り受けた代価として、伊藤博文の遺族に当時大金だった12万円を支払ったこと…。この本を読みながら日本の緻密(ちみつ)さに驚いた。植民地時代の朝鮮王族の全体像を書いた「王公族録」、高宗の記録を別に書いた「李太王実録」はもちろん、高宗の実兄の行動を記録した「李熹(イ・ヒ)公実録」、甥(おい)の行動を記録した「李埈(イ・ジュン)公実録」まで編さんしたという。王族が平和に暮らしているから、民も反抗せずにおとなしくしていろという意図だったのだろうか。史料の中には日本が歪曲(わいきょく)・ねつ造した記述もあるだろう。しかし、韓国人が歪曲やねつ造を立証できなければ、その記録は最終的に歴史として残る。 この本を読んでいて一番胸が痛んだのはそうした点だった。朝鮮が亡びた後だったが、日本は高宗実録や純宗実録を8年かけて製作した。朝鮮の現在はもちろん、過去についても日本帝国史の一環にしようという意図だったのだ。編さんを指揮した人物も日本の学者だった。植民地支配からの解放(日本の終戦)後、韓国人たちは2つの実録を朝鮮王朝実録の一部として認めなかった。日本が書いた歴史を認めたくなかったからだ。そこで著者は主張する。「それならば韓国はなぜ、自ら実録を作らないのか」と。日本がしたこと延々と否定しながら、解放後に新たな史料を発掘して正統性のある実録を作らなかった韓国は理解しがたいということだ。もちろん、1960年代に国史編さん委員会が不十分ながら「高宗時代史」を編さんしたので反論がないわけではない。君主国家でもないのに、過去の王朝の実録編さんが法的に可能なのかという疑問もある。しかし、韓国人でなければ誰も朝鮮王朝実録の空白を埋めてはくれない。 朴槿恵(パク・クンヘ)大統領は「誇らしい歴史を正しく教えるべきだ」と言う。当然、韓国の歴史は誇らしい。だが、誇らしい歴史を書くには、まず誇らしい史料を発掘しなければならない。現代史も同じだ。故・金泳三(キム・ヨンサム)大統領在任時に始まった「歴史の立て直し」は、金大中(キム・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権を経て韓国現代史全体に影響を及ぼした。しかし、だからといって今の政府のように歴史を解釈の見直しをすべきだと食ってかかっているわけではない。まず、史料発掘に人材や資金を投じた。盧武鉉政権時に活動が始まった「真実・和解委員会」の場合、投入された人材は230人、予算は759億ウォン(現在のレートで約81億円)に達した。同委員会がまとめた資料を見ると、解放後の韓国は暗黒の国だった。もちろん恥ずかしい歴史も韓国史の一部だ。史料発掘を通じて悔しさを晴らした国民も多い。しかし、歪曲された部分もあった。朴大統領があれほど憤慨する教科書の左派寄りの主張は、多くの部分でそうした史料に基づいている。帝国主義時代の日本の史料を克服できずに誇りを持って韓国近代史を書くことができないのと同様、左派寄りの史料を克服できずに誇りを持って現代史を書くことはできない。苦労して書いたとしても、権力の流れと共に消えるだろう。 朴大統領は、学者たちが「誇らしい史料」を発掘できるよう、これまでのどのような支援をし、どのような成果を得てきただろうか。帝国主義時代の日本や過去の政権が総力を挙げ山のように積み上げてきた恥ずかしい史料を、どのように取り除いてきたのか。歴史は解釈の見直しだけで新たに書けるものではない。 鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 |
文中の
正直、この部分があまりにも韓国人らしさ溢れる主張だったので、「これはもしかしたら、韓国ウォッチをしている嫌韓日本人読者を釣るためにわざと
韓国の歴史を振り返れば、お世辞にも「誇らしい」とは言い難いことのオンパレードです。韓国建国以後に限定してお世辞でどうにかこうにか「誇らしい」と言えそうなのは「漢江の奇跡」ぐらいでしょうか。韓国人的に「誇らしい」と思える韓国の歴史を挙げてみろと言えば、おそらくほとんどの韓国人が暫時答えに窮するでしょう。
しかしそれでも韓国人にとって韓国の歴史が誇らしいのは最初から決まっており、最後まで当然なのです。その理由も根拠も必要ならば後から探せば良いという韓国人に普遍的な意識を、鮮于鉦はこのコラムで明確に示して見せたのです。
かつて韓国人が「教科書問題」と言えば、それは必ず「日本の歪曲歴史教科書」の問題でした。「侵略」を「進出」と書いたという誤報に端を発し、私が日韓チャットで体験したものでは「新しい歴史教科書をつくる会」の作った歴史教科書を採択したことに対する韓国人の猛反発などがありました。
しかしこのところ韓国で「教科書問題」と言えば、韓国内の教科書に関する問題になっております。金大中、盧武鉉と二代十年続いた北朝鮮工作員政権によって韓国では国定教科書の利用を廃し、検定教科書を利用するようになっていたのですが、その結果北朝鮮に配慮し過ぎた、ぶっちゃけて言うと北朝鮮の主張に迎合した内容の教科書が用いられるようになりました。
北朝鮮と韓国は一応今でも戦争中ということになっております。北朝鮮から見た韓国はアメリカの傀儡であり、哀れな韓国民をその傀儡国家から解放しなければならないというのが、北朝鮮側の思想なわけです。韓国人の多くがその思想に染まれば、当然韓国という国家は内部から崩壊するおそれが極限大になります。実際、盧武鉉政権以後の韓国では、北朝鮮の思想に染まったと思われる人々が煽動する暴力的デモが頻発しているのです。
これを憂慮した朴槿恵大統領が教科書の再国定化を決めたのですが、これに反対する韓国人も多く、そのため現在の韓国で「教科書問題」と言えばこの再国定化の是非を論じることになっております。
今回の鮮于鉦コラムもそれを踏まえたものではありますが、自他共に韓国トップクラスと認める有識者の歴史に対する見解がこれでは、この先韓国の歴史教科書がどのように変わろうと変わるまいと、「正しい歴史」を韓国人が知ることは永遠にないのだろうとしみじみ思わされた次第です。