日韓関係改善という実現不可能な題目
韓国言論の日本語版は、日本人に「ウリはこんなに素晴らしいorすごいニダ」ということを誇示するためや、「チョッパリは反省しる」ということを主張するためのものですから、慰安婦問題について載ってない日はありません。だから慰安婦問題に関する記事が載っていること自体は、特段珍しいことではないのですが、それが「慰安婦問題に関する日本側の主張」に耳を貸すかのような記事だったのが、私の目を引きました。
朝鮮日報の「慰安婦:大沼保昭氏「戦後の韓国社会と韓国メディアも共犯」」という記事がそうです。中央日報でも同じ人物にインタビューした記事が載っています。
これらの記事を見て「ほう、韓国も日本の主張に耳を貸すようになったのか」などと思うほど私は純真ではありません。慰安婦問題に関して、「日本の主張」に耳を貸す気など韓国人にあるわけないのです。それなのに何故韓国人はこういう記事を日本語版に載せるのでしょうか。
それは彼らに、日韓関係を改善したいという願望が日本以上にあるからだと私は考えました。
かつて(韓国にとって)日韓関係が順調だった頃、韓国人は漠然と、しかし割と本気で「日韓関係が悪くなれば困るのは日本」と思っていました。それに引きずられる形で、同じように思っていた日本人はもっと多かったのですが。
しかし実際に日韓関係が悪化というほどではありませんが冷淡になると、日本は何ともありませんでした(どころか色々順調に回り始めた)が、韓国は見る見る内に困窮しました。ことに経済面は惨憺たる状態です。
日本が韓国に冷淡になると、「そっちがその気なら、ウリは中国様と仲良くなっちゃうよ?」とばかりに、これ見よがしに中国とイチャイチャしてみせた韓国でしたが、大した効果はありませんでした。それで日本と中国の関係が悪くなるようなことも特になく、逆に韓国が中国に接近し過ぎたせいでアメリカの機嫌を損ねる羽目になったぐらいです。
そうして3年が過ぎると、韓国経済は最早隠し切れないほど傾いてしまっています。日韓関係が良好な時代であれば、日本が影に日向に(ほとんど影だけど)韓国経済を支えていたのですが、それがなくなると韓国経済は一人で立っていられないということが、韓国人の目にも明らかになってしまいました。日本にとって韓国が必要かどうかはともかく、韓国にとって日本は絶対に必要不可欠であることを否応もなく突き付けられてしまったのです。
そこで韓国は「用日」などと言って日本との関係改善を目論んだのですが、何故か日本はちっとも応じません。この期に及んでもなお韓国には「ウリが仲良くしてやると言えば、それが便利使いのためであることが見え見えであっても、日本は喜んで応じるに違いない」という意識があったのでしょう。実際、かつてはそうだったのですし。
そこで韓国は「日本の主張に耳を貸すつもりはありますよ」というパフォーマンスとして、先のような記事を載せたのではないかと私は勘繰っています。もちろん、「チョッパリは相変わらずこんな妄言を吐き散らかしてけしからん」という意味で載せた可能性も大いにありますが。
いずれにせよ慰安婦問題や竹島問題に代表される日韓間に横たわる諸問題の多くは、日本がどれほど努力しようと譲歩しようと、未来永劫解決されることはないでしょう。
何故なら日韓問題とは、表題となっている問題が問題の核心ではないからです。いずれの問題も、核心は「日本を韓国に屈従させること」であって、表題となっている慰安婦や竹島そのものに対する韓国人の関心は全く無いと言っても過言ではないのです。
もしこれらの問題が解決されてしまえば、韓国は日本を責め立てる材料を失います。あらゆる面で日本に勝てない韓国ですが、唯一勝てる(と思っている)のが「道徳的側面」であって、慰安婦も竹島もその他の日韓問題もそのほとんどが「日本の非道徳性」の象徴であると同時に証明であり、韓国にとって決して失われてはならないものなのです。
これまで韓国は、多くの「日本の非道徳性」の材料を持っていました。「文禄・慶長の役」然り、「書契問題」然り、「「人類史上最悪の植民地支配」etc.stc.。
かつて日韓チャット盛況なりし頃、日本人に向かって難癖付ける韓国人のネタは概ね日帝統治時代や文禄・慶長の役等の歴史認識問題か教科書問題(これも広義の歴史認識問題かもしれませんが)で、慰安婦問題もありましたがそれほど大きなテーマではありませんでした。
そのうちこれに竹島問題が加わり、入れ替わるように歴史認識問題は水面下に沈んで行きました。歴史認識問題を正面から議論すると、日本人に対抗出来る韓国人がほとんどいなかったためでしょう。教科書問題もやがて沈静化しました。「内政干渉」の一言で退けられるし、そもそも韓国人のほとんどが問題となった教科書を見たこと(「読んだこと」ではありませんw)もなかったのです。
竹島問題は私が知る限り、当初はそれほどでもありませんでした。しかし徐々にヒートアップしていった感があります。これは日本人に向かって韓国人が無闇と「ドクトウリタン」を吠え散らかすので、やむなく日本人がそれに真面目に緻密に対応した結果でしょう。「キジも鳴かずば」とか「ヤブヘビ」という言葉を思い浮かべざるを得ません。
慰安婦問題も、昔は今より韓国人のテンションは低かったのです。しかし日本人に議論を吹っ掛ける内に、日本を責めるお題をひとつずつ潰されてしまい、最後に残ったのが慰安婦問題と竹島問題なのです。
韓国はいまや日本を責めるに有効と思える材料をほとんど持ちません。慰安婦問題と竹島問題が、日本を責める(攻める?w)残された牙城なのです。
竹島問題は、日本が戦争も辞さないという覚悟を決めない限り、解決される期待は持てません。慰安婦問題は、そろそろタイムアップでしょう。何故なら「慰安婦おばあさん」たちが死んでしまえば、解決のしようがなくなるからです。よって実は「慰安婦おばあさん」たちが死に絶えるのを待ち焦がれているのは、韓国人の方です。
「慰安婦おばあさん」は、生きていれば何を言い出すかわかりませんが(事実、「慰安婦おばあさん」たちの「失言」は結構多い)、死んでしまえば生きている者が想像したことを好きなように彼女たちの言葉として語る(騙る?)ことが出来ますし、「慰安婦おばあさんの遺志を継ぐ」と言えば、永遠に日本を攻撃する材料とすることが出来るからです。
従って慰安婦問題を解決しようと思ったら、慰安婦問題に匹敵するだけの「日本を攻撃する材料」を韓国が発見する必要があります。もし慰安婦問題に匹敵する日本攻撃材料を韓国が見つければ、彼らは慰安婦問題に対する関心を急速に失うでしょう。
そうなれば「慰安婦問題」そのものが解決される期待は大いに持てます。が、同時にそれと同じ程度か、下手をすれば慰安婦問題以上に紛糾する別の問題が叫ばれるようになるだけだろうと私は予想しています。
即ち、日本を「道徳的」に非難する材料を、韓国人は民族性として欲し、また必要としているのです。日本がそれに頭を下げていれば、要するに「日本が韓国に屈従」すれば、表面上は「日韓友好」が成立するかもしれません。しかしそれは少なくとも国際標準では「友好」とは言いません。「友好」と言わないものを「友好」と言い張れば、その歪みは必ずどこかで噴出します。現在の日本における嫌韓気運の高まりも、これまでに蓄積された「歪んだ日韓友好」によって醸成されたものと言っても過言ではないと私は考えています。
誠に、「日韓関係改善」というお題目は不毛の一言に尽きると痛感せざるを得ません。