朝鮮人であるということ、朝鮮人のような真似をするということ
私の判断基準は、実際の国籍や血統ではありません。「朝鮮人(韓国人)のような真似」をするかしないか」、つまりその人の言動そのものです。
朝鮮人(韓国人)のような真似とはどんなものかということは、単純に定義付けすることは少々困難です。朝鮮人(韓国人)のような真似というのは、人間なら誰でもしでかしてしまうことがあるからです。
ですから誤解の余地は大いにありますが、それでも「朝鮮人(韓国人)のような真似」というのは「獣性」と呼んで良いと思っています。人間も獣の一種ですから、当然に「獣性」を持っています。ですが人間が獣と一線を画しているのは、獣は「獣性」に支配された行動を取ることしか出来ないのに対し、人間は「人性」によって「獣性」を制御することが出来るためではないかと私は考えています。
「獣性」を「動物的本能」とするならば、「人性」は「人間的理性」とも言えます。韓国人がしばしば言い、また大変に好む「人間臭さ」というのは実は「獣らしさ」、即ち「人間なら誰でも持っているということを言い訳にして、人間の中にある獣性を制御しないこと」であることが多いということは、過去記事で何度も指摘したとおりです。
韓国人のややこしさは、彼らが自分自身では極めて理知的で理性的だと考えていることでしょう。従って、「韓国人らしさ」を発揮してしまった「他人」に対して彼らは、意外に厳しい評価を下します。何も知らない日本人がその様子を見れば、韓国人は理知的で理性的だと思わされてしまうほどです。
ある一瞬間だけであれば、韓国人は理知的で理性的なのではないかと思えることは、案外よくあります。ですがそれほど長い時間でなくても良いので、しばらく彼らを観察していると、彼らが極めて高い確率で自家撞着を起こしていることに気付くでしょう。
例えば韓国で政治家による汚職事件が報道されれば、大半の韓国人は憤慨し、その当事者たちを強く罵ります。「韓国人として恥ずかしい」などということも極めてよくあります。
朝のニュースでテレビに向かってそう罵った韓国人が、その日の通勤途中に交通違反で警官に捕まったら、当たり前のように賄賂を渡して見逃してもらおうとする、などというのは、韓国の日常風景でしょう。
自分だけは得をしたい、自分だけが良い思いをしたいという欲求は、別に韓国人だけの専売特許ではありません。おそらく世界中のどこの国の人間であっても、そう思うことはあるでしょう。それは人間に限らず、獣も同様です。
時に利他的行動を取る野生動物も確かに存在しますが、基本的に獣というのは利己主義です。人間社会でも、法治の徹底していない地域では利己的行動が一般的でしょう。法とは、社会の理性とも言えます。理性のないところでは、人間も獣の一種としてしか生きていけません。
社会が法という理性によって制御されていれば、個人もまた理性を以て自らの獣性を制御します。せざるを得ません。しなければ法という社会の理性によって懲戒されたり排除されるからです。
しかし嫌韓や韓国ウォッチャーならご存知の通り、韓国社会における法という理性は、十分に機能しているとは言い難いのが事実です。個人としての韓国人もまた、理性を以て自らの獣性を制御しようとはしていません。尤も彼らは、自身の獣性をちゃんと自覚していないと言うか、「自身の獣性」をそもそも認めていなかったりするのがまた困ったものなのですが。
いずれにしても彼らは他人の獣性を非難することについては大変に甚だしいのですが、自身は極めて自然に獣性を発揮し、しかもその自覚に欠けます。唾棄すべき習性ではありますが、時に羨ましくなることもあります。何故なら、その習性はその場限りでは「得」になる場合があるからです。
先に述べた例で言えば、政治家の汚職を厳しく非難する人は、他者から倫理的意識の高い高潔な人物と見てもらうことが出来るでしょう。警官にこっそり賄賂を渡して交通違反を見逃してもらえれば、罰金や反則金を免れるだけではなく、「優良運転者」という経歴に傷が付くこともありません。
政治家の汚職を厳しく非難し、永年の優良運転者であることを誇る韓国人は、それぞれの部分だけを見れば韓国人らしからぬ立派な人物に見えるかもしれません。しかし、政治家の汚職を厳しく非難しておきながら、自分は自身の利益のために警官に賄賂を渡すことに躊躇も恥じることもないという行動様式は、極めて韓国人らしい、即ち「朝鮮人のような真似」と言えます。
加えてこういった「朝鮮人のような真似」は、個人且つ短期的には利益をもたらすかもしれませんが、大きく広く長い目で見れば社会全体のモラル低下や秩序の崩壊につながりかねない行為でもあります。事実、日本と比較すれば明らかに韓国は社会全体のモラル低下や秩序が崩壊した状態になっております。
日本における公共意識の高さと、それがもたらす恩恵を実感した韓国人が、韓国でも同じような行動を取ろうとすることはないわけではないようですが、しばらくすると元に戻るといいます。何故なら、韓国でそういう行動を取ろうとすると「自分一人が損をしているみたいだ」からです。
日本人の「他人に迷惑をかけないようにする」という公共心は、以前にも書いたことがありますが、「全員が少しずつ譲りあうこと(≒窮屈な思いをすること)で、社会全体が居心地よいものになるようにする」というものです。その意識から生まれる社会環境は韓国人にとっても心地よいものではあるのですが、社会全体に「他人に迷惑を掛けないようにする」という意識が行き渡っていなければ、そういう意識を持った者だけが譲ることになる(=損をすることになる)のは理の当然です。
韓国人が韓国人であるが故に韓国人のような真似をするのか、それとも韓国社会がそうだから、韓国人は韓国人のような真似をせざるを得ないのかは、俄に断じ難いことではあります。
しかしいずれにせよ、韓国人社会は韓国人のような真似をする生き物でなければ、とてつもなく生き難い社会であることは確かです。それでも彼らは「ひとりひとりが少しずつ譲り合うことで、社会全体を居心地良いものにしよう」とは思いません。それよりはむしろ、そういう社会、即ち日本に寄生しようと考えるようです。
そういう生き物が日本に多くなれば、現在多くの日本人が少しずつ負担している「窮屈な思い」にタダ乗りされることになるだけではなく、やがてそういう生き物が「得」をしているのを見て、「なんだ、窮屈な思いなんてする方がバカじゃん?」と思う人、即ち「韓国人のような真似をする人」が増えることになるおそれは、十分にあります。
そうなれば、それは即ち日本社会の韓国化です。それで住み良い社会になるなら良いのですが、韓国の現状を見る限り、全くそうは思えません。間違いなく、今の日本社会の方が今の韓国社会よりも、圧倒的に住み良いのです。
朝鮮人であるという理由だけで、日本から朝鮮人を排除するべきとは、私は思っていません。しかし「朝鮮人(韓国人)のような真似」をするのであれば、それがたとえ日本国籍の者であろうと、血統が生粋の日本人であろうと、もちろん生粋の朝鮮人であろうと、日本社会の安寧と秩序を守り更により良いものにするために、徹底排除あるいは徹底矯正する必要があると、私は考えております。
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