韓国の経済スタイル
開国後、日本の産業は二次産業にシフトしました。中でも外貨を稼いだのは繊維産業だったと記憶します。他は製茶だったかな。陶器などもあったように思いますが、主力は繊維、殊に絹だったはずです。今でも、日本から遠く離れた国の小中学校の教科書には、「日本の主な輸出品はシルク」と書かれているものがあると聞いたことがあります。
故司馬遼太郎氏も確か「かつての日本には絹とマッチぐらいしか売るものがなかった。そんな行商人か小間物屋みたいな商品しかなかったくせに、よくも世界を相手に戦争をしようと思ったもんだ」みたいなことを書いておられたことがあったと思います。
日本の近現代史を振り返ると、日本の産業は順調に発展推移してきたような印象があります。しかし実際のところはどうだっただろうと、最近思うようになりました。
日本の主要産業は明治維新後に二次産業にシフトし始めますが、それでも長い間一次産業が主要産業でした。その時代の日本の産業に小さからぬ打撃を与えたもののひとつに、朝鮮米があります。
厳密に言えば、その当時の朝鮮は日本の一地方でしたから、朝鮮米も国産米と言えなくはありません。また日本国内でコメの需要が急増し、朝鮮のコメがなければ需要を満たすことが出来なかった時期があったのも事実です。しかしながら日本国内での米作と朝鮮での米作が競合したのも、揺るぎない事実でしょう。
また、カネに目が眩んで(日本米よりも朝鮮米の方が高値が付くときもあった)後先考えず日本にコメを売りつけようとする朝鮮人も多かったようで、彼らは自分たちが食うコメを削ってでも日本にコメを運んだそうです。そもそも、朝鮮人が日常的にコメを主食とするようになったのは日本から近代米作技術が伝わってからですから、朝鮮人にとってコメはもともと食べるためというよりは換金するための作物だったのでしょう。
この時期のことを現在の韓国人は「日帝によるコメの収奪」などと言って日本非難のネタにしておりますが、実際には朝鮮米に圧迫されて、日本のコメ農家はずいぶん苦しんだようです。この当時には、収奪どころか朝鮮からのコメの流入を止めろという声が上がっていたことも、記録に残っております。その間、日本の米作農家の窮状はそのままに、繊維業は日本の花形産業として発展していきます。
終戦を迎え、日本が戦後復興のために必死だった頃、朝鮮(この頃からは「韓国」と言うべきかもしれません)ではアメリカの支援により三白産業と呼ばれる、繊維、製粉、製糖産業が台頭し、韓国の繊維産業はそれまで日本の主要産業であった繊維産業と競合することになります。私の子供の頃、安物の服と言えば必ずと言って良いほど韓国製でした。中国製の服は、当時はそんなにありませんでした。
もちろん日本の繊維業の衰退が韓国の繊維業の勃興のせいだけとは言えません。かつてドル円の為替レートは1ドル360円の固定相場であったために、日本の繊維業は価格的な国際競争力に優れていたのですが、変動相場制に移行するとそのアドバンテージが失われたということの方が原因としては大きいでしょう。
しかし日本の産業スタイルを韓国が後追いするというパターンは、その前時代のコメ産業から繊維業でも踏襲されたことは結果論であるとしても事実です。それによって日本における当該産業が多少なりとも打撃を被ったのも事実です。
時代と共に、日本の主要産業は軽工業から重工業へと移行していきます。日本の花形産業も繊維から家電や自動車などになっていき、高度経済成長の波に乗って、日本は一気に経済大国へと躍進します。すると韓国も、その足跡をたどるかのように重工業へとシフトしていきます。
2000年代に入り、私が日韓チャットに出入りするようになった頃、韓国人は「日本のソニーを韓国の三星が抜いた」と盛んに自慢しておりました。また日本国内では全く売れませんでしたが、アメリカやオーストラリア、ニュージーランドなどにおける韓国製自動車の普及は凄まじいものがありました。
こうやって日本と韓国の産業史を振り返ると、日本が成功した産業を韓国が後追いし、やがて日本の産業にダメージを与えるというのがひとつのパターンになっているように見えます。
二度ある事は三度あるなどと申しますが、三度あることはまだまだその後も続くのではないかと考えなければならないのではないでしょうか。
日本は現在、観光立国を国是とし、インバウンドの誘致に国を挙げて挑んでおり、現在飛躍的な成果を見せております。同時に近年の韓国もまた、インバウンドの誘致に力を入れているようです。
実を言えば、インバウンド誘致政策については日本より韓国の方がずっと早かったと言うべきかもしれません。と言うのも、韓国で海外旅行が自由化されたのは比較的近年(1981年より段階的に自由化され、1989年に完全自由化)はであり、それまでの韓国の観光政策はインバウンドに向けたものが主だったからです。
ですが韓国のインバウンド誘致は、買い物や風俗系の遊びが主でした。韓国でそれらが安く買えた時代は、それなりに順調に客は韓国を訪れました。しかし韓国が経済発展するに伴い、それらの価格的なアドバンテージは減退していきます。何故なら、そういう客の観光動機は「低価格」であって、「韓国」そのものではないからです。「価格さえ安ければ韓国でなくても良い」という客が、物価の上昇した韓国にわざわざ訪れることがなくなるのは当然でしょう。
対する日本の観光政策は、当然ですが「日本」そのものに魅力を感じてもらうことに力を注いでおります。日本という観光地の価格的訴求力は決して高くありません。むしろそこが弱点と言っても良いぐらいです。それでも「日本」に訪れたいと外国人に思わせるために、現在の日本の観光産業は必死で努力しております。
アベノミクスによる円安という追い風もあって、現在の日本のインバウンド誘致は飛躍的な成果を見せております。成功したというには時期尚早に過ぎますが、今のところ順調に進捗しているとは言えるでしょう。これに対し韓国のインバウンドは、一時期の韓流特需があったものの、ウォン高とサービス意識の不徹底さ、観光地の貧弱さで劇的な落ち込みを見せているようです。
同じ業種で日本は順調に推移しているのに、ウリナラが不調というのは、彼らの自尊心(という名の劣等感)を刺激するのでしょう。韓国言論では日本やその他の国と比較した観光政策論をしばしば見かけるようになりました。
彼らが、自国を外国人に向けて魅力ある国にしようとするのであれば、それにケチを付ける理由は一切ありません。そうなればむしろ日本としても外国人に向けて韓国を抱き合わせで販売する(例えば「ロンドン・パリ5日間」といった感じで「トーキョー・ソウル5日間」という商品も企画し得る)という選択肢が増やせるわけで、歓迎しても良いぐらいです。
しかしながら韓国人にありがちな発想として、「自分が上になれないなら、相手を下に引きずり降ろせば良い」というものがあります。私はそれを強く恐れます。即ち日本の観光産業に対するダメージ工作を、韓国が行なうのではないかという危惧です。
例えば、昨年の韓国ではMERS流行のために観光業が大打撃を受けたように、感染症の大流行というのは観光客の旅行意欲を激しく損ないます。また、観光においては平和と安寧が約束されることが大原則ですから、治安や政情に不安があれば、観光地の魅力はガタ落ちになります。
また観光資源というものは何となく無限で不滅のように感じられますが、実際には有限ですし消滅することもあります。自然の摂理として失われるものはどうしようもありませんが、人為的に損なうことが出来る観光資源もあります。
日本のインバウンド誘致政策を引きずりおろすために、韓国人が「そういう行動」を起こさないという確信は、私には全くありません。何せ日本のインバウンド誘致政策とは(多分)無関係ながら、韓国は「ジャパンディスカウント運動」に官民を挙げて励んでいるという実績があるのです。
日本国外におけるジャパンディスカウント運動も十分に日本のインバウンド誘致政策に対する冷や水になっていますが、更なる効果を求めて、彼らが日本国内における日本のインバウンド誘致政策妨害を行なう恐れについては、十分に考慮しておく必要があると強く思う次第です。
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