三一節と、朝鮮のジャンヌ・ダルク伝説
いつもなら早ければ年明け早々に、そうでなくても2月半ば頃には恒例の季節性アレルギー性鼻炎が出てたのですが、今年は全然音沙汰がないので、もしかしたら私の鼻炎は寛解したのかと思ってたのですが、昨日から突然くしゃみと鼻水が押し寄せて来ました。どうやら私の場合は、花粉ではなく寒波がアレルゲンのようです。
さて、本日3月1日と言えば韓国では「三一節」と言いまして、年に数回ある反日特異日のひとつです、てぇのが毎年恒例のネタになっております。
三一節の解説も毎年毎年繰り返していることなので、割愛しようかなと思ったのですが、まあ縁起物なので一応今回も簡単にだけ申し上げておくことにします。
三一節とは、日本統治下の朝鮮で1919年3月1日に起きた反日暴動を記念したものです。他人がやればテロとか暴動でも、自分たちがやれば義挙とか平和的活動とか文化祭と言い張るのは彼らの常でして、この三一節ももちろんご多分に漏れません。
この三一節、まずは「民族代表33人」と呼ばれる宗教指導者たちが画策し、実行したとされております。
彼らが起草した「独立宣言」全文は、ソウルのタプコル公園にある記念碑に刻まれております。それによると誇らしげに自分たちで「朝鮮人」と名乗っておりますので、日韓チャットで韓国人に「朝鮮人」と言って火病られた時に「だってタプコル公園の独立宣言にそう書いてあるじゃん」と言って更に火病らせるという遊びも、一回か二回ぐらいやったような気がします。
何で一回か二回なんだ、もっとやれば良いのにと思われるかもしれませんが、ほとんどの韓国人がタプコル公園の独立宣言を読んでいないのと、仮に読む機会があっても、タプコル公園の記念碑に刻まれているものは漢字ハングル混じり文なので韓国人には読めないのです。
彼らが読んだことのある「独立宣言」は、まず全てハングルに翻訳されたもので、しかも意訳されており、その上読んだことはあっても覚えていないという韓国人がほとんどなので、「だってタプコル公園の独立宣言にそう書いてあるじゃん」と言っても、彼らには期待ほど通じなかったため、多用しなかったのです。
韓国の歴史、特に近代史はそのほとんどが抗日活動ということになっており、日本に抵抗したという類の話ばかりが続きます。そのため、韓国人の意識に「反日」は徹底的に刷り込まれていますが、逆にあまりにも抗日活動が多過ぎて、それらをひとつひとつしっかり覚えたり理解したりする韓国人は極めて少ないようです。
三一節ももちろん数多ある抗日活動の中の比較的大きなもの、というだけのことであって、その内容を詳細且つ正確に記憶している韓国人はいないと言っても許されるぐらいです。それにつけ込んでか、韓国ではそこにいろんな
三一節で興味深い伝説のひとつに、朝鮮のジャンヌ・ダルクと彼らだけが呼んでいる「柳寛順」伝説があります。「柳寛順」は、当時梨花女子大の学生だったそうですが、三一独立運動を受けて女学生の身ながら、敢然と立ち上がります。ここまでの話も実はかなりあやふやらしいのですが、それでもまだここまでは比較的事実に即していると言うことが出来ます。
私が知っている「柳寛順」にまつわる伝説とは、以下のような内容です。
彼女は多くの(数百枚とも数千枚とも)太極旗をひとりで密かに製造し、それを秘密裡に民衆に配布して、平和的示威活動を計画。狙った日に実行に移し、一応の成功を見ます。その結果、彼女は暴動の首謀者として日帝の官憲に捕らえられ、投獄されて残酷な拷問を受けます。最終的には四肢を切断され、裸で刑務所の外に打ち捨てられたそうです。
しかしさすがは朝鮮のジャンヌ・ダルクと彼らだけが言ってる人物です。日帝の残酷な拷問にも屈せず、四肢を切断され、裸で刑務所の外に打ち捨てられた際、共に投げ捨てられた服を自分で着て、歩いて帰ったのだとか。
この話は、多分NAVERの日韓翻訳掲示板にあったものだったように記憶しますが、「突っ込んだら負け」とか「笑ってはいけない」とか、そういう話です。一応柳寛順について色々検索しましたが、そもそも比較的最近になって注目された人物らしく、あまり詳しい記録が残っておりません。それもあって尚更に、韓国人が好むように伝説化しやすかったのでしょう。
柳寛順伝説に限らず、この手のトンデモ話は韓国では極めてありふれたもので、こんなのにいちいち驚いていたら韓国人の思う壺です(などと言いながら、実は私自身よく驚いてるのですがw)。それよりも彼らの願望や欲求に添いさえすれば、こういうトンデモ話も抵抗なく受け入れ、本気で事実と思い込む韓国人が珍しくないということの方に私たちは注目し、警戒すべきでしょう。
彼らにいくら事実を見せても教えても、彼らは常に願望と欲求に従います。その結果、彼らは最悪の選択をすることがよくあります。そういう彼らと行動を共にすれば、彼らの最悪の選択に付き合わされたり巻き込まれたりするおそれは十分です。
その災禍を避けるには、もちろん彼らから物理的に離れるのが一番ではあります。しかし国は引っ越すことが出来ませんし、そうでなくても彼らの方から日本に押し寄せてきます。
彼らを物理的に遠ざけることが困難であるならば、彼らがどういう考え方や行動を取る生き物であるかを正しく知り、どうすれば彼らの最悪の選択に付き合わされたり巻き込まれたりせずに済むかを考え、それを周知し、「心において」彼らを遠ざけるにはどうすれば良いかというコンセンサスを日本国民の間で確立することが、次善の策ではないかと考える次第です。