韓国で不便を感じない人
「セウォル号教訓忘れた韓国」と題するコラムは、【「韓国で生活しながら不便なことはないですか?」という質問をしばしば受ける。私の答は常にこうだ。「ありません。話をしてみると受け入れてくれる融通性があって良いです」】という文章から始まります。
続く内容は、韓国社会に蔓延する規則無視の風潮を嘆くものですが、まあ、これは正直どうでも良いのです。韓国人にとって規則を破ったり無視したりするのは、自分が他者より優位にあることを示すものですから、当然の行為です。
文中に【昨年11月、外信記者クラブで開かれた朴仁鎔(パク・インヨン)国民安全処長官の記者会見で私は「なぜセウォル号事故を体験したのに社会の安全意識が相変わらずなのか」と尋ねた。すると朴長官は「社会の意識が変わるには60年かかる」と答えた。」という記述も見られますが、韓国人が「10年後には日本を追い越す」と言い続けていることを考えると、【60年】という時間は、それこそ弥勒の降臨までの時間に匹敵する長さでしょう。
即ち韓国人は昔も今もこれからも変わらないという従来からの弊ブログでの主張を韓国人自ら裏付けるもので、今更それについて言及することは特にありません。
私が思ったことは、冒頭の文章からの連想です。このコラムの筆者は「韓国で不便なこと」を問われて、「ありません。話をしてみると受け入れてくれる融通性があって良いです」と答えています。
ハングルが読めて朝鮮語が話せて、韓国人のマインドに馴染むことが出来る人には、韓国は確かに不便なことがない国かもしれません。私個人の経験から言わせていただければ、ハングルはどうにか読めますが朝鮮語は聞くのも話すのもカタコト以前のレベルですし、韓国人のマインドにはかなりイライラさせられる方なので、韓国は不便なことだらけでした。
個人的に「韓国で不便なこと」と問われれば、真っ先に思いつくのが文字です。韓国は何もかもがとにかくハングルばかりで、外来語でさえハングルで表記されているのです。一文字に3秒から5秒ぐらい掛かりながら解読したハングルが、「カラオケ」とか「キャバレー」だったということは、全く珍しくありませんでした(私が初めて訪韓した1990年頃は、韓国でも「カラオケ」という言葉が一般的でしたが、後に「ウリナラで日本語をそのまま使うのは癇癪裂ける!」となったらしく、朝鮮語で「歌部屋」という意味の「ノレバン」という言葉が一般的になっているようです)。
駅の表示や観光案内板などには日本語や英語、中国語などの併記もありますが、それ以外はどこを向いてもハングルばかりです。しかも日本語や英語、中国語が併記されていても、必ずしもそれらが正確とは限らないのです。観光マップやホテルの宿泊者向けの日本語版インフォメーションなどにも間違いがてんこ盛りで、最初の内は面白がって間違い探しと言うか校正したりしてましたが、あまりにも多くてバカバカしくなった記憶があります。
確かに、ハングルは習得が容易な文字です。並の知能があれば、3時間も集中して学べば基礎はマスター出来ます。それを三日も続ければ、たどたどしくとも読み書きは出来るようになるでしょう。
ではハングルが読めて書ければ、朝鮮語がわかるようになるのかと言えば答えは否です。巷に溢れる看板も、食堂のメニューも、もちろん新聞も、読めるが意味は全くわからないという状態になるだけです。ハングルを読むことは出来るが意味はわからないという状態が続くと、気分が悪くなってきます。読めるのに意味がわからないという状態に脳がストレスを感じるのでしょう。俗に言う「ハングル酔い」というやつです。
文字以外なら、やはり韓国人そのものがかなりストレッサーです。韓国へ行けば、実は韓国人は概ね親切です。日本人と知ってやおら罵倒を始める韓国人というのは、いないわけではないと思いますが、現実で遭遇することは極めて稀でしょう。韓国人は自分を良く見せたい欲求が強い上に、実は多くの韓国人が日本人と話をしたい、あわよくば親しくなりたいと思っているからです。
問題はそのアプローチの仕方です。日本人と韓国人では、パーソナルスペースの感覚が全く異なります。日本人の感覚で言えば、彼らのアプローチは突撃と変わりません。不意に至近距離に迫ってきたり、あるいは少し離れているところから大声で呼びつけたりするのです。離れたところから知らない韓国人に突然大声で呼ばれた場合、自分が呼ばれているとは思わずにスルーしていると、「このチョッパリ!ウリを無視するニカ!」と火病り出す危険性がありますし、そうでなくてもこちらが気付くまで大声で呼ばわり続けるので、正直かなり怖いです。
また悪意を持って、即ち日本人と見れば「騙そう」「カモろう」と思って近寄ってくる韓国人も少なくありません。無邪気な好意からであっても、悪意と邪気を持っていても、日本人感覚からすると無遠慮に迫ってくる見知らぬ韓国人はかなり強いストレスになります。
かと思えば、まるで木っ端か野良犬のような扱いをされることもあります。何の用もない韓国人にそういう扱いをされても別に構わないのですが、用事がある場合、即ち相手が警察官や駅員、ホテルのフロントマン、ショップの店員などだった場合には大変困ります。この場合も、相手に咬み付くぐらいの気迫を込めてギャーギャー言えば態度を変えることもあるようですが、逆ギレが怖いのも事実です。
また韓国のサービスは大抵の場合、韓国人的にパペクトなサービスですので、日本人感覚ではサービスの詰めが甘いとイライラさせられることが非常によくあります。もちろん、それに対していちいち文句を言うことも出来るのですが、多分そんなことをしていたら一日で精神的に擦り切れてしまうでしょう。
さて、当該コラムの筆者が「韓国の便利さ」と考える「話をしてみると受け入れてくれる融通性」というのは何でしょうか。これはふたつの意味に受け取れると思います。ひとつは、「韓国人は話をするまでは排他的に感じることもあるが、一度話をすればすんなり受け入れて打ち解けてくれる」という意味です。もうひとつは「韓国では規則上ダメだと言われるようなことでも、話をしてみると融通を効かせてくれる」という意味です。
私は後者の意味だと理解しました。実際、韓国ではそういうことが極めて多いからです。もしそうだとすれば、それは当該コラムが嘆いている「韓国人の規則無視」のひとつのパターンとも言えます。
「韓国人の規則無視」による恩恵に満足していながら、「韓国人の交通規則無視」に強く憤るという自家撞着にこのコラムの筆者が気付いていないということは、きっとこの人は「ハングルが読めて朝鮮語が話せて、韓国人のマインドに馴染むことが出来る人」なのでしょう。
なるほど当該コラムの筆者が韓国で不便を感じないのもむべなるかなです。しかし、日本人としてこうはなりたくないものだなとしみじみ思った次第です。