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ある意味、自然災害の一種

4月も下旬に入り、私の住む辺りのソメイヨシノはすっかり葉桜になりましたが、近所の公園に植わっている八重桜は見事な満開となっております。

ソメイヨシノは花が葉に先んじて咲きますが、八重桜は花が咲くのと一緒に葉っぱも出ます。白に近い淡いピンク色のソメイヨシノの花と違って、濃いピンク色の、ひとつひとつがポンポンのようにボリュームのある花が、桜餅に使うような少し茶色がかった透明感のある緑色の葉で引き立てられて、これはこれで見事なものです。

近所の八重桜は、小さな公園にわずか2本が植わっているだけのものですが、それだけでもかなり見応えがあります。これが巷のあちこちで咲き乱れれば、かなりのコッテリ感があるでしょう。平安時代、在原業平が「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」と詠みましたが、この時代にソメイヨシノはありませんので、業平は八重桜を見てこの歌を詠んだのかもしれません。

などと呑気に桜の話をしておりますが、既にご承知の通り、今は九州が大変なことになっております。混乱はもちろんありますが、近年大きな地震を何度も体験している日本では、被災された地域の方は復興を、それ以外の地域の方はその支援をと、それぞれの役割をしっかり果たしていくことが重要であるということは、概ね周知されているように私には見え、心強い限りです。

しかしながら同時に、こういう時はどうしても「自粛」とか「不謹慎」ということを言いたくなるのが日本人です。そう言いたくなってしまう気持ちは非常によく理解出来ますが、そうやって日本全体が縮こまってしまうと、出来ることも出来なくなってしまいます。被災していない人々が被災した人々に心を添わせることと、被災していない人々が日常通りの生活を続けることは両立出来るはずです。

被災していない人は被災した人たちの分まで経済を回す必要があります。例えば、こんな時に不謹慎だからと言って予定していた旅行を取り止めるということは非常によくあることですが、取り消して戻ってきた旅行代金を全額被災地に寄付するとかでないなら、その行為は誰にも何の利益も与えません。むしろ損害が広がるだけです(そういう意味でこういった行為は、韓国を始めとする特亞に利益はあるかもしれませんが)。

こんな時に遊びに行くなんてと心が咎めるのなら、むしろいつも以上に散財することで間接的に被災地を支援してください。だから被災していない人はみんな一文無しになるまで散財しろと言えば荒唐無稽にも程があるのと同じ程度に、こんな時は被災地を思って派手なことは一切何もせず、出来る限りカネを使わないようにして息を潜めていろと言うのも、荒唐無稽なことだと私は思います。

さて、今回の九州の地震でも、言っちゃいけないことを韓国人は言ってしまっているわけですが、案の定韓国内から、それに対する批判的な論調が出ております。

中央日報からは、「熊本地震の痛みも分け合うべき=韓国」という社説が出ましたし、朝鮮日報の名物男鮮于鉦は「【萬物相】地震と日本人」というコラムを書いております。

中央日報の方は何という記者が書いたのか知りたくて朝鮮語版を当たってみたのですが、署名はありませんでした。いずれの記事も、人がましいことを上から目線で書いておりますが、嫌韓でなくともそこはかとない違和感と言うか、耳触りの良い言葉の中に、何気に引っかかりを感じる文章ではないかと思います。

まず中央日報の社説では、「隣国の不幸に目を閉じたまま二度と助けてはいけないと言ったり喜んだりするのは正当化されない。東日本大震災当時に寄付を集めたのも感謝の言葉を聞くためではなかったはずだ」などと書いておりますが、大嘘です。

もらう側の立場から募金の額の大小を言うのはあまりにもはしたないので、それは言わずにおくとしても、彼らは集めた募金の大半(確か8割ほどだったと仄聞します)を、日本がウリの思う通りの感謝をしないと言って、竹島の不法占拠のための費用に回したというのは有名な話です。

続く「人種と国籍に関係なく、すべての人間の尊厳性と幸せのために努力するのは天命だ。戦争中に負傷があればたとえ敵軍であっても治療をするのが、我々が追求すべき人道主義の精神だ。敵軍にもそうするのなら、当然、隣国の国民の不幸は抱き込んで助けなければいけない」には、失笑を禁じえませんでした。

韓国人は安全で快適な場所にいる時にこういうことを言わせるとまことに天下一品と言うか、実に模範的なことを言うのですが、彼らが朝鮮戦争の時、あるいはベトナム戦争の時にどうだったか、この記事を書いたのが誰か知りませんが、仮にも韓国を代表する言論紙を自負する中央日報の社説を書く地位にある記者ならば、調べてみれば良いのです。

彼らは、平時でも「人道主義」を実践することは稀です。例えば韓国では、「報復運転」というのが問題になっております。自動車で走行中、他の車が自分の気に入らない運転をしたと感じたら、報復としてその車に恐怖を与えるような運転をするのです。日本でもたまにそういう人はいますが、韓国ではそれが社会問題になるレベルなのです。

それが有事の際ならどうなるかは、それこそ過去の記録を紐解けば幾らでも事例が出てきます。朝鮮戦争やベトナム戦争の時だけではなく、それよりずっと前の日中戦争の折にもそうだったらしく、中国人が「酷いことをする日本兵はだいたい朝鮮人だった」というような証言をしていたのを読んだことがあります。

その上「友人は選択できても隣人は選べない。いくら我々が拒否しようとしても、日本は共に生きていかなければいけない永遠の隣国だ。さらに周辺国のうち我々と最も似た価値と体制を共有している。それだけお互い助け合うことが多いということだ」と来ると、うんざりを通り越して憤りすら覚えます。

鮮于鉦のコラムも、脳内だだ漏れてるぞと突っ込みたくなりました。そもそもこの男は、5年前の東日本大震災の折に「非常時には、パニックを起こせ」と主張した御仁です。

それが「あってはならないことがあった時、人は怒り、絶叫する。地震はそうした次元をはるかに超えるものだ。怒ったところでどうにもならなければ、我慢するしかないということだろうか」「号泣し、絶叫し、デモをし、断食闘争をするのではなく、忍耐して研究するのが日本のやり方なのだ」などとわかったようなことを書いているのには、呆れ果てました。

これらの言論紙による記事を見るにつけ、本当に韓国とは相容れないということを痛感します。同時に、韓国人が嘯く耳触りの良いお為ごかしにまんまと引っかかる日本人も、以前と比べればずいぶん減ったとは思いますが、それでもまだまだ少なくないだろうなと思います。人の好い日本人は、韓国が日本に悪意を抱いているということをなかなか認めたがらないのでしょう。

鮮于鉦が書いたように、日本は「火の玉の上に浮いている」のかもしれません。「列島を飲み込む大地震や富士山大爆発が今すぐ起きても不思議ではない」のも、決して否定はしません(ま、これは韓国人の極めて一般的な願望でもあるのですがw)。

しかし自然災害に関しては、日本は多くの経験と教訓を持っております。震度5の地震が起きても都市機能がストップしない国は、日本以外にそうたくさんはないでしょう。この日本人の自然災害に対する知識と理解を、何とか韓国という災厄に対しても応用出来るようにならないものかと歯痒い思いをしております。

それでも一昔前と比べればずいぶん日本人の対韓意識も変わってきました。それをよすがに、倦まず弛まず韓国に関する理解を広めていきたいと思う次第です。


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