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日韓双方が納得し得る「友好」について考えた

一部の人々が必死で煽り、なけなしの燃料を供給し続けた日本における韓流捏風も、ほぼ吹き止んだように思われます。その反動で盛り上がった嫌韓気運も、今はかなり落ち着いてきました。

韓国について知り始めると、韓国の素っ頓狂に驚き無礼無体に憤り、あるいは彼らの馬鹿っぷりに笑いこけと息をつくヒマもないほどです。韓流捏風は韓国の無礼無体などのマイナス要因をひた隠して煽動されましたが、韓国を注視すれば必然的に韓国のマイナス面も目に入ってきます。韓国が強調する「理想的な韓国」と、自身の体験として知った「現実の韓国」のギャップが大きければ大きいほど、「韓国に裏切られた」「韓国に騙された」という意識は強くなります。

かつて「親韓は嫌韓の第一歩」と言われたように、韓流捏風に吹かれた人の中には、韓国に嫌悪感を覚えるようになった人も少なくないでしょう。

しかしひと通り憤り尽くせば、それ以上の何も韓国にはありません。彼らの無礼無体にしても、常にワンパターンです。人間は慣れる生き物ですから、何度も繰り返し同じパターンの行動を見せつけられれば、最初の内はいちいちそれに驚いたり憤ったりしても、やがて慣れて飽きます。

そうなれば韓国人が繰り広げる同じパターンの嫌悪感情を惹起する行動を、あらかじめ見ない(意識しない)ようになります。見ても「ああ、またか」と思うだけなのが最初からわかっているからです。

かつて日韓チャットに常駐していた頃、私たちは嫌悪感情を惹起する同じパターンの韓国人の行動にいちいち律儀に怒ったり驚いたりして、それらについて常連同士で語り合っていました。その光景を見ていた常連韓国人が、「いつもいつも同じことを繰り返し話している」と半ば揶揄するように言ったほどです。

確かに、その常連韓国人の言うとおりでした。「無礼な韓国人が無作法に入ってくる→日本人がその態度を咎め叱責する→無礼な韓国人が逆ギレして暴れる→日本人にオシオキされる→それでも大人しくならない時は蹴り飛ばす→その後日本人同士で「何故韓国人はああなんだろう」と、それまで何度も繰り返した話をまた始める」というのが、非常によくある日韓チャットの光景だったと思います。

当時は、自分でも「同じことを繰り返している」という自覚は十分にありました。それでも、全く同じところをぐるぐる回っているように見えても、少しずつ議論は進展している、即ち同じところをぐるぐる回っているのではなく少しずつ上に登っている、いわば私たちは螺旋階段を登っているようなものだと思っていました。

その認識は、今振り返ってみても正しかったと思います。ただ驚くばかりだった彼らの素っ頓狂っぷりも、何度も同じことを繰り返すのを見ている内にパターンが読めるようになりますし、無礼無体に対する憤りもやがて「こいつらはこういう生き物なんだから、怒ったってどうしようもないんだ」という諦観へと変わっていきます。彼らの馬鹿っぷりだけは何度見てもそれなりに笑えはしますが、それは彼らが他人を笑わせようとしてやっているわけではないということがわかってくると、普通の神経の持ち主なら段々苦痛になってきます。そういう流れを体験出来たことは、韓国に対する理解を深めるのに非常に役立ったと今でも思います。

しかしそれは苦痛や不快とセットになっております。「嫌なら見るな」とよく言われたものですが、「見なきゃ韓国が消えてなくなるんなら喜んで目を逸らす」と言いつつ、ホントに見るのが嫌になってくるのです。だからと言ってそれらから目を背け続けると、やがてそれらは「過去の思い出」になってしまいます。

「過去の思い出」というのは、つらく苦しく悲しいものであっても、時が過ぎれば優しく穏やかなものに思えるものです。もう一度同じ目に遭いたいとは思いませんし、その出来事があった時点では確かに当事者なのですが、過ぎ去ってしまえばある程度は第三者的に見ることが出来るものです。

日韓チャットで遭遇する韓国人に驚き怒り呆れ、何でこいつらはこうなんだと飽かず言い合っても結論は当然出ず、また次の日に韓国人の所業に驚き怒り呆れを繰り返していた頃は、私は間違いなく当事者でした。ですから韓国人に対する意識はいつもフレッシュでした。

しかし日韓チャットに行かなくなると、その当事者意識がどんどん鈍化していくのです。あの時当事者だった私は、今では傍観者として韓国を見ています。韓国言論などを通して韓国人の思考や行動を見れば、「ああ、こいつら全然変わってねえなあ」と思います。ただそこに、良い意味でも悪い意味でもアクティブな感情が伴わないのです。

弊ブログは時々「韓国に対する冷静な分析や論評」という評を頂戴いたします。時に理系ではないかと言われることすらありますが、本来の私は理系でも理論派でもありません。バキバキの文系でどちらかと言えば感情論に走りやすいタイプです。

それが韓国に対して突き放したような書き方をするのは、昔は感情に引きずられ過ぎないようにするためでした。けれど最近は違います。不特定多数の韓国人と対話することがほとんどなくなった昨今、韓国に対する驚きも怒りも呆れも、どこか他人事のような感じがするのです。

これは、危険な兆候です。この状態が続けば、やがて韓国人の所業が我が身に振りかかる災厄になるということを失念し、その内韓国及び韓国人そのものを忘却する可能性も大いにあります。そうなればまた、同じことの繰り返しです。過去に弊ブログでは、再三ならずその危険性について警告を発しております。

その警告を発した当人がそういう状態に傾いているのです。これは由々しき事態と思う一方で、これこそが日韓に共通した「友好」の着地点になり得るのかもしれないという発想がふと浮かびました。

現在日本と韓国がそれぞれ唱える互いとの「友好」は、双方が異なるイメージと概念を持っており、未来永劫決して交わることのないものです。それを目指すことは、虹の麓を目指すにも似た行為と言って良いでしょう。どんなに努力しても、どんな犠牲を払っても到達することのない目標です。

それは互いが互いの姿を見ない、見たとしても認めない、許せないことが原因でしょう。互いが互いの「実像」を認められないのです。

だからと言って、日本が韓国を忘れてしまうことは危険ですし、韓国が日本を忘却することも期待出来ません。日本は韓国を忘れ去らないようにしなければならず、韓国が日本に対する執着を捨て去れないならば、いっそのこと互いが互いを直接見ることをせず、触れることもせず、情報を交換する際には何らかのワンクッション入れるなどして、互いの存在そのものを「幻想」にしてしまえば良いのではないでしょうか。

互いが互いに都合の良い相手像を抱き、決して接触しないことでそれぞれが抱く相手像を壊さぬように努めれば、日本と韓国は互いにさほどの嫌悪感情を抱かずにいられる可能性が高くなるでしょう。実際、日本人は「知らない国は好きな国」ですし、韓国はどんなに言ったって今も昔もこれからも、彼らが勝手に抱いている「幻想の日本」しか認識出来ないのです。

日本人が韓国を知れば韓国に対する嫌悪感情を抱かずにはいられませんし、韓国人が日本を知れば、自分たちの都合の良いようにならない日本に反発するしかありません。

そう思うとやはり、日韓は発展的に関係を解消することこそが、双方にとっても最善の途なのだと改めて思う次第です。


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月見兎

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