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大恨民国は永遠です。

前々回記事で何気なく枕に振った汗疹談義でしたが、思いがけず対処情報をたくさん頂戴しております。ありがとうございます<(_"_)>

汗疹は子供の疾患みたいなイメージがありますが(実際、世間話で汗疹に悩まされていることを言うと、「まぁ、可愛らしいw」と言われたことがあります)、むしろ大人の方が痒いからと言って好きなときに好きなように痒いところを掻きむしったり、痒み止めを塗ったりすることが出来るわけではありませんので、悩みは深刻なのかもしれません。

さて汗疹に悩まされる鬱陶しい季節に、毎度毎度の鬱陶しい韓国の話。と言っても、梅雨時の鬱陶しさは秋の実りをもたらしてくれますが、韓国の鬱陶しさは飽きしかもたらしませんが。

韓国三大言論紙のひとつ、中央日報に「うっ憤共和国、大韓民国」というコラムが載っていました。

韓国における生活騒音トラブルが殺人事件にまで発展した例を掲げ、「韓国は悔しさが溢れている」とただ嘆くだけのコラムです。

この騒音トラブル殺人事件は、毎週のように孫が遊びに来る老夫婦の部屋の下に住む金某氏(日本語版では「K」とされていますが、朝鮮語版では「金某氏」となっております)が、上の階に住む老夫婦の孫によって引き起こされる騒音に悩み何度も苦情を申し入れるも全く改善されることがなかったため、「自分を無視した」と鬱憤を募らせ、周到な計画の果てに老夫婦を殺害したという事件です。

即ち、騒音が犯行のきっかけになったのは事実ですが、殺害動機は「無視されたこと」に鬱憤を募らせたためと言えるでしょう。

韓国人はあれだけ感情の赴くまま好き放題なことをやって、それを「人間らしさ」と嘯いて憚らない癖に、鬱憤を溜め込むことがよくあるようです。韓国人が瞬間的に怒りを爆発させるのを、日本のネットの巷では「火病」と言って揶揄することがよくありますが、本来「火病」とは「鬱火病」の略であって、鬱憤を溜め込み過ぎて身体的精神的な症状を引き起こすものとされています。

その症状が自分自身の精神や身体を蝕むにとどまらず、他者を害するに至る事例が、最近の韓国では少なくありません。

それらを見ていて思うのが、日本の「思いやり」や「譲り合い」、「他人に迷惑をかけないように心掛けること」の重要さです。

韓国では、「思いやり」や「譲り合い」「他人に迷惑をかけないように心掛けること」を子供に教えません。前述の事件で殺害された老夫婦も、毎週のように孫が室内ではしゃいで走り回り飛び跳ねて遊ぶのを目を細めて見守るばかりで、他人に迷惑になるからやめるようにとは全く言わなかったのでしょう。

それが野中の一軒家で、飛ぼうが跳ねようが走ろうが転がろうが叫ぼうが喚こうが、自分たち以外の人が全く居ないところであれば別ですが、都会の集合住宅ならば概ね半径20m以内の上下左右に他人が住んでいるわけです。ある程度の生活騒音はお互いさまですが、それでも他人の迷惑を慮る気持ちは、集合住宅に住む限り必須と言えるでしょう。

しかし韓国人には「他人の迷惑を慮る」という習慣がありません。あるのは「自分より上位の者の顔色を伺う」という卑屈な習慣です。彼らにとって「知らない他人」は原則として「下位の者」ですから、そういう人たちの機嫌を慮るということは、全くありません。むしろ他人の方が、自分の顔色を伺って当然だとさえ思っているでしょう。

その結果、彼らは互いに鬱憤を募らせ、憎しみ合い、争い合うことになります。

日本人の「思いやり」や「譲り合い」「他人に迷惑をかけないように心掛けること」は韓国人には惰弱と映るようですが、実際は人が他人と共生していくために必要な知恵ということが、彼らの社会を見ていると実によくわかります。「思いやり」や「譲り合い」「他人に迷惑をかけないこと」によって無用な争いを事前に防ぎ、小さな不満を分かち合うことで、共同体全体の平安と満足を得られるのです。

ならば韓国人も「思いやり」や「譲り合い」「他人に迷惑をかけないように心掛けること」を実践すれば、平安や満足が得られるようになるでしょうか。答えは否です。おそらく形だけの「思いやり」や「譲り合い」「他人に迷惑をかけないように心掛けること」では、韓国人の鬱憤が少なくなることはないでしょう。むしろ更に募る恐れさえ大いにあります。何故なら、韓国人は「恨」を是としているからです。

「恨」については、韓国人的には、「望んだことを叶えられなかった自分の不甲斐なさを責め、あるいは戒める気持ち」などと美化していますが、過去にも何度か述べたように弊ブログでは「果てしなく生じる願望に対する果てしない追求に応じ切れない現実世界に対する不満から生じる負の感情」と定義しております。「負の感情」ですから、解消出来たとしてもプラスに転じることはありません。マイナスからゼロに戻るだけです。

これに対し日本人が是としているのは、私は個人的に「諦」だと考えております。弊ブログで唱える日本人の「諦」とは「物事を正しく見聞きし考え明らかに見る」という意味で、巷間よく用いられているような「とても見込みがない、しかたがないと思い切る。断念する」という意味ではありません。

この「諦」がないと、「思いやり」や「譲り合い」「他人に迷惑をかけないように心掛けること」は思うように機能しません。例えば、自分は他人に迷惑をかけないようにしているのに、他人は誰も自分に迷惑をかけないようなんて思いもしないとなれば、誰が他人に迷惑をかけないように心掛けるでしょうか。日本では誰もが「他人に迷惑をかけないように」と思っているからこそ、「他人に迷惑をかけないように心掛けること」が機能するのです。

もちろん「全ての日本人がそうでは(以下略)」。ですがそういう日本人がいたとしても、その時その場でそういう日本人だけが得をするような気がして業腹に思っても、自分がそういうことをやってはいけない、あれはみっともないことなのだと「正しく」考えることが出来れば、韓国人ほどの鬱憤を溜め込むことにはならないでしょう。

日本で長期間生活していた韓国人が、日本での「思いやり」や「譲り合い」「他人に迷惑をかけないように心掛けること」による快適さを体験して自分もそれに倣うようになり、韓国に戻ってからも、まず自分からそうすれば、きっと周りの韓国人も同じようになるだろうと思ってしばらく「思いやり」や「譲り合い」「他人に迷惑をかけないように心掛けること」を実践してみたが、自分がどんなにそれらを心掛けて実行していても、他の韓国人は誰もそれに倣わず気にも留めず、やがて自分一人だけがそういうことをしているのが馬鹿みたいに思えてきてやめてしまった、という話を韓国の掲示板で読んだことがあります。

日本人のこういう心ばえをかつて韓国の詩人金素雲も、「他人の不幸、他人の悲しみを、そのまま自分のものとなすことのできる――その真情、その良識こそは、私が命をかけて、わが郷土、わが祖国に移し植えたいと願うところのものです」と絶賛しておりましたが、彼らが「恨」を忘れ、「諦」を知るようにならない限り、どれだけ形を真似ようとも、決して彼らの社会にそれが根付くことはないでしょう。


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