逃げ(られ)ない日本人、逃げ(られ)る韓国人
私が読んだ仮説では、「嫌なこと」の条件を気温で考えていました。人間に限らず、ほとんど全ての哺乳類は自分の体温以上の環境を好みません。人類がなんとか生活出来る上限温度は、体温よりもせいぜい10度高い程度までです。体温より20度も高いところに人類は住めません。体温プラス30度の世界では、人類は生活どころか生存さえ不可能です。
逆に体温よりも低い分には、人類はかなりの耐久性を持ちます。体温マイナス10度なら人類はとても快適に生活していけますし、体温マイナス20度でも問題は全くと言って良いほどありません。体温マイナス30度でも十分生活出来るのは、北国にお住まいの方なら何を当たり前のことを鼻で嗤うでしょう。体温マイナス40度を下回る地域にも、人類は生活圏を広げています。
まだ人類の数が少なかった頃、人類は基本的に定住ではなく遊動していました。生活していた場所が気候変化で高温になり不快を感じるようになれば、人々はさっさとそこを捨てて別の快適な場所を探して移り住んだでしょう。私の読んだ仮説では、「不快」の条件を気温で考えていましたが、天変地異や戦乱、環境の変化による食糧難なども当然移動の理由になったでしょう。
そう考えた時、何故日本人は日本に留まり続けたのだろうかという疑問が湧きました。
日本は全体としては温帯に属することになっていますが、一年における気温の変化は激しく、夏は亜熱帯に、冬は亜寒帯に匹敵する気温になる地域も珍しくありません。また天変地異が多いのは世界有数です。
初期人類の基本が「嫌なことがあったら逃げる」であれば、日本に移り住んできた人々も当然日本から逃げ出していたはずです。
ここで別の記事を思い出しました。昆虫学者の五箇公一博士へのインタビュー記事です。
この記事でも「かつて日本人の祖先が渡って来たとき、山も川も険しく、住める平野も少なく、台風や地震や火山など天変地異も絶えないこの小さな島国で生き抜くことは、相当に過酷だったと予想されます」と述べられているように、やはりかつての日本は、人類にとって環境的に「嫌なところ」であったと考えるのが妥当です。「嫌なことがあったら逃げる」のが人類の基本であれば、そんな過酷な環境の日本に、何故日本人は住み着いたのでしょう。その答えを、前述の記事で博士はこう考えます。「生き残るためには自然に従うしかなかったのではないか」と。
もちろん、日本人はただ自然という脅威に為す術もなく従うばかりではありませんでした。自然に対して譲歩はしますが、自分たちに都合の良いように自然を利用もしていました。そうして日本人は里山という、自然に逆らわずその力を利用する循環型環境を作り上げたのです。
これが日本人の生き方の基本になっているのではないでしょうか。自分たちと対立する力に真正面から争い抵抗するのではなく、その力を受け流し、和らげ、利用する。争わねばならなくなれば全力で争うが、その前にどうすれば争いを避けられるかを考えるのです。
それは、かつての日本人が「もうここ(日本)から先に逃げるところはない」と悟ったからでしょう。
それまでであれば、「嫌なことがあれば逃げ」れば良かったのです。そうやって逃げてきた人々が辿り着いたのが日本だったのです。しかしここ(日本)から先に逃げるところは、もうありません。だからと言って、かつて嫌だからと言って逃げたところに戻る気にもなりません。ならば嫌でもここ(日本)で生きてゆくことに腹を決めるしかないのです。
もちろん、それでも日本の環境を「嫌だ」と思った人々はいたでしょう。そういう人々は更に日本の先へと逃げたかもしれません。逃げてきたところへ舞い戻ったかもしれません。そういう人たちがどこへ辿り着きどうなったかは、私にはわかりません。ハワイやアメリカ大陸、あるいはその他の地域に移り住んだのかもしれませんが、その人たちは日本人ではないので今回の考察とは無関係です。
そうやって日本に残った人々は、しばしば自然の脅威に苛まれ傷めつけられながらも、自然と対話し、和解しようとしました。それが日本人という民族の遺伝子に刻み込まれているのではないでしょうか。脅威に対し逃げるのではなく争うのでもなく、どうすればその脅威を和らげることが出来るかを考える。対話が可能であれば、話し合いを持ちかけようとする。日本の神道には、まさにその精神が現れています。
対する韓国人ですが、彼らは相変わらず「嫌なことがあったら逃げる」の段階で留まっているようです。動物としての人類の本能に極めて忠実と言えます。かつての彼らには逃げられる場所が幾らでもありましたし、今も幾らでもあると思っているからでしょう。現実問題としては、かつて人類の数が少なく人類の生息可能な空白地域が幾らでもあった時代と異なり、逃げ行く先など最早人類が生存不可能な地域ぐらいしか空いてないのですが、韓国人はそういうところではなく、別の民族が既にインフラを完成させて快適に住んでいるところを狙って移住しようとするから迷惑千万極まりありません。
そんな彼らであっても、日本に来ると何故か嫌なことがある(と主張する)のに、日本に何世代も留まるようになるから不思議です。今の御時世、丸木舟で太平洋に漕ぎ出さねばならないわけというわけでもないのですから、幾らでも日本から逃げることは可能でしょうに。
ただ彼らの場合、自分たちが脅威と考える相手には対話よりもまず闇雲な抵抗と闘争で臨むので、やはり日本人とは根本的に違うということはよくわかります。
日本人の立場から見れば脅威は彼らの方なのですが、日本人の習性として「脅威に対しまずは争いを避け、対話を試み」ようとしてしまうのが困ったもので、それが彼らをなおさらつけあがらせてしまっております。
私たちの祖先が残した「脅威に対しまずは争いを避け、対話を試みる」という知恵は、対話が可能な相手にのみ有効なことです。加えて「対話が通用しない時は争いも辞さない」「争う時は全力で争う」という覚悟を以て臨むことであると、私たち日本人は今一度確認するべきだと強く強く思う次第です。