ウリは常に揺るぎなく「清く正しく美しい」
というわけで今回はちょっと前に戴いておりましたご質問、「ウリとは、「弱きを助ける正義の味方」、ナムとは、「間違った道を進んでいる者」と思っていますが、この認識であっているのでしょうか? 」にお答えさせて戴きます。
韓国人の「ウリ/ナム」については弊ブログでも何度となくお題にしておりますが、どうにもこうにも日本人にはわかりにくい概念のようです。
基本的には「ウリ=自分自身」「ナム=それ以外」と単純に考えれば良いと私は思っているのですが、日本人の考える「自分自身」と、韓国人の考える「自分自身」の範囲が大きく異なることを理解していない日本人が「ウリ=自分自身」「ナム=それ以外」と考えれば、それは誤解につながるだろうなあと、ご質問を戴いてから色々考えておりました。
日本人の考える「自分自身」とはどこまで行っても「自分自身」であって、他人までをも「自分自身」にカウントすることは基本的にありません。たとえ以心伝心、眼と眼で通じ合い、志を同じうする相手がいたとしても、自分は自分で他人は他人です。「親しき仲にも礼儀あり」と言うように、どんなに気心を通じあっていても、最低限の間と言うか距離を保つのが、日本人ならば当然です。
対する韓国人の考える「自分自身」に範囲はありません。「自分自身」が「自分自身」と考える範囲は全て「自分自身」となります。親や兄弟は当然として、恋人や配偶者も「自分自身」です。友人も「自分自身」です。但し、「自分自身」と考える相手の方が上位ならば、その「自分自身」は「自分自身」の「自分自身」ではなく、相手の「自分自身」となります。
こうやって文字にすると「自分自身」のゲシュタルト崩壊が起きそうですが、要するに韓国人にとっての「ウリ=自分自身」とは、主導権を持つ持たないはあるにしても、自分と他人が心身ともにひとつの存在になることと思っていただければ良いでしょう。
ものすごく大雑把に言えば、韓国人全体が「韓国人」という「ウリ」だと考えれば、誤解の余地は大いに残りますが、ニュアンスは通じるのではないかと思います。
さてご質問の「ウリとは、「弱きを助ける正義の味方」、ナムとは、「間違った道を進んでいる者」」という認識についてですが、これは間違ってはいません。ただ、ちょっとショートしているとは思います。
韓国人は、常に自分が正しいと思っています。もし自分が間違ったり過ちを犯すことがあったとしても、それはそうなっても仕方ない事情があったためで、その事情を勘定に入れれば、本来の自分は全く間違ってないし、犯した過ちは全て許されるべきだというのが韓国人の考え方です。
韓国人にとっての「ウリ」とは即ち「自分自身」のことですから、「自分は常に正しい」と考えるということは「ウリは常に正しい」と考えていることと同義です。あるいは「ウリ」が常に正しいので、「自分も常に正しい」と考えていると言っても良いでしょう。
現実の韓国人は弱きを見れば何はさておきとりあえず挫こうとすることが多いのですが、「弱きを助け強きを挫く」というのは韓国人の観念上の美徳となっています。余談になりますが「韓国人の観念上の美徳」は、極めてしばしば日本人の美徳と通じていることがあり、これが日韓の相互誤解を深めるひとつの原因にもなっております。
韓国人にとっての「ウリ」が常に揺るぎなく「清く正しく美しい」という前提に基づくため、「ウリ」が「弱きを助ける正義の味方」であるべきなのは、韓国人にとっては極めて自然な理解です。
対する「ナム」が「間違った道を進んでいる者」となるのは、「ウリ」という「常に揺るぎなく清く正しく美しい」存在に同化しない(させたくない/しようとしない)者ですから、当然何もかも間違っている者ということになるわけです。
「ウリ」は「弱きを助ける正義の味方」であるという理解は、韓国人にとっての「ウリ」が「自分自身」であり、且つ韓国人にとっての「自分自身」とは常に「清く正しく美しい」存在であることを前提としたものであって、一足飛びに「ウリ=弱きを助ける正義の味方」と理解すると、普通の日本人的には「(゚Д゚)ハァ?」となってしまいます。
韓国人同士の議論(と言うか単なる口論)において、しばしば先に「お前はそれでも韓国人なの?!」と言った方が優勢になるのも、「韓国人」という「ウリ」が常に揺るぎなく「清く正しく美しい」存在であるという前提が彼らの間で確立しているためでしょう。
韓国人にとっての「ウリ」は絶対にはみ出てはならぬ領域であって、もしはみ出る(あるいは弾き出される)ことがあればそれは韓国人としての死を意味すると言っても過言ではありません。
日本が好きで好きでたまらない韓国人が少なくないのに韓国から反日が一向に消えないのも、「ウリ」にとっての「日本」が「絶対悪」と定義されているからです。
個人としては日本を好ましく思っていても、「自分が「ウリ」から弾き出される=「ナム」となる」ことのないように、韓国人は反日をやめることが出来ません。逆に言えば、「ウリ」が日本を是とすれば韓国人は打ち揃って超絶親日派になる恐れは大いにあります。
現在の韓国の体制が崩壊しない限り「ウリ」が日本を是とするようなことはまずます起こり得ないと半ば期待を込めて思っておりますが、万が一現在の韓国の体制が崩壊し、韓国人が拠り所としている「ウリ」が変化せざるを得なくなれば、あるいはそういうパラダイムシフトも起こり得るかもしれません。
そういう意味では、日本に韓国の体制維持を支援する勢力が少なくないのも、ある程度は仕方ないのかなと思う部分もゼロではないのが、正直なところです。