唯足不知
それにどういう意味があるのかは外国人の私にはよくわかりませんが、日韓チャットでもこの日には韓国人がそれはそれは嬉しそうにペペロデーのことを話題にしますので、韓国人的には大変楽しいイベントのひとつのようです。余談ですが「~ロ」は、朝鮮語の「~で」という助詞に相当するので、「ペペロ」とハングルで打ち込むと機械翻訳が「ぺぺで」と訳してしまい、慣れない内は何のこっちゃとなります。
今年はこういうお気楽な日の前日が、韓国人的には極めてシリアスな修能試験(韓国版センター試験)でした。
この修能試験は、韓国人の一生を決めると言っても過言ではないイベントです。何しろ韓国は大学進学率が100%を超えている国。大学を出ていなければまともな人間扱いをしてもらえないのです。その大学への関門が修能試験ですから、受験生とその周辺の必死さは涙ぐましいものがあります。
もっとも現在の韓国では、大学を出たからと言ってまともな就職があるわけでもなく、それどころか大学の授業料のために、社会に出る前からかなりの借金を負うことになっているのが普通なのですから、ここでも韓国人は行くも地獄退くも地獄です。
この、「行くも地獄退くも地獄」という状態に韓国人を追い込んでるのは、他ならぬ韓国人自身だと私は思っています。
彼らは「足るを知らない」ので、常に身の程を上回る望みや願いを抱いており、その望みや願いを叶えるために支払われる努力や犠牲が、彼らを「行くも地獄退くも地獄」という状態に追い込むのです。
以前にも【「恨」について】という記事や【恨と諦】という記事で述べたことがありますが、彼らはとにかく、あらゆることで「足るを知る」ということがありません。だから貪欲に理想を追い求めます。
「足るを知る」、あるいは成語として「知足」などとも言います。辞書的な意味は「《「老子」33章の「足るを知る者は富む」から》みずからの分(ぶん)をわきまえて、それ以上のものを求めないこと。分相応のところで満足すること(goo国語辞書より)」だそうです。
これは日本人には比較的馴染みやすい思想で、それが行き過ぎて「上見て暮らすな下見て暮らせ」とか「貧乏人は麦を食え」などと卑屈に受け取る弊害もなくはありませんが、それでも「与えられた条件の中で満足を見出すことが出来る」というのは、人が幸福を手にするために必要な能力のひとつではないかと思います。
そういう意味で、「足るを知らない」韓国人を見ていると、彼らは自ら望んで不幸になっているとしか思えません。
「足るを知らない」韓国人を、「向上心が旺盛」と評価する日本人も少なくありませんが、彼らの「向上心」は、常に分不相応な目標を設定します。目に見えるものなら必ず手が届くとでも思っているのか、1m先の電灯と1光年彼方のお星さまの区別が彼らには付きません。だから、1m先の電灯に手を伸ばすのと同じくらいの努力で、1光年先のお星さまをつかめると彼らは思っています。
その上、彼らの「向上心」は到達点がありません。分不相応な目標を設定して、仮にどうにかその目標に到達したとしても、到達した瞬間に、更にその先の(当然、更に分不相応な)目標に手が届かぬことを不当と考えます。
そうやって彼らは、ほぼ永遠に届かぬ理想を追い求めることになります。それでも「理想を追い求めること」そのものに歓びを見出せるならば、あるいはそれもひとつの幸福の形かもしれません。
しかし、彼らにとって理想を追い求めるための過程は苦役です。彼らにとって価値があるのは、彼らの望むとおりの結果だけです。ですから、彼らは常にどうにかしてそこに到達するまでの過程をショートカット出来ないかということに頭を悩ませるという苦しみをまたひとつ、積み上げることになります。
おまけに彼らは「8割でパペクト」です。彼らは、主観的には常に十全に努力しているつもりなのでしょうけれど、必ず常にどこか詰めが甘いのがお約束になっています。
そんなこんなで、彼らの望みはいつも叶いません。たとえ叶っても、彼らは満足できません。ですから、傍から見てどんなに恵まれていても(実際、彼らはかなり恵まれていると思います)、彼らは常に不幸です。
そういう彼らを見ていると、「足るを知る」ことの大切さを、しみじみ思い知ります。「足るを知る」には、自分を知らねばなりません。自分がどれぐらいで「足る」のかを知らなければ、「足るを知る」ことは出来ないでしょう。
そんな韓国人と言うか朝鮮人を、ある日韓チャット常連日本人が「餓鬼」と評しました。
現在の北朝鮮は正に地上の餓鬼道状態ですが、北朝鮮と比較すれば物質的には満ち足り恵まれているはずの韓国でも、人々は足るを知らず常に飢え餓えているわけですし、その上韓国人が見せる精神的な幼稚さを思うと、「餓鬼」という表現はまことに的確なものです。
これが本来の餓鬼のように想像上の存在であれば供養のしようもありますし、小児的という意味での餓鬼ならば成長も期待出来ますが、彼らは朝鮮半島に現実に存在し、また精神的に終生小児的なままというのが、周辺国住民として頭痛のタネではあります。
コメント
確かに
仏教で言うところの「餓鬼道」ですな。韓人の言うことやらかす事は。
即ち、足るを知らず、欲望を貪るのみで畜生にも劣る行為を繰り返す。
畜生(犬や豚など)も食うもの食えば眠りにつくぞと。
如何にあの半島に仏教が根付かなかったかですな┐(´д`)┌
間違っていけないのは、結果はお金(場合によっては地位か?)であって
サービスとか物の品質のことではないということですね
知足、看脚下 良い言葉ですね。
当方も韓国の現状を施餓鬼の餓鬼と称してます。
縋る相手が居る間は未だ良いのですが、そろそろ世界が気付き初めています。
誰も韓国を相手をしてくれなくなる日が近いのではと思います。
韓国の自主独立はそこから始まるのでしょう。歴史上初めての自主独立が。
朝鮮日報みたら、教育の記事があったので
ttp://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/11/13/2011111300085.html
この記事書いた方、東京特派員の時は意外とまともな事書いていたんですけど、
国に戻るとおかしくなるのかな?