壬午軍乱をご存知ですか?
今はあまりありませんが、昔は日韓チャットの華は歴史討論でした。韓国人は日本を責めるネタだけは、義務教育でたんまり仕込まれていますから、並の日本人なら全然歯が立たないようなネタをぶつけてきます。
日清戦争すら詳しく教わっていない日本人が、その前後に朝鮮半島内で起こっていたゴタゴタを細かく知っているわけもなく、昔は歴史討論に持ち込まれると日本人はとても不利だったのです。
もちろん私も、朝鮮の歴史など詳しく知るわけもなく、最初の頃は韓国子供にすら為す術も知らず一方的に責められるばかりでした。
ある日古本屋で韓国の国史教科書の邦訳本を見つけ、飛びつくように買いました。その本を読めば読むほど「ああ、こりゃ韓国人が反日になるのも無理ないわ」と思いました。
読み進むうちに混迷の朝鮮開国前夜の話になりました。
------------------以下引用------------------
そのうち、新式軍隊ほどの待遇を認められなかった旧式軍人たちの不満が爆発する事件が起こった。
両班の子弟で構成された新式軍隊は、旧式軍人と比べて待遇が非常によかった反面、旧式軍人は13カ月も米の配給が受けられなかった。そうするうちに、砂が混ざった米糠を配給された旧式軍人たちは、ついに、不満をおさえきれなくなって乱を起こした。旧式軍人たちが反発すると、民も軍人といっしょに力をあわせて日本公使館に攻めこんだ。日本公使館は焼かれ、日本公使は日本に逃げてしまった。この事件を壬午軍乱という。
この事件によって興宣大院君が再び権力を握り、開化は後日を待つしかなかった。
しかし、わが国への干渉をねらっていた清が、軍隊を派遣して興宣大院君を拉致したので、わが国は再び清の干渉を受けるようになり、国の自主権が脅かされた。
------------------引用ここまで------------------
これが韓国の国史教科書に載っている壬午軍乱の説明です。
これを読んで、私はあれっ?と思いました。
新式軍隊ほどの待遇を認められなかった旧式軍人の不満が爆発したら、普通は新式軍隊に攻め込むんじゃないですか?
米の配給が13ヶ月も滞った挙句に、砂の混じった米糠を支給されたのならば、朝鮮政府あるいは朝廷に攻め込むのが道理じゃないんですか?
どうしてもわからなかったので、日韓チャットで韓国人を捕まえては片っ端から質問してまわったのですが、誰ひとり答えてくれる韓国人はいませんでした。
と言うか、東学党の乱や甲午改革は知っていても、壬午軍乱という事件を知らない韓国人が圧倒的多数だったのです。
お前ら日本に一分でも非があったら鬼の首取ったみたいに言い立てるくせに、自分たちに非がありそうなことは頬っかむりかよ、とかなりムカついた記憶があります。結局壬午軍乱について正確に解説出来た朝鮮人はいませんでした。
要するに、朝鮮人社会では不満が高じると日本と日本人相手に鬱憤晴らしをするのが、昔からの伝統なのねと思いました。

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コメント
がんばれ
失速するにはまだ早い
最近ですが
はじめまして。楽しみに読ませて頂いてます。
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誰に当たるかな♪
(^_^)/先生、質問!
新式軍隊・旧式軍人って何ですか?
>錬金屋様
コメント、ありがとうございます。
こうやってみなさまのひとことに元気を貰って、元気玉を作って
「オッス オラ極右!」と言えるようになるまで頑張ります。
http://p2.chbox.jp/read.php?host=that3.2ch.net&bbs=gline&key=1106579007
オッスオラ極右のガイドライン
>こるち様
コメントありがとうございます。楽しんでいただけて幸甚です。
>今週クリスマス会でプレゼント交換があります。
>『マンガ嫌韓流』『妄言撃退マニュアル』のセットを用意しました。
爆ワラ
GJですw
>くるみ様
この時代、旧来の軍隊とは別に両班(貴族)の子弟を集めて作った
新式軍隊があったのですよ。新式軍隊は西洋式の最新武装を施され
教練担当は日本の現役軍人が担当、旧態依然の旧式軍と比べると
物珍しさで人だかりが出来るほどの人気があったそうです。
それに引き換え旧軍隊は、装備も教練も昔のもののままで、しかも
給料の遅配が一年余りも続いた挙句、やっとのことで支給された
給料(米)は、ほとんどがクズ米で大量にヌカと砂が混ぜてあったという
洒落にならないものだったそうです。もちろんどっかでピンハネされた
のは明白で、ブチ切れた旧軍所属の兵士は暴動を起こします。
そもそも給料の遅配が続いたのは閔妃の濫費が原因というのは、
末端の兵士にも広く知れ渡っていたことのようで、この時実は旧軍兵
たちは閔妃を抹殺しようと朝廷を襲撃しています。
ところが悪運強い閔妃は女官に変装してこの難を逃れます。
暴徒は鬱憤の晴らしどころを失い、実に彼ららしい結論に到達します。
「そうだ!チョッパリが何もかも悪い!!」
そして暴徒は日本公使館だけでなく、在鮮日本人居留民を襲撃。
日本公使は命からがら脱出に成功して、港へ逃れ、英国船に乗って
日本へ逃げ帰りますが、日本人居留民には多数の死傷者が出ました。
これが壬午軍乱の顛末です。
この後、逃げ帰った日本公使の報告を受けた日本が激怒して軍を朝鮮
に差し向けます。また朝鮮の宗主国を自認する清国も朝鮮に軍隊を差し
向け、暴徒は鎮圧されます。
日本は朝鮮にこの事件の責任を問い、濟物浦条約という条約を取り付け
ます。この条約に従い、日本は軍隊を日本公使館警護のために朝鮮に
駐屯させることが出来るようになりました。
つまりこの事件によって、日本と清国は朝鮮に対する権限を強化すること
になります。
逆に言うと、この事件によって、朝鮮は日本と清国の干渉を自ら招き
入れることになってしまったのです。
今も昔も・・・
昔から韓国ってデモが好きだったのね。
今でも外国まで出向いてデモしてるし。
暴徒化するのもお約束かな?
「両班(貴族)の子弟を集めて作った新式軍隊」
って、なんか弱そうね。^_^;
>>旧軍兵たちは閔妃を抹殺しようと朝廷を襲撃しています。
ほぉほぉ、国母(?)を襲撃したのね?
こういう事は、もうすっかり忘れてるんだろうね。w
>くるみ様
>ほぉほぉ、国母(?)を襲撃したのね?
>こういう事は、もうすっかり忘れてるんだろうね。w
無かったことになってますw
壬午軍乱
壬午軍乱は朝鮮軍隊内部の問題が発端で起きた事件で、「何で日本公使館が襲われるの?」という疑問が生じるのは当然です。
しかし、日本公使館が襲われたのには、朝鮮政府が襲撃をうけたと同様、それだけの原因があったのです。その第一は1875年の江華島事件です。雲揚号という日本の軍艦が国交の無かった朝鮮の領海内に通告無しに入って朝鮮軍に砲撃されました。(日本も沖合のイギリス艦を砲撃して下関を一時占領されると言う事件を起こしています)。日本は朝鮮の責任を追求して朝鮮に不利な不平等条約を結びましたが、これを契機に多くの日本の商人が釜山・元山・仁川等に進出して活動するようになりました。商人達は、金や米・大豆などを輸入しましたが それによって米の価格は2~3倍に跳ね上がり朝鮮人は困っていました。ある記録によれば、かなり強引な手段で米を買い付けたり、ある金鉱山では 採掘の権利を不法な手段で手にしていたようです。そこで日本人が恨まれる素地が生まれました。
しかし、直接の原因は、前年に行われた軍制改革によって、特殊部隊の訓練がはじめられ、いままでの兵士達の多くに対して行われた解雇や給料の引き下げが、朝鮮政府に招かれた軍事教官(堀本礼造陸軍少尉)の指導で行われたことです。恨みをかった堀本少尉は殺されてしまいます。
日本でも、幕末、攘夷運動が盛んで、生麦事件を起こしたり、外国公使館の襲撃なども引き起こしています。伊藤博文も高杉晋作、井上馨らと共に1862年、イギリス公使館焼き討ちに参加しています。朝鮮も日本との不平等条約締結以前は江戸時代の日本と同じく鎖国政策を採っており、外国人排斥感情もあったと思われます。