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檀君神話をご存知ですか?Vol.1

生でもチャットでも、韓国人と張り合う人に朝鮮の歴史は必修科目となります。朝鮮半万年の歴史とか何とかの起源とか、こちらが朝鮮の歴史を知らないまま聞いてると、連中いくらでも捏造と歪曲を繰り広げますので。

さて歴史の突っ端は、どこの国でも始祖伝説や神話です。朝鮮には幾つかの建国神話がありますが、その中でも有名なものは「檀君神話」と呼ばれるものです。この檀君神話、韓国の歴史教科書では「事実」として教えられております。ですからこの神話については、韓国人と渡り合うつもりの方は最低限知っておくべき知識です。

檀君神話は十三世紀末の朝鮮僧 一然によって「三国遺事」に記され、現在に伝えられています。その話の大要は以下のとおりです。

『天の神である桓因(=帝釈天)の庶子(嫡子でない子)桓雄は、いつも天の下の国のことを考え、そこに住む人間の世界を治めてみたいと願っていた。桓因は桓雄の志を知って、広く人間のためになることをするようにと、彼を下界に遣わした。

桓雄は天符印三個を授かり、部下三千人を率いて太伯山頂にある神壇樹の下に降り立ち、そこを神市と定め、桓雄天王となった。風、雨、雲を司る三人の将軍とともに、農業、生命、病気、刑罰、善悪などの人間に関する三百六十余りの事柄を司り、人間の世を教化した。

その頃、一頭の熊と一頭の虎が同じ穴ぐらに住んでいたが、いつも桓雄に人間になれるように請い願っていた。そこで桓雄はヨモギ一束とニンニク二十個を彼らに与え、「これを食べ、日の光を避けて百日の間物忌みすれば人間になれるであろう」と言った。

熊と虎はこれを食い、物忌みすること三・七(二十一)日。熊は女の身体を得たが、虎は物忌みを続けることが出来ず、人の姿になることは出来なかった。

熊は人間の女の姿になったものの、結婚相手がいないため、また神壇樹の下で子供が授かるようにと毎日祈った。そこで桓雄は仮の姿となって熊女を娶り、子供を作った。この子供が、後に檀君王倹と号するようになる人物である。

壇君王倹は中国の堯帝の即位五十年 庚寅の年(堯帝即位元年は戊辰、その五十年は即ち丁巳であり、庚寅ではないので、それが事実かどうかは疑わしい。)平壌を都に定め(現在の西京である)、朝鮮と称し始める。また白岳山阿斯達に都を移し、またの名を弓(あるいは方)忽山、また今彌達という。国を治めて千五百年、周の虎王が即位した己卯年、箕子を朝鮮に封じ、檀君は藏唐京の都に移る。後に阿斯達に還り隠れて山の神となる。寿命千九百八歳であったという。

唐の裴矩傳によると、高麗はもともと孤竹国(現在の海州)である。周が箕子を封じたのを以って朝鮮とした。漢は玄菟、楽浪、帯方(北帯方)という三郡に分割した。通典でもまたこの説と同じである(漢書は眞臨楽玄の四郡に分割したという。今の三郡のことである。名前が同じではないのはどういうことであろうか)。』


この神話は、おそらくは民間伝承を元に、三国遺事の著者一然が仏教説話を加味して創作したものと思われます。当然実話ではありませんが、神話は常に「(神話が作られた時点の)現在を過去に投影する」という性質を持っています。ですから、この伝説を構成する要素のいくつかは、事実を元にしたものではないかと推察されます。



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