狂牛病騒動と嫌韓気運
さて、クリスマスとは全く関係のない話ですが、昨今の日本における嫌韓気運を見てるうちに、何となく狂牛病騒動に似ているなと思ったのでそれについて書こうと思います。
狂牛病と言えば、私にはふたつの記憶があります。ひとつは、日本で狂牛病が注目される以前の話です。
当時、欧州旅行のパッケージツアーにセットされていた昼食に、ご当地名物の牛肉料理がありました。ところがそれが狂牛病騒動のために、牛肉を使わない別の料理に変更されるという通達が、欧州旅行の専門業者からあったのです。
当時の私たちは、狂牛病について名前ぐらいは知っていましたが、それが人間に感染するとか、その原因が牛肉料理だとかいうことについては知らないのが普通でしたし、知識として知っていても、現実感は皆無でした。
ですからその通達を見て、私たちは「大げさな」と笑ったものです。
その頃、私は某巨大匿名掲示板の食べ物板をよく見ていました。今は食べ物板もずいぶん細分化されていますが、当時のカテゴリーは「食べ物」だけしかありませんでした。その中に、狂牛病に関するスレッドがあったのです。
当時の私は、特に狂牛病に関心があったわけではありませんが、よく訪れる板の中にあるので、見るともなしに見てしまいます。その内に、狂牛病の危険性について嫌でも知ることになりました。
となれば、欧州旅行のパッケージツアーで名物の牛肉料理が自粛された理由も腑に落ちます。
それどころか、某巨大匿名掲示板に書かれた情報を見る限り、危険なのは牛肉料理に限らないのです。インスタント食品には牛肉エキスが使われているし、ゼラチンにも牛の腱が使われていることがありますから、ゼラチンを使ったお菓子類も危険です。
しかし周囲の人にその話をしても、誰も真に受けません。私が名物の牛肉料理の提供を自粛した欧州旅行の専門業者を嘲笑したように、私も周囲の人に嘲笑されました。
しかたないので、私はひとりで牛関連食品を避ける生活をしていたのです。
それからしばらく経って、狂牛病騒動の波は日本にも到達しました。その頃には私は、狂牛病に関する知識もある程度備わり、闇雲に牛関連食品を恐れる必要はなく、また用心のために自粛したいのであれば、どういう食品を避ければ良いのかがだいたいわかっていました。ですから、日本に狂牛病騒動が到達した時には、さほど驚きも慌てもしませんでした。
ですが私の周囲の人々は、少し前の私と同じく、牛関連食品に関してはパニックとヒステリーに近い状態になりました。
私はそれに対して、自分の経験も踏まえて牛関連食品に関する危険性と対処法について説明したのですが、マスコミという一種の権威が述べることと、私という何の権威も持たない一個人が述べることに温度差が有り過ぎて、私の言うことに耳を傾ける人は多くありませんでした。
そんな日本での狂牛病騒動も一段落して、そんなことがあったことさえ忘れられた頃、韓国で狂牛病騒動が勃発しました。これが狂牛病に関するふたつめの記憶です。
しかもそれは政治と絡んで、日本における狂牛病パニック及びヒステリーとは比較にならないほどの激しさだったのです。
当時日韓チャットにいた私は、自分の経験と日本での反応を踏まえた上で、日韓チャットにいた韓国人に狂牛病について説明しました。しかしそれに耳を貸そうとする韓国人がいなかったことは、これまでにもちらっと述べたことがあります。
狂牛病に関する騒動という観点では、日本と韓国の反応の違いというのも興味深いのですが、今回私が思うのはその点ではありません。
今回思ったのは、時に現実はネットを後追いすることがある、ということです。
もちろん、何か事態が起きるのは現実が先です。けれどそれが話題になり、人々の注目を集めるに至るには、現実よりもネットの方が先になることが、ままあるのです。
まさに狂牛病はそのパターンを踏襲しましたが、私にとっては、現在の日本における嫌韓気運も同じなのです。
私がネットを通じて、韓国のキチガイっぷりを知った頃、私はパニックとヒステリーに近い状態で韓国について周囲に説きました。しかし周囲は韓流捏風真っ只中です。誰もが、私の嫌韓主張に耳を貸さないか、貸しても半ば嘲笑をもって聞いたものです。
それから幾星霜。私の嫌韓ももはや諦韓に至り、韓国の危険性とその対処法についてある程度の知識を得、比較的冷静に韓国について考えたり話したりすることが出来るようになりました。
対する現実の方はと言えば、私が韓国を知ってパニックとヒステリーに近い状態になったのと同じような現象が起きつつあります。
自分の経験を顧みれば、初めて韓国を知った人々がそういう状態に陥ることはよく理解出来ます。いわば韓国を知った者の通過儀礼のようなものでしょう。
日本における狂牛病騒動がそうだったように、日本における嫌韓気運もやがて落ち着きを見せるようになるかもしれません。しかし狂牛病が忘れ去られたことによって落ち着いたわけではなく、狂牛病に関する公的な検査やトレーサビリティの徹底によって落ち着いたように、韓国についても、日本の公的な対処法が確立し、韓国の狂気にある程度のバリアが成立しなければ、落ち着くことはないのではないかとも思います。
何事につけ危険性しか知らされず、自衛する以外にバリアがないとなれば、パニックやヒステリーに陥りやすいのは当たり前です。今の日本における嫌韓気運の高まりはまさに、韓国の危険性のみが流布され、その対処法がまだ徹底されていないためでしょう。
かつてのように、テレビとラジオと紙媒体しか情報伝達手段がなかった時代であれば、これまでのように忘却による鎮静化も期待出来ました。しかし今日のようにネットが身近な情報ツールになれば、忘却による鎮静化はほぼ期待出来ません。
となれば、日本における嫌韓気運が鎮静するには、日本人各人が韓国に関する知識を拡充し、個人的にその対処法に自信を持てるようになるか、日本政府が公的に韓国に対する防御壁を作り、日本国民を韓国から守るシステムを構築し、それを日本国民に周知させるかしかないでしょう。
前者は、知識量やその理解に個人差もあるでしょうから、なかなか難しいものがあるし時間もかかります。仮に実現すれば日本にとってはその方がより望ましいと思いますが、韓国にとっては文字通り致命的な事態になるでしょう。
後者ももちろん、万全に行なおうとすれば決して容易とは言い難いのですが、最低ラインとして、政府主導で在日特権や韓国に対する特恵的待遇を撤廃すれば、相当の効果は期待出来ます。その程度の対処では日本にとって万全とは全く言えませんが、その分韓国にとっては、完全に息の根を断たれるまでの事態には至らずに済むでしょう。
くり返しになりますが、もし日本政府が韓国の狂気に公的な対処を取らなければ、忘却による鎮静化が期待出来ない以上、日本人は各人で韓国に対する知識を深める=韓国に対する嫌悪感が限界まで高まり、それを突き抜けて諦めに至ることによって鎮静化するしかありません。
個人的には、その方が日本にとってはより望ましいとは思います。ですがそれには余りに時間がかかりますし、個人差が大き過ぎますから、それによるひずみも避けられません。
それよりは、韓国の息の根を断つには至らないという点で若干物足りずもどかしいものはありますが、比較的穏やかで迅速で均質な効果が期待出来る公的対処の方が良いのかもしれないなと、狂牛病騒動のパターンと照らし合わせて考える次第です。
コメント
馬鹿でもチョンでもは有名な諺
ネットや書籍から情報を得る人だけでなく、櫻井女史とは比較にならないくらいの、文才と実績を持つ錚々たる作家も声を上げ始めてます。
紫綬褒章やイタリア共和国功労勲章を受賞している、女流作家の塩野七生さんも、あの傑作『ローマ人の物語』20巻、P220で馬鹿でもチョンでもと書いている(本当に書いている。嘘だと思うなら調べて欲しい)
馬鹿でもチョンでもという日本に古くからある諺は、「豚に真珠」とか「馬耳東風」等の含蓄ある諺と同じような地位を再度占めつつあります。
今後は遠慮することなく、馬鹿でもチョンでもという言葉を使いたいと思います。 なにせ、イタリアと日本両方の国家から文化功労賞を得ている超一流の文化人でも使っている言葉ですから。
裸の王様は誰が見ても裸なんだから、「王様は裸だ。 馬鹿は馬鹿だ。」と発言しないほうが真実に反してます。
狂牛病と火病、共に狂っている病気もだいぶ定着しましたが、後者は一過性だけでなく突発性・継続性が特徴です。
遺伝子欠損という科学的な調査結果もあります。
>日本における嫌韓気運が鎮静するには、日本人各人が韓国に関する知識を拡充し、個人的にその対処法に自信を持てるようになるか、日本政府が公的に韓国に対する防御壁を作り、日本国民を韓国から守るシステムを構築し、それを日本国民に周知させるかしかないでしょう。
前者は、知識量やその理解に個人差もあるでしょうから、なかなか難しいものがあるし時間もかかります。仮に実現すれば日本にとってはその方がより望ましいと思いますが、韓国にとっては文字通り致命的な事態になるでしょう。
個人的にはこの前者を支持します。 時間はかかっても確実性が増しますから。
ああ、理解できます。
私も第一次安倍政権の頃に中国製の製品や食品の警鐘を元同僚に伝えたのですが、全く相手にされませんでした。
韓流の頃に友人に(ry
結局は自分に火の粉が掛かるまでは対岸の火事に過ぎないということなのでしょうね。
悲しい事に歴史に学ばない人は学ばないのです。
馬鹿でもチョンでものチョンは朝鮮人のことではないです
江戸時代からある言い回しで朝鮮人とは無関係です
塩野七生さんも古くからの日本の言い回しを使っただけのことでしょうね
実際に、どういう意味を含んでどのように使われているかが問題
そういう説もありますが、正しくは未だ定まっていない。 江戸時代に記述があるのは知っている。
>馬鹿でもチョンでものチョンは朝鮮人のことではないです
。江戸時代からある言い回しで朝鮮人とは無関係です
この言葉が使われた場合に、朝鮮人と無関係だと果たして言い切れるのか?
実際に、どういう意味を含んでどのように使われているかが問題。
私は語源の正しさについてとやかく言っているのではありません。
現在の日本で、馬鹿でもチョンでもという言い回しは、朝鮮人を指している意味で解釈されるのが普通であると思います(これは私自身の考え。 断韓さんの考え方まで、私は干渉しません)。
どのように解釈するかは、文章を読んだ読者自身の捉らえ方によると思います。
私は馬鹿でもチョンでもをそう解釈してます。
そりゃ塩野女史に、直接尋問したらそう答えるでしょうね。
「差別ニダ!」
と煩そうなばかりでなく、立場上宜しくないでしょうからね。 彼女の事だからちゃんと逃げ道の江戸時代から使われていた記録があるというのを用意してるでしょうが。
少々”危うい”かと。
>>Kanji氏
権威論証的な切り出し方は、傍から見ていて少々危うく見えますよ。
塩野氏の名前を挙げるだけで良かったのではないでしょうか?
仰る事はよくわかります。自分は断韓氏と同じ指摘を以前にしましたが、
自分も”とるに足らぬモノ”である『ちょん』を朝鮮人とダブらせて
考える事はあります(模範的な朝鮮人は、それ位の小人でしょうし)。
しかし、それを「そういう意味である」とは言いづらいものもあります。
>朝鮮人と無関係だと果たして言い切れるのか?
これは一歩間違うと未知論証です、対論者は無い事を証明しなくてはならない。
>遺伝子欠損という科学的な調査結果もあります。
確かにそうなのですが、これは使い処を誤ると優性論になりそうな…。
氏とは度々意見が合わない場面がありますが、決して悪意はありません。
管理人氏の「>日本における嫌韓気運が~」ですが、自分も前者が上策と思います。
自分の言は不愉快かもしれませんが、最後に一点だけ。
>彼女の事だからちゃんと『逃げ道の~(中略)~用意してるでしょうが』。
これはちょっと塩野氏に失礼だと思います。
総論賛成、極論反対・・・
>朝鮮人と無関係だと果たして言い切れるのか?
これは一歩間違うと未知論証です、対論者は無い事を証明しなくてはならない。
馬鹿チョンという、日本人なら聞いた経験がある言葉を未知論証? わざと専門用語的な言葉を使い、言葉遊びをしているようにしか思えませし、使ってる本人自身が意味をちゃんと理解しているとは思えません。
>遺伝子欠損という科学的な調査結果もあります。
確かにそうなのですが、これは使い処を誤ると優性論になりそうな…。
具体的にどこで使い処を誤ったかのでしょうか? まだ見ぬ未来の仮の話を持ち出されても…。
重箱の隅を突くように批判されてもね…少し書き込みが目立ち過ぎたのでしょうか?
朝鮮人ではなく、日本人の私を批判する人には意見のベクトル(方向性)を見て欲しかったです。 他人の思考にまで干渉する前に。
月見さんのコメント欄に書きこむのは大いに自戒になりました。
面倒なのでもう意見を述べるのは止めにします。
今後はロム専で行きますが、月見さんの鋭い視点を今後も期待します。
もし、少し暇をいただきまして宜しいか
江戸時代でも「チョン」は未熟者という意味で使用されており
三段論法
丁稚≒未熟者≒朝鮮人 ∴丁→朝鮮人
丁稚が居なくなれば、さてはて↑はどうなるでしょう?
然らば、御免!