海によって選別された日本人
韓国人の対日イメージは複雑です。激烈な反日意識と一緒に、ぬぐい難い親日意識も抱えています。対象を愛するあまり、その対象と自分自身を同一化しようとし、それが叶わないのであれば対象を殺して自分がその対象そのものに成り代わろうとする人格障害者がいますが、日本人に対する韓国人の意識にはそれを彷彿とさせるものもあります。
もちろんそれだけではありません。彼らが常識として備えている対日イメージのひとつに、「日本人は未開で野蛮」というものがあります。
これは華夷思想に基づくイメージでしょう。古代中国の先進性は、当時の世界では突出していました。その中国に近ければ近いほど、その先進性の影響を濃厚に受けます。朝鮮は中国と地続きであり距離的にも極めて近く、また民族的にも文化的にもその関係性が密接であることは議論の余地がありません。中国の第一の子分であることを誇りとした朝鮮は、自ら小中華と名乗っていたほどです。
そのためか「日本人など、ウリが文化を伝え教えてやらなかったら、今でも腰蓑一丁に木の槍持って、ウッホウホ言ってたはずだ」という確信に近いイメージを、韓国人は持っています。
しかし、考えてみればそれは矛盾したイメージです。何故なら、日本列島で人類は発祥していないからです。つまり日本人は全て例外なく渡来人の子孫のはずなのです。
余談になりますが、「日本人は全て例外なく渡来人の子孫である」と言うと、激烈な反発を頂戴したことがあります。日本列島で人類が発祥していないのは、少なくとも現在の考古学的見解では確かなこととされているのに、何故こんなに反発されるのかと不思議に思ったのですが、どうやらその人の中では「渡来人」=「支那・朝鮮人」と定義していたようです。
私がここで言う「渡来人」とは、漢字の意味の通り「渡り来たる人」であって、その中に今で言う支那や朝鮮の域から渡り来た人々がいたであろうことは否定しませんが、だからと言って特定の国や民族、人種を指すものではありません。
その当時の人々には、「国」や「民族」という意識どころか、その概念も存在しなかったでしょう。だから支那や朝鮮の域から日本に渡り来た人々を、今の支那・朝鮮人の祖先とイコールで考えることには、私は否定的です。
さてアフリカで発祥したとされる人類は、長い長い時間を掛けて世界中に拡散しました。日本は、アジアに向かった人類の最終到着地だったと推察されます。
中国大陸と日本の間には海があります。航空・船舶技術の発達した現在ではさほどでもありませんが、人工的な動力機関を持たない古代には、この海は極めて大きな障壁でした。このことに異論を唱える人はいないでしょう。
すると、日本に渡ってきた人々とは、この極めて大きな障壁を突破してきた人々とも言えます。事故などで偶然、波風に乗せられ運ばれ流されてきたという人もいなくはないでしょうが、意思を持って海を乗り越えてきた人々の方が圧倒的に多かったでしょう。
この極めて大きな障壁を乗り越えるには、意思だけではなく、ある程度の、その当時としては最先端の知識や技術が必要であったはずです。と言うか、ある程度の知識や技術のなかった人々の多くは、海の藻屑となったでしょう。
ある意味、この海が支那や朝鮮半島に残った人々と、日本に渡り来た人々とを選別することになったのではないでしょうか。
特に朝鮮半島は、決して恵まれた土地とは言えません。それがために、領土的野心の猛烈な支那でさえ、あえて朝鮮半島を自国に組み入れようとはしませんでした。
そういう土地に満足出来なかった人々は、来た道を引き返し、既に多数の競争者の居る大陸内での勝ち抜き戦に参加するか、さもなければ先住者のいない、あるかないかも定かでないフロンティアを目指して、未知の海に漕ぎ出だしました。
当時はまだ、国も民族もありません。その中である限りの知恵と勇気を振り絞り、更に幸運に恵まれた人々だけが日本列島に到達出来たのでしょう。日本列島で人類が発祥していない以上、例外なくそういう人々が、現在の日本人の祖先であることは間違いありません。
現在の韓国人は、日本人を「ウリが文化を伝え教えてやらなければ、チョッパリなど今でも未開な野蛮人なのだ」と言いますが、実は日本列島に渡り来た人々よりも、朝鮮に残った人々の方が、知恵も勇気もない怠惰な人々だったのではないでしょうか。
近い距離にあり且つ地続きの中国は、大朝鮮と揶揄される程度には朝鮮と似ているところがありますが、近いながらも海を隔てた日本と朝鮮の人々が、真逆と言っていいほど異なるのが、その証左と言えなくはないだろうかということを、古代日本史に関する本を読みながら考えた次第です。
コメント
日本には桐という植物があります。この樹は浮力が大きく、3/10しか水面に沈みません。太平洋は時計回りで渦(うず)を巻いていて、今から約6先年前のバルデビア期に南米エクアドルにて縄文式土器が発見されています。
縄文式土器とは需要な指標です。この土器が見つかる地域は日本と交流があった証拠になります。地球のほぼ反対側の地域でこの土器が見つかっています。中南米人の寄生虫のNDAが日本の寄生虫と同じDNAという研究結果もあります。
そしてエクアドルは木材のバルサの自生地です。バルサの浮力は1/10です。ミクロネシア等では南米大陸から王朝の王子が太平洋の島々へ逃れて来たという伝説があり、学者ヘイエルダールはそれを実証すべく実験航海を行っています。それが有名な「コンチキ号の冒険」という著書です。
太平洋の島々ではイサナキとイサナミという神がいるそうです。イサナキ=雄々しい女神 イサナミ=豊かなる女神 という意味だそうです。
太平洋当時、竹で造った筏でフィリピン等東南アジアから日本へ帰ろうとした人々がいてその記録は書籍にもなっています。
このように、古代日本には様々なルートから様々な人々が流入してきていました。決して大陸からのみではありません。
>近い距離にあり且つ地続きの中国は、大朝鮮と揶揄される程度には朝鮮と似ているところがありますが、
朝鮮半島は、隋王朝からの侵攻を防いでいました。この当時はまだ骨があったと思います。しかし明の時代には屈服し、新羅の時代から半島は中国様を真似る政策へ転換しました。文化の独自性を放棄し、偉大なる中国様を完璧に真似ることで国を守ろうとしたわけです。ブログ主さまには今更な講釈かもしれまんが。
高麗/百済/新羅の半島三国志時代、新羅は他2国より滅ぼされようとしていました。「だったら中国王朝と手を組んで、他の2国を挟撃(きょうげき:挟み撃ちすること)して滅ぼせばいいんじゃね?」と考えた新羅。そして実行して、新羅が生き残り、現在の半島の原型となりました。そして百済の難民が日本に渡ってきています。東北地方の国司には百済王の子孫が就いています。新羅を日本語読みすると「しんら」となります。それを「しらぎ」と読むのは、百済人の意向があると言われています。
この当時の感覚としては、まさか中原の大国が異民族によって滅ぼされるとは考えていない→考えられない時代でした。そんな事は儒教の論理に反することなのです。最後までねばっていたのが金王朝。なので半島が独自性を捨て、数百年の間、「ミニ中国」を目指した国策もわからないでは無いです。江戸幕府が採用した儒教の朱子学は「金王朝」が滅ぼされる頃に生まれた亡国の論理であり、「覇王=力で王朝を滅ぼすもの」「天子=天帝(神)より指名?された、国を治める正統者」と論理を展開していました。故に日本では「日本の正統天子って・・・あれ?・・・覇王徳川ではなく、天皇じゃね?」と理解されていき→やがて勤王倒幕の流れになるわけです。2000年近く、覇王ではなく天子が治める国は日本意外現在では存在しません。
ま、半島では中国様を完璧に真似ることに血道をあげていました。中華文明が滅んだ時には「それなら自分たちが中華文明の正統な継承者だ!!=小中華だ!!」とよろこんだ猿知恵は無理ありません。時代的にはその後、その国独自の文化が珍重される時代になり、現代まで続くわけですから。「何百年も自ら意識的に独自性を捨て去った国=実質的には何百年も死に続けたゾンビの国」など珍しいでしょう。このことを日本人は知る必要があると思います。
つまり、ハードのみならずソフトの分野でも日本は独自の存在であり、世界的に非常に珍しいということですヨ!!
すみまんせん。
イサナキ=雄々しい男神
でした。
十年かそれ以上前に、NHKラジオの文化講演会で聞いた話ですが、縄文土器より古い土器は世界で発見されていない。中国沿海部で発見される土器は、縄文土器より新しく、内陸部に行くほどさらに新しい土器しか発見されないと言っていました。これだけから判断すれば、日本から大陸に、土器が伝わっていったとも言えます。なにもかも大陸から文化が伝わったと卑屈になることはありません。明治期にわが国で作られた「民主主義・・・」などの訳語は膨大な量が、中国、韓国、朝鮮などで使われています。
朝鮮に学んだものなし
よく古代中国・朝鮮文化なんて言いますけど、朝鮮文化って何ですか?
古代日本が古代中国に多くを学んだのは事実です。古代ゲルマン人が古代ローマ人に多くを学んだように。
学んだ古代中国文化に海路経由と陸路(朝鮮半島)経由があっただけです。
仮に朝鮮半島がなくとも、余計に手間がかかっただけで、大局に影響ありません。
日本が学んだ古代中国・朝鮮文化なんて言う人間が居たら尋ねてみましょう。
「古代朝鮮文化って何ですか?」と。
まぁ、ファビョる人間が居るだろうけどw
環境が人を育てる、環境を人が延ばす
おはようございます。
いわゆるYAP遺伝子から推測いたしますと、現在の日本人と特亜の人は全く別人種であると推定されますが、特亜と同一視されたくないというのは一般的な日本人の感覚であったので反発は反射的だったんでしょうね。
よく考えれば、島国の日本と違って大陸は終始異民族同士が入り乱れての攻防があり、いくつもの国家が民族ごと滅んだり四散して現在の姿もその一過程に過ぎないのでしょうね。
いわゆる昔から日本は日本人しか居なかったし、移住があったころの渡来人なる人は現在の特亜人とは縁も無い人だったでしょう。
イギリスの支配階級でない一般国民は日本と同じ島国の国民で、情に暖かかった記憶があります。
所謂親切遺伝子なるものでしょうか。
日本は、世界屈指の火山活動や地震水害等で一通りの厳しい自然環境ですが、管理人様ご指摘のようにここで生きて行こうとする意志のある人のみによって辛抱強く環境が熟成されそれが恵みをもたらす自然に対する畏敬と愛情のようなものを醸成したと思います。
人工林だけでなく日本のぶな林などは、人が適度に伐採することでその環境が維持されてきた面もあり、自然環境と人間が共に継続的に発展できる要素が生まれた稀有な国なのでしょう。ぶな林で観察されるあがりこ(根元の周辺のこぶ)などや各地の沼沢などにその努力の痕跡が見られます。
>ウリが文化を伝え教えてやらなければ、チョッパリなど今でも未開な野蛮人なのだ
欧州もギリシャローマ時代は野蛮人が住む未開の地でした。作物栽培に適さないモレーンなどを切り開いて食物を育てられる環境を何百年もかけ創っていったことでしょう。
上記の韓国人の発言は、継続的で自助努力による国の運営を目指すのではなく、日本にたかり食い潰す道を選ぶ人たちから出るであろうことは十分予想されうるまことに卑しく浅はかで残念な言葉ですよね。
氷河期ですよ
>>>日本に渡ってきた人々とは、この極めて大きな障壁(海)を突破してきた人々とも言えます。
そうじゃないです。
日本列島に入ってきた人々の第一波は、氷河期、氷で大陸と日本列島が地続きになっていたころ、樺太経由で日本列島に入ってきたんですよ。
まあ、氷河期終了以降も日本列島には続々と人々が入ってきたわけで、だから「日本人のご先祖様=果敢に海を渡ってきた開拓者たち」といえないこともないのですが、そういうのなら、アメリカ大陸に渡ったインディオの祖先たちもそうであるといえるわけです。
チャイナ文明はインド文明の亜種というお話。もっと視野を広く持ちましょ。
http://www.youtube.com/watch?v=mNMpbrLXX80
縄文人に船を作る技術があったとは思えないな。
列島が大陸と陸続きだった時に流れてきたのだとおもう。
日本人の遺伝子は現・支那朝鮮人とは決定的に違います
ロム専で行こうと思ってましたが、久しぶりに書き込みます。
beck #QHxoUxy2 氏の言が科学的には正しいでしょう。
10年程前だっったか、NHKで日本人遥かなる旅 日本人はどころか来たのか?という題名だったと記憶しますが、日本人のDNA分析を行って科学の面から結論を導き出してました。
その結果は日本人の90%以上の遺伝子が、ロシアのイルクーツク付近に居住する人々と合致するというものでした。
つまり、beck氏の言う、樺太方面から日本列島に渡ってきて、九州、沖縄まで広がって行ったというのが科学的な分析から得られた結論です。
この流れが一番太く大きかった。
大陸人(現・中国人、朝鮮人)のDNAが交じり合っているのは2-3%に過ぎない結果でしたよ。
いつも楽しく拝見させていただいております。
朝鮮人がよく言う「水稲(田んぼで作るお米)はウリが教えてやったニダ。ウリ達が教えなければ今だに未開で野蛮で残酷な狩猟民族だった!感謝しろ!」
ですが、農学ではお米は中国の雲南省から直に日本へ伝来、日本で品種改良を重ね(当時はすべて手作業だろうし、天気予報もないなか大変な苦労と年月だったと思う)気候に対応した稲が安定栽培できるようになり、その後朝鮮に伝わった。
というのがDNA解析から明明白白としています。
なのにもかかわらず、大学教師や、日教組はさも朝鮮から伝来した!や、いくつかのルートがあるが朝鮮から来た可能性が高い!など、、、
朝鮮人同様あきれたのもです。。。
まず、人間の起源 アフリカ説は 古いです。 数年前 アジア説が公式に発表されています。 また、世界最古の縄文クッキーが山形県高畠町で そのままの形で多数 出土しています。 文化は 確かに大陸から多いですが 人種としては違うと思われます。 それは男性の Y系統D2の遺伝子は (たしか3~4割?)日本人にいますが 中国、朝鮮は0と記憶しています。リンク貼れません。科学的には別人種と思われます。どちらにしても 今日現在は 途中段階ですから 今後 発見されるはずです。
何と日本人と中東の人達の遺伝子が一致。
ほんのつい最近朝鮮人と日本人はDNAが違って関連性が無かったというニュース見たばかりなんですが。
10年前のNHKと今とでは検査の精度が違うのでより新しい研究成果の方が正解に近いと思います。
遺跡もそうですよね。
任那日本府に対して文書や公開土王碑では見つかっても証拠が無かったので日本人の学者でさえ否定する者がいたけど、2009年に朝鮮半島で前方後円墳が見つかってますから。
アフリカ説、古いんですか!
うわぁ、良いなぁ、こういう話。すんごいワクワクする。
「アジア説」が新しく出ているのは知りませんでした!
図書館に漁りに行こうかなぁ……(キラキラ)
確かに。ロシアの北の方と、中東付近? の人達。
むっちゃくちゃ、日本人と顔が似てる……!
着物着てもらったら、区別付かないですよ!
何れにしろ、「軸」となったのがその方々でも、
色んな血が少しずつ混じった、混血民族ですよね!
九州や沖縄は、太平洋地域と交流があったでしょうし。
イサナキ、イサナミ……。
「勇ましい」=「雄々しい」、と繋げられますが、
「豊か」が出て来ると、恐らくは元々、「盛んな」とか「繁栄」とか?
そういう、「隆盛」を意味する神様だったんでしょうねぇ!
百済や高麗と、西日本の方は、古来、行き来がありましたし。
だから、百済のお姫様が、難民として来て、一世紀後、天皇家にお嫁入り?
(100年後に、たった一人 ← 何代重ねたんだw)
じゃ、今の朝鮮の方々の祖先は、新羅じゃないですか。
国が全然違います。って事は、部族が違うんですよね?
同じ「アジア人」である事は否定しません。が。民族的には別物。
大陸と半島の(大・小)中華思想?
「反面教師」として、大いに学んでおります。感謝しても仕切れませんw
動物の移動も、人間の移動も信じられなくらい多様だね。
遺跡の発掘や、DNAの読み取り方も進化してるし面白いね。
考古学もどんどん変わり、また新しい見方が出るんだろうね。
夢があって良い、イデオロギーに頼りすぎるのはマズいな。
追加
朝鮮人とは、北方遊牧民族が南下したため、たまたま隣接したにすぎません。
日本人の基層が海洋系の南方民族にあることは、文化的にもDNA 的にも明らかです。台湾人との親和性もこれに関係していると思います。
あんたらとは遠縁でしかないよ、と常に朝鮮人に発信していきましょう。
全くわからんので素朴な疑問ですが。
もともと日本に住んでいた人類はいなかったのでしょうか?
そういう人達と渡来人がまじりあって現在の日本人になったと聞いたことがありますが。
古事記に世界の始まりが書いてあるw
それが全てでしょうww
ここに地終わり海始まる
実際の経路はともかく、海というフィルターはあったと思います。
これから先は陸地は無くなるから、絶望しかないとあきらめる者と、誰も行ったことが無い先に行けると、希望を持つものとでは、(同じ場所、同じ好機、同じ人種であったとしても)その差は開いていくだけでしょう。
何事も成し遂げられなかった者たちが、上から目線でモノを語るのは、努力し続け実績を積み上げてきたものに対する侮蔑でしかありません。
そのような方達とのつきあいはできるだけ避けたいものです。
渡り来たるならなおのこと最初の入植者を指す言葉にはなりえないわ
日本に人がいない時に日本をこちら側と言える者はいない
こっちへ来るのであってあっちへ来るなんて使い方は間違ってる
>> #UwJ9cKX2
貴方間違ってるよ、高句麗と高麗は全く別。
高句麗は、漢族、朝鮮族、スキタイ系遊牧民の集合国家。
対高句麗戦略があったからこそ、聖徳太子の手紙の内容に激怒しながらも、煬帝は日本に答礼したという説もある。
高句麗は、朝鮮族が関わった国で漢族王朝に対抗した唯一の国。実際には南北朝を引きずる反隋勢力の漢人や遊牧民がいたからこその強国だったようだけど。
高麗がその国号を名乗ったのは、高句麗にあやかってのこと。何しろ朝鮮でも高麗の実態は、漢族にケンかを売っちゃ負けて土下座して、ほとぼり冷めるとまたケンカを売るというある意味情けない国。元朝記に至っては手も足も出ないことの鬱憤がたまって、代王に就任して日本人をいじめることを目論んで、モンゴルけしかけて元寇を引き起こしたりもしてる。
これ、逆。
朝鮮半島は日本から来た倭人のテリトリー。
>日本人は、特に古代に関してはとにかく「全ての文化は支那・朝鮮から渡来した」と考えている節があります。
多くの公立小中学校で創価教師がそう教えています
テストでもそう書かないと点数がもらえません
はじめまして
最近韓国問題に興味を持った者です。
ソースは忘れてしまいましたが、最新の研究では氷河期でも本州と北海道は地続きにならなかったとのこと。津軽海峡は氷河期でも凍らなかったんですね。
それでも北海道まで到達した北方系の人々は、彼方に見える現在の日本本州目指して津軽海峡を渡ったんでしょう。
青森県の三内丸山遺跡から出土した翡翠は富山県糸魚川産、黒曜石は北海道産と、縄文時代にはすでに海洋交易が発達していたという説もあります。
島国日本は、東側こそはるか彼方のアメリカ大陸の影響は少ないとしても、北・西(大陸)・南の文化、習慣を自分たちの生活に取捨選択をしながら取り入れ、現在の日本文化まで昇華させたのだろうと思います。
もう指摘されてるけど渡来人は海を渡った人
日本の原住縄文の元は氷河期に氷の上を
北から歩いてきたと思われる、コレも渡来?
元来の意味を拡大し過ぎと思われますね
渡来人の定義が4〜7世紀に
海を渡ってきた人だそうで
それは圧倒的少数ですでに日本には
相当数の原住日本人が居そうです
弥生も渡来人では無いって説もあり
無理に拡大すると全人類渡来人だわw
4世紀あたりから解り出すんだよね
卑弥呼は3世紀の人ですから、卑弥呼と天照が同一人物だとすると、3世紀には、大和はすでに瀬戸内海を制圧し、伊勢を制圧し、出雲を支配下においていたことになります。どうでもいいですが、千葉の銚子の奥に「猿田神社」がありますが、猿田彦は天照とだいたい同年代の人ですから、このときすでに房総には大和の勢力が進出していたのかもしれません。古事記で倭建命が伊勢の叔母からスサノオの形見の剣をもらいますが、これが自然な形で書いてあるところを見ると(つまり私には不思議でならないのですが)、当時の人々には異和感はなかったのでしょう。もともと伊勢の支配者は猿田彦ですから、やはり猿田彦は暗殺されたと考えるのが妥当かとなり、暗殺者はアメノウズメということになるんだけどなあ。
というロマンあふれるファンタジーの世界になるわけですが、どんなファンタジーであろうと、朝鮮人が入り込む余地はまったくないと言って間違いないと思います。
ご指摘のとおり時代的に高句麗→高麗であり、半島三国志の時代は「高句麗」です。そして高麗は高句麗を現代風に言うならリスペクトとして名乗ったと記憶しています。高麗はヘタレですが。
6000年前、日本で漁をしていた船(非常に簡単な構造のもので船と呼べるか・・・)が遭難して中南米までたどり着いたと言われています。日本からシベリア廻りで到着したと考えられています。船とはおもしろい物で、朽ちてしまうために昔の船の現物がありませんし、設計図もありません。日本を例にとると、江戸時代の「宝船=樽等を積んで運ぶ大型船」程度が具体的に姿形がわかる程度で、「遣隋使」や「遣唐使」の時代に大陸へ渡って行った古代船は、あれは想像の産物です。たぶんこんなだろうという程度のイメージ図です。