皆と同じ考えでなければならないと考える日本人、自分と同じ考えでなければならないと考える韓国人
さて、ホントにネタに困る昨今です。時事ネタに逃げようと思っても韓国関連はろくなニュースがありません。と言うわけで、毎度お馴染みの韓国考察を飽きもせずと言うか、すっかり飽きつつも繰り返そうと思います。
韓国では「韓国人は一人なら虎だが、集団になると猫になる」などと言います。これと「日本人は一人ならミミズだが、集団になると竜になる」が対になっているようです。これは彼らが、個人としての韓国人の優秀性を自慢すると同時に、それが集団になった時に発揮されない点を自ら皮肉ってるものと言えるでしょう。続く日本人に対する評も、単純にその裏返しです。
彼らの個体としての能力が、本当に虎に喩えられるほど優れているかどうかは、私にはわかりません。ですが、個体としての韓国人が本当に虎に喩え得るほど優れていたとしても、それが集団になった時に活かされないどころか、無効化されてしまうのでは、意味がないのではないでしょうか。
何故彼らは集団になるとダメなのでしょう。
昔、日韓チャットに初めて参加した日本人に、日韓チャットで話した韓国人の感想を聞いたところ、「彼らの社会性の無さに驚いた」という回答を得ました。
言われてみれば確かに、彼らの社会性の無さは突出しています。とにかく、他人と協調するということをほとんど意識しないのです。自我が芽生え始めた幼児の如く、どいつもこいつもウリがウリがと囀り、自分に同調しない他者を攻撃します。日韓チャットの韓国人に慣れた私たちには当たり前の風景でしたが、それを初めて見た日本人には驚愕の風景だったようです。
彼らが集団になるとダメなのは、その社会性の無さ故と言えるかもしれません。
社会性とは、Wikipediaによると【対人関係における主として情緒、性格などのパーソナリティの性質であり、人間が社会化される過程と通して獲得される。人間関係を形成し、円滑に維持するための社会生活を送る上で欠かせない特質】とあります。ただし【社会的コンピテンス、社会的スキルなどの言葉が社会的に類似した意義でよく用いられるが、それぞれ研究者によって定義づけが微妙に異なり、明確な定義付けがない】とも書かれている通り、かなり曖昧な概念と言えるでしょう。
しかし、「社会性」を構築する要素の中に、「その社会を構成する個人に、個人的な利益だけではなく、属する社会の集団的な利益を意識すること」が必要とされていることは確かです。
韓国人にこの要素が欠けていることは、ある程度韓国人を知った人であれば周知の事実です。室谷克実氏の呆韓論
それ故か、彼らは他人に共感するということがあまりありません。と言えば「そんなことはない、韓国の掲示板やブログには「共感/非共感」というボタンがあることが多いし、韓国人と話していても、「あなたに共感する」と言われることがある」と言う方がきっといるでしょう。
ですが気をつけていただきたいのは、私たちが使っている単語と、彼らが使っている単語が、全く同じ漢字語であっても、必ずしも同じ意味で用いられているとは限らないということです。
彼らが「あなたに共感します!」と言う場合、それは往々にして「(あなたの考えは)自分と同じ!」ということを言いたい場合であって、断じて「(自分の考えは)あなたと同じ!」と言いたいわけではないのです。
「(あなたの考えは)自分と同じ!」と言う場合、その主体は「自分」にあり、「あなた」は言わば「自分」の考えを代弁したに過ぎません。「(自分の考えは)あなたと同じ!」と言う場合はその逆です。
日韓チャットで展開されたパターンで言えば、日本人が言ったことに韓国人が「共感します!」と言った場合、彼らは必ずその後に自分中心の話にしようとします。決してその時の話の流れを見て、それに合わせて話そうとはしません。
そもそも、その時の話題の中心が何かということを見定めようともしません。その時の会話中にある単語に反応し、それをついて自分がどう思うかをべらべらと話し始め、周囲にそれに従うように求めるのです。
即ち、日本人は「皆と同じ考えでなければならない」と考える傾向がありますが、韓国人は「自分と同じ考えでなければならない」と考えていると言えます。ですから韓国人は、外国へ行ってもそこの習俗に馴染もうとせず、自らの習俗を押し付けあるいは押し通そうとするのでしょう。
もちろん、韓国人も他者の気持ちを忖度することはあります。ですがそれは、必ず「上位優位の者」に対して、「下位劣位の者」が行なうものであって、その逆はあり得ません。
日本人は、相手の気持ちや考えを推し量り、相手の立場に立って考えようとする傾向が強いと言えます。最近はそうでもないと言う人もいるでしょうが、韓国と比べれば雲泥の差です。
韓国では、24時間年中無休で誰もが自分の気持ちや考えを押し付け押し通そうとせめぎあっているのに、日本に来れば誰もが自分の気持ちや考えを察しようとし、あるいは受け入れようとしてくれるのですから、そんな日本に韓国人が来れば、夢の国に来たように感じるでしょう。
もっともそれも、ごく短期的であればの話です。「お互いさま」は、まさに「お互い」に有形無形の負担を分かち合うことで成立します。あからさまに「お互いさま」にただ乗りする者がいれば、いくらお人好しの日本人であっても不満は募るし、日本社会のモラルハザードにもなります。
日本人は「他人の気持ちを推し量る」ことが当然ですから、不満に思ってもすぐ口に出すことはありません。ただ、微妙に態度で示すだけです。それで察してもらおうとするわけですが、韓国人にそういう機能はありません。ですから韓国人はいつまでも日本の「お互いさま」に「ただ乗り」を続けようとします。
そもそも韓国人にとってそれは「ただ乗り」ではなく、「上位優位者としての当然の権利」なのです。「下位劣位」の日本人が自らそれを認め、態度で示している(ようにしか韓国人には見えない)のに、改めるわけがありません。もし「下位劣位」の日本人がそれに不満を示せば、「上位優位の者」として一層断固たる姿勢を示さなければなりません。両者の思惑はどこまで行っても平行線をたどり、双方がそれぞれに不満とストレスを募らせることになるでしょう。
それで日韓は相容れないのだ、といういつもの結論に至るのは当然として、今回はそれに付け加えて、「自分と同じ考えでなければならない」と考える韓国人のような生き物で構成される社会では、民主主義というのは成立し得ないのではないかということも考えました。
今の韓国は一応曲りなりにも民主主義国家ということになっていますが、政権に対する民心は常に不安定です。むしろ分断後一貫して金一族の独裁統治を続けている北朝鮮の方が、政権に対する民心は安定していると言えます。それは韓国では、誰が最も上位優位であるかを決めかね、せめぎあっているのに対し、北朝鮮では最上位最優位者が明確だからでしょう。
韓国が中国に擦り寄るのも、韓国内で親北派が増えているのも、結局彼ら自身が民主主義という、「誰もが平等に権力者」という状態にストレスを感じているからのようにも思えます。
いずれにしても、韓国人にとって民主主義という制度は、身の丈に合わない服を着ているようなものです。傍から見れば不恰好ですし、当人たちも快適とは言いがたいでしょう。いつまでも不恰好で不快な服を着ておらず、早く身の丈に合った服に着替えれば良いのです。中国からも、朝貢国に戻ればどうかというオファーが来ていることですし。
コメント
虎
一人なら虎の衣を被っているのが、集団になると互いに虎の衣を剥がしあうのかも知れません。
いいところを突いている!
まさしく管理人様の仰せの同調圧力ってものでしょうか。
小生などは、韓国人による海外での性奴隷被害詐欺の広め方、
あるいは日本国内における朝鮮カルトによる布教方法に
ご指摘の「自分と同じ考えでなければならないと考える韓国人の思考法」らしさが横溢していると連想します。(その害毒も相当ではあります)
この思考法は控えめの表現をする日本人から見て一見強みに思える方もおられると想像しますが、実際はある種の人間的な弱さ(同調する信者が居ないと何もできない淋しいカルト教祖のような)そのものです。
歴史認識など常に日本に斜め上からの同調を求め自業自得行為でそれに完全に失敗している現時点では、その依存的態度自体がむしろ弱みであり不幸ですらあると考えます。
グレゴリー・ヘンダーソンの「朝鮮の政治社会」を思い出す
「朝鮮政治社会の特徴は、中央志向の巨大な渦巻であり、中間団体が無かった。そのため個人が中央と直接結びつくしかなかった・・・」的なことが記されてあった。これでは社会性が生じないでしょう。
同著に、なぜ中間団体が無かったのかが、書いてあったかは覚えていない。
もっとも中間団体が無かった理由は簡単で、社会変動がない停滞した社会だったためです。極地を除けばアジアで最も辺境な朝鮮半島は外部的な刺激が乏しく、また自主的な発展ができるほど豊かな土地でもなかった。
簡単に言えば、超ド田舎だったのです。
韓国人の社会性の無さは、「井の中の蛙大海を知らず」が原因だと思います。
日本人が理解できない生き物がいることを理解する
月見櫓さんの読者は、理解できるでしょうが、朝鮮人という生き物に初心者の日本人には、すんなり理解できないと思います。
アメリカの軍隊でだったか、朝鮮人取扱いマニュアルで、「これコレア人のいう事を聞くな。 どうせ大したこと言ってない」とあったような記憶があります。
これはアメリカ人なりのこの生き物への人種差別的な言い方を回避する策だと想像しますが。
日本人がこんな生き物に時間とエネルギーを盗られるのは正に人生の無駄としかいえない。 朝鮮人という生き物は、日本人と同格かそれ以上と思ってる不思議な生き物らしいですからね。
蛮族中の蛮族、エベンキ・フン族の言い分を聞いたら腹立たしくなるだけなので、アメリカ的対応で十分だと思います。
キチガイの考えは理解できないからキチガイなのであって、そういう生き物は常人に理解不可能です。
※これより下2つに相変わらず日本語の変な意味のわからない文章を残す朝鮮工作兵が紛れ込んでますね。
「理由は聞くな。どうせ大したことは言っていない。」
大戦時の韓国人捕虜に対する米軍のマニュアル(のコピペ)
の一節と記憶はしていたものの念のため検索
09年4月10日の記事にて管理人様も使われていました
同記事のコメント欄、他所のサイトのコメント欄にて
それはデマであるという指摘を2つ見つけられましたが、
広まった経緯などの説明は異なったものであり、真偽不明
いずれにせよ、文章の内容自体は問題ありませんね
桁が違うんですよー
Kanji様仰る通り、実体験を伴わない人には、せっかくのブログ主様の分析も、正しく理解されるのは難しいでしょうね。
読んでいて韓国人がこうだと言われても、私もこう言う傾向あるわ(;;)と、またクヨクヨする人が出て来そうだし、私もそうだし。
でも、言っておきます。
あなた(?)が心配しているような程度の事とは桁が違うんです。
体験すれば分ります。
「自分もそうかも」なんて心配している時点で、ブログ主様のおっしゃる「主体は自分」の範疇ではありません。
>日本人は「皆と同じ考えでなければならない」と考える傾向がありますが、
韓国人は「自分と同じ考えでなければならない」と考えていると言えます。
今、職場の韓国人同僚とどうしてもうまくやれずに悩む日々を送っているのですが
月見櫓様のこの一文で、目の前が明るくなりました。
なぜ彼女と折れ合えないのか、その訳がわかったと思ったのです。
月見櫓様のブログで目からウロコが落ちたのは今回ばかりではありませんけど。
この韓国人の同僚といると、ときどき言い負かされて
「自分のような日本人は、彼女みたいな強烈な個性を持てない=劣っているのではないか」
と考えてしまい、立ち向かう気力を失ってしまうことがしばしばです。
皆をまとめなくてはならずに悩む自分ですが、そうして悩むことができる自分が少し誇らしく思えました。
小さいですが、それは私の光です。ありがとうございました。
ハリケン様
>この韓国人の同僚といると、ときどき言い負かされて
>「自分のような日本人は、彼女みたいな強烈な個性を
>持てない=劣っているのではないか」
え? え? え? 何でですか?
「言い負かしただけ」であれば、それは「討論の才能」であって、
それ自体はリーダーの資質でも何でもないですよ!
「強烈な個性だけ」なら、アタシも負けない。(←!)
でもアタシ、どんな能力も「社会に還元してこそ人間」と思ってます。
良く知りもしないで、大変失礼なのを承知で申し上げますが、
彼女はその「討論の才能」を、「チームの為に」活用してるんでしょうか?
一見、我が強くとも、仲間を守る為にも、そうしているなら
それは「長所短所の裏表」だと思うのですが。
リーダーには、色々なタイプが居ます。
強い個性でグイグイ引っ張る人、皆の意見を調整しながら、まとめて行く人。
それぞれ、魅力的です。 ハリケン様、もっと自信を持って!
あ、記事内容に触れてない(焦汗)
アタシは、「皆と同じになる必要」を感じてません。
そもそも、その才能が無い(笑)
ただ。母のこの教えには、感謝しています。
「人と違うと言う事は。人と違う事が出来る、と言う事だ」
この教えに基き。「異質な個性を、どう社会に役立てるか」を考えています。
Wikipediaの日本語がおかしい。
・・・人間が社会化される過程と通して獲得される。
→ 「過程【を】通して」が、正しいと思います。
月見櫓さんの感想を聞きたいです。
これ、中国人も似たようなことほざいてましたね
個人だと強い!とか本気で思っているようで
個人でも弱いよ、バーカ
と思ってます
そんなこといってるから弱いんですけど
結構な教養をもっていても付けてないようです
私的にはプロ野球選手に「俺は四番でエースだ!」とかいう子供とあまり変わりません
ふわふわ様
励ましのコメント(と受け取りました)ありがとうございました。
ハリケン様。自信持って下さい。
韓国人の子育ては「他人に迷惑をかけて勝て」なのはご存じですか?
そして韓国人の嘘と言い訳、こじつけ能力が日本人と比べて飛びぬけているということも。
セウィル号で韓国の修学旅行が問題になった時、韓国のマスコミ記事で、「修学旅行
は日帝残滓だが、そもそも修学旅行は日本が韓国の学生を日本に旅行させて日本の優越性を見せることを意図して始めた」みたいな内容の記事書いているんですよ。
韓国にある最初の跳ね橋のことも今日中央日報で書いてましたね。
「 影島橋は、いろいろな事情がある橋だ。まず国内最初の跳開橋だ。日帝は植民地朝鮮の発展の姿を見せるために当時の先端技術を動員して橋を建設した。」って。
そうやって善も悪に見せるような思考ができるのが韓国人なんです。
相手に言い負かされるからって自信失ってはいけません。あの人達は毎日訓練しているのですから。
たまには「東医宝鑑」の話でも振ってみては? 詳しくは中央日報の「噴水台」の「人糞」
って記事に書いてあります。
名無櫓様
コメントありがとうございました。
韓国の方たちが強烈なこじつけ屋であることはいやと言うほど知っていますが、実社会における対抗手段が見いだせないのですよ。
本当に胸が痛くなるような鋭い嫌味に心から参っています。
言い返すと不毛な泥試合になってしまいそうで、それを避けたいがために黙ってしまう自分です。
まともなことを言っている自信があるのに、韓国人と付き合うとなぜ私が自己嫌悪に陥ってしまうんでしょうねw
今晩は、あるブロガーさんが、「「シナはならずもの国家だ」「チョンとは関わるな。」この部分をただただ繰り返し続けていることに、どれだけの意味があるんです?
「拡散、拡散」言ったって、単に怒りたい、貶したい、責め立てたいだけのネタ集めの繰り返しでは、単なる自己満足であると判断されがち、かつ、他者が賛同できるだけの根拠として十分な説得力を持ちませぬ。」
そして、「「その内容に関連した言葉」に対して関心を持っていなければ、検索しようという気さえも起こらないのだから、ネット上で「拡散拡散」言うことと並行して、
・人に対する思いやりの心を育てていくこと。
・寄り添う気持ちを持てるようにしていくこと。
・その思いが強くなればなるほど、守りたいという気持ちが強くなっていくこと。
・そして、そのために必要な知識・情報の中の一つとして
「シナはならずもの国家だ」 「チョンとは関わるな。」
なぜならば・・・
食品衛生上の理由・身の安全の上での理由、
それらのもっと大きな括りとしての国防上の理由等を並べて行くこと。
・何より、自己中心主義が行き過ぎて、人を人とも思わない感覚というものを
強く訴求していくことで、問題意識を自然と持つようになっていく。
その基礎部分には、何といっても「大切な人に対する想い」。
祖先でも、両親でも、兄弟姉妹でも、子供でも、恩師でも、友達でも。」」
と書いておられました。確かに言われていることはお説ごもっともなのですが、では具体的にどう書けば、関心のない人が興味をもって見てくれるのだろうかと思いました。
確かに嫌韓などで、罵倒するだけのブログも見受けられます、私のブログも出来るだけ控えめに書いているつもりでも読む人が読めば罵倒するだけのブログに見えるのだろうかと思ってしまうしだいです。
その中で、月見櫓さんのブログの記事は、相手の立場も思いやりながら、何故それでも、「日韓は互いに相容れないのか」と言うことを分り易く説いてくださっておられます。ぜひ転載して、こういう記事のことを言われているのかと紹介したく思いますのでよろしくお願いいたします。
韓国人はトラですよ。間違いなく。
いつだって、酔っぱらったみたいな支離滅裂なことを言ってるじゃないですか~。