配慮は双方向で行なわれるもの
毎年話題になり、嘲笑の対象となるにも関わらず、毎年同じような連中が出てくるということは、あれは人によっては格好良いものなのでしょう。個人的には、一生に一度の成人の日を、自ら黒歴史にする意味がよくわかりませんが。
さて、産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘氏が、日本の嫌韓気運を非難する内容の主張を行なったことについて、反発と言うか、違和感や憤りを覚えた人は少なくないようです。もともと日本に韓国の反日を紹介していたのは黒田氏なのに、何故この期に及んでということなのでしょう。
ですが私は個人的には、さほど黒田氏に反発も違和感も、もちろん憤りも感じておりません。もともとと言えば、黒田氏はもともと親韓派です。日本に向けて韓国の反日を紹介していたのも、「だから日本人は韓国を嫌え」というアナウンスをしていたわけではなく、「それでも日本人は韓国を理解してやれ」というアナウンスをずっとし続けていたのです。
昔から黒田氏は著書内で頻繁に「韓国のテレビや新聞を見なければ、こんなに楽しい国はない」と言っていましたし、「ソウルの二度泣き(日本からソウルに着任した日本人は、ソウルに暮らすことが嫌で泣くが、駐在期間を終え帰国する時には、ソウルから離れるのがつらくて再び泣くこと)」という言葉も著書内で紹介しています。
そもそも韓国や韓国人が嫌いであれば、韓国に何十年も住めるものではありません。ですので、黒田氏が今回このような主張を行なったのも、なるほどなとは思いましたが、何だこの野郎ふざけんなとは全く思いませんでした。
ただ思うのは、何故親韓派の人々は日本に対して一方的な配慮を求めるのだろうということです。
「配慮」というものは、私は双方向で初めて成立するものだと思っております。日本人が配慮する時は、相手がその配慮に気づいて、相手も同等程度の配慮を自分に向けて行なうことを期待しているものです。これが「おたがいさま」ということなのだと私は理解しています。
日本人は、基本的には相手が誰であれ、この「おたがいさま」が成立するものだという前提で行動します。もちろん、韓国相手にもそうでした。韓国については、もともと日本だったということもあって、更に濃厚に期待した日本人も、昔は少なくなかったでしょう。日本人的な「配慮」に対する感覚が、欧米人には通じなくても韓国人なら通じるはずだという先入観も、必ずしも故なきものとは言えません。
配慮は、ある意味譲歩とも言えます。お互いに譲り合えば、無駄な衝突を避けることが出来ます。ですから配慮が双方向ではなく一方通行になれば、する方はただひたすら譲り、押し込まれるばかりになりますし、無駄な衝突も増えます。
狭い道で対向車とすれ違うという状況を想像すれば、わかりやすいでしょうか。
狭い道で対向車とすれ違う際には、双方が互いに速度を落とし、互いに道の端に寄れば、安全かつスムーズにすれ違うことが出来ます。しかしもし片方が速度も落とさず、道の端に寄ろうとしなければ、もう一方の車は相手の車の分まで速度を落とし、道の端に寄らなければ衝突の危険があります。
しかし速度も道幅も、限界があります。相手の分まで行なおうと思っても、出来るとは限りません。出来るとしても、その負担は自分の分と相手の分とで、倍になります。
それでもせめて、相手方が「ああ、相手に自分の分まで配慮させてしまった」とでも思って、配慮をした側に感謝するなり申し訳ないと思うなりしていればまだ良いと言うか、ムカつくけど許せると言うかですが、自分が速度を落とし道端に寄ろうと悪戦苦闘している時、相手が「何グズグズしてんだこのノロマ」とでも叫べば、こちら側のムカつきは容易に憤りにまで駆け上がります。
その相手が全然知らない通りすがりの人であれば、その時生じた憤懣も「世の中にはいろんな人がいるもんだ」で収めることが出来るかもしれませんが、もし知っている人であればどうでしょうか。たった一回でもそういうことがあれば、その人はそれまでに培った全ての信頼を失い、失った信頼と同じぐらいの量の軽蔑を得ることになるでしょう。
日本に対し、韓国がそういうことをやってきたのは一度や二度や三度や四度ではありません。前述黒田氏は、産経新聞のコラム「から(韓)くに便り」でも同様の主張を行ない、「今年は日韓国交正常化50周年」と言っておりますが、少なく見積もってもその50年間は、日本が韓国に一方的に配慮をし続けた50年間とも言えます。
現在の日本の嫌韓気運は、日本の配慮を韓国が踏みにじり続けた集大成とも言えます。この50年間、日本はこれ以上落とせないほど速度を落とし、これ以上寄れないほど端に寄って、韓国に譲ってきました。しかし韓国はそれに感謝もせず申し訳ないとも思わず、むしろ当然と思って自分が通りたい進路を突き進もうとした結果、これ以上端に寄れない日本に衝突しそうになっているだけのことと言えます。
これで「もっと避けない日本が悪い」と言われれば、日本人の更なる嫌韓感情を惹起するだけでしょう。
何故日本にばかり配慮や譲歩が求められるのかと言えば、単純に日本人の聞き分けが良いからです。前述黒田氏は、韓国を「理」と「気」の国などと言いますが、韓国の「理」とは「上っ面」のことです。「薄くて浅い」のです。その一皮下には、ドロドロヌチョヌチョグダグダの「気」がのたうっているのです。このドロドロヌチョヌチョグダグダに何を言っても、ドロドロヌチョヌチョグダグダに取り込まれ巻き込まれ飲み込まれてしまうばかりです。
しかし、日本にはもう寄るだけの余地もなければ落とせる速度もありません。日本とぶつかりたくなければ、どんなに苦しくても難しくても、韓国が後ろに下がって道端に寄るしかないでしょう。
それが出来ないのであれば、米軍の装甲車に轢かれた女子中学生のようになる覚悟を、韓国はするべきだと私は考えております。
コメント
二度泣き
○○の二度泣き 日本でも地方でいわれてますね札幌の二度泣きとか?もしかしてパクリ?
韓国人は日本が韓国の役に立って当たり前というのが体に脳に染み込んでいる気がします。
韓国の掲示板翻訳を見れば「日本は役にたたない」「後頭部を殴られた」というのがしょっちゅう出てきます。「役に立たない」は「役に立って当たり前」「後頭部を殴られた」は前提に「仲間だと思っていた」があるからです。
日本にいっさい役に立ってこなかった韓国が、日本を助けたことが一度もない韓国が日本に助けてもらって当たり前と思っているなんてちゃんちゃらおかしいです。
「みずきの女子知韓宣言」の最初の頃に韓国から一兆円の経済援助を申し込まれた外務省の人が「韓国はまだ思春期だから」と書いています。黒田氏も「日本は大人、韓国は思春期。大人が思春期の子供に本気になるのは恥ずかしい」と言っているのだと思います。
そうやって相手の悪辣さを過小評価して、日本が韓国の反日を知りながらも罰を与えることなく韓国の肩を持ち援助してきた結果、狂人度がどんどん加速度ついて増している今の韓国があるのにまだ気づいていない。韓国は思春期でもなく、汚い心底心根が腐った死ななきゃ治らないタイプの狂人だと思います。それは今狂ったのではなく、元々何千年もの積み重ねでそうなったのでちょっと教育すればなんとかなる。とかあと1000年たったらまともになるというものでも無いと思います。
なるほど、そうだったのか
黒田がああなのはああ言わないところされちゃうからとかじゃないんですね
勉強になりますわー
>黒田氏はもともと親韓派です。
そうですよ。嫁はチョンだと聞きました。関口宏とか、嫁がチョンだと例外なく取り込まれてしまい、結果、反日になる日本人バカ男が多い。そうそう、シナ人のハニートラップにかかった男もそうじゃね。
思春期って
「まだ思春期だから」と言われても、大人になるのでしょうか?
ただただ、精神が思春期のままで年齢が増えるだけなのではないかと思います。だとすると思春期の子供に接するようには接することはできないでしょう。
生き物ならいつかは死にますが、国や民族はそうはいきませんから。
何よりも、独立国家であるならば、国民が「思春期の子供」であってはいけないでしょう。
「理」と「気」というのは朱子学の理気論なのでは? あれ、イデア論ですが。
まもなく阪神淡路大震災から20年ですが
大災害が起きた時に中・韓の救援隊を受け入れることはかえって危険です。
東日本大震災の後、「韓国の救助隊が真っ先に駆けつけてくれた」という報道がなされ、
その後も韓国の議員や外交官、学者、韓国紙の社説までもが、ことあるごとに
「韓国が、隣人の困った時に真っ先に駆けつけたことを日本は忘れるべきでない」
などと言ってますが、実態は報道とは大きく異なるようです。
東日本大震災で最初に駆けつけた素晴らしい韓国救助隊の実態
https://www.youtube.com/watch?v=TF4xlWOSk8U
セウォル号沈没事故の時の韓国の救助隊の無能ぶりを見れば、納得です。
逆に日本は、韓国で大規模な災害が起きたような時だけ助けに行けばよいと思います。
韓国とのつき合いは「村八分」ならぬ「国八分」でいいでしょう。
>>韓国で大規模な災害が起きたなら
弔電でいいでしょう
H・B・ヘルバートによる朝鮮人分析
H・B・ヘルバートによる朝鮮人分析
朝鮮人は正気を失うほど激しく怒る。自分の命など
どうなってもかまわないような状態になって、牙を
剥き出した動物へと変身する。
口から泡を吹いて、まるで獣のような顔になるのだ。
残念なことにこの怒りの衝動、自分を見失ってしまう
悪癖は、男だけの専売特許ではない。朝鮮の女も
恐ろしいばかりのヒステリーを撒き散らす。
朝鮮人は幼い頃から自分の気分を制御することは躾け
られないようだ。 子どもたちも大人たちを見習って、
気に入らなければそれこそ狂ったように駄々をこねる
が、結局自分の意志を貫いて達成するか、さもなけれ
ば長い時間をかけて鎮静させることで落ち着くのである。
1:朝鮮人は平気で約束を破る
2:朝鮮人の言う協力とは一方的な依存である
3:朝鮮人にとって良い事は自分のおかげ悪い事は他者のせいである
4:朝鮮人は恩を受けても感謝することなく仇で返すのが通常である
5:朝鮮人は妬み嫉みを妄想で恨みに変え、末代まで恨み続ける
6:朝鮮人は一度タカリが成功すると、末代までタカってもよいと思っている
7:朝鮮人の実績は概ね捏造だと考えてよい
8:朝鮮人の持つ技術は概ねパクリだと考えてよい
9:朝鮮人は不正なしでは何事もなし得ない
10:朝鮮人は自分の容姿すら変えなければ生きられない劣等感の塊である
11:朝鮮人は他人の不幸が蜜の味だと本気で思っている
12:そもそも朝鮮人は人の形をした○○生物である
朝鮮人はトリ・ケモノ
後漢の班超は、西域の人々を鳥獣の心の持ち主と言いました。現在、アジアの大陸はこの班超の子孫が絶滅し、「鳥獣の心の持ち主」の子孫が中原を制圧しています。その鳥獣の心の持ち主の落ちこぼれが朝鮮人です。
確かに朝鮮人をトリ・ケモノの類と考えると非常に解りやすいです。
トリ・ケモノは、家畜化するか、殺すか、棲み分けるかしかありません。家畜化とはひどい言葉と思われるかもしれませんが、対象が人間の場合にはgovernabilityと言います。朝鮮人は人間とは言い難いので家畜化と表現します。
黒田氏は、朝鮮人を人間途上動物と考えているに違いありません。トリ・ケモノに腹を立てても仕様がないのです。
しかし、私は、彼らは途上ではないと思います。まったく家畜化される気配がありません。
日本人の役目は、彼らを家畜化することです。それから人間になれます。
交通事故予防のため皆で車に轢かれましょう?
端的に言うと黒田氏の記事から確認できることは
「韓国人に対し、日本人はそこまで落ちぶれる必要はない。」という言葉に見える
強烈な差別意識とその解決策として提示される日本は韓国に配慮するべきという
無条件の譲歩が同居している戦後保守・左翼共通の特徴で黒田氏の場合はそこに
俺は30年韓国に住んでるんだというこれまた強烈な自負が加わり、日本の若い世代
の反韓が許せないということでしょう。新しい韓国本を出版した直後みたいですし。
しかし、韓国の反日の実情を知りもしないくせにという言い草はまさに
自分が経験したことだけがこの世の真実だと言い張る愚者の論でしょう。
黒田氏は韓国で30年無事に暮らしたことが反日が収まった証拠だと言いたげですが
総督府の職員は36年無事に暮らしましたが戦後の引き上げ時に彼らの本性を味わいました。
彼らは反日だったから日本人を襲ったのでしょうか?いいえ、彼らは日本人を襲えない
36年の期間は中国人を襲って『高麗棒子』と呼ばれていただけのこと。
単に今までは金も地位もある日本人の黒田氏を襲えなかっただけで、一旦「襲っていい」
となると産経の支局長やナッツ副社長のようにつるし上げられるのが韓国の伝統文化。
皮肉なことに日本の若者は"体験"ではなく韓国の"歴史"を知り学んだ上で彼らを嫌い始めた。
黒田氏の経験則にはなかったこの新しい動きを理解できるかどうか、試されているのは
黒田氏自身なのでしょう…がやっぱり無理でしょうね。
なんせ黒田氏は『現代の日本の若者』という立場を体験できないわけですから。
様々な分類
譲歩や配慮とは、人間同士の間で交わされる言語の一種です。この言語の基盤は、任意の人間が継承した文化と授かった教育、そして無条件に刷り込まれた躾の三点にあります。これらの基盤を模倣子と呼称する事にします。ところで、私も貴方も生物です。この生物に与えられた名称は片仮名二文字で表記される「ヒト」です。ヒトを規定するのは遺伝子です。ヒト科の生物は4ないし5種存在しますが、ヒト属は一種に限られます。この単一の種が私達「ヒト」であり、ヒトをして他のヒト科生物からわかつものが遺伝子です。ここで、ヒトと人間の関係について述べます。全ての人間はヒトです。しかし、全てのヒトが人間であるとは限りません。何故なら、ヒトを規定するのは遺伝子ですが、人間を規定するのは遺伝子に模倣子を加えたものだからです。ヒトは一種しか存在しませんが人間は複数の種が存在します。この、人間種間の違いは、個々の人間種が継承した模倣子の違いによります。ここで新たな述語を導入します。おおまかに同一の模倣子を継承した人間の集団を民族と呼称します。日本人はおおまかに日本民族であり、韓国人はおおまかに朝鮮民族です。これら二つの民族は、両者とも人間ですが人間としての種は異なります。種間に違いはありますが優劣を論じる事は出来ません。何故なら、異なる人間種間の優劣を判定できる存在とは、人間より優れた種だけであり、今のところそのような種が存在する証拠は無いからです。異なる人間種間の意思疏通は原則的に不可能です。何故なら、其々が継承した模倣子が異なるからです。更に、同一の人間種間の意思疏通もまた、しばしば不可能です。何故なら、民族とはおおざっぱな括りであって、同一とされる民族に属する個々の個体間にも、意思疏通を不可能にしてしまう程の差異が生じるからです。譲歩や配慮は言語です。この言語は、同一民族に属する個体間であっても通じるとは限りません。異なる民族に属する個体間では、言語が通じる可能性は更に小さくなります。ですから「話せば解る」という命題は誤りです。民族が同じであろうとなかろうと、「話は原則的に通じない」という命題を私は推奨します。通じないという事を前提にすると「じゃあどうすればいいの」という事になります。答えは簡単で、それは異なる民族間で唯一通じる特定の言語を採用すれば良いのです。その言語は端的に数学です。民族が異なっても、ピタゴラスの定理は常に通用します。同様に、形式論理もまた常に通用します。これらは全て数学です。例えばいわゆる従軍慰安婦の真偽について論ずる場合、それが真であると主張する側に立証責任があります。何故なら、「いわゆる従軍慰安婦は実在した」という命題が真であれ偽であれ、この命題が偽である事を証明する事は不可能だからです。一方、この命題が真である場合、真である事を証明する可能性はゼロより大きな値になります。このような論理は、人間でさえあれば、民族が異なっても常に通じます。逆に、この論理が通じない存在は人間では無いと直ちに判定可能です。言葉とは、人間同士の間で交わされることが期待される意思疏通の手段なのであって、相手が人間の水準を満たしていない場合、通信を試みる行為それ自体が端的に誤りです。以上要約しますと「人間同士であれば言葉は通じる事がある」です。退屈な話にお付き合い頂いて感謝します。
もう、韓国の方を向きたくもないほど、反韓は深く根を下ろしました。
やはり中国が世界の覇権を握ると韓国が中国にかけたことがこの数年の日本落しの原因かと思います。70年の反日の総仕上げを中国とタックを組んで日米離反を日本孤立をやっているんでしょう。
煮え湯を飲まされた台湾を支持しアメリカといっしょに世界平和に貢献すべしです。底が浅い中韓の見え透いた嘘に正面から対峙し、防衛を怠りなく心がけるべき。
安倍さん、菅さん日本の国益守ってね。
アメリカ大統領閣下
拝啓。従軍慰安婦」という述語の定義は一般に不可能です。何故ならこの述語に纏わる解釈が一意ではないからです。それが性奴隷なのか売春婦なのか「従軍慰安婦」という単語からは判定不能です。現在、韓国政府は、「従軍慰安婦」が性奴隷であったとの主張をしています。しかしこの主張には根拠がありません。私は、アメリカ合衆国の特定の州、特定の都市が、かかる不定な根拠に基づき物理的表象の建設を議会において承認し実現したという事実を憂慮しております。私ども日本人は、現に行った罪に関しては外の誰から指摘されるまでもなく自覚し深く反省するものです。しかし所謂「従軍慰安婦」つまり性奴隷のごとくは全く根拠がありません。従って所謂「従軍慰安婦」を象徴するいかなる表象に対しても、それを建設しようとした者、その建設を承認した
者、それら双方に対して弁明を要求します。要求の根拠は我が民族の尊厳です。以上。敬具。
アメリカ大統領閣下追伸
貴国はかつて戦争犯罪を犯し未だその報いを得ておりません。これは時効を無効にする為の確認事項です。
フランスのテロを受けての感想ですが、イスラム教信者にも同じことを感じるんですよね。
もちろん韓国北朝鮮の人達とはまーーーったく違いますが(失礼ですよね!)、私たちが彼らの国に行く時は女性はスカーフをかぶり、向こうの信仰に合わせますが、彼らが日本に来てもイスラムの戒律を崩す訳では全くありません。食べ物もお祈りもスカーフやアクセサリーも全く変えません。むしろ我々がイスラムに合わせるように要求します。
私はイスラム系の友人もいますし善良な人々も沢山知っています。しかし最近欧州を飲み込みつつあるイスラムの急増を見て驚愕し(舗道を占領してお祈り。イスラム法による自治の要求など)、結局全く考え方の異なる人達(信仰が絶対であり全ての上に来る人達)とは共存できないのではという意見に達しました。
それこそこちら側に無限の譲歩を要求する訳ですから。半島人と比較してすみません(赤面)。応援クリック。