韓国人は他者を尊敬しない
問題はそれが長続きしないというか、固定されないということでしょう。
彼らも一時的というか、短期的には他者を尊敬することがあります。しかしそれはやがて変質していきます。どのように変質するかは必ずしも一律ではありませんが、「尊敬」から離れていくのは確かです。
何故そうなるのでしょうか。ひとつには、彼らの「ウリ」思考のためということが考えられます。彼らにとって「他者=ナム」は、基本的に無視の対象ですので、当然尊敬の対象にはなりません。従って、「他者を尊敬する」ということは、その「他者」を「ウリ」と考えることになります。「ウリ」とは、一般的には「我々」「私たち」などと翻訳されますが、弊ブログでは以前から申し上げているとおり、「自分自身」を意味すると考えております。
他者を尊敬するということは、その他者を意識することになります。韓国人が意識する相手全てが必ずウリになるというわけではありませんが、韓国人的に好ましいと感じられる他者は、かなりの確率でウリとみなされます。尊敬の対象となるほどの他者であれば、当然のように「ウリ」視されるでしょう。ウリを尊敬するということは、即ち自分自身を尊敬するということになります。こういう変質の典型が、韓国の新興宗教です。
神を尊敬するあまり、神と自分自身との同一視が行なわれ、やがて自ら神を名乗るようになります。韓国の新興宗教に、自ら神を名乗る教祖が異常に多いのは、偶然ではないと私は考えています。
あるいは、「他者を尊敬する」=「自分の負け」という韓国の風潮も大いに関係しているかもしれません。人間関係の全てを上下や勝敗で考える韓国人にとって、他者を尊敬するということは他者の勝ちを認めることであり、自動的に自分の負けを認めることになります。
韓国人には、「Win-Win」の発想がありませんので、「尊敬されること」を勝ちと考えれば、「尊敬すること」はどうしても「負け」になってしまいます。自分の負けを認めたくないために、他者をあえて尊敬しないということもあるでしょう。
いずれにせよ、韓国人は他者を尊敬しません。それによって、当然問題が生じます。尊敬の対象と自己を同一視するパターンでは、尊敬の対象に向けられるべき尊敬を、自分のものにしようとします。それが高じれば、そもそもの「尊敬の対象」の排除を考えるようになります。そうすれば、「尊敬の対象」が得ている尊敬を、全て自分のものに出来ると考えるのでしょう。
尊敬したら負けと考えるパターンでは、とにかく尊敬の対象を馬鹿にしまくります。そうしていないと、尊敬してしまうからです。しかしいくら馬鹿にしても、尊敬の対象に抱く好感は拭えません。そこで、尊敬の対象を馬鹿にしながら、同時に尊敬の対象の真似をしてみたりします。それでも尊敬は絶対にしません。韓国人は知的財産をパクることで有名ですが、彼らのパクリの特徴は、パクる対象にリスペクトが全くと言って良いほど無いことでしょう。
自分とは他人から見れば他者であり、自分が他人を尊敬しないということは、自分もまた他人から尊敬されないということになります。しかし韓国人は自他の認識が人間の幼児レベルなので、それをどんなに教えてもなかなか理解しません。
私から見ると、それは韓国人にとって損になるのではないかと思うのですが、韓国人にとっては、他者を尊敬することで感じられる敗北感などのデメリットの方がずっと大きいようです。
以前、「どうにもならない韓国」という記事を書きましたが、こういう点でも韓国人の「どうにもならなさ」を痛感します。
日本人としては、他者を尊敬することがそんなに難しいこととは思えませんし、そうする方がいろいろ捗るように思うのですが、韓国人にとってそれは、決して越えられない壁なのでしょう。
日本人と韓国人の間には、そういう見えない「壁」があるのです。そのことを、せめて日本人に周知することで、日韓関係が日本にとってより良い方向へ進むようになるのではないかと私は考えております。
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コメント
日本のスポーツ選手を誉める際にも、まず在日認定からですからね
いや、今回も非常に分かりやすい
天晴れな記事です
今日の記事の内容は、本当に一番周知させたいね。
こういう思考論理がわかってさえすれば自ずと付き合い方もわかるってもんだ。
認めるべきことは認めましょう
この有名な枕詞が生じる根元にあるのはそういう精神なんでしょうね
子供のような世界観
過去記事で「韓国人にとって、自分が理解できないものは存在しないのと
同じなのではないか」という議論がありましたね。
ウリのウは「有」、ナムのナは「無」と書く?
http://fetia.blog34.fc2.com/blog-entry-1394.html
韓国人は「ある」か「ない」かで考える
http://fetia.blog34.fc2.com/blog-entry-1396.html
これと「ウリ=自己=興味の対象」「ナム=他者=無関心」という世界観から
「無視されることが耐え難いほどつらい」ということになるんじゃないでしょうか。
韓国人の幼児性といえば、「困った時には日本が助けてくれるのが当たり前」と
思っているのも「親が必ず助けてくれる」と思ってる子供の世界観に似ています。
反日活動をやりながら日本に擦り寄ってくるのは、さしずめ「反抗期の子供」ですね。
そんな保護者のような優しい隣国に恵まれないと、非行に走って北朝鮮のような国に
なってしまうのでしょう。
では、朝鮮民族を精神的に成長させることができるかといえば、絶望的ですね。
250年前に来日した朝鮮通信使が書いた「日東壮遊歌」、140年前に李氏朝鮮駐在の
日本公館職員が入手した対日本人マニュアル「朝鮮人待日本人六条」に書かれた
世界観と今の韓国人の世界観に違いはありません。
その一方で、朝鮮人との接し方についてのアドバイスも
「併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達」「旧日本陸軍の朝鮮兵に対する注意書き」
「旧ソ連による朝鮮人の扱い方マニュアル」「中国人がアドバイスする朝鮮人の扱い方」
「アメリカ軍による朝鮮人の扱い方マニュアル」など、たくさんあります。
先人の知恵を守り、教え伝えていきたいですね^^
本日の議論も非常に重要なご指摘であったと思います。
以下たまたま読んでいたとある本で引用されていた内容です。
アリストテレスは『形而上学』で、「驚異することによって人間は今日でも、また最初の段階でも、知恵を愛し始めたのだ」と述べている。あらゆる学問にとって驚異の感情こそが出発点であり、不可欠の前提である。…(歴史学の)前人未到の道を開いたヘロドトスは、いわば驚異することの天才であって、あらゆることに驚嘆し、疑問を抱く。
朝鮮人も驚異することはあるでしょう。
でもおっしゃるとおり長続きせず、自分/ウリから離れた認識を構築することができない。
「尊敬したら負け」の部分は、人を馬鹿にしたがる人が多数派を占めている社会的な特徴の影響もあるでしょう。
ただ全般的に、自他の認識の甘さなど、発達障害やそもそもの遺伝的な特質などの原因を考えざるを得ない…。
純潔のマリア、アニメ化しましたね。
悪魔が主人公なんて、朝鮮ではありえないでしょうね。
私は、この記事に書かれていることに反論する人がいるなら、1つでもいいから反例を示せ、と言いたい。もちろん、韓国にもいろんな人がいるから、個体差はあるだろうが、少なくとも韓国人という集団、多数の世論(よく韓国の指導者が使う世論が納得しないという意味での世論)、韓国の報道内容で見たとき、韓国人が、これに合致しない行動パターンをとった例を私は1つも知りません。
日本人だが(日本=絶対悪は変わらないし、私は断じて屈していないが)
認めるべきは認めよう(私はそれだけの向上心と器の大きさを備えている)
ということですね
韓国人である以上、そういう立場表明をしなければならないし
そうしてこそ国内の至らない部分を思う存分叩けるのでしょう
しかし10年以上韓国を見てますが、何か改善したようには思えません
おそらくは、「私個人のレベルは(お前らと違って)日本人と同等である」と
言いたいだけなのだと思います
>尊敬の対象に向けられるべき尊敬を、自分のものにしようとします。それが高じれば、そもそもの「尊敬の対象」の排除を考えるようになります。そうすれば、「尊敬の対象」が得ている尊敬を、全て自分のものに出来ると考えるのでしょう。
この辺り、剣道、柔道、茶道、合気道から桜、寿司、侍、漫画・・・と、世界的に評価されている日本の文化を真似し、起源を主張する事についても見事に説明がつきますね。
マリアに出て来るのは「魔女」「天使」ですので。一応。
時々日本語でこんなに思考のねじれた意味不明な言い回しができるんだなぁと感心する
ことがあるのですが彼の国の人だからでしょうか 分かりやすいのでそのままでいいです
相手を尊敬しない、という特徴は大陸系共通でもあります。
「兵が殺すのは怒り也」とも云うように争って奪うには相応の心理状態が要ります。
尊敬は相手を傷つける事を躊躇させてしまうし。
欧米だっていざ戦争になれば容赦が無いのはウクライナや対イスラムを見れば明らかです。
彼の国の場合永遠に修羅の国モードなので度合いが高いと云うことでしょう。
他の国ですと平和モードになれば相手を尊重するのにスイッチも入りますが彼の国はなれません。ナチュラルボーン火病とはこういうことでしょう。地理的に永遠に国未満文明未満ですもんね。
同情すべき点はある。が・・
中国という古代文明大国と日本という(少なくとも)中世からの文明大国に挟まれ、いちいち感心してたり尊敬してたら、心がいくつあっても足りないだろうな、ってのは思います。
ホントあの国には文化と呼べるものが何にもありません。
もう少しどうにかならなかったの?ってくらいありません。
文化起源捏造も、かなり深刻な必要性にかられている部分があります。
紙アナログ時代なら、とにかく量的に圧倒できれば嘘もまかり通りました。それで、ただの密入国者があたかも強制連行の被害者であるかのフリをできたのです。
が、デジタルデータで情報が残り簡単に調べられる時代に、これは新たな問題となるでしょう。
半永久的に馬鹿げた行いの記録が残るのです。それを考えて、今のうちに言動・行いを改めろと朝鮮人に注意を促したいのですけどムダでしょうねw
日本は太古から・・
日本は太古からの文明大国の様です。
韓国人が何故ウリジナルを主張するのか、その根底にある心理や背景は何なのかと考察した事がありますが、(ウリではない)他者を尊敬しないという観点からの分析には思い至らず、本当に納得できました。
いつもながら非常にわかりやすい説明で本当に天晴れですね。
新興宗教で自らを神と名乗るのはわかりますが、では信者は教祖を尊敬していないのでしょうか。信者は教祖に対してどのような感情を持っているのでしょうね。
この理屈だと韓国人の日本人以上に重症に見える白人崇拝はどう説明できるのでしょうか?
白人は韓国人にとって自己と同一視することも困難で、そうかといって馬鹿にもできない(一目も二目もおかざるを得ない)また無視もできない他者だと思うのですが…
韓国人にとっての白人は、現在思いつく最高の事大先だから、尊敬に似た表層の絵面が浮かぶだけでは?
黒人は、白人に支配されていた奴隷だったから、それで韓国人に差別されるのでは?
韓国人の考える事で、その程度以上なのかな?
話題に便乗して、昔から思っている事を書かせていただきます。韓国人(中国人もですが)って、物事を俯瞰して見るとか、第三者の視点で物事を考えるという能力が欠如しているんじゃないでしょうか? 普段はもっともらしいことを言っても、利害が対立した時、ウリ(自分と自分の味方)とナラ(それ以外の、どうでも良い奴)しか判断基準を持たないため、多くの場合、他国民を呆れさせる行動をとるのではないでしょうか? 日本人は、世間体や人の目を極端に気にする民族なので、相性は最悪だと思っています。ちなみに、欧米の白人たちは地球上で最も暴力的で残忍な連中ですが、だからこそ、キリスト教の神という共通の俯瞰者(神から見た私と他者)の視点を共有しなければ国(集団)が成り立たないのだと思っています。もし機会があれば「韓国人は利害が対立した時、第三者の視点で物事を考えることができるのか?」の事例を紹介していただきたいと思います。