ホダされるということ、ホダされないようにすること
中国には「水に落ちた犬は打て」という諺があるといいます。本来の諺は「水に落ちた犬は打つな」であったそうですが、魯迅が阿Q正伝の中で、「水に落ちた犬は打つべし」と述べて以来、こちらの方が有名になったのだとか。
その意味するところは、「弱った敵は徹底的に潰せ」というところでしょう。諺は、その社会における傾向を表すものと言えますが、諺通りのことがその社会で頻繁に行なわれているとは限りません。逆に、その社会ではなかなか行なわれ難いことを、もっと進んで行なうべしと促す意味で言われる諺もよくあります。ですから諺には、その意味が相反するものがしばしばあります。
中国全土で「水に落ちた犬は打て」という諺がその意味通り行なわれているかどうかについては、中国についてそこまで詳しくない私には何とも言えません。そもそも一言で中国と言っても、人種も民族も習俗も極めて多様です。ただ、自ら小中華と名乗っていた朝鮮では、まさにこの諺通りのことが行なわれていたようだとは言えます。
日韓チャットにおいても、とにかく彼らは負けを認めませんでした。日本人的な感覚では、素直に負けを認めればそれ以上の攻撃は止むのに、何故こいつらは明らかに負けている状態で、尚歯向かってくるのかと不思議でした。それはどうやら彼らが、「負けを認めれば、更に攻撃される」と思っているかららしいと気づいたのは、日韓チャットにずっぽり慣れた頃でした。
どうやら韓国では、負けを認めた相手は徹底的に叩き潰すのが当たり前のようでした。それも、一思いに息の根を止めるのではなく、なぶり殺しにするのです。朝鮮の歴史を顧みれば、高い位にあった人物が失脚すれば、当人のみならず一族郎党までもがなぶり殺しにされることもあったようです。
ある意味、それが過去の朝鮮と現在の韓国における勝者の【お楽しみ】でもあったのです。即ち、彼らは「水に落ちた犬」が苦しみもがいているのを見て憐憫の情を抱くより自分の優位を喜び、更にその犬を打つことでその喜びを再確認するのでしょう。
なるほどこれでは、韓国人が素直に負けを認めるわけがありません。
しかし、長らく日本人と接触を続けているうちに、韓国人の中にも「日本人相手なら場合によっては素直に負けを認めた方が傷が浅いこともある」ということを学習する個体が出て来ます。
そういう個体は、日本人が相手の時なら非常に素直に負けを認めます。そうなると日本人の方でも、その個体との対話が苦になりませんから、他の韓国人よりもずっと親しくなります。やがて日本人は、その個体を他の韓国人と同様に扱ってはいけないと思うようになります。
「そういう日本人が多くて困ったもんだ」などと言うつもりは、今回はありません。私もそういう日本人のひとりですw
「話が通じる韓国人」に、私たち日本人は大変容易に「ホダされ」ます。この韓国人だけは、特別だと思います。歯向かってくる韓国人を蹴散らかすことには、何らの心理的痛痒を感じませんが、素直に負けを認め、慕ってくる韓国人を他の韓国人と全く同じに扱うのはかなりの精神的な強靭さを要求されるでしょうし、「負けを認める韓国人にきつく当たるのは、水に落ちた犬を打つ韓国人と同じことではないか」とも思ってしまいます。
ですから、私も実は親しい韓国人には結構優しく接しています。そういう韓国人を特別扱いしていると言われれば、全くその通りです。
ただ私自身に厳重に戒めていることがあります。それは、例えどんなに親しく、どんなに可愛がっている韓国人であっても、それは私とその韓国人の個人同士の関係だけの話であって、私が所属する日本と日本人全体、彼らが所属する「ウリ」との話になれば、そこは一歩も譲らないということです。
韓国は韓国人にとっても生き難い社会です。韓国人らしい韓国人にとっても生き難いのですから、多少なりとも日本人との付き合いで「おたがいさま」や「譲り合い」を体験しその心地良さを知ったり、彼らが「絶対悪」と定義する日本以上に悪く汚れた韓国を知らされた韓国人にとっては、韓国での生活は苦痛に満ちたものになるでしょう。
韓国人と親しくなればなるほど、その気持ちは良くわかります。そこでついその韓国人に、「日本に来れば良い」と言ってしまいそうになるのです。
自分が個人でその韓国人の面倒を一生涯完全に見るつもりがあるのであれば別ですが、そうでないならその提案は、自腹を切る気もないのに韓国に賠償しろと言うのと同じです。そうすることで、自分とその韓国人は個人的に満足出来るかもしれませんが、日本にとっても、また韓国にとっても、害になることはあっても益になることはありません。
こういうブログを書いていると、日本人である以上全ての韓国人と常に無条件に敵対すべきと主張しているように取られることがありますが、私はそこまで申し上げません。韓国人と親しいとか親しくなることが悪いこととは思いません。個人としての韓国人と親しくなることを、「ホダされる」とは思いません。
「ホダされる」というのは、自分という一個人が韓国人と親しいことと、「日本社会」「日本人」全体と、「韓国社会」「韓国人」全体の関係を混同させてしまうことです。「韓国人社会」「韓国人」全体とは即ち「ウリ」ですから、ひとりの韓国人と親しくなれば、その韓国人が「ウリ」であろうとする限り、どうしても「韓国人社会」「韓国人」全体とごっちゃになりがちです。
韓国人と付き合うならば、彼らの「個人」と「ウリ」の部分をきっちり分け(彼ら自身はその分別が出来ませんので、日本人側が「これは個人」「それはウリ」と見分ける必要があります。結構難しいですw)、個人として自分個人の責任の範囲内で対処出来るものなら請け合うが、それを超えたものについては断じて譲らないというのが、「ホダされないようにすること」ではないかなと、個人的には考えております。
コメント
こちらのサイトの「切ない韓国人」という記事を何となく思い出しました。我々日本人が個人差はあれ、日本人らしさから逃れられないのと同様に、一人一人の韓国人も自分の中の韓国人らしさと戦っているのかもしれません。私も時々自分の中の韓国人っぽさと戦う時があります。日本人だけど。
韓国人、在日朝鮮人とは接触を断ちましたね。日本人でも彼らと関わりのある人とは距離を置いてます。ビジネスで韓国が絡む話もその時点で受けません。日本人なので飯を食ったり酒を飲んだり、共有する時間が長くなればなるほどどうしても情が移る。自分の場合はその傾向が強いのを自覚しているからこそなのですが。
非常に分かりやすいです
昨今の日韓関係の悪化を受けてか、たまに友人とそんな話になります。
彼女は「同僚の韓国人は、むしろ日本人より真面目だし良い子だよ」と言いました。おそらくその韓国人はその通りなのでしょう。母数が違いすぎるので「日本人より」と言う比較はスルーしますが、悪辣なチョッパリの国にまともな職業で働きに来るというのも色々な苦労や努力があったのでしょう。しかし、彼女は母国で日本の事を悪く言っている同胞には、良くて会話に不参加、でなければ一緒に悪口を言うと思います。政府が率先して日本の悪口を言ってまわり、それを国民が非難するどころかもっとやれ!と言わんばかりなのだから「知人は良い人」と言うのは無意味だと返答しました。彼女は私よりよほど善良な人なので、私が縁を切った友人とも「いつか分かってくれるよ!」と付き合い続けてるのですが・・・ついこの前までの日本人にはそんなめでたい人がたくさん居ましたね。
米国の議員が日本の文化(アニメやゲームなど)の浸透を苦々しく思い、「原爆をもっと落とせば良かった」と言って国民の非難を浴びました。こういう事は韓国では起こらないでしょう。大喜びでよく言った!と激励されるでしょうね。
私も在日らしき人には何度か会いましたがまあ・・・お察しください。決して「嫌な人」ではなく、むしろ親切だったりするのですが発想についていけないというか。まだ欧米先進国の人の方が価値観が合います。
外国人との付き合いの基本でもあります。我々は自分の普通の間隔で物事に接すれば上手くいくと思っていますが、それは飽くまで国内での事に過ぎません。国内では権力のある人が制定し、庶民が従い、成立した秩序に沿って生きれば「常識」なのが日本の文化のメリットです。唯ブログ主の仰る通り海を渡った向うでは勝手が違います。文化が違います。「そんな文化」ではありません。史実で殺りあって生じたモノです。重いのです。故に対峙している相手に日本のやり方でやりとりをした挙句、勘違いした土人サルの調子づいたのを調教しなおさなくてはいけない・・・そんな事態になります。野生の猿に餌付けしないでください、でいいのです。外人と接する方法が分からない時は。相手の常識が分からないのですからそれを尊重する方法を我々も知りません。
日本人は欧米人とのつきあいかたでヘマをやらかして過去の大戦で大変な目にも遭いました。今は70年苦労して総理大臣が米国の議会で演説すれば実績を評価されるようにもなりました。その米国も国内の庶民は海外の常識というものを意識しようともしません。世界の中で自分達をどう位置付けるのかは一人一人の努力にも掛ってるんじゃないかと。
韓国側がへたれて、事大してくるのは
恐ろしいですね
日本人は優しいから、許してしまうかもと言うのは昔から言われていますが
今の日本人に韓国の扱い方がどれだけ浸透してるのか
私の個人的な意見としては、朝鮮人は一人残らず朝鮮半島に送り返す
かつて金嬉老が親の墓参の理由で日本に再入国しようとした件を考えて
墓の下の連中も送り返したいところです
恐ろしいかどうかは別として最近、実際にヘタレた時にどんな行動を取るかの実例があるでしょう
・・・リッパード駐韓大使襲撃事件という
何の心の準備も無く喰らうと困惑ものだけど、想定していれば余裕ある対応ができるのではないでしょうかねぇ
リッパード駐韓大使襲撃事件で米批判から同盟強化へ韓国世論一変http://www.asahi.com/articles/ASH3746DNH37UHBI00G.html
↓そこから2ヶ月も経たずして
US Marine Get Out Of KOREA!
ソウルで米軍の即時撤退を求める反米デモ
http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/54288-%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%81%A7%E5%8F%8D%E7%B1%B3%E3%83%87%E3%83%A2
相変わらず舌の根も乾かぬうちに言うことがコロコロ変わる忙しい連中だ
ついこないだのリッパート回復祈願アメリカ好き好きな老婆太鼓盆踊り大会は何だったのか
「水に落ちた犬は打て」が諺として成立してしまうのは、勝者の【お楽しみ】だけが理由ではなく、失脚した個体が潰されなかった事で従う確率よりも、歯向かって来る確率の方が高いことを韓国人自体がよく分っているからでしょう。
>負けを認めた方が傷が浅いこともある」ということを学習する個体が出て来ます。
対症的に学習して行動を変える個体があっても、日本人が考える程の感謝や悔恨が伴っていると錯覚するのは危険です。
>「負けを認める韓国人にきつく当たるのは、水に落ちた犬を打つ韓国人と同じことではないか」とも思ってしまいます。
>ですから、私も実は
親切にしたり親しくするのは(ネット上の付き合い程度なら)止めませんが、
>韓国人と同じことではないか」とも思ってしま
うのはいけませんねぇ。嫌でも叩くしかなく、こちらも対症的に行動するだけですから。
正式に叩いておかないと危険です。前回コメントでも申し上げた通りです。
個人的にも韓国朝鮮人に気を許してはいけないと思います。
日韓友好は個人レベルでもいけないと思います。
韓国人は日本人を徹底的に利用することしか考えていないと思います。時には懇願して、時には悩み事を相談して、時には過度に反省してみせたり、時にはおだてたり。
日本企業が、日本人が背中にねぎを背負いながら韓国に利用されに行った前例を見ると、そして朴正煕が親日だったと思う日本人が今だに多数いることを考えると、韓国人とは付き合わず関わりを持つべきでないと思います。(君子危うきに近寄らず)
学生時代の恩師に
教え方が丁寧でわかりやすく、親切で面倒見も良くて、地味ながら清潔感のあるきれいな人がいました。
30代半ばでしたが独身で、何でこんなにいい人なのに…と思いました。25年ほど前なので、その年でひとりだと嫁の貰い手がない率が非常に高かったので。
その先生のゼミになって、公私ともに親しくなってから、同じ大学内にいる別の学科の先生と結婚直前で破談になった噂の真偽を尋ねました。
すると本当だと認めました。
相手の親に猛反対されて、その理由が自分ではどうしても変えられないことで、彼にもそれを隠していたからバレたことで信頼を失ってしまって結局は別れた、と。
私は彼に内緒で中絶でもしたのかと勝手に解釈して、それ以上のことは聞きませんでした。
その秘密にしていた理由というのが、先生が帰化在日朝鮮人だったから、ということは卒業して、先生ともう会えなくなってから、でした。
先生は別の県の大学に移ってしまいましたし、私も結婚で郷里に戻ってゼミの仲間とも疎遠になったので。
朝鮮人と分かっても、その先生のことは今でも大好きです。学生時代に一番お世話になりましたし、心から感謝しています。
でも結婚できなかった理由が、在日だったこと、というのは仕方ないと思いますし、隠していた時点で同情もしてあげられないです。
もしまた会えたとしても、今までの感謝の気持ちを伝えたいとは思いますが、今後も親しくする必要性はないと思います。
「ホダされない」というのは、そういうことなのかな?と思います。
最近、「韓国人に例外はないんだなぁ」と思うようになりました。
自称親日で日本語ペラペラで日本に詳しくて日本人として暮らしていけるような人でも大事な何かが違うんですよね、決定的に。
例えば日本人にとっての愛国心には他国で何かをやるなら迷惑をかけない、我流を押しつけない、理解されるより理解することに腐心する、その地に馴染む努力を惜しまず、出来れば役に立つように、くらいのことまで含まれているように思います。
それは身体に染み付いている感覚だから、無意識過ぎて、普段は感じもしなくても。
昔、アメリカなりに移民した人々がその地で真面目に暮らしても理不尽な仕打ちを受け続けて、それでも努力を重ねて認められ馴染んでいったことも彼らの心に宿る遠く離れた祖国日本への愛国心や日本人としての誇りが顕現した一つの事象だったように思いますし、戦争中に現地で現地の人間として日本と戦った方々においてもやはりそれは「日本人としての誇り、愛国の顕れ」の側面もあっての選択だったと私は思っています。
私がもし同じ立場でも心の中で日本を愛し続けるし心の中では日本人として、形としては現地の人間として日本と戦いますから。
「筋が通らないことをする=日本人としての恥」だからそれが当たり前で、考えるまでもないことで。
でも韓国人は在日であっても、どれだけ日本人に良くされても、そういうのないかも。知れば知るほどそう思う。
頭にあるのは「韓国」のことだけで、戦争になれば躊躇わずに日本人に飛びかかってくるんだろうと思う。
これが韓国人の限界で安い愛国心で。
バッタもんの国だけに愛国心までバッタもん。
だから、買収やら捏造やら大暴れやらの破天荒な工作活動も平気でやれちゃうんでしょう。
私の知り合いに韓国人がいますが(在日ではなく)、その人は礼儀正しいのですが我流は押し通すし、日本人にとって一年で一番大切な元旦の早朝にわざわざ気持ちの滅入るような話を聞かせたり等、首を傾げる言動も度々見られます。
日本の製品や日本の社会やシステムを好きなのは確かだとしてもよくよく見ていると日本人一人一人に向けるあたたかい眼差しに欠けている。
本人は自ら「親日だ」と言うけど、日本「人」への思いやりが欠けている時点で日本人の考えている「親日」とは根っこが違うんだなと思わされてしまう。
どんなに良い人に見えても、韓国人に対してはその辺りを踏まえて裏の裏の裏くらいまで読むようにシビアに観察しながら付き合い方を変えていくことが大事ですよね。
仮に一度心を許しても常に信用したり信頼したりする付き合い方を続けるのは良くないと感じています。
そんなに素晴らしい人なのでしたら、普通にお付き合いなさればよろしいのではないでしょうか・・・
出自がどうであろうと、いい人はいい、悪い人は悪い、で良いと思います。
「在日にも良い人はいる、だから韓国・朝鮮を悪く言うのはおかしい!」とか言い出さなければ、全然問題ないと思うんですけどねぇ。
きくさん
9:49の名無櫓さんと同感です。実際、在日韓国人でも差別なんか受けたこと無い、高校も日本の学校だし将来は帰化すると言うような方も居ます。
但し「個」を「集団」や「人種」「国」に適用するのは無駄です。
その先生は良い人だったのでしょう?だったら私の小学生時代に音楽の教科書を糊付けさせた日本人の先生よりずっと上等だと思いますよ。在日韓国人の婚約破談は私も実際聞きましたが彼女も出自を隠してました。隠さなければ破談にならなかったかもしれません。その先生に良くしてもらえたなら、良くし返してあげて下さい。
ヘタれてなんかいませんね
朝鮮日報 2015・4・29
「鼻輪を付けられた牛も、手綱を緩めれば勝手に動き回る。
韓国外交が気を緩めた後の日本の姿がまさにそうだ。ー中略ー
日本にもう一度言うことを聞かせるためには
緩めた手綱をもう一度締めなおさなければならない。
今こそ日本との外交政策をしっかりと見直すべきだ。
」姜天錫(カン・チョンソク)論説顧問
日本を牛と見立てて、韓国を手綱を引く人と見ている。
さしづめ鼻輪は――民主党――あたりだったんでしょうかね。
傲慢不遜、思い上がり、上から目線の思い違いは何度も何度も見聞きしてきましたが、変わることはないですねえ。
だからロサンゼルス暴動から十数年経ても、またもやボルチモア暴動でいの一番
に韓国人商店が襲われるんですね。
変わることはないです。
深く話し合ってみれば、どんな韓国人もやはり韓国人です。
真偽、表裏、陰陽、…だからこそ
韓国(朝鮮人)を知れば、世界の問題が見えて来る気がします。あの人間性、性癖、言語、民族性、宗教、etc。あそこまでの真逆の思考は、その土台に原因が有ると考えます。
獣だった人類が、感謝を得て「人」に昇華しましたが、彼らには、未だに感謝が定着していない問題が有ります。だから信頼性が積み上がりません。信頼性が積み上がらない(土台が無い)のに、真実も正義もヘッタクレもありません。だから法律が蔑ろです。
代わりに、弱肉強食のサバンナ基準である「上下のシキタリ」で、秩序を維持しています。彼らはこれを東方儀礼とか、マナーだとか言ってますが、全くの偽物です。これは「下側の犠牲で成り立つルール」でしかありません。下側の絶対服従でしかありません。獣性の高いヤクザを仕切るルールと同質です。逆を言えば、獣性が高いからこそ、サバンナルールなのだと思います。
「感謝を伝授する」事が、躾の本質なのだと理解できます。背中で、それを伝授出来ない問題が、彼らの問題なのだと思います。人で無し(サイコパス)は、その伝授が出来ない為に、子供を自動的にサイコパスに育ててしまいます。そして蔓延したのが韓国社会と言えます。サイコパス問題は、世界でも問題化しています。精神が足りない(感謝を身につけていない)のに、尊い筈の知識を垂れ流すから、ずる賢いサイコパスとなり、騙し合い、奪い合いの獣社会を加速させています。
感謝の土台が無い事で、様々な「間違った基準」が積み上げられています。タルムード等も、同じ様な土台から誕生したモノだと推測します。偽物がやたらと誕生しています。
宗教も、ご都合主義の一勢力だと言う事を内包しています。だから魔女だ!異教徒だ!が有ったのです。
ご都合主義の対極が「思いやり」です。従って、宗教の対極が思いやりとなります。
思いやりは感謝を昇華させたモノです。