戦争を絶対不可侵の「悲惨」と規定する危険
私は勝てる戦争ならバカスカやれなどとは微塵も思っておりません。基本的に戦争とは他に選択肢が無くなった場合の最後の手段です。謂わば「伝家の宝刀」です。「伝家の宝刀」をバカスカ抜いて斬りまくってたんじゃ、「伝家の宝刀」たる意味がありません。それは一年前の記事や、前回、前々回の記事をきちんとお読みになっていれば、小学生でも十分理解出来るよう配慮して書いております。
日本がどんなに戦争を回避する努力を尽くしても、相手のあることですから、どうしても戦争をしなければならない事態に陥る確率はゼロではありません。そうなった場合、それを負ける戦争にしないための備えをしておく必要は当然にあると主張しているのです。
これは左翼の皆様が「戦争法案」などと侮蔑的に呼称している「安全保障法案」と発想は同じだと思います。以前も申し上げておりますが、「戦争が出来る」ことと「戦争をする」こととは必ずしもイコールではないのです。
「負ける戦争をしてはいけない」ということは、平たく言えば「負ける喧嘩をしてはいけない」であり「勝てる喧嘩だったら見境なくやれ」ということではないのと同じように、「勝てる戦争ならばバカスカやれ」ということとイコールには絶対になりません。
そう考える方は、ご自身が格闘技などを習ってちょっと強くなったら、周囲の人に見境なく喧嘩を吹っ掛けて回る方なのでしょう。ちょっと腕に覚えのあるチンピラとかDQNには、そういう人が多いですね。実際、「ちょっと腕に覚えのあるチンピラとかDQN」と似た性質を持っている国が日本の周囲には幾つかあって、そういう国が現在しばしば日本に喧嘩を吹っ掛けてきております。
しかし「ちょっと腕に覚えのあるチンピラとかDQN」は、自分より腕力に秀でる相手に喧嘩を吹っ掛けるということはまずありません。相手の力を侮って喧嘩を吹っ掛けてくることはあり得ますが、そうなった時にそのチンピラやDQNより腕力に優れていることをわからせてやれば、彼らはスゴスゴと引き下がるものです。
むしろそのチンピラやDQNよりも腕力で劣る場合の方が、喧嘩(と言っても一方的にやられるだけでしょうけれどw)になるおそれは高いのではないでしょうか。
明らかに強い、あるいは喧嘩に負けないための不断の努力をしていることが明確な相手には、ちょっと腕に覚えのある程度のチンピラやDQNは喧嘩を吹っ掛けてはこないものです。
あと、揚げ足取りにお越しになった御仁は「戦争より悲惨なことはない」と主張されておられますが、そうでしょうか。戦争も、小規模な、しかし残忍な暴力事件も、当事者にとっては同じ程度に悲惨だと私は考えております。いや、ことによると小規模でも残忍な暴力事件の方が、当事者にとっては悲惨かもしれません。
当事者の多寡によって「悲惨の範囲」は当然変化するでしょう。戦争は規模が大きいので当事者も当然多くなります。けれど「悲惨の質」は、当事者の多寡とは無関係です。戦場で敵の銃弾に斃れるのと、無差別銃撃テロでテロリストの銃弾に斃れるのとでは、前者は悲惨でも、後者は前者に比べれば悲惨ではないのでしょうか。「戦争より悲惨なことはない」と考える人は、戦争反対を掲げながらその主張に従わない者を集団リンチしても、何の矛盾も感じないのでしょう。
戦争は悲惨です。しかし戦争にならなければどんな事態になっても悲惨じゃないと考えるのは、あまりにも現実を知らなさすぎます。
現実には、戦争以外にも悲惨なことは幾らでもあります。戦争もまた、現実における数ある「悲惨」の一つに過ぎないのです。その事実から目を逸らし、戦争だけを絶対不可侵の「悲惨」と規定することは、戦争以外の「悲惨」を自分以外の他者に押し付けても何らの矛盾も痛痒も感じないことになりかねません。
と言うか、事実今回揚げ足取りにお越しになった御仁はそういう方のようですねw
かつて韓国の詩人金素雲は「日本の「善」」を「他人の不幸、他人の悲しみを、そのまま自分のものとなすこと」と評しました。今の韓国人に、「何だ日本人だってウリと同じように自分のことだけしか考えないじゃないか」と侮られないように、「他人の不幸、他人の悲しみ」のみならず「他人の痛み」も自分のものとして考え、以て行動することを日本人として心がけたいものです。
コメント
戦争に反対しているからと、左翼左翼と決めつけないで
というのが最近の話題の発端でありましたが、今回の記事で
そのあたりの総括が綺麗になされたのではないかと思います。
戦争反対だと左翼とレッテル貼りされるというわけではなく、
大きな矛盾があるから思想の偏向を指摘されるわけですね。
でも、なにがなんでも、戦争を忌避すべきだという考え方は、いまの若い世代には、もうないと思いますよ。
時期が時期だけに
戦争の話題が3回も続いたことで、貴ブログが韓国に関する
話題を取り扱うブログであることを忘れかけておりました。
改めて、気を抜くと忘れそうになる彼の国の存在感のなさを実感した次第です。
当方、北海道在住ですが定時制の高校に通っていたころ、修学旅行で1泊2日の
韓国旅行に行ったことがありました。自分にとっては初めての海外旅行です。
現地の学校の生徒と出会い、観光名所をいくつか回り、それでも
特に印象に残る事件もなく、全く平凡で退屈なまま日本に帰ってきたのですが、
今思い返してみると、現地で出会ったバスガイドさんやお土産の販売員さんなど
いろいろと韓国人らしさが見え隠れした人たちだったような気がします。
もちろん、個人的な感想なのですが。
ブログ主様やコメントの閲覧者様にも質問したいのですが、
韓国人に直接会って、彼らから「韓国人らしさ」を発見した
経験のある方はいらっしゃいますか。
どのような経緯で韓国人に直接会ったのでしょうか。
お手数でもご返答いただけるとありがたいです。
日本の善を「他人の不幸、他人の悲しみを、そのまま自分のものとなすこと」とするなら、今回の踊り子さんや先日の母親のような戦争絶対ダメ論は正に独善ですね。
血を流す戦争だけが悪だと思っているなら本当に世の中を知らなすぎます。
うるちさん
学生時代、友人の韓国人の彼氏に会った事があるのですが、その彼は初対面にも関わらず、その場にいた一番のイケメン友人に対して開口一番「あなた太ってるね」と言い張ってましたねw(もちろんその友人は別に太ってない)
その場ではその彼氏の天然ぶりというか、あけすけな韓国人らしさ、みたいな事で笑ってましたが、今思えばあれは嫉妬とかマウンティングの類だったのでしょうね 国籍や歴史問題を超えた個人としての韓国人らしさを見た気がします。
その後、友人は無事国際結婚をして幸せに暮らしています。アメリカ人の旦那と。
質問の返答ありがとうございます
アキさん
丁寧な回答、ありがとうございます!
私も修学旅行の時に出会ったバスガイドさんのことは
最初は普通の人だと思っていたんですよ。
でも、クラスのみんなと離れて二人だけになったときに
なんだか態度が悪くて「何だこの女は」と思ってしまったんです。
もちろん、単なる私の勘違いだったかもしれません。
(わたくしごとですが、10代のころの私はひねくれていて物事を素直に受け取らない性格でした)
あと、なんだか日韓関係の歴史の話もしていて、日韓ワールドカップの際に協力しあう両国の絆を見たことで韓国人は日本に対するわだかまりを捨てたとも言っていました。
今思い返してみると、そこらへんが韓国人っぽかったのかなと。
前回記事でもコメントさせて頂きました
やはりわざと隙を見せておられたのですね。
記事を拝読した際にああいった過激な文句を最後の方、しかも鉤かっこで強調されては、まともに記事を読まない方が騒ぐのではないかと感じたのです。
コメント欄を確認してみたら案の定でしたし。
ブログ主さんの事だから意図しておやりじゃないかと勘ぐって、前回コメントさせて頂いたのですが、本当悪い人ですね。
かく言う私も釣られた魚なので、何ともいえませんが。
しかしmotaさんは、戦前日本がシナ事変を回避するために耐えに耐えた結果邦人がどんな目に遭わされたか、本当にご存知ないのでしょうか。
悲しいことです。
おこじょ様へ
前の回のmataさんはマンガと火曜サスペンスばかり見てるんじゃないですかね
どんな人も話せば分かり合えるとか思ってたりして
チベットのダライラマは徳が高すぎて相手の残忍さを理解できませんでした。
中国を無抵抗で受け入れたら民衆が傷つかないですむかとかね
自分のルールを相手も守るとか思ってるんですよねえ
その結果宗教の自由も意志も踏みにじられて尊厳も奪われ奴隷状態ですよね。
お坊さん同士でレイプさせられ、崇拝の対象の仏像に小便を掛けさされ
徳の高い師を弟子がリンチして殺害させられ
女性は拷問の上に局部に電気を流されて子供を産めないからだに
反対派の男性は男性器切除、その妻は軍人に毎日レイプされて嘲笑や侮蔑され漢族の子を無理やり産む
こんな奴隷になりたいようすね。
戦争反対と言うなら中国に戦いをやめろと言えばいいのに
言うのは日本人ばかり
どちらの味方なのかよくわかりますね
つまり戦争反対の平和詐欺の人達は、日本人にチベット人のように無抵抗で好き放題に殺されたらいいんだと言ってるわけです。
そして土地も献上して中国人や韓国人の領地になって繁栄を譲り渡せ
憎しみは憎しみしか生まないので、相手に蹂躙され一方的にぼろぼろに滅ぼされ
日本人は消滅し中国、韓国様の繁栄の礎になっておけと言うわけでしようね。
こんな例えはどうでしょう
(´・ω・`)「車ぶつけたら怖いから、保険に入っとこう。対人保険もあったほうがいいね。」
<丶`∀´>「なに!人をひき殺すつもりか!事故絶対反対!」
(´・ω・`)「・・・・・・」
うーん、いい例えがおもいつきません。
ただまぁ、このぐらいぶっとんでますよね。
激動の世紀
そろそろ始まりそうな国際環境になって来ましたね。
ヨーロッパの崩壊、中国の暴発・・若い人は肌で感じてるようですが、中年以上の世代では「戦争?どこで???」なんて人がいます。
今世紀後半の人間は「20世紀のアホどもが、いい加減なことばかり考えてやってたんで、21世紀の俺らが尻拭いをさせられた!!」と怒ってることでしょう。
それから、集団的自衛権関連は「国際弱いものイジメ防止法案」と呼び変えたらいいと思います。その上で、三輪センセあたりに「弱いものイジメ、お好きですか?」と聞いたら面白いですね。
サヨク的な平和主義者っての「だが自分は除く」ってのが基本にあるよねぇ
9条会の人が自衛の為とか言ってナイフを振り回して傷害事件起こしたりさぁ
個人的に軍隊持てとか日米安保必要とか米軍基地沖縄から出てくならオイラの地元へおいでよって言うタイプなんだけど
・・・この前の南スーダンでの韓国軍への弾薬供与は、どう繕ってもそれまで認めていた集団的自衛権の範囲を逸脱した「集団的自衛権の行使」で違法行為であると認識しているんだが、あの件、集団的自衛権反対って言ってる層が反対の声を一切上げて無いのよねぇ。どっちか言うと集団的自衛権の行使を認めてる人の方が問題視した(他が悪くてコレだけ良いっては法的公平性が損なわれるから)。
9条主義とか平和主義者ってのは、結局「自分達が不利になる時は法なんて関係無い無法者ども」なんよ。(どっかの国々が有利になる時はマジで凄くダンマリなのよねぇ)
リベラルって
自分の住む世界が狭すぎて、他人も他国の人たちもみんな自分と同じような価値観で生きているに違いないと信じてるのかも。
「八紘一宇」という思想は本当に尊いと思うのだけど、究極のリベラル幻想ですよね。
仏教もそうだと思いますが、どうでしょう。
桜桃さま
おっしゃるとおりだと思います。仏教は確かに、すばらしい教えだと思いますが、ある点では、幻想的なコスモポリタン主義だと思いますね。ただ、日本は神道の国ですから、日本の神様を崇敬するという条件のもとで、仏教の布教が認められたにすぎません。もし、日本が東南アジアのような、仏教絶対主義の国になっていたら、今のような先進国の一員にはなれなかったと思います。
「わざと挙げた足」にさえ見えなかった(笑)
やはり、いつも難癖をつけてやろうと身構えている『特亜体質』の方々には、
壁のシミさえ自分への悪口のように見えるんでしょう。
うるち様
韓国への修学旅行で土下座させられませんでしたか?
教育評論家の中塩秀樹氏にインタビューした最近の記事で「日本の高校生が韓国で土下座」が言及されていまして、改めて一部の教師のキチガイっぷりを思い知らされた次第です。
自分は勤務先の関係上中国人や米英仏人なら会う機会が多いのですが、韓国人は何故か余り見かけません。海外では何度か韓国人団体旅行客に出会いましたが、日本語のものを身につけてないにも関わらず「コンニチワ」と声をかけてきましたね。
同僚で韓流大好き新大久保大好きな人が居まして・・・家系が原因で破談になったとか。荒川静香って在日なんだよ、とか言ってました。韓国語が話せて、韓国へ旅行に行っては「海賊版買ってきたけど見る?」と平気で私に聞いてきた事もあります。私が「あなたの大好きな韓流スター()にはお金が行かないんだよ?ファンなら正規品を買ったらどう?」と返しましたが曖昧な笑みを浮かべて首を捻っているだけでした。どうもテンプレ通りの在日韓国あるいは朝鮮人な気がするのですが、真実は分かりません。すごーく香ばしいのですがね。
こうしてみるとあまり直接的に韓国人には関わっていないですね。あ、直接関わる事が多い中国人ですが・・・やっぱダメだとしか言えません。共存は難しい、と言うかやめた方がいいです。
勝てる戦争はバンバンやれという事か、については発言が馬鹿すぎてコメントするのも疲れるのでスルーで。
とにかくこういう輩は日本を狂犬だと信じて疑わないのでしょう。
チベットやウイグルで今現在起きていることをもっと多くの日本人が知れば
さすがに目が覚めると思うのですがねえ
ブログ主は、韓国の詩人、金素雲氏のことを引用しておられましたが、確かにあのかたは、日本人と韓国人の両者のたちばが公正にわかる、立派な人だったとおもいますね。それから空手道の大山倍達氏ーこのかたも、朝鮮人ですが、精神的には完全以上の日本人です。たしか、漫画の、空手ーバカ一代のモデルだったそうですし、また昔、昭和30年代のころ当時の少年たちの人気ドラマ、月光仮面のモデルだったそうです。
また、昔の日本の大陸浪人系の右翼の人には、韓国人の民族感情も十二分に理解したうえで、韓国人のためをおもって叱責できるひともいたそうですし、また韓国人もそういう叱責には、すなおに耳を傾けていた、ということです。いまは、どちらもいなくなったことは、不幸なことです。
日韓の相互理解をそこなった原因は、もちろん韓国側にあります。
ところで、昔の大日本帝国の植民地支配が、韓国人の反日感情の原因となったという説がありますが、ちょっと違うとおもいます。反日感情をかきたてたのは、第二次大戦後の南北朝鮮の反日教育と洗脳の結果でしょう。大日本帝国の時代は日韓両民族は同じ国民でしたし、共通の価値観や
目標やモチベーションを、もっていたのです。ただ、そういうことをいっても、韓国人は聞く耳をもたないでしょうし、それはそれで仕方ないでしょう。こちらも、ほっておくしかないと思います。
ぺマ・ギャルポさんが言っていたと思います。
かつてチベット兵は勇猛果敢で、
対する中国兵はヘタレで弱っちくて一度も勝ったことがなかったそうです。
そこで中国は、戦略をかえてチベット仏教に目を付けました。
「チベット仏教の平和主義は素晴らしい!ぜひ世界に広げるべきだ。」
中国はこの平和主義を世界に広げるための支援をするとして
チベットの若者が僧侶になる為にと奨学金をだしました。
結果チベットの若者はこぞって僧侶になりました。
生活の保障と尊敬を受けられるのですから。
それに僧侶は原則子供を作らないので、チベットは弱体化していきました。
そして、ころは良しとみてチベットに侵攻して併合してしまったといいます。
驚くべきことには日本人には想像もできませんが
中国はこれを実に50年かけて行ったという。
日本人は自分たちの尺度ばかりでで世界を見ていてはいけないということを
深く心に刻むべきですね。
ギャルポさんはこれを日本人への警告のように言っていたと思います。
なんだか今の日本がかつてのチベットに見えてくるのは私だけ?
お久しぶりです。
その昔、祇園祭の辻回しを見に行ったところ、左のお隣がポーランド人とフランス人の二人組女学生でした。まあそちらは何の問題もなく。
…時間近くになり、観客でぎっしりになったころ、私とポラフラ組の間に後ろから強引にトランク引きずった物体が割り込んで来まして。
…どうやら性別は女のアレでした。
肩で人を押し退けながら、どうやら流暢な英語と思い込んでいるコングリッシュで、自分は韓国から来た観光客で、日本に住む妹と祭を見に来たと自己紹介。ザッツグッドと鼻で笑うと、それ以上何も話しませんでしたが。
…でまあ、暑いわけですよ。肩で人を押し退け割り込んできたアレは、ラストまで残ることなく退散。しかし…奴ら、本当に口が臭い…。本当にこれが女かと。ただでさえ暑いのに不快指数を跳ね上げやがって…と。船鉾が来たときは、「神功皇后が邪悪な三韓を征伐に行って、三韓は怯えて戦うことなく降伏したが、その故事にあやかった船だ」と教えてやろうかと何度か(笑)
アレが去った後、ポラフラ組は肩で人を押し退ける仕草をして笑ってましたよ。
流暢な英語(笑)の自己紹介は、結局韓国の悪いイメージを留学生に印象づけるだけで終わったようで。
あまりにも暑いので、奴が去って後に、お隣にフェイシャルシートをあげたりしましたがね。…何せポラフラ組、最後は炎天下を散歩したゴールデンレトリバーみたいにぐったりしてましたから。
運悪く、ナマのアレと隣合わせちまったのはそれぐらいかなあ。
韓国人には突然出会うことも
yuriさん
水呑みさん
突然、韓国の人たちと遭遇して彼らの「韓国人らしさ」に
触れるとどう対応していいのか分からなくなりますね。
仕事柄、海外の人と接している方の場合、もちろん韓国人と
出会うこともあるでしょうが、そこで彼らが必ずしも突飛な言動を
するとは限らないかもしれませんね。ただ、観光客などの韓国人は羽目を
外しているために韓国人らしさをかなり発揮しているかもしれません。
日本に居ても今日、明日韓国人に突然遭遇する可能性もありますし、
厄介なことです。
わざわざ体験談を書いて頂いて、ありがとうございます。
大変参考になりました。
ペマ・ギャルポという人は知りませんがまさかチャイがそんな計略を使ったとは…連中は敵を仕留める為なら何年もかけるのですね。まともな事には時間割かないくせに。例えばアホすぎる近道とか。ハマるのに近道。ガキレベルで。それと口臭街道真っしぐらのハンレディ。確かに凹みますわな。態度プラスその手の攻撃。格闘技でも体臭を悪用して戦いに臨む人がいるそうですが連中には奥の手ファビョリーズがありますから厄介以外の何物でもないですね。古の時代には日本人以上に日本人としての魂を持つ方もおられたそうですがもはや古の話ですか…悲しいですね。仮に出現したとしても装いの可能性を捨て切れませんし。でも、それは自業自得。信じてくれニダと言われても無理な荷だと返すのみですね。
>うるちさん、試し腹さん
有名な話ですが、彼らの感覚では「祇園祭は韓国人が日本に授けてやったニダ」ということになっているようなのです。
八坂神社の社伝では、牛頭天王は新羅の牛頭山の荒神で、それが日本に勧請されたから…あたりが根拠なんでしょうが、祇園と言うだけあって、祇園精舎の守護とされるお方なので、そもそもは仏教です。
習合された後はどうもスサノオノミコトのご神格のが強く、だいたいスサノオのお名前で信仰されるあたり、完全に日本の神様です。
…ついでに、前述の神功皇后絡みの山鉾は三つ、占出山(皇后自らが出征の成否を占う姿)・船鉾(出征の船姿)・大船鉾(凱旋の船姿、一昨年再建)と、説明すれば韓国人火病待ったなしのブツ揃いです。
当初は神泉苑を出発し、日本六十六州と同じ数の鉾を揃えてパレードしたものが、応仁の乱に中断され、焼け残りの市街辻町の町衆の願いと室町幕府の後押しにより(但し、当時八坂神社を管轄していた比叡山が反対)復活した時には山鉾パレードになっていたという、韓国人あるいは朝鮮半島には全く関係ないお祭りです。
ちなみに物持ちの良い京都人の意地のかかったお祭りですので、16世紀ベネチア製のタペストリーですとか、円山応挙の肉筆画ですとか、平山郁夫画伯の肉筆画が炎天下を行進する様は、贅沢とかそういう次元のお話ではありません。
まあ、そう言った意味では韓国?何そのつい最近出来た国?と言うぐらい、彼らにゆかりはないお祭りなんですけどね。
水呑み様へ
ご返信と更なる貴重な情報提供、誠に有り難く思います。あれらは誰かの歌の如く、もうどうにも止まらない〜なのですね。とは言え、日本の伝統文化の中枢とも言える祇園すら自分達あってのものとほざいてるのですか…今日はワケあって新大久保近隣を歩いたのですが私には今だにイヤーな感覚があります。特に何かされたワケでなくてもです。お前らチョッパリはウリナラが創り上げてやった荷だ、感謝する荷だとでも全身全霊で訴えているのでしょうかね?
そのうちに小さな町の盆踊りあたりにも手を出してハン系の歌ばかり流される日が来そうですね。もしくは、調べてみると在日絡みの歌しか流れないとか。参加しなくても県境市境などに住んでいれば自ずと曲が大音響で聞こえてきますから連中にはいい曲でも日本人からすれば何だこれという曲ばかり…もしや今既にそうなっているとか?と、それはともかくとして連中は羨ましいですね。何故か?たまに言われますよね、正義の味方と違って悪が強い?のは何も考えずにラクな道は大抵悪道だったりするからで連中はひたすらにそれを率先して行う、頭空っぽでも、いや、空っぽなら尚更の事何も考えずに済む悪道は連中にとっては正道ですもんね?屈強な兵士がいた国を仏教を悪用して弱体化させる親分に習って日本は…恐らくは快楽系攻撃を受けているのでしょうね。律する民族を崩すには快楽を享受すべしと。で、積極的に交配をしてローチを増殖させる、と。北チョン関係で以前マスコミで取り上げられた喜び組、私からすると喜ばせ組ですね、それを南北が共同で日本に仕掛けていてその効果があるから未だに日本は踏ん切りが付かないのだと思います、あらゆる面で。道路陥没建物崩落、何かのおまじないの様に唱えたい。
そして日本人よ、仕事であっても行くな!そんな所には。社命とあらば社を疑え!と言いたい。でもアレですな、今時のガキンチョはバカ親の影響もあってか他人に詫びる事をしない、嫌がる傾向にあると言うのに連中は修学旅行を悪用して詫びさせるワケですよね?これって逆効果でしょ?しかも相手がニカニダチャイと来れば何それとなりますよね?でも、それがいいですね。
狡猾でいられるよりは遥かにマシ。他人にすぐ見破られる程度の知恵を有し続けてて欲しい。ローチの進化はもうたくさんです
欧州は大きい意味で半島ですが様々な言語や民族が残っています。
地理的な障害が間にあったりローマ帝国が城塞都市や企画化した文明を残してくれたのもありますがそれぞれが存続の為に戦争することを選んでました。
例えばドイツの場合ゲルマン人が旧東ドイツのスラブ人を侵略して男は皆殺し、女には自分の子供を産ませて民族浄化を行いました。東ドイツのスラブ人は上手く戦えなかったのかもしれません。
この侵略はローマ法王や神聖ローマ皇帝のお墨付きです。
おとなりのチェコもスラブ系の民族ですが彼らはフス派を形成しドイツやオーストリアのゲルマン系十字軍と戦い勝利します。彼らも負けていたら民族浄化されていたはずですが優秀な指揮官が農民を指揮してワゴン戦術と初期の銃で騎士を虐殺してしまいました。
お蔭である程度自由を勝ち取り後の宗教改革にも多少ヒントになってると思われます。
何を言いたいかというと戦わないこと、奴隷になることは次の世代を徐々に根切りに遭わせてしまうということです。これを受容すると述べている者は役に立ちません。視野がまさに今日の1000円を優先し明日の10000円を考えない類です。
チェコ人は自分達の戦いを「真実」と解き、「真実は勝つ」を銘にしているとか。
負けた神聖ローマ帝国にいた指揮官、フニャディ(名前が面白い)は後にワゴン戦術を
採用してイスラム帝国との戦いに応用して欧州キリスト教圏の維持に貢献しています
ここでも戦わないと滅んでしまう「真実」がありました
もちろん戦って負けてしまうのでは元も子もありませんのでよくよく準備をしなくてはいけないのは兵法でも良く云われる次第です。日本は敗戦したことになっていますが当時の交渉として国内陸軍は停戦したとあります。そして今も日本人はいます。
唯欧米人の文化ですが異民族は一度では滅ぼせない場合は徐々に滅ぼすのです。
言語を弱らせたり、少数異民族を増やさせたりと相手の文化の弱点を突こうとします。
彼の半島の方々はその最たる尖兵かもしれません。
不思議なのは彼らはなぜ日本相手に抗戦しなかったのかですね。
オランダ人はドイツ人を嫌っていました。彼らは戦わずしてドイツの占領を受け入れ
好きにされたのです。長いこと仲が悪かった。これと似た理由かもしれません。
逆にチェコ(スロバキア)は徹底的に抵抗し戦後はドイツとオランダよりずっと早く仲直りしました。
日本も米国と今は割と平和な関係を築いています。戦ったお蔭かもしれません。
「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。そして、いったん戦争と決定せられた場合、我等軍人はただただ大命一下戦いに赴くのみである」(日本海軍 軍令部総長・永野修身)
胸が痛みます
うなぎさん、ご紹介ありがとうございます。
永野修身元帥のこのお言葉に尽きますね。
そして再起するは今、なんですね。
理不尽な要求を突きつけられたなら例えそれが負け戦でも相手に屈したくはない
50年かけて中国はチベット侵略の計画を実行した・・・
私は歴史に疎いのですが、日本が中国の国民党と戦っていた時に中国共産党は山の中にこもっていたと言いますよね。
中国の兵法の一つに敵と敵を戦わせて疲弊したところを突くというのがあって、
中国共産党がその兵法を取ったというのなら、日本はまんまと中国共産党に利用されたと言うことはありませんか?
またあまりにも初歩的質問で申し訳ないのですが、なんで日本は日中国交回復をあんなに喜んでいたんでしょう? 国交回復しなければ、日本の資本も技術も中国に行くこともなく、中国はまだ世界最貧国としてくすぶっていたんじゃないかと思うのですが。
日本人は孫氏の兵法とか詳しいはずなのに、最近になるまで中国の腹の中を疑わず、いいように利用されたんじゃないかと思っているのですが、どうなんでしょう?
ずいぶん昔のことですが、1970年頃に、当時の若者たちのあいだに、
戦争を知らない子供たち、という歌があったそうですね。私も、昔の青年流行歌の楽譜をみて、知っています。ま、その当時、若者らしい素直な気持ちが表現されていてよい、という意見もあったそうですが、それにしても歌詞の軽薄さは、おおうべくもないですね。ーただし、左翼系の反戦ソングではなく、軽いノリで歌ってたらしいですが。。。。。もっとも、あの歌のいいところは、戦争の反省謝罪とか自虐的なところがまったくないことで、そういう意味合いなら、ま、いい歌だといっておきましょう。
去年、安部総理の談話で、戦争を知らない世代に、戦争責任を背負わせてはならない、という趣旨のことを、おっしゃってましたが、たしかにそのとおりです。もう、第二次大戦のころの問題について、日本人は一切、謝罪をする必要はないです。これからの、課題は、日本の防衛はどうあるべきか、ということでしょう。ところで、今日、八月十五日、戦没者慰霊の日に、こともあろうに、韓国の国会議員たちが、日本領土の竹島に不法上陸した、ーという緊急情報が入ってきました。私は、これまで極力、嫌韓的標語や差別的暴言はつつしむようにつとめてまいりましたが、もうそろそろ、堪忍袋の尾がきれそうです。
あの慰安婦財団への寄付行為10億円は、もう手切れ金としてなげつけてやればいいと思います。
矜持のないみじめさ
政治系まとめサイトのコメント欄で、「移民・難民の受け入れ」について賛成派と反対派が議論しているのを見かけたことがあります。
受け入れ賛成派の「難民受け入れに反対する奴は、自分が難民になっても助けてもらうなよな!」というコメントに対して、反対派からは「日本を捨てて他国に逃げるなんて考えたこともない」「震災や原発事故が起きても日本から逃げなかったのに、難民になるってどういう状況よ?」などの反論コメントが寄せられていました。
もちろん日本人も他国に移住することはあります。しかし、例えばアメリカの日系人は、第二次世界大戦ではアメリカ人としてアメリカのために戦い、日系人部隊の第442連隊戦闘団はアメリカ史上で最も多くの勲章を受けています。
韓国人のように「朝鮮戦争から逃げてきて日本に密入国したのに『強制連行された』と言う」「『好きで日本に住んでいるわけじゃない』と言いながら、決して帰国しようとはしない」というようなことは、日本人は決してしないでしょう。
韓国人と結婚した日本人女性のブログには次のように書いてありました。
それが彼と私のリアリティー
h ttp://yeosu2013.blogspot.jp/2015/08/blog-post_14.html
>「戦場に送られた時、大事なのは勝つか負けるかではなくて、生き残るかだよ」と、サラッと言った。本当に軽く、笑いながら。
>彼が生き残ろうと必死にその場にいるのならば、私も一緒に生き抜こう。それが私のリアリティー。
↑もっともらしく書いていますが、卑怯者の論理ですよね。だからあの民族は歴史上、何度も国を滅ぼし、他国に寄生する生き方しかできないのでしょう。
昨年の安倍首相のアメリカ議会演説を見て「本当に戦った者同士は、和解することができるんだ」と、しみじみ思いました。今の日本に歴史問題でイチャモンをつけてくるのは、日本と戦ったことのない韓国・北朝鮮・中華人民共和国の3ヵ国だけですからね。
戦場で「生き残る事」を「恥」だと考えていた日本人
思えば、そもそも日本では、明治時代以前までは「武士」が国防を担当していましたからね。
何度か日本を攻めた国がありましたが、武士の強さに恐れをなして逃げ帰って行ったと言われています。
どこの誰だか知りませんが、「難民になる」という発想がそもそも日本には無かったような気がしますね。
例え日本という国が危機的な状況下に陥っても、国を捨てずに戦う事を決意したものの方が多かったのではないかと思います。
友が戦死していながら、自分だけ生き残った事を「恥」だと考える人の方が戦時経験者には多かったようです。
戦で称えられるのは、自らの命を賭けてでも、国のために戦った「武士」であり、臆病者ではないという事なのですね。
従って、「戦場では生き残る事が大切」というのは一見もっともらしく聞こえますが、日本人的な発想ではないと思いますね。
国を捨てておきながら、他国のお世話になろうとするその魂胆が「賤しい根性」だと見なされているのではないでしょうかね。
特に、現地人で、戦争などになれば国の為に戦う覚悟を決めている人たちからすれば、国の発展には貢献せず、国が危機にい陥れば、そそくさと捨ててくるような輩は、最も忌み嫌う存在だと思います。
別に「生き残る事が大切」という価値観まで否定する気はありませんけど、国の為に命を懸けて戦った側からすれば、国を捨てたような輩を再度受け入れたいとは思わないでしょうね。
その意味では、半島から逃げ出した在日に対する現地の韓国人の考えも分かるような気がしますね。