日韓友好絵本
行動展示というのは、動物園などの施設において、それまで行われていた分類学的展示と地理学的展示、生態的展示に加えて新たに提唱された「動物それぞれの“種”が持っている行動を引き出し,それを展示する」という展示方法です。
虎が生きた草食動物を襲って倒し、これを食うことは、確かに虎という種が持つ本能的行動のひとつです。そのために虎という生き物には牙や爪が備わっているわけです。それを展示するのは、確かに「行動展示」に当てはまるとは思います。
しかし個人的には魚の活け造りや踊り食い、残酷焼きなども含めて、食われる方に感情移入してしまう方なので、ああいう光景はあまり気分の良いものではありません。そうしなければこちらの生命にかかわるというのでないならば、偽善と言われようとも、食うために命を奪う相手の苦痛は可能な限り軽減してやるべきではないかと思っています。ですから、やはり動物園の肉食動物が生き餌を食うところは、いくら行動展示が流行とは言え、いかがなものかと思います。
ところで今月22日、韓国において、生きた豚を韓国人の群れが八つ裂きにするというニュースが流れたようです。これもやはり、一種の行動展示と理解するべきなのでしょうか。ずっと前からあの半島はオープンスタイルのZoological Gardenだと思ってたので今更驚きはしませんが、いくらその種の持っている本能的行動とは言え、ああいう行動の展示は控えるべきではないかなと思いました。
さて、枕はこの辺にしておきまして、話はがらっと変わりますが、新日鉄とPOSCO(旧浦項総合製鉄)が共同で製作し、無料で配布している「鬼とドッケビの新・モノ語り」という絵本をご存知でしょうか。
当初私はこの本の存在すら知らず、当然誰が執筆したかなどということも、まったく知りませんでした。ですからこの本のことを知らされた時も、実はあまり興味もなく、半ば聞き流し気味に聞いておりましたが、この絵本の作者名を見て、ぎょっとしました。
この本の作者は李寧煕。この名前には覚えがあります。あり過ぎます。
今から20年近くも前になるでしょうか。当時「古代日本語は朝鮮語で解読出来る」という本が幾冊か出版されました。私も、その中の代表的な一冊である「人麻呂の暗号」という本を読んで、ころりと騙され、いたく感心したバカの一人です。
しかし、「人麻呂の暗号」の方は、まだ邪気がありませんでした。確かこの本は多言語学習サークルか何かの4人の女性による共著で、朝鮮語初学者が陥りがちな落とし穴に素直にはまった人たちが書いた本だったと思います。もしかすると何らかの悪意が潜んでいたのかも知れませんが、それでもまだマシだったと思います。李寧煕の「もうひとつの万葉集」という本に較べれば。
李寧煕の「もうひとつの万葉集」は1989年8月に文藝春秋社から発行された本です。多分もう絶版していると思いますし、仮に本屋で見つけても買う価値はありません。古本屋で100円以下だったら、参考資料として古本屋への手間賃のつもりで買ってやっても良いかなという程度の本です。図書館に置いてあるのを見つけたらガメて捨て・・・いや、何でもありません。
この本で解釈されている歌の一例を挙げてみます。
額田王が詠んだ「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」という有名な一句があります。
これは「(あかねさす=「紫」に掛かる枕詞)紫草を摘みつつ標野(=禁野=皇族所領地)を行く私に向かって、あなたは大胆にも私に袖を振って見せるけれど(袖振る=求愛の仕草)、野守に見られはしないでしょうか」という歌です。この歌が詠まれた背景にある状況設定を詳しく知っている方が、この歌の本当の良さがわかると思いますが、仮にそれをまったく知らずとも、十分に情景が伝わる歌だと思います。
この歌を李寧煕は次のように解釈します。
「あかい股(男性器の隠喩だそうです)が、紫色の野原(女性器の隠喩だそうです)を行きます、標野(禁じられた野原、これも女性器の隠喩だそうです)を行くのです。野守は見ていないでしょうね 貴方が私のハサミ(両股)をひろげるのを」
この一首を見ただけでも十分お釣りが来るほど想像がつくと思いますが、とにかくこの本は、著者の下劣な品性と日本に対する激しい悪意と蔑視に基づいた牽強付会で書かれている本です。当時「週刊朝日」(1990.2-9, 2-16, 2-23)上で大野晋氏、菅野裕臣氏、中西進氏といったトップレベルの言語学者が丁寧に反論を加え、比較言語学の安本美典氏が「新・朝鮮語で万葉集は解読できない」という本まで出して完膚なきまでに論破し尽くしております。
新日鉄とPOSCOが出した絵本は、こういう女が文章を書いてる本ですから、絶対に確実に間違いなく完璧に鉄板でトンデモが入っている、と思った私は、ツテを通じてこの絵本を取り寄せました。
とりあえず、全部のページをスキャンして保存し、現在テキスト起こしを行っております。絵本に記載の日本語文とハングル文、これにハングル文の翻訳文を加えて、近日UPする予定です。
ただし、現在著作権がらみの問題が鬱陶しいので、全文一気公開はいたしません。あくまで一部引用です。UP期間も限定いたしますので、あらかじめご了承ください。
尚、現物が欲しい方は、新日鉄広報センターまでFAXでご請求ください。送料無料で送付してもらえます。無料なだけに増刷されるかどうかはわかりませんので、お早めにどうぞ。
以下、新日鉄ホームページ、ニュースリリースより引用。
2007年4月23日 新日本製鐵株式会社 株式会社 ポスコ 学習絵本(新日鉄・POSCO共同編集、日韓特別版) 『鬼とドッケビの新・モノ語リ』の発行について 新日本製鐵株式会社(社長:三村明夫、以下新日鉄)と株式会社ポスコ(会長:李亀澤、以下POSCO)は、このたび小中学生などを対象に、鉄作りを中心とした日韓の文化交流の歴史をわかりやすく紹介した学習絵本(日韓特別版)を発行しました。 新日鉄とPOSCOは、2000年8月株式の相互保有を含めた戦略的提携を締結して以降、各部門にて積極的に戦略的提携を推進してきました。広報部門でも人材育成を目的とした若手管理職の相互派遣や、広報誌での特集企画を行ってきました。こうした取組みの深化・拡大に向けて、今回両社が共同で、学習絵本(日韓特別版)『鬼とドッケビの新・モノ語リ』の企画・編集を行いました。 一方これまで新日鉄では学習絵本『新・モノ語リシリーズ』(1~6巻)を発行し、地球環境を大切にしながら豊かで快適な生活を送ることや、鉄づくりを通じて科学の世界を理解しその楽しさを知ってもらうことなどをテーマにしてきました。製鉄所見学・展示会・科学館などで無料配布し、合計で53万5千部を発行。子供たちの他、学校関係者、保護者、地域でボランティア活動をする皆様などから多くの反響をいただいてきました。今回の日韓特別版は絵本第7巻目となります。 今回の学習絵本では、日本の製鉄技術が古代の朝鮮半島から伝わり日本で発展した歴史を、「鬼(韓国語でドッケビ)」や「福の棒(日本の打ち出の小槌に相当)」に託して、おとぎ話として伝えています。執筆は日韓両国の文化・言語に詳しいPOSCO人材開発院教授で作家の李寧煕さんに、挿絵は学習絵本『新・モノ語リ』第4巻でも担当いただいた在日韓国人画家金斗鉉さんにお願いしました。また日韓両国の子供たちにお互いの文化・言語を学び日韓の友好関係を一層深めてもらう意味を込めて、日韓両国語併記としました。 今後、各製鉄所での小中学生の工場見学会や、各種展示会などで無料配布します。ご希望の方には無料で郵送致します(下記までお申込み下さい)。 <『鬼とドッケビの新・モノ語リ』の概要> 発行月 :2007年4月 発行部数:初版5万部(日本)、初版1万部(韓国) 体裁 :A6判、カラー64ページ 発行者 :新日鉄総務部広報センター、POSCO弘報室 執筆 :李寧煕(POSCO人材開発院教授、作家) 挿絵 :金斗鉉 ストーリー: ずっとずっと昔のそのまた昔。韓国に、おすもうさんのように大きく、角が1本生えた鬼が住んでいました。鬼たちは、欲しい物が何でも出せる「福の棒(打ち出の小槌)」を持っていて、村の人たちに斧や鎌などを出してあげました。この鬼は、見上げるほど大きいと言う意味の「ドッケビ」と呼ばれていました。 古代韓国は、頑丈な鉄の農機具や武器をつくって栄えていました。この鉄づくりの技術者たちは、ドッケビと呼ばれた鬼のように、背が高くて大きくて、長い髪を頭の上に角のように一つにまとめて結んでいました。鉄づくりで、赤や青の炎に照らし出された姿は赤鬼・青鬼のよう。刀や斧をつくるため鉄をたたく槌はまるで「福の棒」のようです。鉄は貴重品だったので、鉄があればご馳走も服も何でも手に入れられました。 ドッケビの親方は、鉄づくりに必要な砂鉄や木が豊富で、まだ人々が鉄づくりを知らない海の向こうの日本に行こうと思い立ちました。ドッケビたちは、韓国語で大きい人という意味の「オンニ」と呼ばれ、それがなまって「おに」と呼ばれるようになったといわれています。 日本と韓国の昔話には鬼が登場します。日本では、子供の守り神として鬼のお祭りがあります。昔、人々のために鉄をつくっていた鬼たちは、今、お祭りやお話の中で子供たちを守りながら生きているのです。 <お問い合わせ先> 新日本製鉄 総務部広報センター(電話03-3275-5016) POSCO JAPAN (電話03-3546-1212) |
コメント
つまり、「資源は日本のほうが豊富にあったけど、技術はすべてウリ達が教えてやったニダ」と言いたいわけですね。子どもに夢を与える絵本にまで魔手を伸ばす韓国って一体・・・
コイツ
去年ウチの大学来て講演した事ありますよ、たしかコイツPOSCOで人事かなんかに関わってるから人事関係の内容だったような気がします。まぁ興味が無かったので出てませんが…
誰がコイツを呼んで講演させたのか調べてみるのも面白いかもしれませんね
日韓交流っていいながら勘違い朝鮮人に在日絵師かよ…どこに交流?
なんで馬鹿日本人は朝鮮人たちのオナニーに嬉々として手伝ってやろうとするんだか。
露出したブツを見たら普通の感覚なら目をそむけるものだと思うんですがね。
それをわざわざ過保護にも強姦魔に金だしてやらせてやる女くらい馬鹿です。
下品なたとえで申し訳ない。
そんな女性はいないことはわかってますが…。
私も「人麻呂の暗号」に感動したバカの一人で、そのサークル(ヒッポ)に所属していたこともありました。
韓国などほとんど注目されていなかったあの当時で「韓国語」を押していたことや、イベントやサークルの雰囲気などを今振り返ると、朝鮮カルト系のノリに近いものがあった。
李寧煕
この本の「あとがき」によると、「李寧煕(イ ヨンヒ)(POSCO(ポスコ)人材開発院教授・製鉄史)」となっていますが、いつから製鉄史の専門家になったのでしょう?
fetia様の指摘にあった万葉集を日本語で読む試みについてはNHKなどでも取り上げられ、そういう試みもありかな、という程度で聞き流していたのですが、古代の日本語を中世(統一新羅・高麗)以降の韓国語(朝鮮語)と比較しても意味がないわけで、その時は、『万葉集』『古事記』『日本書紀』『風土記』などの古代日本語の資料が残っているのとは違い、古代の韓国語(朝鮮語)の資料が極めて乏しく、語彙・発音・語義・語源を復元・再構成できるような状況ではないことを知らなかったからそう思えたに過ぎません。
この時は、万葉集を韓国語で読む試みをしているのが韓国の若い女性というだけで、名前など気に留めていなかったのですが、水野俊平氏の著書などで李寧煕なる人物だったことを改めって知ったわけです。水野氏によると、「日本上代歌謡の韓国語解釈」には仕掛け人がいるそうです(野平俊平『日本人はビックリ!韓国人の日本偽史』小学館文庫 2002年)。
『もう一つの万葉集』には、実は、仕掛け人がいる。池田書店の前社長、池田菊敏氏(最近では金賢姫(キム・ヒョンヒ)や北朝鮮の元工作員・安明進(アン・ミョンジン)の著書などを翻訳・紹介している-hitomodoki注)だ。その昔、謝国権(しゃこくけん)の『性生活の知恵』を企画、二百万部売った人である。
「あるとき、ソウルで、李さんに、『万葉』には読めない歌がある、と座興で話したんですよ。すると、たちどころに解いてみせたじゃないですか。これはいけると、その場で執筆を頼んだでのがこれです。彼女の分析は四百首ほどで終わっていますが、これがこじつけなら彼女は天才ですよ」
久しぶりに大ヒットの手応えを感じているらしい。
(『週刊朝日』89年10月6日号)
「これがこじつけなら彼女は天才ですよ」というのは「天才的な嘘つき(ペテン師)」という意味なのでは?
水野俊平氏の著書(野平俊水『韓国・反日小説の書き方』亜紀書房 1996年)から、李寧煕の名(迷)解釈をご紹介。
【日本語の解釈】
垂乳根之(たらちねの) 母我養蚕乃(ははがかふこの) 眉隠(まよごもり) 馬声蜂音花蜘■(虫+厨)鹿(いぶせくもか) 異母二不相而(いもあはずして)(『万葉集』巻一二-二九九一)
(大意:母が養っている蚕がマユにこもるように、心持ちが晴れないことである。妹に逢う折がなくて)
【李寧煕『もう一つの万葉集』の解釈】
垂乳根之(タレチネジ) 母我養蚕乃(パパガヤヌネベ) 眉隠(ミウン) 馬音声蜂音石花花蜘■(虫+厨)荒鹿(マソレポソレイシコジドコチルロ) 異母二不相而(イモイブルサンイ)
(大意:垂れまらを出そう ぶち込み伏せよ 憎んで下さるな 見よ、立て続けのまらが痛い この女陰(ほと)がかわいそう)
下品だ、あまりにも下品。日韓(朝)の音訓を適当に組み合わせて、よくもこんなこと思いつく。ほんとうに天才ですね(棒読み)。
fetia様ご紹介の座談会「万葉集はほんとうに朝鮮語で読めるのか」(『週刊朝日』(90年2月9日~23日)では、菅野裕臣(東京外国語大学教授・朝鮮学)、大野晋(学習院大学教授・国語学)、中西進(国際日本文化研究センター教授・国文学)(いずれも当時の役職)から誤りや矛盾を指摘されると、この女、「疑問があるといわれても私にはこたえようがありません。詠んだ結果を正直に書いただけなんですから」「そう詠めるから詠んだのであって、何も推測で詠んでいるのではありません」「自分が分からないから相手の意見が間違いだなんて、なんてバカなのかしら」(水野、前掲書)などと開き直ったそうな。水野氏も呆れて、「ここまで来るともう学問ではなく宗教であり、理論ではなく信仰である」と書いています。
件(くだん)の『鬼とドッケビの「新・モノ語り」』では、日本の「鬼(オニ)」=韓国の「オンニ(大きな人)」という説が開陳されています。あとがきには「両国の子供たちが永遠に仲良くしていってほしい」とありますが、これが本当なら、「朝鮮人は大昔から日本に来ては悪さをはたらき、ついには桃太郎に退治されました。めでたし、めでたし」ということになりませんか?(先走って申し訳ありません)。
水野氏によると、韓国では、桃太郎は朝鮮侵略の昔話なのだそうで、「今日の核爆弾よりもさらに破壊的な朝鮮侵略戦術の兵器ではなかったか」とまで言われているそうです(水野俊平『韓vs日「偽史ワールド」』小学館 2007年)。桃太郎を目の敵にするからには、自分たちが鬼であるという意識的・無意識的な自覚があるのだな、と妙に納得をした次第です。実際、岡山県総社市のHPでは、桃太郎伝説で有名な「鬼ノ城(きのじょう)」は、西国から都へ送る物資を奪っり、婦女子を略奪した百済の王子・温羅(うら)の居城と説明されたりしています(笑)(www.city.soja.okayama.jp/kanko/kankochi/kinojo.jsp)。
さらに、この女、懲りずに東洲斎写楽は韓国人・金弘道(キム・ホンド)というトンデモ説まで唱えているようで、十返舎一九(じゅっぺんしゃ いっく)は朝鮮人の子、その作『初登山手習帖(しょとうざんてならいちょう)』には、写楽=金弘道を証明する韓国語が散りばめられているとか(水野、前掲書)。呆れてモノも言えませんね。東洲斎写楽・韓国人説をもとに製作された韓国映画があるそうですが、どなたかご存じありませんか?
訂正
野平俊平『日本人はビックリ!韓国人の日本偽史』→野平俊水『日本人はビックリ!韓国人の日本偽史』
馬音声蜂音石花花蜘■(虫+厨)荒鹿(マソレポソレイシコジドコチルロ)→馬音声蜂音石花蜘■(虫+厨)荒鹿(マソレポソレイシコジドコチルロ)
奪っり、婦女子を略奪した→奪ったり、婦女子を略奪した
こいつか
http://www.oct.zaq.ne.jp/gangyou/public_html/ri%20nyonhikouennkai.htm
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=334427006
こいつか?
ミタル対策の株の持ち合いまではマァ良いけど、こんなことやってると個人投資家が逃げますよ。
日本語で解ける朝鮮語
ウリナラのナラ、これは朝鮮語でしょうか。
日本語には、地面をナラす、という言葉があります。転じて、ナラした土地(切り開いた土地)が村・国そのものを意味するようになったと思います。
朝鮮語には、ナラす、に相当する言葉がありません。これは倭人が朝鮮南部に居住していた痕跡ではないでしょうか。
以上、古田武彦の受け売りでした。
こうなると
もう内容の精査よりも
・新日鐵がわの推進者・責任者は誰なのか
・これだけうさんくさいネタをほのぼの友好話としてしか報じない日本のマスメディアの白痴さ加減
・週刊誌がいまだ食いつかない謎
のほうがはるかに興味深いですね。
ヒッポってやっぱり「あっち系」なんでしょうか?
実はずいぶん前の話になりますが、説明会だけ参加したことがあります。
「サークルかぁ、7カ国なんて必要ないけど、どうなんだろう、スクールよりいいかな?」
的ノリで出てみたものの、あまりの費用の高さに腰を抜かし、なおかつその雰囲気のなんとも言えない独特な臭いに気圧され、とっとと逃げましたが。
しかし不思議ですよねぇ、なぜか朝鮮系ってなんでも「カルトちっく」になるんですよねぇ。彼らの気質にそういう要素があるんでしょうか。
あのひっぽも言葉を習うというより、そのノリと雰囲気でからめとって「お仲間」にする、ってな感じだったし。
すみません、あんまりエントリとは関係ない話で。
>「あかい股(男性器の隠喩だそうです)が、・・・貴方が私のハサミ(両股)をひろげるのを」
↑この部分だけでも、読んでて殺意が沸いたのはぼくだけではないはず・・・! 朝鮮フィルターも朝鮮人の自慰解釈ももういらない。 日本は日本を理解しようという志をもつ他国の人との提携を強めるべきです。
ぼくの偏見かもしれませんが、ヨーロッパから日本に来る人たちの多くは素で日本の文化に感動していた感があります。
あるドイツ人女性の旧友は、滞在期間一ヶ月の間に書道・茶道・華道・琴を習っていきました。 広く浅くかと思いきや、彼女の集中力と細部への探究心は、「アレ、どっちが日本人だっけ?」と思わせてくるほどの熱気を伝えてきました。 講師の方々も軽く驚愕されていました。
文学のような言語表現世界を体験するにはやはり膨大な日本語と日本史の知識が必要となりますが、「空間」「表現」「日本人的美意識」となれば、"日本文化への敬意と好奇心"さえあれば誰もが触れることのできる素朴かつ洗練された文化だと思った次第です。
チョンにはそんなこと未来永劫理解できないんだろうけど。 理解できない故にいつまでたってもチョンなのだろう。
・・・よかったね、また敵を増やしそうでよかったね。
引用だけで展開が読めてしまうなぁw
日本の昔話に絡めてくるんだろうけど。
私も昔読みました「もう一つの万葉集」
途中でなんかこじつけに見えて(実際そうですが)うちゃらかしました。
しかし、なんで…下ネタ系やねん。
日本のいいとこはすべてウリのものニダってか。あほですなホントに。
中国の虎に生餌を与えた件ですが、
あれってお客さんがお金出してるそうですよ。牛は25,000円、羊9,000円(すべて日本円)とニュースで言ってました。
皆で牛が喰われていく過程を子供も大人も笑いながら見ている。
行動展示って言いますが虎はライオンと違って単独行動です。
集団で狩はありえません。なので本来の野生の行動ではないはずです。
歯磨き粉に毒は入ってるし偽物玉子は売るし…どこか神経おかしいですよねあの国は。
シモネタにしか出来ない なんて下品極まりないですね。
読んでてびっくりしました。
豚の件ですが、なるほど韓国人の行動展示ですか(笑)
では人間に害をなすから檻に閉じ込めなければいけませんね。
などと素で思ってしまいました。
確かこの人って写楽韓国人説も唱えてませんでしたか?まあ写楽というよりもベニスの商人にでてくるシャイロック韓国人説のほうがピンときますが。
>韓国語で大きい人という意味の「オンニ」と呼ばれ、それがなまって「おに」と呼ばれるようになったといわれています。
日本で鬼がオニと発音される様になったのは、平安時代以降らしいのですが、これはやはりいつものアレですかね?
李ナントカ『もうひとりの写楽~海を渡ってきた李朝絵師~』
上でコメントされているように『写楽は、実は朝鮮通信使の”金 弘道”だった』等という本も、書いているんですね。
万葉集のあまりに下種な曲解にも、怒りを感じますが『日韓友好絵本』せっせっと電波を飛ばしているのも、気になります。
写楽が金弘道だったという映画『気韻生動』は、2004年12月公開となっているので、ポシャった...と思います(多分)
この本も影響があると思うのですが、96年に製作された日本のTV朝日放送『もう1人の写楽』という番組に衝撃を受け、韓国でも製作される事になったそうです。
しかも、日韓修好40周年映画として製作...。まただよ。日本側も一枚かんでる...orz。
日本の反日日本人とサヨクから、ネタがリサイクルされて、何度も何度も”嘘”が甦る。
韓国と”友好と相互理解”が”偽史”を生む...と水野俊平氏も言っていたけど、本当だ。
あ、新日鉄の子会社に転職が決まったんですが、法則とかどうなんでつか?
オニの語源
オニの語源は私が読んだ限りでは、
ゼニ←銭
クニ←郡
オニ←隠
の様に漢字起源と書いていました。
二つの言葉を比べる時一つ一つの単語の類似を求めても意味はない。例えば日本語のナマエと英語のネイム、アルファベット1つしか違わないそっくりさん。でも貸借関係はない。カッパ、コンペイトウの様にポルトガル語から来たと言う歴史資料があれば、貸借があったと証明できますが、オンニだけとりだされてもね‥‥。ただのコジツケ。同じ分野の単語群が系統的に類似していれば貸借関係があったと言う可能性が高いといえます。
まあ。ちょっと言語学の本を読んだだけでこのくらいは分かるのですが。
李寧煕さんもそのように説を発展できれば本当の言語学者ですが‥‥。
同じようなものに、藤村由加の「人麻呂の暗号」と言う本もありましたが、これは卑猥でない分だけまだマシでした。ダメはダメでしたが。
大会社ですからこういうことを知っている人は陰で沢山いるはずですが、偉いさんとか総務部って所はこういうこと知らん人が多いのですよ。社内の事ばかり眼が向いている。
皆様のような博識はもちあわせていませんが、つっ込む所の多い妄想昔話しです。
>ずっとずっと昔のそのまた昔。韓国に、
おいw 韓国っていつできた国だよww
>日本と韓国の昔話には鬼が登場します。日本では・・・
日本での「鬼」の発案がいつなのか、また何が起源なのか断定できるソースは出てこない(出てきたからと言ってそれが正しいかは別問題)んですが、他の神々や妖怪のように、外来と言うよりは庶民の日常生活の中から創り出されたモノであるほうが説明がつくかと。
「鬼」の場合のインスピは"怒り・復讐心等から人の道を逸れてしまったヒトが見せる形相"ではないか、という説を支持してます。 ちょうど「チョウセンヒトモドキ」のように、集団で豚を引き裂くようなことをする彼の国の民を見て、人に在らず、と感じることから創り出された象徴かと。。。
・・・しかしこの与太話を真剣に信じてしまう人もいると考えるとダルいです。
なんという電波
紹介文だけでわかってしまった、この本は間違いなく非学問的
昔、四国新聞で・・・
初めてコメントさせていただきます。
fetia様の仰る如く、反日日本人が、李寧煕氏の「解読」を真に受けて、地方紙にコラムを書いておりました。
<参照>
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/column/article.aspx?id=20030630000069
抗議しましたが、当然なしのつぶて。こうした悲劇が繰り返されないように、ご健筆を振るわれますようお祈りいたします。なお、同絵本はご教示の方法で本日入手しました。有り難うございました。
万葉集にははっきりと渡来人と書かれた作者もいるわけで、歌によっては古代朝鮮語で書かれている可能性はあるでしょうね。私は李寧煕氏の解読が正しいかどうか判断できるだけの知識は持ち合わせていませんが、問題提起としては意義があると思います。
古代朝鮮語とやらで漢字表記されたものを音読すると
日本語として意味が通っちゃうんだ、すごいね。
Tetraさん
>万葉集にははっきりと渡来人と書かれた作者
具体的に誰ですか?